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2023年9月11日月曜日

路地のにおいの回帰

 


中上健次は何よりもまずトラウマの作家にほかならないだろう。


三月三日の朝、確かに男は路地の美恵の家の柿の木で、二十四の齢に首をつった。美恵は秋幸が二十四の時、古市が安男に刺され死んだ事がもとで気がふれた。それが、秋幸が生まれて二十六年の今までに親の血でつながったきょうだいに起こった大きな出来事だった。いや昔の事だった。秋幸はふと、郁男を思った。秋幸はまだ十一か十二の子供だった。

郁男は、美恵が実弘と駆け落ちして二人で住んでいた路地の家を出た後、酒を飲む度に、秋幸の家へ来た。 殺してやると、まだ雨戸を開けていない玄関の間の畳に包丁をつき刺した。 秋幸は男を憎んだ。 突然死んだと知ってざま見ろと思った。秋幸はフサの顔を見ながら、 そんな事でもそれが昔の話だからいい、と思った。

秋幸は立ちあがった。だが秋幸の半分で起こった事は昔の事でなく、今の今だ。……(中上健次『枯木灘』1977年)



ここにある二つの「大きな出来事」はまがいようもなくトラウマだ。


ちなみにフロイトにおけるトラウマの定義は自己身体の出来事(自我への傷)であり、その作用はトラウマ的出来事への固着と反復強迫である(「リビドー固着点への退行」とも言ったが、別の言い方をすれば固着点への反復強迫的回帰である)。


※リビドーすなわち欲動であり、フロイトにおいて欲動自体がトラウマである[参照]。


さらに言えば、トラウマは通常は事故による衝撃とその刻印の回帰だが、精神分析ではもっと広い意味でも使われる場合がある(フロイトは固着に関わって《過去の回帰[Wiederherstellungen des Vergangenen]》(『モーセと一神教』)とも言っている)。


精神分析を外しても、例えばしばしば掲げているジュネ=ジャコメッティの「美の起源は傷」というのがある。


美には傷以外の起源はない。どんな人もおのれのうちに保持し保存している傷、独異な、人によって異なる、隠れた、あるいは眼に見える傷、その人が世界を離れたくなったとき、短い、だが深い孤独にふけるためそこへと退却するあの傷以外には。

Il n’est pas à la beauté d’autre origine que la blessure, singulière, différente pour chacun, cachée ou visible, que tout homme garde en soi, qu’il préserve et où il se retire quand il veut quitter le monde pour une solitude temporaire mais profonde. (ジャン・ジュネ『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』Jean Genet, L’atelier d’Alberto Giacometti, 1958、宮川淳訳)


ーーこの傷[blessure]とはもちろんトラウマのこと、《トラウマ(ギリシャ語のτραμα(トラウマ)=「傷」に由来)とは、損傷、または衝撃のことである[Un traumatisme (du grec τραμα (trauma) = « blessure ») est un dommage, ou choc]》(仏Wikipedia)


つまり「美の起源はトラウマ」であり、ジュネ=ジャコメッティが言っている傷への退却こそ、トラウマの回帰(欲動の固着点への退行)にほかならない。この回帰がない芸術体験なんてのはたんなる「教養体験」にすぎないじゃないかね。


これまた何度も掲げている中井久夫の「喜ばしいトラウマの記憶のフラッシュバック」の指摘がある。


PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。(中井久夫「記憶について」1996年『アリアドネからの糸』所収)



この観点を取れば、プルーストの「木の葉の匂の回帰」だってトラウマの回帰だね、


その道は、フランスでよく出会うこの種の多くの道とおなじように、かなり急な坂をのぼると、こんどはだらだらと長いくだり坂になっていた。 当時は、べつにその道に大した魅力を見出さず、ただ帰る満足感にひたっていた。ところがそののちこの道は、私にとって数々の歓喜の原因となり、私の記憶に一つの導火線として残ったのであり[Mais elle devint pour moi dans la suite une cause de joies en restant dans ma mémoire comme une amorce ]、この導火線のおかげで、後年、散歩や旅行の途中で通る類似の道は、どれもみんな切れないですぐにつながり、どの道も私の心と直接に通じあうことができるようになるだろう。なぜなら、ヴィルパリジ夫人といっしょに駆けまわった道のつづきであるというように見える後年のそうした道の一つに、馬車または自動車がさしかかるとき、すぐに私の現在の意識は、もっとも近い過去にささえられるかのように(その中間の年月はすべて抹殺されて)、直接バルベック近郷の散歩の印象に[ce à quoi ma conscience actuelle se trouverait immédiatement appuyée comme à mon passé le plus récent, ce serait (toutes les années intermédiaires se trouvant abolies) les impressions ]、ーーあの午後のおわりの、バルベック近郷の散歩で、木の葉がよく匂い、タもやが立ちはじめて、近くの村のかなたに、あたかもその夕方までには到着できそうもない何か地つづきの違い森の国とでもいうように、木の間越しに夕日の沈むのが見られたとき、私が抱いたあの印象にささえられるようになるからである。

そうした印象は、他の地方の、類似の路上で、後年私が感じる印象につながって、その二つの印象に共通の感覚である、自由な呼吸、好奇心、ものぐさ、食欲、陽気、などといった付随的なあらゆる感覚にとりまかれながら、他のものをすべて排除して、ぐんぐん強くなり、一種特別の型をもった、ほとんど一つの生活圏をそなえた、堅牢な快楽となるのであって、そんな圏内にとびこむ機会はきわめてまれでしかないとはいえ、そこにあっては、つぎつぎと目ざめる思出は、肉体的感覚によって実質的に知覚される実在の領分へ、ふだんただ喚起され夢想されるだけでとらえられない実在のかなりの部分をくりいれ、そのようにして、私がふと通りかかったこれらの土地のなかで、審美的感情などよりるはるかに多く、今後永久にここで暮らしたいという一時的なしかし熱烈な欲望を、私にそそるのであった。

そののち、ただ木の葉の匂を感じただけで、馬車の腰掛にすわってヴィルパリジ夫人と向かいあっていたことや、リュクサンブール大公夫人とすれちがって、大公夫人がその馬車からヴィルパリジ夫人に挨拶を送ったことや、グランド= ホテルに夕食に帰ったことなどが、現在も未来もわれわれにもたらしてはくれない、生涯に一度しか味わえない、言葉を絶したあの幸福の一つとして、何度私に立ちあらわれるようになった ことだろう!(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」)




とすれば、中上健次の「路地のにおいの回帰」も、紛いようもなくトラウマの回帰だ。


「ちょっと外に出ん」

秋幸の耳に君子がささやいた。

秋幸は外に出た。路地の夜気がこころよかった。芳子が出て来て、着物の衿を直しながら、

「母さんおこっとるの」と言い、暑い暑いとハンカチで風を送る。盆踊りのレコードがきこえていた。「今日も明日もあさってもいそがし。 秋幸や美恵が、一年かかって味わうとこを、わたしらは三日で味わんならん。 他所の土地におったら、三日で味おうたもんで一年がまんせんならんのやから」

「何を味わうんじゃ」

「この路地のにおいをよ」芳子は言った。

「わたしもなんべんも何遍も夢に見るん。夢の中で、兄やん、その路地の角から走ってきて」(中上健次『枯木灘』1977年)


ーー《夢は反復的夢となる時その地位を変える。夢が反復的なら夢はトラウマを含意する。le rêve change de statut quand il s'agit d'un rêve répétitif. Quand le rêve est répétitif on implique un trauma. 》(J.-A. Miller, Lire un symptôme, 2011)