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2023年11月28日火曜日

ユベルマンとランズマンの「表象不可能性」をめぐる議論

 

ディディ=ユベルマン『イメージ、それでもなお』(2003年)の冒頭にはこうある。


知るためには,想像しなければならない。1944年のアウシュヴィッツの地獄がどのようなものであったかを想像しなければならない。想像不可能なるものを招請することはすまい[N’invoquons pas l'inimaginable]。どのみちそれを想像することはできない、それを徹底的に想像することはできない、と言って、自分の身を守ることはすまい。そうではなく、われわれは、それを負っているのだ。この重い想像的なるものを。それはわれわれが与えるべき返答のようなものだ。何人かの強制収容所の犠牲者たちが彼らの経験の恐ろしいリアルから[au réel effroyable de leur expérience]奪い取ってきた言葉と映像に対してわれわれが負っている負債のようなものなのだ。だから、想像不可能なるものを招請することはすまい。なぜなら、囚人たちにとっては、今われわれが手にしており、ただひとつのまなざしでそれを受け止めることの重さに直面しているこれら幾つかの断片を収容所から逃れさせることは、それよりもはるかに困難な事柄だったからだ。これらの断片はいかなる可能な芸術作品にもまして、貴重であり、しかも決して心休まるものではない。なぜなら、それらは芸術作品を不可能にしようとする世界から奪い取られてきたものだからだ。だから、あらゆることにもかかわらず、それらの映像はあるのだ[それでもなお映像はあるのだ:Images malgré tout, donc] 。アウシュヴィッツの地獄にもかかわらず、冒された危険にもかかわらず。それに対するわれわれの義務は、それらを注視すること、それらを責任をもって引き受けること、それらを理解しようとつとめることである。それにもかかわらず映像を。それらをそれにふさわしいであろうかたちで見ることのできないわれわれ自身の無力にもかかわらず。われわれのこの想像的なるものの商品であふれ、ほとんど窒息しかかっている、われわれ自身のこの世界にもかかわらず。

Pour savoir il faut s'imaginer. Nous devons tenter d'imaginer ce que fut l'enfer d'Auschwitz en été 1944. N’invoquons pas l'inimaginable. Ne nous protégeons pas en disant qu'imaginer cela, de toutes les façons -car c'est vrai-, nous ne le pouvons, nous ne le pourrons pas jusqu'au bout. Mais nous le devons, ce très lourd imaginable. Comme une réponse à offrir, une dette contractée envers les paroles et les images que certains déportés ont arrachées pour nous au réel effroyable de leur expérience. Donc, n'invoquons pas l'inimaginable. Il était tellement plus difficile, pour les prisonniers, de soustraire au camp ces quelques lambeaux dont nous sommes à présent dépositaires, dans la lourdeur de les soutenir d'un seul regard. Ces lambeaux nous sont plus précieux et moins apaisants que toutes les œuvres d'art possibles, arrachés qu'ils furent à un monde qui les voulait impossibles. Images malgré tout, donc: malgré l'enfer d'Auschwitz, malgré les risques encourus. Nous devons en retour les contempler, les assumer, tenter d'en rendre compte. Images malgré tout: malgré notre propre incapacité à savoir les regarder comme elles le mériteraient, malgré notre propre monde repu, presque étouffé, de marchandise imaginaire.

(ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『イメージ、それでもなお』  Georges Didi-Huberman, IMAGES MALGRE TOUT, 2003)



《想像不可能なるものを招請することはすまい[N’invoquons pas l'inimaginable]》とあるように、これは明らかに「不可能な表象」ーー表象の禁止ーーの反ランズマンとして書かれている。



ホロコーストがユニークなのは何よりも次の点においてである。すなわちそれは、ある絶対の恐怖が伝達不可能である以上、自分の周囲に踏み越すことのできない限界を炎の輪のように作り出す。この限界を踏み越えようとすることは、最も重大な侵犯行為を犯すことにほかならない。フィクションとは一つの侵犯行為である。表象・上演にはある禁じられたものが存在すると、私は心底から思っている。

L'Holocauste est unique en ceci qu'il édifie autour de lui, en un cercle de flammes, la limite à ne pas franchir parce qu'un certain absolu d'horreur est intransmissible; prétendre le faire, c'est se rendre coupable de la transgression la plus grave. La fiction est une transgression, je pense profondément qu'il y a un interdit de la représentation

(クロード・ランズマン「ホロコースト、不可能な表象」Lanzmann, « Holocauste, la représentation impossible » Le Monde du 3 mars 1994)



ユベルマンの小論『イメージ、それでもなお』に戻れば、彼は中盤でバタイユを引用している。



人間であるということの中には、吐き気を催させるような重い要素があって、それを乗り越えなければならないのだ。しかしこの重圧と嫌悪感がアウシュヴィッツ以来ほど重くなったことはかつてない。私たちと同じように、アウシュヴィッツの指揮官たちも、鼻孔や、口や、声や、人間的な理性を備え、彼らは睦み合い、子供を設けもした。ピラミッドやアクロポリスと同様に、アウシュヴィッツは事実であり、人間のしるしである。今後、人間のイメージは、ガス室と不可分になるのだ。

