もっと滲んで 谷川俊太郎
そんなに笑いながら喋らないでほしいなとぼくは思う
こいつは若いころはこんなに笑わなかった
たまに笑ってくれると嬉しかったもんだ
おまえ今いったいどこにいるつもりなんだい
人と人のつくる網目にすっぽりとはまりこんで
いい仕立てのスーツで輪郭もくっきり
昔おまえはもっと滲んでいたよ
雨降りの午後なんかぼうっとかすんでいた
分からないことがいっぱいあるってことがよく分かった
今おまえは応えてばかりいる
取り囲む人々の善意に満ちて
少しばかり傲慢に笑いながら
おまえはいつの間にか愛想のいい本になった
みんな我勝ちにおまえを読もうとする
でもそこには精密な言葉しかないんだ
青空にも夜の闇にも愛にも犯されず
いつか無数の管で医療機器につながれて
おまえはこの文明の輝かしい部分品のひとつとなるだろう
(『世間知ラズ』所収)
昔おまえはもっと滲んでいたよ、か
誰にいってんだろ これ
そこのきみにかもしれないぜ
でもまだマシかもな
最近は若い頃から滲んでないやつばかりだから
むかしの仲間だったら誰だろ
このなかだったら大岡信だろうな たぶん