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2024年1月26日金曜日

わずかに濡れた夏の匂い

 

フロイトの抑圧されたものの回帰は《過去の固着への退行[Regression zu alten Fixierungen]》であることを示したが[参照]、次の広場恐怖症の事例としての《一時的な幼児期への退行(極端な場合、母胎への退行)[zeitliche Regression in die Kinderjahre (im extremen Fall bis in den Mutterleib)]》における母胎への退行は次のようなことを言うんだろうかね、






広場恐怖症は、欲動の危険からのがれるためにその自我に制約を課している。欲動の危険とは、エロティックな情欲におぼれる誘惑である〔・・・〕。簡単な例として、娼婦の誘惑に負けた罰に黴毒にかかることを恐れて、そのために広場恐怖症者になった青年の例をあげておこう。


Der Agoraphobe legt seinem Ich eine Beschränkung auf, um einer Triebgefahr zu entgehen. Die Triebgefahr ist die Versuchung, seinen erotischen Gelüsten nachzugeben(…) . Als einfaches Beispiel führe ich den Fall eines jungen Mannes an, der agoraphob wurde, weil er befürchtete, den Lockungen von Prostituierten nachzugeben und sich zur Strafe Syphilis zu holen.


多くの症例ではもっと複雑な構造を示し、多くのほかの抑圧された欲動蠢動が恐怖症にはけ口をもとめるが、それらは補助的なものであって後から神経症の中核とむすびつくものである。自我は何かを断念するだけではあきたらず、そのおかれた状況から危険をなくすために何かをつけくわえるのであり、広場恐怖の症状論は複雑である。つけくわわるものはふつう、一時的な幼児期への退行であり(極端な場合、母胎への退行、つまり現在おびやかされている危険からまもられていた時代への退行)、それが、何かを断念しなくてもすむ条件になっている。


Ich weiß wohl, daß viele Fälle eine kompliziertere Struktur zeigen und daß viele andere verdrängte Triebregungen in die Phobie einmünden können, aber diese sind nur auxiliär und haben sich meist nachträglich mit dem Kern der Neurose in Verbindung gesetzt. Die Symptomatik der Agoraphobie wird dadurch kompliziert, daß das Ich sich nicht damit begnügt, auf etwas zu verzichten; es tut noch etwas hinzu, um der Situation ihre Gefahr zu benehmen. Diese Zutat ist gewöhnlich eine zeitliche Regression in die Kinderjahre (im extremen Fall bis in den Mutterleib, in Zeiten, in denen man gegen die heute drohenden Gefahren geschützt war) und tritt als die Bedingung auf, unter der der Verzicht unterbleiben kann.(フロイト『制止、症状、不安』第7章、1926年)




もしそうなら次のも穏やか版の母胎への退行だろうよ





どちらの彼も広場で不安に襲われて助けを求めているって感じじゃないか。


広場恐怖症といっても、世界は原家に比べればどこもかしこも広場だからだからな、

家は母胎の代用品である。最初の住まい、おそらく人間がいまなお渇望し、安全でとても居心地のよかった母胎の代用品である[das Wohnhaus ein Ersatz für den Mutterleib, die erste, wahrscheinlich noch immer ersehnte Behausung, in der man sicher war und sich so wohl fühlte. ](フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第3章、1930年)


ヒトはみな時には原家に帰りたくなるんだろうよ、


ボクはどっちかというと母胎の匂で満足するほうだけどね



この彼の沈思黙考って感じだなあ、ボクは。タントラヴァリエーションだよ。

ーー《かくの如く私は聞いた。ある時、ブッダは一切如来の身語心の心髄である金剛妃たちの女陰に住しておられた[eva mayā śrutam / ekasmin samaye bhagavān sarvatathāgatakāyavākcittahdayavajrayoidbhageu vijahāra ]》(『秘密集会タントラ』Guhyasamāja tantra


場合によってはトリュフォーの『あこがれ』への退行でも充分にいけるけどさ






ところで、女性の場合、母胎へ退行したくなるときどうするんだろ? そこのキミ、教えてくれないか。


せっせとヨガなどやって軀を柔らかくしてウロボロスの永遠回帰やってんじゃないかと睨んでいるんだけどさ。





いやあでも羨ましいよ、女はみなちょっと頑張ったら自らこれができるなんて。





ーーいい石畳だね、須賀敦子=ダヴィデを思い起こすよ。石の呻きのかなたからの奇跡を。



男はずっと待たないといけないからな、わずかに濡れた夏の匂いを。女みたいに自由自在じゃないんだ。



ずっとわたしは待っていた。

わずかに濡れた

アスファルトの、この

夏の匂いを、

たくさんをねがったわけではない。

ただ、ほんのすこしの涼しさを五官にと。

奇跡はやってきた。

ひびわれた土くれの、

石の呻きのかなたから。



一九四五年、四月二十五日、ファシスト政権と、それにつづくドイツ軍による圧制からの解放をかちとった、反ファシスト・パルチザンにとっては忘れられないその日のこみあげる歓喜を、都会の夏の夕立に託したダヴィデの作品である。こんな隠喩が、屈辱の日々の終焉をひたすら信じ、そのために身を賭してたたかった世代の男女と、彼らにつづく「おくれてきた」青年たちを、酔わせ、ゆり動かしていたのが、一九五〇年代の前半という時代だった。そのなかで、コルシア・デイ・セルヴィ書店は、そんな人たちの小さな灯台、ひとつの奇跡だったかもしれない。(須賀敦子「銀の夜」『コルシカ書店の仲間たち』)


こう引用してくるとヘンデルの「私を泣かせてください Lascia ch'io pianga」もきこえてくるな、