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2022年11月19日土曜日

フェミニズムなる支配的イデオロギー、いや「真理」

 何度か掲げているが、ノーベル文学賞作家で、かつては英フェミニズム運動のアイコンだったドリス・レッシングは既に20年前、フェミニズムは宗教だと言っている。


男たちはセックス戦争において新しい静かな犠牲者だ。彼らは、抗議の泣き言を洩らすこともできず、「継続的に、女たちに貶められ、侮辱されている」。[men were the new silent victims in the sex war, "continually demeaned and insulted" by women without a whimper of protest.]〔・・・〕


フェミニズムは批判できない宗教の一種になっている。もし批判したら大義への裏切り者になる。[It (feminism) has become a kind of religion that you can't criticise because then you become a traitor to the great cause] (ドリス・レッシング Doris Lessing, Lay off men, Lessing tells feminists, The Guardian, 14 Aug 2001


これは別の言い方をすればフェミニズムは支配的イデオロギーだということだ。このイデオロギーには容易に抵抗できない。あからさまにフェミニズムを叩けば、仕事ができなくなる。客商売であれば、客が来なくなる。学者だって医師だって政治家だって芸術家だって結局、客商売だ。作家も、アンチフェミニストのレッテルを貼られれば、書物が売れなくなる。


現在のフェミニズムはトンデモだとわかっている者たちがいてもあの「大義」を批判することは難しい。社会的ポジションから外れた者たち、大義を批判をしても生活に困らない者たちのみが批判可能だ。


日本においてもフェミニスト学者たちが、ごく最近のオープンレター事件でとんでもキャベツ頭だと明瞭に露顕したにもかかわらず、批判し難いのだ。



女性研究は、チャレンジなきグループ思考という居ごこちよい仲良し同士の沼沢地である。それは、稀な例外を除き、まったく学問的でない。アカデミックなフェミニストたちは、男たちだけでなく異をとなえる女たちを黙らせてきた。Women's studies is a comfy, chummy morass of unchallenged groupthink. It is, with rare exception, totally unscholarly. Academic feminists have silenced men and dissenting women. (カミール・パーリアCamille Paglia, Free Women, Free Men: Sex, Gender, Feminism, 2018)



こういった批判をフェミニズム学者は間違いなく知っているにもかかわらず、「選択的非注意」を決め込んで、寝言を言い続けている。これが「宗教」の効果だ。


ほかにもナンシー・フレーザーによるフェティシズム批判であるなら、仮に女性研究の沼沢地に嵌まり込んでいても連中はみな知っている。



◼️フェミニズムはどうして資本主義の侍女となってしまったのか--そしてどのように再生できるか[How feminism became capitalism's handmaiden - and how to reclaim it」

ナンシー・フレイザー  Nancy Fraser  The Guardian, 14 Oct 2013

わたしはフェミニストとして、女性解放のために闘うことで、より良い世界ーーより平等で、公正で自由なーーを築いているといつも考えていた。だが最近、フェミニストたちによって開拓されたそのような理想がかなり違った結果をもたらしているのではないかと不安を感じ始めた。とくに、わたしたちの性差別批判が、いまや不平等と搾取の新しい形式のための正当化を供給しているのではないかと。 our critique of sexism is now supplying the justification for new forms of inequality and exploitation.


運命の残酷な旋回により、女性解放のための運動は自由市場の社会を築くためのネオリベラルな努力との危険な結びつきに巻き込まれてしまったのではないかとわたしは恐れている。それは、かつてはラディカルな世界観の一部を構成したフェミニストの思考がますます個人主義的な用語によって表現されているさまを説明するだろう。かつてフェミニストがキャリア至上主義を促進する社会を批判した場で、それは今や女性に「がんばる」よう助言する。かつては社会的連帯を優先した運動が今や女性の起業を称揚する。かつては「ケア」や相互依存の価値を発見した世界観がいまや、個人の達成や能力主義を奨励する。


この移行の背後にあるのは、資本主義の性格の変貌だ。戦後の国家管理型資本主義は新しい形式の資本主義ーー「組織されない」、グローバルな、ネオリベラリズムーーに道を譲った。第二波フェミニズムは前者への批判として現れたが、後者の侍女になってしまった。

What lies behind this shift is a sea-change in the character of capitalism. The state-managed capitalism of the postwar era has given way to a new form of capitalism – "disorganised", globalising, neoliberal. Second-wave feminism emerged as a critique of the first but has become the handmaiden of the second.