Il est généralement dans le fait d'être homme un élément lourd, écœurant, qu'il est nécessaire de surmonter. Mais ce poids et cette répugnance n'ont jamais été aussi lourds que depuis Auschwitz. Comme vous et moi, les responsables d'Auschwitz avaient des narines, une bouche, une voix, une raison humaine, ils pouvaient s'unir, avoir des enfants : comme les Pyramides ou l'Acropole, Auschwitz est le fait, est le signe de l'homme. L'image de l'homme est inséparable, désormais, d'une chambre à gaz ... 

(バタイユ「サルトルの『ユダヤ人問題の考察』とその批判」Georges Bataille , Les Réflexions sur la question juive de Sartre et ses critiques, Critique n° 12, mai 1947)


ーーこのバタイユは実に重い。人は一歩間違えば、アウシュヴィッツの加害者になりうるのだ。



ところでアウシュヴィッツの被害者ーーそのほとんどが外傷患者であろうーー、彼らの側に立った場合、アウシュヴィッツのトラウマ的出来事は表象してほしいのだろうか。それとも表象の禁止をしてほしいのだろうか。



明らかに空襲による外傷性神経症者であるだろう古井由吉は次のように言っている。


焼跡とひと口に言われるが、たとえば昭和二十年三月十日の江東深川大空襲の跡は、すくなくともその直後においては、焼跡と呼ぶべきでない。あれは地獄であった。同様にして広島長崎の原爆の跡も、すぐには焼跡とは呼ばない。

初期の空襲に家や地域を焼きはらわれた人たちもやはり、その跡に立って、いわゆる焼跡の感情はいだけなかったかと思われる。もっとまがまがしい、悪夢の光景だったはずだ。(古井由吉「太陽」1989 年 7 月号)

いまだにね、消防車のサイレンを聞くと、ドキッとして不吉な気持ちになるの。30 歳を過ぎる頃まで、敵機襲来で東京中が火の海になる夢を見てはうなされた。あの光景は、僕の中に深く深く刻み込まれていますから、どうしようもない。ごく最近のことですよ、戦争体験を小説に書けるようになったのは。( 古井由吉「サライ」2011 年 3 月号)

震災で一切を失った人たちの、喪失感はいつか癒える時がくるものだろうか、と人にたずねられて、それは生涯、抱えこむよりほかにないのだろう、と答えていました。七十三歳の私の身心の内にも、戦災で家も土地も焼き払われた七歳の小児がいます。〔・・・〕

戦地の凄惨な境から帰還した人たちはおしなべて、その後三十年ほども、その体験について口が重かった。現に暮らしている日常の中の言葉ではとうてい伝えられない、口にしたところから徒労に感じられる、ということだったのでしょう。話さずに亡くなった人も多かったはずです。(古井由吉『言葉の兆し』2012年)

恐怖が実相であり、平穏は有難い仮象にすぎない。何も変わりはしない。〔・・・〕

この今現在は幾度でも繰り返す、そっくりそのままめぐってくる……過去の今も同様に反復される。〔・・・〕一身かろうじてのがれた被災者を心の奥底で苦しめるものは、前後を両断したあの瞬間の今の、過ぎ去ろうとして過ぎ去らない、いまにもまためぐって来かかる、その「永劫」ではないのか。(古井由吉「永劫回帰」『新潮』2012 年 4 月号)




日本におけるトラウマ研究の第一人者と言ってよいだろう中井久夫は、《ある臨界線以上の強度の事件あるいはその記憶は強度が変わらない。情況によっては逆耐性さえ生じうる。すなわち、暴露されるごとに心的装置は脆弱となり、傷はますます深く、こじれる》と記している。


外傷的事件の強度も、内部に維持されている外傷性記憶の強度もある程度以下であれば「馴れ」が生じ「忘却」が訪れる。あるいは、都合のよいような改変さえ生じる。私たちはそれがあればこそ、日々降り注ぐ小さな傷に耐えて生きてゆく。ただ、そういうものが人格を形成する上で影響がないとはいえない。


しかし、ある臨界線以上の強度の事件あるいはその記憶は強度が変わらない。情況によっては逆耐性さえ生じうる。すなわち、暴露されるごとに心的装置は脆弱となり、傷はますます深く、こじれる。素質による程度の差はあるかもしれないが、どのような人でも、残虐ないじめや拷問、反復する性虐待を受ければ外傷的記憶が生じる。また、外傷を受けつづけた人、外傷性記憶を長く持ちつづけた人の後遺症は、心が痩せ(貧困化)ひずみ(歪曲)いじけ(萎縮)ることである。これをほどくことが治療戦略の最終目標である。 (中井久夫「トラウマとその治療経験」2000年『徴候・記憶・外傷』所収)

