俊太郎)僕は詩を書き始めた頃から、言葉というものを信用していませんでしたね。一九五〇年代の頃は武満徹なんかと一緒に西部劇に夢中でしたから、あれこそ男の生きる道で、原稿書いたりするのは男じゃねぇやって感じでした(笑)。言葉ってものを最初から信用していない、力があるものではないっていう考えでずーっと来ていた。詩を書きながら、言葉ってものを常に疑ってきたわけです。疑ってきたからこそ、いろんなことを試みたんだと思います。だから、それにはプラスとマイナスの両面があると思うんです。(谷川俊太郎&谷川賢作インタビュー、2013年) |
なあ、そういうもんだよ、ゴタゴタ言葉なんか使っておらずに、音楽聴くのが一番いいさ。 |
僕は、詩がなくても生きていけるんですよ。でも音楽がなかったら生きていけない人間なんです。それは子供の頃からだいたいそうで。とくに思春期以後、自分の感性がちょっと拓けてきたときに、まず感動したのはクラシックの音楽ですね。で、そのずっと後になって、詩の魅力っていうのに気づいたんじゃないかな。(谷川俊太郎『声が世界を抱きしめます』2018年) |
もちろん詩には音調というもんがあってあれも音楽だけどさ。
音楽ってのは風の音や蝉の鳴き声、雨が木の葉や地面をたたく音でもいいわけで。
幸福に必要なものはなんとわずかであることか! 一つの風笛の音色。――音楽がなければ人生は一つの錯誤であろう。Wie wenig gehört zum Glücke! Der Ton eines Dudelsacks. - Ohne Musik wäre das Leben ein Irrtum. Der Deutsche denkt sich selbst Gott liedersingend.(ニーチェ『偶像の黄昏』「箴言と矢」33番、1888年) |
贅沢言ったらキリがないけどな、祈りの声とか沈黙の声って。 |
私は音楽の形は祈りの形式に集約されるものだと信じている。私が表したかったのは静けさと、深い沈黙であり、それらが生き生きと音符にまさって呼吸することを望んだ。(武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』1971年) |
最も身近にあるのはかわいい女の声の音楽じゃないかね。 |
なおひとこと、選り抜きの耳をもつ人々のために言っておこう、わたしが本来音楽に何を求めているかを。それは、音楽が十月のある日の午後のように晴れやかで深いことである。音楽が独特で、放恣で、情愛ふかく、愛想のよさと優雅さを兼ねそなえた小柄のかわいい女であることである。 – Ich sage noch ein Wort für die ausgesuchtesten Ohren: was ich eigentlich von der Musik will. Daß sie heiter und tief ist, wie ein Nachmittag im Oktober. Daß sie eigen, ausgelassen, zärtlich, ein kleines süßes Weib von Niedertracht und Anmut ist... (ニーチェ『この人を見よ』「なぜ私はこんなに賢いのか」第7節、1888年) |
とくに猫の享楽の声は祈りの声以上にいいいかもな。 |
三人目の女…私を好ませる女ーーくわばらくわばらーー、この女たちの猫撫で声は疑いもなく、猫の享楽[la jouissance du chat]だよ。それが喉から発せられるのか別の場所から来るのかは私には皆目わからないが。私が彼女たちを愛撫するときを思うと、それは身体全体から来ているように見える。 « Troisième ». [...] me favorise - touchons du bois - me favorise de ce que le ronron, c'est sans aucun doute la jouissance du chat. Que ça passe par son larynx ou ailleurs, moi j'en sais rien, quand je les caresse ça a l'air d'être de tout le corps, (ラカン、三人目の女 La troisième、1er Novembre 1974) |
最近は至高の猫の声にめっきりご無沙汰だけどさ。 |
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一度気をやれば暫くはくすぐつたくてならぬといふ女あり。又二度三度とつゞけさまに気をやり、四度目五度目に及びし後はもう何が何だか分らず、無暗といきづめのやうな心持にて、骨身のくたくたになるまで男を放さぬ女もあり。男一遍行ふ間に、三度も四度も声を揚げて泣くやうな女ならでは面白からず。男もつい無理をして、明日のつかれも厭はず、入れた侭に蒸返し蒸返し、一番中腰のつゞかん限り泣かせ通しに泣かせてやる気にもなるぞかし。 (荷風『四畳半襖の下張』) |
歳とったらショウガナイから音楽聴くってとこもあるさ。
いいなあ、アーフェ・ヘイニスの声、Aafje Heynis; "Bist du bei mir"; Gottfried Stölzel
ゴダール的に迸っちゃうよ、
ぼくの精液は白い鳩のように羽搏く(瀧口修造「地上の星」)
芸術や美へのあこがれは、性欲動の歓喜の間接的なあこがれである[Das Verlangen nach Kunst und Schönheit ist ein indirektes Verlangen nach den Entzückungen des Geschlechtstriebes ](ニーチェ遺稿、1882 - Frühjahr 1887 ) |
すべての美は生殖を刺激する、ーーこれこそが、最も官能的なものから最も精神的なものにいたるまで、美の作用の特質である[daß alle Schönheit zur Zeugung reize - daß dies gerade das proprium ihrer Wirkung sei, vom Sinnlichsten bis hinauf ins Geistigste... ](ニーチェ「或る反時代的人間の遊撃」22節『偶像の黄昏』1888年) |