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2023年8月7日月曜日

諸学問の女王は「人間は人間にとって狼」

 


トマス・ホッブス Thomas Hobbesが、《人間は人間にとって狼[Homo homini Lupus. ]》としたのは、『市民論 (De cive)』にてのようだが[参照]ーーもともとこの表現は、ローマの喜劇作家プラウトゥスの『ろば物語』に出てくる言葉ーー、その具体的内容は『リヴァイアサン(Leviathan)』の次の二節に示されているとされる。


わたしは第一に、全人類の一般的性向として、次から次へと力を求め、死によってのみ消滅する、やむことなく、また休止することのない欲望をあげる[in the first place, I put for a general inclination of all mankind a perpetual and restless desire of power after power, that ceaseth only in death. ](ホッブス『リヴァイアサン』第1部第11章)

人びとは、すべての人を威圧しておく共通の力をもたずに生活しているあいだは、かれは戦争と呼ばれる状態にあるのであり、そして、かかる戦争は、万人の万人に対する戦争なのである[during the time men live without a common power to keep them all in awe, they are in that condition which is called war; and such a war as is of every man against every man. ](ホッブス『リヴァイアサン』第1部第13章)



結局、ミアシャイマーなどが強調する政治的リアリズム(リアルポリティクス)の原点こういったところにあるんだろうよ、必ずしもホッブスの言葉に限定されないにしろ。


少なくとも、モーゲンソーの人間本性リアリズムはーー私は少し前とっても過激だと記したがーーある意味では、昔から言われている「ごく当たり前のこと」なのだ。



単なる利己主義は譲歩によって鎮められるが、ある要求の満足は、力への意志を刺激し、その要求はますます拡大する。


力への渇き[lust for power]の無制限な性質は、人間の心の一般的な性質を明らかにしている。ウィリアム・ブレイクはこのことを次のように書いている、《「もっと!もっと!」それは誤った魂の叫びである、人間を満足させることはできない》。この無限の、常に満たされることのない欲望は、可能な対象が尽きたときに初めて安らぎを得るものであり、アニムス・ドミナンディ[animus dominandi](支配リビドー)は、宇宙との一体化を求める神秘的な欲望、ドン・ファンの愛、ファウストの知識欲と同じ種類のものである。これらの試みは、超越的な目標に向かって個人の自然的限界を押し広げようとするものであるが、この超越的な目標、休息地点に到達するのは想像の中だけで、現実には決して到達しないという点でも共通している。アレクサンダーからヒトラーに至るすべての世界征服者の運命が証明しているように、またイカロス、ドン・ファン、ファウストの伝説が象徴的に示しているように、実際の経験においてそれを実現しようとする試みは、常にそれを試みる個人の破滅によって終わる。

…mere selfishness can be appeased by concessions while satisfaction of one demand will stimulate the will to power to ever expanding claims. 

This limitless character of the lust for power reveals a general quality of the human mind. William Blake refers to it when he writes: '" More! More!' is the cry of a mistaken soul: less than all cannot satisfy man."  In this limitless and ever unstilled desire which comes to rest only with the exhaution of its possible objects, the animus dominandi is of the same kind as the mystical desire for union with the universe, the love of Don Juan, Faust's thirst for knowledge. These four attempts at pushing the individual beyond his natural limits towards a transcendent goal have also in common that this transcendent goal, this resting-point, is reached only in the imagination but never in reality. The attempt at realizing it in actual experience ends always with the destruction of the individual attempting it, as tIle fate of all world-conquerors from Alexander to Hitler proves and as the legends of Icarus, Don Juan, and Faust symbolically illustrate.

(ハンス・モーゲンソー『科学的人間対権力政治』Hans Morgenthau, Scientific Man versus Power Politics, 1946年)



これはいかにも、《わたしは第一に、全人類の一般的性向として、次から次へと力を求め、死によってのみ消滅する、やむことなく、また休止することのない欲望をあげる》とするとホッブスの言い換えだね。


政治は人間がやるものなのだから、まず人間本性を知っとかないと机上の空論だという立場だ、政治的リアリストは。フロイトは「自分自身にも感じられる人間は人間にとっての狼」と言っているが[参照]、「善人」だけだよ、これを否定するのは。つまり、《通俗哲学者や道学者、その他のからっぽ頭、キャベツ頭[Allerwelts-Philosophen, den Moralisten und andren Hohltöpfen, Kohlköpfen…]〔・・・〕 完全に不埒な「精神」たち、いわゆる「美しい魂」ども、すなわち根っからの猫かぶりども[Die vollkommen lasterhaften ”Geister”, die ”schönen Seelen”, die in Grund und Boden Verlognen] 》(ニーチェ『この人を見よ』1888年)だけだ。



モーゲンソーのいう力への意志[will to power]あるいは力への渇き[lust for power]はニーチェ用語では、欲望ではなく欲動(駆り立てる力)でありーーフロイトラカンにおいても欲望は言語の審級、欲動は身体の審級にあり明確な区分がある[参照]ーー、この欲動が諸科学の女王さ。



欲動は「悦への渇き、生成への渇き、力への渇き」である[die Triebe …: "der Durst nach Lüsten, der Durst nach Werden, der Durst nach Macht"](ニーチェ「力への意志」遺稿第223番、1882 - Frühjahr 1887)

すべての欲動力(駆り立てる力)[ alle treibende Kraft]は力への意志であり、それ以外にどんな身体的力、力動的力、心的力もない[Daß alle treibende Kraft Wille zur Macht ist, das es keine physische, dynamische oder psychische Kraft außerdem giebt](ニーチェ「力への意志」遺稿 Anfang 1888)

この世界は、力への意志であり、それ以外の何ものでもない! そしてあなた自身もまた力への意志であり、それ以外の何ものでもない![- Diese Welt ist der Wille zur Macht - und nichts außerdem! Und auch ihr selber seid dieser Wille zur Macht - und nichts außerdem!  ](ニーチェ「力への意志」草稿IN Ende 1886- Frühjahr 1887: KSA 11/610-611 (WM 1067))


これまで全ての心理学は、道徳的偏見と恐怖に囚われていた。心理学は敢えて深淵に踏み込まなかったのである。生物的形態学と力への意志[Willens zur Macht]の展開の教義としての心理学を把握すること。それが私の為したことである。誰もかつてこれに近づかず、思慮外でさえあったことを。〔・・・〕

心理学者は少なくとも要求せねばならない。心理学をふたたび「諸科学の女王」として承認することを[die Psychologie wieder als Herrin der Wissenschaften anerkannt werde]。残りの人間学は、心理学の下僕であり心理学を準備するためにある。なぜなら,心理学はいまやあらためて根本的諸問題への道だからである。(ニーチェ『善悪の彼岸』第23番、1886年)



厄介なのは、最近は自己を見つめることから逃げている「根っからの猫かぶりども」が多いってことだけさ。「諸学問の女王は人間は人間にとって狼」に決まってんのにさ。狼を否定する彼らからは善はまったく期待できないね、



わたしは君があらゆる悪をなしうることを信ずる。それゆえにわたしは君から善を期待するのだ。Alles Böse traue ich dir zu: darum will ich von dir das Gute.   (ニーチェ『ツァラトゥストラ第2部』「崇高な者たち」Von den Erhabenen )