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2021年3月21日日曜日

私は女の裸體といふものをつねに怖れた

 


私は女の裸體といふものをつねに怖れた。これは私のまはりに何時も不意に現はれては、わづかな時間のあひだに或ひは消え、そして見えなくなつた。その後で私はその怖れと驚きについて、詳しくどこがこのやうに私といふ人間を次第にこしらへ直すかをしらべた。その一個の裸體をどこかで見ると私はきつとまた別のはだかが見たい希みが起り、別のはだかを見るとその數を算へて見て私のまはりが大きく展がつてゐることを知つた。私は物識りになつたかはりに裸を見たといふことが人に話されないことであるから、頭の中にそれらが一杯にたまつてゐてどうにもならない状態になつてゐた。私はくはしく何處が一等美しいといふものを作り上げてゐるのか、その急所はどこにあるのかは考へても、もうろうとして能く判らない、臍や乳房といふ小さい場所ではなく、突きこんで言ふと體躯のきれめが空氣とのきれめになつてゐるところ、胸とか大腿部とかが形をなくして溶けたところに、美があるやうな氣がした。線とか線の續きのやうな粗末な現はれには、私の眼はとまらなかつた。そこから、すぐ、きれめの深さが空氣の透明なあひだにたつぷりと、もたれかかつてゐるところに、一さいの美があるやうな氣がした。重量の綾みたいなものだ、永遠にとどまることのない物の假睡のやうなものだ。〔・・・〕


人間はこの美意識の、うごいて歇まないものと連れ立つて生きてゆくことを知らねばならない、あんなに美事な言葉も絶えるものを我々の母や姉や妹や世界の女と名のつく人びとが、ひつそりとしかも傲らずに大切にもしないで持つてゐたのだ。何でもない普通のありふれた物體の粗雜さで所持してゐたのである。そこに纏はれた一枚の絹とか木綿とかで蔽はれた世界が、あんなにも簡單にしまはれてゐることに始めて氣づく、けれどもその一枚の絹や木綿の下に匿されてゐる物は、その人の意志がかがやいて來ないかぎり、またそれの許しがなかつたら決してこれを見るといふことが出來ないのだ、どのやうにそれがかがやいてゐてもわれわれはただ一人の人間にならないかぎり、その人の物を見るといふことが出來ない、一人に一人の世界にならなければ這入つてゆけない領域なのである。けれども瞬刻の祕境といふものは人間の油斷してゐる隙間にあり得るし、人間は二十四時間打通しにそれは守つてゐるけれど、時間といふものの破れたところ、入浴する前後のわづかな閃きに似たところで其かがやきが見られるとしたら、結局、何處まで祕境が打ち續けられるかに疑ひが生じる。またそれらの破れめがあることで生きを強めることも出來るといへるのだ。一人の婦人が果してどれだけの守護によつて見られることのなかつた裸體といふものが在りえたことだらう、誰も見ないし見たことのないといふ現實の確かさは決して證明することの出來ないものであつた。誰かが殆ど想像も出來ないやうな複雜な時間と場所と、ありえないやうな機會でつひにそのかがやきを見たところの、たつた一人の人間がゐるかも判らないといふところで、われわれはそれを信じてもいいのだ、誰も知らない處で豫め知ることさへ容易でない機會にその視界は彼女の、かたまりを完全にをさめることが出來てゐたのである。こんな事實は單なる痴情とか莫迦くさいありふれたことで濟ませば濟ますことが出來るが、眼といふものが生きてゐるかぎりそれを現はして物語を續けることになるだらう。それであつてこそ人間のあたひの程も判り、美しかつた物の滅びない、世にいふ藝術のあらはれが存在することになるのである。私は藝術家ではない、ただその心を持つただけで斯くもかがやいた物を、何時も引き出して人間が絶え間もなく、同じ人間の心の中に作られてゆくことを知ることが出來るのである。(室生犀星「帆の世界」初出1960(昭和35)年12月1日「小説新潮」)




室生犀星(1889年 - 1962年)の最晩年の作品であり今頃初めて読むのだが、とってもいいな。


作家はその晩年に及んで書いた物語や自分自身の生涯の作品を、どのように整理してゆく者であるか、あらためて自分がどのように生きて来たかを、つねにはるかにしらべ上げる必要に迫られている者である。(室生犀星『杏っ子』「あとがき」1957年)