枝野幸男の発言「減税ポピュリズム」は実に効用があるな、紀元前4世紀のトゥキュディデスの教えを見事に露顕させて。
大多数の人間は真実を究明するためには労をいとい、ありきたりの情報にやすやすと耳をかたむける。(トゥキュディデス『戦史』) |
大衆は立て続けに話されると巧みな弁舌に惑わされ、事の理非を糾す暇もないままに、一度限りの我らの言辞に欺かれるかもしれないとの恐れがある。(トゥキュディデス『戦史』) |
あるいは小林秀雄=ヒトラーの教えを露顕させて。
大衆が、信じられぬほどの健忘症であることも忘れてはならない。プロパガンダというものは、何度も何度も繰り返さねばならぬ。それも、紋切型の文句で、耳にたこが出来るほど言わねばならぬ。但し、大衆の目を、特定の敵に集中させて置いての上でだ。 これには忍耐が要るが、大衆は、彼が忍耐しているとは受け取らぬ。そこに敵に対して一歩も譲らぬ不屈の精神を読みとってくれる。紋切型を嫌い、新奇を追うのは、知識階級のロマンチックな趣味を出ない。彼らは論戦を好むが、戦術を知らない。論戦に勝つには、一方的な主張の正しさばかりを論じ通す事だ。これは鉄則である。押しまくられた連中は、必ず自分等の論理は薄弱ではなかったか、と思いたがるものだ。討論に、唯一の理性などという無用なものを持ち出してみよう。討論には果てしがない事が直ぐわかるだろう。だから、人々は、合議し、会議し、投票し、多数決という人間の意志を欠いた反故を得ているのだ。(小林秀雄「ヒットラーと悪魔」) |
山本太郎はーー仮に無意識的にであれーーヒトラーの手法の体現者のようにさえ見えるからな、もちろん多かれ少なかれポピュリスト政治家は似たようなものかもしれないが。
最近は何言ってるか知らないが、2019年の段階では自らポピュリストだと言っていたからな。
この段階ではこういった呑気なことをマガオで言えたんだよな。彼が言っていることは、事実上の「財政的幼児虐待」なんだが。
だがこういったポピュリストは山本太郎だけではない。例えば原口一博。
私は立憲ファンでもなんでもないが、こういったことを言ってしまう原口一博はちょっと放っておくわけにはいかないんじゃないか。連合が支持母体、つまりサラリーマン政党であるなら[参照]、これはいくらなんでもマズイんじゃないか。
で、一応は財源を示して、所得税と法人税の引き上げだって言ってる人もいるようだが。
さらに、次のようなグラフまで流通してるや
このグラフはタコツボ村ビト発見器としてとってもいいんじゃないかね。
言ってることの馬鹿らしさを仮に脇に遣るとしても、そもそも、なぜ日本国内だけで比較するんだろ?
より詳しくはーー、
消費税など(消費課税)に関する資料 |
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所得税など(個人所得課税)に関する資料 |
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法人税など(法人課税)に関する資料 |
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国民負担率に関する資料 |
というわけで、種々のデマゴギーのサンプルが抽出できてとても役に立ったよ、繰り返せば、枝野の「減税ポピュリズム」発言は。 |
人がデマゴギーと呼ぶところのものは、決してありもしない嘘出鱈目ではなく、物語への忠実さからくる本当らしさへの執着にほかならぬ〔・・・〕。人は、事実を歪曲して伝えることで他人を煽動しはしない。ほとんど本当に近い嘘を配置することで、人は多くの読者を獲得する。というのも、人が信じるものは語られた事実ではなく、本当らしい語り方にほかならぬからである。デマゴギーとは、物語への恐れを共有しあう話者と聴き手の間に成立する臆病で防禦的なコミュニケーションなのだ。ブルジョワジーと呼ばれる階級がその秩序の維持のためにもっとも必要としているのは、この種のコミュニケーションが不断に成立していることである。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』) |
カルトとは自らの信仰を支えてくれるバイアス物語しか「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿だが、アンチ消費税カルトはその典型というほかないね。