繰り返し強調すれば、現在のフェティシズムなる支配的イデオロギーに抵抗するのはとって困難なんだ。


フロイトラカン観点からは、長いあいだ隠蔽されてきた「真理」が現れたに過ぎないのだし。



歴史的発達の場で、おそらく偉大な母なる神が、男性の神々の出現以前に現れる。〔・・・〕もっともほとんど疑いなく、この暗黒の時代に、母なる神は、男性諸神にとって変わられた。Stelle dieser Entwicklung treten große Muttergottheiten auf, wahrscheinlich noch vor den männlichen Göttern, (…)  Es ist wenig zweifelhaft, daß sich in jenen dunkeln Zeiten die Ablösung der Muttergottheiten durch männliche Götter (フロイト『モーセと一神教』3.1.4, 1939年)

家父長制とファルス中心主義は、原初の全能的母権制(家母制)の青白い反影にすぎない[the patriarchal system and phallocentrism are merely pale reflections of an originally omnipotent matriarchal system] (PAUL VERHAEGHE, Love in a Time of Loneliness THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE, 1998)


男性諸君は無駄に抵抗するのは諦めたほうがいいかもよ。


そもそも女は原初の神の後継者なんだから。


問題となっている女なるものは神の別の名である[La femme dont il s'agit est un autre nom de Dieu](Lacan, S23, 18 Novembre 1975)

母の影は女の上に落ちている[l'ombre de la mère tombe là sur la femme.]〔・・・〕全能の力、われわれはその起源を父の側に探し求めてはならない。それは母の側にある[La toute-puissance, il ne faut pas en chercher l'origine du côté du père, mais du côté de la mère,](J.-A. Miller, MÈREFEMME, 2016)




いまさらファルス秩序を取り戻すことはできないよ、女たちは知ってしまったのだから。



原理の女性化がある。両性にとって女なるものがいる。過去は両性にとってファルスがあった[il y a féminisation de la doctrine [et que] pour les deux sexes il y a la femme comme autrefois il y avait le phallus.](エリック・ロラン Éric Laurent, séminaire du 20 janvier 2015)

はっきりしているのは、男なるものは存在しないことである[il est clair que L’homme n’existe pas.](Marie-Hélène Brousse, Le trou noir de la dif­fé­rence sexuelle, 2019)



このラカニアンの論理は、象徴界(ファルス秩序=言語秩序)から見れば、「女なるものは存在しない」だった。だが現実界(言語の法なき欲動の身体)から見れば、「男なるものは存在しない」であり、見せかけ(仮象)に過ぎないということだ(母なる身体の原大他者に対する父なる言語の二次的大他者)。



私は考えている、現実界は法なきものと言わねばならないと。真の現実界は秩序の不在である。現実界は無秩序である[je crois que le Réel est, il faut bien le dire, sans loi.  Le vrai Réel implique l'absence de loi. Le Réel n'a pas d'ordre].  (Lacan, S23, 13 Avril 1976)     

法なき現実界の形式は、まさに正しくS(Ⱥ) と翻訳しうる。無法とは穴Ⱥである。

la formule le réel est sans loi est très bien traduite par grand S de A barré. Le sans loi, c'est le A barré.  J.-A. MILLER, - Pièces détachées - 13/04/2005 )

S(Ⱥ) にて示しているものは「斜線を引かれた女性の享楽」に他ならない。たしかにこの理由で、私は指摘するが、神はいまだ退出していないのだ。[S(Ⱥ) je n'en désigne  rien d'autre que la jouissance de L Femme, c'est bien assurément parce que c'est là que je pointe que Dieu n'a pas encore fait son exit. ](Lacan, S20, 13 Mars 1973)


ーー《身体は穴である[(le) corps…C'est un trou]》(Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice)





S (Ⱥ)というこのシンボルは、ラカンがフロイトの欲動を書き換えたものである[S de grand A barré [ S(Ⱥ)]ーー ce symbole où Lacan transcrit la pulsion freudienne ](J.-A, Miller,  LE LIEU ET LE LIEN,  6 juin 2001)

S(Ⱥ)は穴Ⱥに敬意を払う。S (Ⱥ)は穴埋めするようにはならない。[« S de A barré » respecte, respecte le A barré. Il ne vient pas le combler]. (J.-A. MILLER, Illuminations profanes - 7/06/2006)






日本でも無法のフェミニストの神たちが蔓延ってるだろ、連中には言語の論理で対抗しても通用しないんだよ。古典的な《女が欲することは、神も欲する[Ce que la Femme veut, Dieu Ie veut]》(ミュッセ Alfred de Musset, Le Fils du Titien, 1838)って具合なんだから。