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私は外傷患者とわかった際には、①症状は精神病や神経症の症状が消えるようには消えないこと、②外傷以前に戻るということが外傷神経症の治癒ではないこと、それは過去の歴史を消せないのと同じことであり、かりに記憶を機械的に消去する方法が生じればファシズムなどに悪用される可能性があること、③しかし、症状の間隔が間遠になり、その衝撃力が減り、内容が恐ろしいものから退屈、矮小、滑稽なものになってきて、事件の人生における比重が減って、不愉快な一つのエピソードになってゆくなら、それは成功である。これが外傷神経症の治り方である。④今後の人生をいかに生きるかが、回復のために重要である。⑤薬物は多少の助けにはなるかもしれない。以上が、外傷としての初診の際に告げることである。(中井久夫「外傷性記憶とその治療ーー、一つの方針」初出2003年『徴候・記憶・外傷』所収)



この観点に立てば、アウシュヴィッツの表象禁止を言うランズマンーー彼は被災者に強く同一化している筈であるーーの立場を安易に批判し難くなるのではないか。


なおフロイトはこう書いている。

経験された寄る辺なき状況をトラウマ的状況と呼ぶ 。〔・・・〕そして自我が寄る辺なき状況が起こるだろうと予期する時、あるいは現在に寄る辺なき状況が起こったとき、かつてのトラウマ的出来事を呼び起こす。

eine solche erlebte Situation von Hilflosigkeit eine traumatische; (…) ich erwarte, daß sich eine Situation von Hilflosigkeit ergeben wird, oder die gegenwärtige Situation erinnert mich an eines der früher erfahrenen traumatischen Erlebnisse. (フロイト『制止、症状、不安』第11章、1926年)


この現象は、中井久夫自身にも起こっている。

笑われるかもしれないが、大戦中、飢餓と教師や上級生の私刑の苦痛のあまり、さきのほうの生命が縮んでもいいから今日一日、あるいはこの場を生かし通したまえと、“神”に祈ったことが一度や二度ではなかったからである。最大限度を、“神”に甘えて四十歳代にしてもらった。この“秘密”をはじめて人に打ち明けたのは五十歳の誕生日を過ぎてからである。(中井久夫「知命の年に」初出1984年『記憶の肖像』所収) 

たまたま、私は阪神・淡路大震災後、心的外傷後ストレス障害を勉強する過程で、私の小学生時代のいじめられ体験がふつふつと蘇るのを覚えた。それは六十二歳の私の中でほとんど風化していなかった。(中井久夫「いじめの政治学」『アリアドネからの糸』所収、1996年)




いずれにせよ、フロイトの分析経験においては、トラウマ的出来事の表象の再現は、トラウマ被災者を苦しめる。固着の反復強迫が起こる。


外傷神経症は、外傷的出来事の瞬間への固着がその根に横たわっていることを明瞭に示している。Die traumatischen Neurosen geben deutliche Anzeichen dafür, daß ihnen eine Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles zugrunde liegt. 


これらの患者はその夢のなかで、規則的に外傷的状況を反復する。In ihren Träumen wiederholen diese Kranken regelmäßig die traumatische Situation; 


また分析の最中にヒステリー形式の発作がおこる。この発作によって、患者は外傷的状況のなかへの完全な移行に導かれる事をわれわれは見出す。

wo hysteriforme Anfälle vorkommen, die eine Analyse zulassen, erfährt man, daß der Anfall einer vollen Versetzung in diese Situation entspricht. 


それは、まるでその外傷的状況を終えていず、処理されていない急を要する仕事にいまだに直面しているかのようである。…Es ist so, als ob diese Kranken mit der traumatischen Situation nicht fertiggeworden wären, als ob diese noch als unbezwungene aktuelle Aufgabe vor ihnen stände

(フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着、無意識への固着 Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte」1917年)

トラウマ的出来事による刻印の強度の証拠として、睡眠中にでさえ、たえず患者はその場面へと強制される。いわば患者は心的にトラウマへ固着させられている。

es sei eben ein Beweis für die Stärke des Eindruckes, den das traumatische Erlebnis gemacht hat, daß es sich dem Kranken sogar im Schlaf immer wieder aufdrängt. Der Kranke sei an das Trauma sozusagen psychisch fixiert. (フロイト『快原理の彼岸』第2章、1920年)

トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕


このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ](フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)


この固着の反復強迫が、フロイトにとっての「死の欲動」である。

われわれは反復強迫の特徴に、何よりもまず死の欲動を見出だす[Charakter eines Wiederholungszwanges …der uns zuerst zur Aufspürung der Todestriebe führte.](フロイト『快原理の彼岸』第6章、1920年)