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2023年5月3日水曜日

嘘についての真理

 

Alzhacker @Alzhacker 氏が本日付(May 3 2023)で、アジャ・ラデンの『嘘についての真理』の抄訳を掲げている。すぐれて示唆的なのでーーとくに2020年代に入ってのワクチン信者、ウクライナ信者等々の跳梁跋扈に関してーー、ここに掲げる。

◼️Aja Raden『The Truth About Lies』より

私たちは、周囲を見渡して、明らかにバレバレの嘘を、なぜこれほどまでに執拗に信じ続けることができるのかと常に考えている。答えは複雑ではない。その嘘があまりにも膨大で、あるいは彼らにとって非常に意味のあるものであったから、あるいは単にそれを完全に信じていたからだ。


認知的不協和の可能性は、彼らの大きな世界観にとってあまりにも破壊的である。なぜなら、嘘は、現実と作り物の区別がつくという自分自身の能力など、自分たちが頼りにしている他の負荷のかかる信念を脅かさずに、嘘であるはずがないからだ。


嘘をつくことになる認知や行動の欠点は、欠点ではない。また、私たちが騙されることを可能にする認知バイアスも同様である。どちらも思考の本質的なメカニズムであり、まさに軍拡競争の中で苦労して獲得した適応的な利点である。様々な方法で嘘をつき、その嘘を信じる能力を持つことは必要である。


進化とは、単に適応的な軍拡競争であり、それは永遠に続く。あなたは心の理論(他者の心を理解し予測する能力)を開発し、私はそれを使ってあなたを欺く。嘘をつく能力は、結局のところ、捕食者を追い払ったり、獲物の弱点を突いたりする能力と同じくらい、生存にとって重要なのだ。そして、歯が鱗を生むように、心の理論が嘘を生む。


嘘をつくことになる認知や行動の欠点は、欠点ではない。また、私たちが騙されることを可能にする認知バイアスも同様である。どちらも思考の本質的なメカニズムであり、まさに軍拡競争の中で苦労して獲得した適応的な利点である。様々な方法で嘘をつき、その嘘を信じる能力を持つことは必要である。


「心の理論」は、私たちがみな同じ現実を体験していると思い込ませる。たとえそれが暗黙の了解であったとしても、私たちが機能するためには、共有された現実の感覚が必要なのである。


このため、より適応力のある個人は、まずそれを自覚し(正直バイアス)、次に他の誰もがそれを自覚し同意していることを自覚し(心の理論)、最後に嘘をつくことでシステム全体を覆すことができるという認知的飛躍をすることで、合意された現実を悪用することができる。


人間社会では、何が真実で何が嘘かという区別が共同体依存の性質を持つため、とんでもない嘘も、あたかも真実だろうかのように見せれば、そのように受け入れられてしまう。


それが「大嘘」の仕組みである。心の理論が機能し、共有された現実と客観的事実、つまり真実に対するまったく正常な信念があれば、大嘘を信じさせるのに巧妙なごまかしや微妙なごまかしは必要ない。


このように、真実と嘘は表裏一体なのだ。




いくつかの邦語の原語はどうなっているのかをネット上で探ろうとしたら、ちょうど上の訳文の該当箇所に行き当たったので下に掲げておく。



We look around us and wonder constantly people can cling so tenaciously to their belief in obviously exposed lies. The answer isn't complicated: it's because the lie was so vast, or so meaningful to them, or they simply believed in it so totally that they can't be wrong —not about that. The potential cognitive dissonance is simply too destructive to their larger worldview. So they continue to believe the lie. They insist, both to others and to themselves, that the lie is true, because it can't be a lie without threatening other load-bearing beliefs that they rely on, including their belief in their own ability to tell real from make-believe.(…) 


Evolution is simply an adaptive arms race, and it goes on and on forever: you develop sight, I develop camouflage, you develop ears, I develop mimicry. You develop a theory of mind, I use it to deceive you. The capacity to lie is ultimately as important to survival as the ability to ward off predators or exploit prey's weaknesses. And just as teeth led to scales, theory of mind begets lying.


The cognitive and behavioral flaws that result in deceit are not flaws at all. No more are the cognitive biases that allow us to be deceived. Both are intrinsic mechanisms of thought and hard-won adaptive advantages in that very arms race. Lying, in various ways, and possessing the ability to believe those lies are necessary.


Theory of mind leads us to assume we're all experiencing the same reality, made up of objectively true facts that we all experience the same way. And that's an advantage in itself; we need a sense of shared reality to function, even if it's only a tacit agreement. The problem with this very necessary (and successful) belief in shared objective reality is that it can be subverted just by breaking the agreement, by flagrantly lying about what is objectively true. This allows for a better adapted individual to exploit that agreed-upon reality, first by being aware of it (honesty bias), then by being aware everyone else is aware and agrees on it (theory of mind), and then finally by making the cognitive leap that one can subvert the whole system by lying. Because of the communally dependent nature of distinctions between what is true and what is false in human society, an outrageous lie, if presented as though true, will be accepted as such.


That's how the Big Lie works. That's why it is the oldest and simplest of cons and why there's no clever or nuanced deception necessary to sell a Big Lie-all that's really required is a mark with a functioning theory of mind and a completely normal belief in shared reality and objective facts: in the truth.


In this way, truth and lies are inextricably bound up together.

