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2020年10月16日金曜日

人が、差別をあからさまに学ぶのは、教室にほかならない

以下、主に凡庸と差別をめぐる。

『紋切型辞典』の構想

ぼくは、誰からも容認されてきたすべてのことがらを、歴史的な現実に照らし合わせて賞讃し、多数派がつねに正しく、少数派はつねに誤っていると判断されてきた事実を示そうと思う。偉大な人物の全員を阿呆どもに、殉教者の全員を死刑執行人どもに生贄として捧げ、それを極度に過激な、火花の散るような文体で実践してみようというのです。従って文学については、凡庸なものは誰にでも理解しうるが故にこれのみが正しく、その結果、あらゆる種類の独自性は危険で馬鹿げたものとして辱めてやる必要がある、ということを立証したいのです。

Ce serait la glorification historique de tout ce qu’on approuve. J’y démontrerais que les majorités ont toujours eu raison, les minorités toujours tort. J’immolerais les grands hommes à tous les imbéciles, les martyrs à tous les bourreaux, et cela dans un style poussé à outrance, à fusées. Ainsi, pour la littérature, j’établirais, ce qui serait facile, que le médiocre, étant à la portée de tous, est le seul légitime et qu’il faut donc honnir toute espèce d’originalité comme dangereuse, sotte, etc. (フローベール書簡、ルイーズ・コレ宛 Flaubert À Louise Colet. 17 décembre 1852)



フローベールのmédiocreはbanalitéとすることもできよう。



耐え難いのはもはや重大な不正などではなく、日々の凡庸さが恒久的に続くことだ。L'intolérable n'est plus une injustice majeure, mais l'état permanent d'une banalité quotidienne. (ドゥルーズ『シネマ Ⅱ』1985年)


どこかで小耳にはさんだことの退屈な反復にすぎない言葉をこともなげに口にしながら、 なおも自分を例外的な存在であるとひそかに信じ、 しかもそう信じることの典型的な例外性が、 複数の無名性を代弁しつつ、 自分の所属している集団にとって有効な予言たりうるはずだと思いこんでいる人たちがあたりを埋めつくしている。〔・・・〕

凡庸さは、 どこまで行っても凡庸さいがいのものへと人を導くことはなく、 何ものによっても置換されえないし、 何ものを代行することもありえないのっぺら棒な表層であって、 その単調さにおいて人を滅入らせる。 だから誰もがそれを回避しようとしながら、 避けようとする身振りの単調さによって改めてその環境の一貫性とそれへの加担を証拠だててしまうのである。 (蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』「Ⅵ 凡庸さの発明」p99、1988年)



蓮實重彦による凡庸の定義はこれだけではわかりにくいが、ここからはどのような形でこの語をめぐって語っているかのさわりを示す。



大量の馬鹿を相手にする企業としての新聞の発明

一八六三年の二月一日に一部五サンチームで売り出された小紙面の『ル・プチ・シュルナル』紙は、その安易な文体と情報の単純さによって、日刊紙としては初めて数十万単位の読者を獲得することに成功する。一八五〇年当時、パリの全日刊紙をあわせても三十万程度であったことを考えれば、一紙で三十五万の読者を持つ『ル・プチ・シュルナル』紙の創刊は、言葉の真に意味でマス・メディアと呼ばれるにふさわしいものの出現を意味することになる。〔・・・〕ここでの成功が、みずからの凡庸さを装いうるジャーナリストの勇気に負うものだという点を見落としてはなるまい。人類は、おそらく、一八六三年に、初めて大量の馬鹿を相手にする企業としての新聞を発明したのである。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』第2部「Ⅷ 文学と大衆新聞」p380)



こう引用すれば、1995年前後のインターネットの発明、その後のSNSの流通により、21世紀は大量の馬鹿が書くようになった時代、フローベールとともに「凡庸は進歩する!」と言い放つように誘われてしまう。はたしてこれを単純に「シニカル」として片付けることができようか。


それはさておき、以下の蓮實重彦による記述は、義務教育という学校制度が、凡庸の跋扈を生み、差別感情を育み、文学の質をも変貌させたという議論である。フローベール的であると同時に例えばフーコー的でもあり、私にはとても説得的である。現代的な学校の形態の起源は1807年よりプロイセンで行われた教育改革に起源があるというのが通説だが、この学校制度がまず世界を変えたのである。それは19世紀中葉の大衆新聞の発明以前の決定的出来事なのかもしれない。



