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2022年1月3日月曜日

私は切ない受け身形

 



そうか、忘れてたけど、

この吉野弘の I was born

とってもいい詩だなあ、

人間はもともと

みな受け身形か



マゾヒズム的とはその根において、女性的受け身的である[masochistisch, d. h. im Grunde weiblich passiv.](フロイト『ドストエフスキーと父親殺し』1928年)

母のもとにいる幼児の最初の体験は、性的なものでも性的な色調をおびたものでも、もちろん受け身的な性質のものである[Die ersten sexuellen und sexuell mitbetonten Erlebnisse des Kindes bei der Mutter sind natürlich passiver Natur. ](フロイト『女性の性愛 』第3章、1931年)


人間はみなマゾヒストなんだなあ、やっぱり


母なるリアルのマゾヒズムだからなあ


フロイトのモノを私はリアルと呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](ラカン, S23, 13 Avril 1976)

母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノdas Dingの場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding.   ](Lacan, S7, 16  Décembre  1959)

悦はリアルにある。リアルの悦は、マゾヒズムから構成されている。マゾヒズムはリアルによって与えられた悦の主要形態である。 la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel (Lacan, S23, 10 Février 1976)



羊膜のなかでトッテモ受け身形だったからなあ


子供はもともと母、母の身体に生きていた[l'enfant originellement habite la mère …avec le corps de la mère] 。〔・・・〕子供は、母の身体に関して、異者身体、寄生体、子宮のなかの、羊膜によって覆われた身体である[il est,  par rapport au corps de la mère, corps étranger, parasite, corps incrusté par les racines villeuses   de son chorion dans …l'utérus](Lacan, S10, 23 Janvier 1963)



寄生虫みたいなもんだったからなあ

やっぱりひどいマゾヒストだよなあ


リアルのなかの異者身体概念は明瞭に、悦(マゾヒズム)と結びついた最も深淵な地位にある。une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance (J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6  -16/06/2004)


ひとつ痛みのように切なく 

蚊居肢子の脳裡に灼きついたものがあった。

ーーほっそりした母の 胸の方まで 

息苦しくふさいでいた白い僕の肉体ーー。


・・・ああ、切ないねえ

ごめんなさい、オッカサマ!


マゾヒストは、小さな、寄る辺ない、依存した子供、しかしとくにやんちゃな子供として取り扱われることを欲している[der Masochist wie ein kleines, hilfloses und abhängiges Kind behandelt werden will, besonders aber wie ein schlimmes Kind.](フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年)



お腹のなかでひどいワガママやったんだろうなあ


女の子宮のなかで子供は寄生体である。すべてがそれを示している、この寄生体と母胎とのあいだの関係はひどく悪くなりうるという次の事実も含めて[Dans l'utérus de la femme, l'enfant est parasite,  et tout l'indique, jusques et y compris le fait que  ça peut aller très mal entre ce parasite et ce ventre. ](Lacan, S24, 16 Novembre 1976)



やっぱり子宮は神だったんだなあ

ラーマクリシュナは正しかったんだなあ

“God is in the Vagina” – Sri Ramakrishna


全能の力、われわれはその起源を父の側に探し求めてはならない。それは母の側にある。偉大なる母、諸神のなかの最初の白い神性であり、父なる諸宗教に先行する神だとわれわれは教えられている[La toute-puissance, il ne faut pas en chercher l'origine du côté du père, mais du côté de la mère, de la Grande Mère, première parmi les dieux, la Déesse blanche, celle qui, nous dit-on, a précédé les religions du père. ](Jacques-Alain Miller, MÈREFEMME,2016)


だよなあ

きまってるよなあ


どうしてミュッセ、母なる女としなかったんだろ


女が欲することは、神も欲する。Ce que femme veut, Dieu le veut.(ミュッセ、Le Fils du Titien, 1838)


そうしたらもっとわかりやすくなったのになあ



で、人はみな母なる女にマゾヒズムをもらうんだよなあ


(原初には)母なる女の支配がある。語る母・幼児が要求する対象としての母・命令する母・幼児の依存を担う母が。女なるものは、マゾヒズム(悦)を与えるのである、反復の仮面の下に。…une dominance de la femme en tant que mère, et :   - mère qui dit,  - mère à qui l'on demande,  - mère qui ordonne, et qui institue du même coup cette dépendance du petit homme.  La femme donne à la jouissance d'oser le masque de la répétition. (ラカン, S17, 11 Février 1970)


見直したら冒頭の画像、

字がトッテモ小さいなあ

すこしは能動的に大きくしとかないとなあ


I was born      吉野 弘

 

 確か 英語を習い始めて間のない頃だ。


 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように、白い女がこちらにやってくる。物憂げに ゆっくりと。


 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。


女はゆき過ぎた。


 少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。


 ―ーやっぱり I was born なんだね―ー

父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。

 ―ーI was born さ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね―ー


 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。


 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。


 ーー蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってねーー


 僕は父を見た。父は続けた。

 ーー友人にその話をしたら 或日、これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると、その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで、目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの粒々だったね。私が友人の方を振り向いて <卵>というと かれも肯いて答えた。 <せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは――。


 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。

 ーーほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体―ー。


(詩集『消息』1957年刊)


オッカ神サマ、

いまはこのくらいで

そのうちきっと

しっかり償いします