(Aja Raden, The Truth About Lies, 2021)




ここでひとつだけ再掲しよう。

嘘をつくことになる認知や行動の欠点は、欠点ではない。また、私たちが騙されることを可能にする認知バイアスも同様である。どちらも思考の本質的なメカニズムであり、まさに軍拡競争の中で苦労して獲得した適応的な利点である。様々な方法で嘘をつき、その嘘を信じる能力を持つことは必要である。

The cognitive and behavioral flaws that result in deceit are not flaws at all. No more are the cognitive biases that allow us to be deceived. Both are intrinsic mechanisms of thought and hard-won adaptive advantages in that very arms race. Lying, in various ways, and possessing the ability to believe those lies are necessary.(Aja Raden, The Truth About Lies, 2021)



一見奇妙な見解かも知れない。だが私はプルーストを思い起こした。


うそは人間において本質的なものである。うそは人間においておそらく快楽の追及とおなじほど大きな役割を演じているだろう、しかも、うそは快楽の追及に従属するのである。人は自分の快楽をまもるためにうそをつく。人は生涯にわたってうそをつく、人は自分を愛してくれる人たちにさえうそをつく、そういう人たちであればこそとりわけうそをつく、おそらくそういう人たちにだけうそをつくだろう。われわれにとっては、正直いって、そういう人たちだけが、自分の快楽をまもるためにおそろしいのであり、しかもそういう人たちだけから、尊敬を受けることが望ましいのである。

Le mensonge est essentiel à l'humanité. Il y joue peut-être un aussi grand rôle que la recherche du plaisir, et d'ailleurs, est commandé par cette recherche. On ment pour protéger son plaisir ou son honneur si la divulgation du plaisir est contraire à l'honneur. On ment toute sa vie, même surtout, peut-être seulement, à ceux qui nous aiment. Ceux-là seuls, en effet, nous font craindre pour notre plaisir et désirer leur estime. (プルースト「逃げさる女」)



さらに言えば、ほとんどの人はこのうそに気づいていない。とくにーー他人へのうそではなくーー自分自身へのうそを。


人がうそをついていることに気づかなくなるのは、他人にうそばかりついているからだけでなく、また自分自身にもうそをついているからである[ce n'est pas qu'à force de mentir aux autres, mais aussi de se mentir à soi-même, qu'on cesse de s'apercevoir qu'on ment] (プルースト「ソドムとゴモラ」1922年)

最もよく見られる嘘は、自分自身を欺く嘘であり、他人を欺くのは比較的に例外の場合である[Die gewöhnlichste Lüge ist die, mit der man sich selbst belügt; das Belügen andrer ist relativ der Ausnahmefall. ](ニーチェ『反キリスト』第55番、1888年)



・・・というメタ心理学的な話はここではもう踏み込まないでおく。アジャ・ラデンにはより一般的な記述もある。


上の引用にはないが彼女は別にこうも記している、ーー《認知的不協和の瞬間に経験する心理的・神経的ストレスは非常に大きく、既存の心的パラダイムを守るためなら何でも信じてしまう[The psychological and neurological stress experienced during moments of cognitive dissonance are so great, you'll believe anything to protect your preexisting mental paradigm]》。


この現象がこの一年、親米新NATO派、あるいは侵略戦争絶対悪派に起こってひどく不可解な症状が席巻したのではないか、例えば[参照]、《率直に言って、現在のウクライナ紛争におけるネオナチの役割を軽視していることは不可解でしかない[frankly, the downplaying of the role of neo-Nazis in the current Ukrainian conflict is just baffling]》(ダニエル・コバリク Daniel Kovalik『ロシアをスケープゴート化する陰謀(The Plot to Scapegoat Russia)』2017年)


アジャ・ラデンはヒトラーの『我が闘争』にも触れているが、ここでは小林秀雄を引用しておく。



ヒットラーの独自性は、大衆に対する徹底した侮蔑と大衆を狙うプロパガンダの力に対する全幅の信頼とに現れた。と言うより寧ろ、その確信を決して隠そうとはしなかったところに現れたと言った方がよかろう。〔・・・〕


大衆はみんな嘘つきだ。が、小さな嘘しかつけないから、お互いに小さな嘘には警戒心が強いだけだ。大きな嘘となれば、これは別問題だ。彼等には恥ずかしくて、とてもつく勇気のないような大嘘を、彼らが真に受けるのは、極く自然な道理である。たとえ嘘だとばれたとしても、それは人々の心に必ず強い印象を残す。うそだったということよりも、この残された強い痕跡の方が余程大事である、と。


大衆が、信じられぬほどの健忘症であることも忘れてはならない。プロパガンダというものは、何度も何度も繰り返さねばならぬ。それも、紋切型の文句で、耳にたこが出来るほど言わねばならぬ。但し、大衆の目を、特定の敵に集中させて置いての上でだ。(小林秀雄「ヒットラーと悪魔」1960年)



このヒトラー風プロパガンダーー《たとえ嘘だとばれたとしても、それは人々の心に必ず強い印象を残す》ーーにも翻弄された一年だったのではないか(とくに米英アングロサクソンの大嘘に)。しかも今も騙されて続けている人が大半なのが米属国日本タコツボ愚民である。



➡︎動画



ケネディJRは(でさえ?)こんなことを言うようになっている、《正直に言おう。これはアメリカの対ロシア戦争であり、ネオコンの地政学的野心のために、死と破壊の屠殺場でウクライナの若者の花を本質的に犠牲にするためのものだ》




………………

私は最近、最晩年の芥川の心境に近い感慨を抱くようになっている。


そのうちに又あらゆるものの譃であることを感じ出した。政治、実業、芸術、科学、――いずれも皆こう云う僕にはこの恐しい人生を隠した雑色のエナメルに外ならなかった。(芥川龍之介『歯車』昭和2年3月23日-4月7日)