凡庸なものは万人の理解するところであるが故に、ただこれのみが正しい

この物語の話者は、ここで改めて時間を遡行し、ルイ=ナポレオンのクー・デタ直後の一八五二年十二月二十七日に書かれたギュスターヴのルイーズ宛ての書簡を読んでみようと思う。あるいはそれより十日前の、十二月十七日の手紙から始めてもよい。もちろんそこには、パリで起こった非常手段による政権奪取の物語など、一見したところ影さえ落してはいない。そこで語られているのは、「是認されているものをことごとく史実に照合して讃美し、多数派が常に正しく、少数派が常に誤っているとされてきたこと」を示し、「従って文学についてみれば、凡庸なものは万人の理解するところであるが故に、ただこれのみが正当なものとなり、その結果、ありとあらゆる種類の独自性は危険で馬鹿げたものとして辱めてやらねばならぬという点を証明する」ための、すなわち「いかなる意味での超俗行為をも断乎として排撃する」ために必須と思われる書物の着想といったものである。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』「ⅩⅤ 教室と呼ばれる儀式空間」p219-220)

人が、差別をあからさまに学ぶのは、教室にほかならない

だが、まあさしあたり、そんなことはどうでもよろしい。問題は、十九世紀という時代がその中葉にかけて、原理的には誰もが通過せざるをえない儀式的な場として、教室と呼ばれる権力空間を発明したということにある。それが権力的であるというのは、もちろん、教師と生徒という異質な個体が、一方は単数でいま一方は複数の視線を交錯させる場としての空間的な配置による管理性の確立という点から考えうる問題でもあろうが、ここでの関心は、誰もが同じ資格でそこに存在していながら、その複数の平等な視線同士のあいだに力学的な葛藤が生じ、きまって優位と劣性という関係がその制度的空間を分割することになるという点だ。つまり、義務教育が制度として確立していらい、教室とは、「多数派が常に正しく、少数派が常に誤っている」という権力関係によって不可視の分割が実践される場の典型として生きられることになるのである。人が、差別をあからさまに学ぶのは、教室にほかならない。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』「ⅩⅤ 教室と呼ばれる儀式空間」p220)




異物いじめの始まり

教室という権力空間を占有する「多数派」が正しいのは、彼らの側に真理があるからではなく、もっぱら、その連中が、同じ一つの物語を共有しているからにすぎない。そして、その物語の中で、新入生は、常に正しからぬ「異物」という機能を演じなければならない。「少数派」が常に誤っているのは説話論的な機能としてそうなのであり、真理と誤謬、善と悪といった倫理的な基準とは何の関係もないことである。同じ言葉を共有しえないもののみが、正しくない。そしてこの事実は、教室という儀式空間がそうであるように、文学が十九世紀の中葉になしとげえた歴史的な発見とるいうべきものだ。


あたかもそれを証拠だてるかのように、フランス語は、それまで存在していなかったある単語をこの時期に捏造する。それは、新入生いじめ  bizutage  の一語である。多くの語彙論的な文献は、その一語が一八三五年を境として記号の圏域に流通し始めることを証言している。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』「ⅩⅥ 説話論的な少数者に何が可能か」p 225)


異人の排除という最も身近な権力空間「学校」

すでに述べたように、十九世紀中葉に成立した教室という新たな舞台装置は、特権的な権力空間である。そこを支配する権力構造は誰もが知るごとく、二重のものだ。管理者としての教師が生徒たちに及ぼす制度的な権力と、生徒たち同士がたがいに作用させあっている習慣的な振舞いの固定化された権力とが、異質なやり方で「新入り」の精神と肉体とをこわばらせる。「新入り」は、異る存在として、そこに機能している権力の磁場に馴れることを要求される。つまり、異っている自分を模倣によってその磁場に同調させざるをえないし、また、同調させえねぬかぎり、自分はどこまでも不幸であるほかはないだろう。


こうした権力関係の舞台装置としての学校は、十九世紀の中葉にいたって、文学の構造に一つの感知しがたい変容をもたらす。その変容は、冒険小説、教養小説と呼ばれる文学ジャン ルの内面化とるいうべきものだ。自分には未知であった土地、あるいは無縁であった人間集団と接触し、それとの葛藤、あるいは和解といった過程を通りすぎることで自己を発見するという文学的主題と等価の体験が、ごく身近な都会の誰もが知っている通りとか、田舎の何の変哲もない建物の扉を押して壁の内側に足を踏み入れただけで、ごく簡単に得られることになるからだ。そのとき自分の馴れ親しんでいた環境との空間的な距離はあっさり廃棄され、遠い世界に旅立つことなくまるで散歩に出るような気軽さで人は教室に入ってゆくことができる。しかもそこで、自分は徹底的な異人として、敵意ある視線の対象となってしまう。だから、人は、もう遠い異国に旅立つまでもなく未知の体験を演じうるわけだ。それが、いまだ過渡的な混乱を残しているとはいえ、近代の義務教育と呼ばれるるのが文学に及ぼした決定的な変質なのである。原則としで誰もが通過しうる儀式的な環境としての教室が、ロマン主義の発見したという未知の世界の地方色を凡庸に中和したというべきだろうか。空間的な尺度は情けないまでに縮小され、そこで出合う異質な体験の持主たちの表情も劇的な緊張を恐しく欠いている。ただ彼らは、その密閉空間に支配している説話論的な磁場に通じていないというだけの理由で、「新入り」を嘲笑する。それは、文字通り、多数派が常に正しい世界なのである。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』「ⅩⅥ 説話論的な少数者に何が可能か」p 227-228、1988年)



