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2025年7月17日木曜日

そうか、タロウは「シンプルな左翼に戻った」と思われていたのか

 


そうか、タロウは「シンプルな左翼に戻った」と思われていたのか、私はずっと情弱層相手の政治家だと思っていたが。






で、情弱層はやっぱりトゥキュディデスの警告に嵌まっちまうのだろうか。

大多数の人間は真実を究明するためには労をいとい、ありきたりの情報にやすやすと耳をかたむける。(トゥキュディデス『戦史』)

大衆は立て続けに話されると巧みな弁舌に惑わされ、事の理非を糾す暇もないままに、一度限りの我らの言辞に欺かれるかもしれないとの恐れがある。(トゥキュディデス『戦史』)


➤「トゥキュディデスの教え


しかし次の出来事があってもいまだ山本太郎信者のままというのは、実に「美しい」木瓜の花たちだよ。





信念の人は信念のうちにおのれの脊椎をもっている。多くの事物を見ないということ、公平である点は一点もないということ、徹底的に党派的であるということ[Partei sein durch und durch]、すべての価値において融通がきかない光学[eine strenge und notwendige Optik in allen Werten] をしかもっていないということ。このことのみが、そうした種類の人間が総じて生きながらえていることの条件である。〔・・・〕


狂信家は絵のごとく美しい、人間どもは、根拠に耳をかたむけるより身振りを眺めることを喜ぶものである[die Menschheit sieht Gebärden lieber, als daß sie Gründe hört...](ニーチェ『反キリスト者』第54節、1888年)