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2022年1月18日火曜日

人はつねに愛するものについて語りそこなう

 ボクはマタイとグールドを愛してるからな、このところタブーを犯したんだよ、中途半端に語っちゃいけないことを。ロラン・バルト曰くの「人はつねに愛するものについて語りそこなう(on échoue toujours à parler de ce qu’on aime )」だから。

で、前回のグールド版『フーガの技法』の最後にあるメニューヒンとのヴァイオリンソナタは、たいしたことよ、ハイメ・ラレードとの冒頭を聴き比べてみれば一瞬でわかる。



BWV1017 Siciliano

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Glenn Gould & Yehudi Menuhin

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Glenn Gould & Jaime Laredo



メニューヒンは天才のせいで出しゃばりすぎだ。グールドの「天才」がうまく機能していない。他方、ラレードとのグールドは実にすばらしい。


次のアダージョ系がもっとわかりやすい。


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Adagio

BWV 1018

Jaime Laredo

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Adagio ma non tanto

BWV1016

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Adagio

BWV 1014 



ボクは二十歳ぐらいのときに最初にチェロのレナード・ローズとのを聴いたんだけど、これまたラレードとのほうがずっといいね。ローズとのはロマンチックすぎる箇所が多い。たぶん相性もあるんだろう。


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Andante

BWV1028

Leonard Rose



ラレードとのは、真に「覆された宝石」だよ



(覆された宝石)のやうな朝

何人か戸口にて誰かとさゝやく

それは神の生誕の日。


ーー西脇順三郎