ここで蓮實の言っていることは、教師の権威失墜の現在なら、「さらなる進展」があるだろう。例えば二流以下の大学ならことさら、教師自身が、「お客様」という学生たち、そのマジョリティのなかで「異物」となって、いじめの対象とまでは言わないまでも、マイノリティの居心地の悪さを感じて、学生たちに媚びを振る舞わざるをえなくなっているという事態が起こっているのではないか。とくに私立の女子大に赴任した「相対的には聡明な」若い教師が覿面にその現象をもってしまっていると観察することが私にはある。


なにはともあれ、われわれは皆、義務教育の9年間、あるいは大学まで含めなくても高校までの12年間、学校という場で「差別」を学んだきたのである。その「学び」を、例えばツイッターなどで反復している筈である。これは、もちろんこう書く私もまったく例外ではない。ひとがそこから少しでも免れるには、何よりもまず徒党を組まないことではないか。


以下、今までも何度か引用してきた文のなかから、上の蓮實重彦の文の当面の捕捉となるもののいくつかを列挙しておこう。



異質なものなどないからこそ、異質性が見つけられねばならない村社会

柄谷行人) 欲望とは他人の欲望だ、 つまり他人に承認されたい欲望だというヘーゲルの考えはーージラールはそれを受けついでいるのですがーー、 この他人が自分と同質でなければ成立しない。他人が「他者」であるならば、蓮實さんがいった言葉でいえば「絶対的他者」であるならば、それはありえないはずなのです。いいかえれば、欲望の競合現象が生じるところでは、 「他者」は不在です。

文字通り身分社会であれば、 このような欲望や競合はありえないでしょう。 もし 「消費社会」において、そのような競合現象が露呈してくるとすれば、それは、そこにおいて均質化が生じているということを意味する。 それは、 たとえば現在の小学校や中学校の「いじめ」を例にとっても明らかです。ここでは、異質な者がスケープゴートになる。しかし、本当に異質なのではないのです。異質なものなどないからこそ、異質性が見つけられねばならないのですね、 だから、 いじめている者も、 ふっと気づくといじめられている側に立っている。 この恣意性は、ある意味ですごい。しかし、これこそ共同体の特徴ですね。マスメディア的な領域は都市ではなく、完全に「村」になってします。しかし、それは、外部には通用しないのです。つまり、 「他者」には通用しない。(柄谷行人-蓮實重彦対談集『闘争のエチカ』1988年)



ーー逆説的な言い方だが、世界が形式的な平等になればなるほどいじめや差別が増える。この柄谷の発言を受け入れるならそうなる。これはフロイトもすでに指摘しており、最近ならジャン=ピエール・デュピュイも言っている➡︎ 「平等社会における暴力猖獗の必然」ラカンも「父の失墜」後の世界における人種差別の猖獗を予言している➡︎1968年後のレイシズム勃興予言


一神教文化ではなく、伝統的に父の権威が弱い日本は、かつてからいじめ社会だった。御殿女中いじめ、新兵いじめ、連合赤軍における新入りいじめ・・・



差別された者、抑圧されている者が差別者になる機微

非常に多くのものが権力欲の道具になりうる。教育も治療も介護も布教もーー。〔・・・〕個人、家庭から国家、国際社会まで、人類は権力欲をコントロールする道筋を見いだしているとはいいがたい。 差別は純粋に権力欲の問題である。より下位のものがいることを確認するのは自らが支配の梯子を登るよりも楽であり容易であり、また競争とちがって結果が裏目に出ることがない。差別された者、抑圧されている者が差別者になる機微の一つでもある。〔・・・〕


些細な特徴や癖からはじまって、いわれのない穢れや美醜や何ということはない行動や一寸した癖が問題になる。これは周囲の差別意識に訴える力がある。何の意味であっても「自分より下」の者がいることはリーダーになりたくてなれない人間の権力への飢餓感を多少軽くする。(中井久夫「いじめの政治学」1997年 『アリアドネからの糸』所収 )




