マルティン・ルターが言ったとされていた「たとえ明日世界が滅びることを知ったとしても、 私は今日りんごの木を植える(Wenn ich wüsste, dass morgen die Welt unterginge, würde ich heute noch ein Apfelbäumchen pflanzen)」は、実際はルターの言葉ではなく、第二次世界大戦後の絶望と希望の間の揺れ動きのなかでの誰とも知れず湧き起こった言葉らしいが、ま、それはこの際どうでもよろしい。肝腎なのは、残りわずかの時しかない世界においても、仮に林檎の苗木を植えないまでも、遠くの森の林檎の樹々に攀じ登ったり、近場の林檎の実をいつくしむことだよ。
アンダルシアの犬、1929年 |
小児が母の乳房を吸うことがすべての愛の関係の原型であるのは十分な理由がある。対象の発見とは実際は、再発見である[Nicht ohne guten Grund ist das Saugen des Kindes an der Brust der Mutter vorbildlich für jede Liebesbeziehung geworden. Die Objektfindung ist eigentlich eine Wiederfindung ](フロイト『性理論』第3篇「Die Objektfindung」1905年) |
心理的な意味での母という対象は、子供の生物的な胎内状況の代理になっている[Das psychische Mutterobjekt ersetzt dem Kinde die biologische Fötalsituation. ] (フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
最近の女たちは勿体ぶってケチるから厄介だとはいえ、若い男たちはもはや最後なんだから猪突猛進しないとな。
ファウスト(娘と踊りつゝ。) いつか己ゃ見た、好い夢を。 一本林檎の木があった。 むっちり光った実が二つ。 ほしさに登って行って見た。 |
美人 そりゃ天国の昔からこなさん方の好な物。 女子に生れて来た甲斐に わたしの庭にもなっている。 |
メフィストフェレス(老婆と。) いつだかこわい夢を見た。 そこには割れた木があった。 その木に□□□□□□があった。 □□□□けれども気に入った。 |
老婆 足に蹄のある方と 踊るは冥加になりまする。 □□がおいやでないならば □□の用意をなさりませ。 ーーゲーテ「ファウスト」 森鴎外訳 |
MEPHISTOPHELES (mit der Alten): Einst hatt ich einen wüsten Traum Da sah ich einen gespaltnen Baum, Der hatt ein ungeheures Loch; So groß es war, gefiel mir's doch. |
DIE ALTE: Ich biete meinen besten Gruß Dem Ritter mit dem Pferdefuß! Halt Er einen rechten Pfropf bereit, Wenn Er das große Loch nicht scheut. |
男も女ももはや明日はないとはやく悟ることが大切だよ、そうしたら死の洞穴[große Loch]だってまったく構わないさ。 |
人間は、ぎりぎりの極限状態に置かれるとかえって生命力が亢進します。昨日を失い、明日はない。今の今しかない。時間の流れが止まった時こそ、人は永遠のものを求める。 その時、人間同士の結びつきで一番確かなものは、ひょっとして性行為ではないのか。赤剝けになった心と心を重ね合わせるような、そんな欲求が生まれたんじゃないか。 一般的に、エロスとは性欲や快楽を指す言葉かもしれません。が、僕の追求するエロスは、そんな甘いものじゃない。人間が生きながらえるための根源的な欲求のことです(古井由吉「サライ」2011年3月号) |
ーー《我、汝の裂け目がただ一筋の線にあらざるならば、死をもいとわじ[Rimula, dispeream, ni monogramma tua est.]》(テオドール・ド・ベーズ Théodore de Bèzeーーモンテーニュ『エッセイ』第3巻第5章より) |