受動性から能動性への反転

容易に観察されるのは、セクシャリティの領域ばかりではなく、心的経験の領域においてはすべて、受動的に受け取られた印象[passiv empfangener Eindruck]が小児に能動的な反応を起こす傾向[Tendenz zu einer aktiven Reaktion]を生みだすということである。以前に自分がされたりさせられたりしたことを自分でやってみようとするのである。それは、小児に課された外界に対処する仕事[Bewältigungsarbeit an der Außenwelt]の一部であって、…厄介な内容のために起こった印象の反復の試み[Wiederholung solcher Eindrücke bemüht]というところまでも導いてゆくかもしれない。

小児の遊戯もまた、受動的な体験を能動的な行為によって補い[passives Erlebnis durch eine aktive Handlung zu ergänzen] 、いわばそれをこのような仕方で解消しようとする意図に役立つようになっている。

医者がいやがる子供の口をあけて咽喉をみたとすると、家に帰ってから子供は医者の役割を演じ、自分が医者に対してそうだったように自分に無力な幼い兄弟をつかまえて、暴力的な処置[gewalttätige Prozedur]を反復するのである。受動性への反抗と能動的役割の選択 [Eine Auflehnung gegen die Passivität und eine Bevorzugung der aktiven Rolle]は疑いない。(フロイト『女性の性愛』1931年)




日本的「共感の共同体」における村八分

日本社会には、そのあらゆる水準において、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係において定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。〔・・・〕

労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は共通の地方心信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。この前提、またはムラ人の行動様式の枠組は、容易に揺らがない。それを揺さぶる個人または少数集団がムラの内部からあらわれれば、ムラの多数派は強制的説得で対応し、それでも意見の統一が得られなければ、「村八分」で対応する。いずれにしても結果は意見と行動の全会一致であり、ムラ全体の安定である。(加藤周一『日本文化における時間と空間』2007年)

ここに現出するのは典型的な「共感の共同体」の姿である。この共同体では人々は慰め合い哀れみ合うことはしても、災害の原因となる条件を解明したり災害の原因を生み出したりその危険性を隠蔽した者たちを探し出し、糾問し、処罰することは行われない。そのような「事を荒立てる」ことは国民共同体が、和の精神によって維持されているどころか、じつは、抗争と対立の場であるという「本当のこと」を、図らずも示してしまうからである。…(この)共感の共同体では人々は「仲よし同士」の慰安感を維持することが全てに優先しているかのように見えるのである。(酒井直樹「「無責任の体系」三たび」2011年『現代思想 東日本大震災』所収)


おみこしの熱狂による庶民的正義感の無責任な吐露

最後に、ある自戒を述べなければならない。被害者の側に立つこと、被害者との同一視は、私たちの荷を軽くしてくれ、私たちの加害者的側面を一時忘れさせ、私たちを正義の側に立たせてくれる。それは、たとえば、過去の戦争における加害者としての日本の人間であるという事実の忘却である。その他にもいろいろあるかもしれない。その昇華ということもありうる。


社会的にも、現在、わが国におけるほとんど唯一の国民的一致点は「被害者の尊重」である。これに反対するものはいない。ではなぜ、たとえば犯罪被害者が無視されてきたのか。司法からすれば、犯罪とは国家共同体に対してなされるものであり(ゼーリヒ『犯罪学』)、被害者は極言すれば、反国家的行為の単なる舞台であり、せいぜい証言者にすぎなかった。その一面性を問題にするのでなければ、表面的な、利用されやすい庶民的正義感のはけ口に終わるおそれがある。(中井久夫「トラウマとその治療経験」2000年『徴候・外傷・記憶』所収)

国民集団としての日本人の弱点を思わずにいられない。それは、おみこしの熱狂と無責任とに例えられようか。輿を担ぐ者も、輿に載るものも、誰も輿の方向を定めることができない。ぶらさがっている者がいても、力は平均化して、輿は道路上を直線的に進む限りまず傾かない。この欠陥が露呈するのは曲がり角であり、輿が思わぬ方向に行き、あるいは傾いて破壊を自他に及ぼす。しかも、誰もが自分は全力をつくしていたのだと思っている。(中井久夫「戦争と平和についての観察」『樹をみつめて』所収、2005年)




◼️付記:私が比較的蓮實重彦を熱心に読んでいたのは1995年までであり、その後の著作でなにを言っているかは不詳だが、かつての著作を中心としたいくつかの引用は「蓮實語録」を参照されたし。上の引用文にある「物語」、「制度」、「説話論的な磁場」等の蓮實用語を把握するための文もある。