ははあ、これが噂の枝野幸男の減税ポピュリズム批判か。彼も時にはいいこと言うじゃないか。
要するに民主主義批判だな、 |
民主とは「根拠の乏しい臆説にほかならぬオピニオンをまとめたものによって右往左往させられるオクロス(衆愚)の政治」のことだととっくに判明している。(西部邁「公共的実践の本源的課題」実践政策学・創刊号(第 1 巻 1 号)2015年、PDF) |
消費税減税すれば、さらにインフレが進むというのはもはや常識だが、「今=ここ」文化の日本のオクロスはそんなことお構いなしだからな、オクロス目当ての政治家や小遣い稼ぎの政治評論家のデマゴギーを鵜呑みにしてさ。 |
大衆は怠惰で短視眼である。大衆は、欲動を断念することを好まず、いくら道理を説いてもその必要性など納得するものではなく、かえって、たがいに嗾しかけあっては、したい放題をする[denn die Massen sind träge und einsichtslos, sie lieben den Triebverzicht nicht, sind durch Argumente nicht von dessen Unvermeidlichkeit zu überzeugen, und ihre Individuen bestärken einander im Gewährenlassen ihrer Zügellosigkeit. ](フロイト『ある幻想の未来 Die Zukunft einer Illusion』第1章、1927年) |
オクロスはアメリカの財政赤字の事例を挙げてもっともらしく国債発行、つまり札束刷ったらいいとか言うんだがね。
非基軸通貨国は、自国の生産に見合った額の自国通貨しか流通させることはできないのである。それ以上流通させても、インフレーションになるだけである。(岩井克人『二十一世紀の資本主義論』2000年) |
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ここで言う基軸国とは一体どういう意味なのでしょうか?ドルは世界の基軸貨幣です。だが、それは世界中の国々がアメリカと取引するためにドルを大量に保有しているという意味ではありません。ドルが基軸貨幣であるとは、日本と韓国との貿易がドルで決済され、ドイツとチリとの貸借がドルで行われるということなのです。アメリカの貨幣でしかないドルが、アメリカ以外の国々の取引においても貨幣として使われているということなのです。(岩井克人「アメリカに対するテロリストの誤った認識」朝日新聞2001年11月5日) |
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ーーより詳しくは➤「基軸通貨「ドル」と非基軸通貨「円」の決定的相違」 ま、一般大衆がインフレ税の怖さを知らず目先のことしか考えられないのは、ある意味でヤムエナイ。 問題は日本の場合、非エリートだけでなくエリートの大半もオクロスだということだな、昔からだが。
ーーこういったことを言っても衆愚にはまったく通用しないのはとっくの昔から分かってるよ。 話を戻せば、立憲民主党はサラリーマンの党だから当然、アンチ消費税減税に決まってる。 城繁幸氏は「サラリーマンをATMにする党」とうまいこと言ってるが、枝野が江口とか原口とかのポピュリストは出て行けというのは当たり前よ。 |
むかしーーといってもまだ8年前だがーー日銀の知恵袋と呼ばれた元日銀理事早川英男氏が次のように言っていたがね。 |
◼️早川英男「「賃金税」としての社会保険料」(2017年7月14日) |
社会保険料は給与の額に応じて支払われるので、課税対象は賃金、すなわち「賃金税」である。しかも、社会保険料は(厚生年金、企業型健康保険については)被保険者と企業が折半で負担する特別な「賃金税」だということになる(注5)。 しかも、問題はこの社会保険負担が年々大幅な増加を続けている点にある。社会保険料は、どの保険制度に加入しているか、どの地域に住んでいるかによって保険料が異なるが、ここでは、大企業主導で決まる春闘ベース・アップへの影響も意識しながら、厚生年金・健康保険組合の加入者について、全国平均の保険料の推移を見てみよう(【図表2】)。 |
そうすると、厚生年金+健康保険で過去10年間に保険料が収入の21.93%から27.35%へと5.4%あまり上昇したことが分かる。通常は収入の方が消費より多く、消費税に関しては非課税品目があることを考えると、14年4月に実施された消費税率の3%引上げ(5%→8%)が2回以上行われたに等しい負担増が生じたことになる。 このように社会保険負担が大幅に増えているのに、消費税などと違って負担増があまり意識されていない(したがって政治的反対も少ない)のは、毎月の給料の中から天引きの形で保険料が支払われているからだろう。なお、厚生年金保険料の上昇は今年の18.30%をもって当面打ち止めとなる予定であるが(注6)、健康保険料に関しては後期高齢者医療制度への支援金を中心に今後も保険料の上昇が続く見込みである。こうした社会保険料の増加の結果、驚くべきことに、今では家計の社会保険料負担は所得税等の負担を上回り、企業の社会保険料負担は法人税負担を上回るに至っている(【図表3】)。 |
こう考えると、社会保障費を税で賄うなら、賃金税より資源配分への悪影響が少ない消費税で賄うべきではないかという疑問が自然に湧いてくる。消費税は逆進的だとされるが、高所得者の社会保険料負担の上限を考慮すると、社会保険料は消費税以上に逆進的であり得る(注10)。にもかかわらず、消費税率引上げは二度までも先送りされ、社会保険料は毎年上がり続ける。それは、消費増税には法改正が必要であり、政治的反発が強い一方で、社会保険料はほぼ自動的に上がっていくからだ。しかし前述のとおり、こうした姑息な形での社会保障負担の増大は、雇用・賃金の不安定化や将来不安等に伴う個人消費の抑制に繋がっている。政治プロセスの非対称性の問題も含め、もう一度「税と社会保障の一体改革」を考え直すべき時ではないかと思う。(早川英男「「賃金税」としての社会保険料」2017年7月14日) |
この2、3年ほどの間には、消費税減税派も、姑息な「賃金税」社会保険料増大の話にいくらかは触れるようになったが、ま、それもお愛想程度であり、衆愚に訴えるのは消費税減税が一番ってわけで、その帰結としてのインフレ加速による大衆の首を締める政策邁進中ってわけさ。
なにはともあれ消費税減税とは日本の支配的イデオロギーであり、衆愚の下では仕方がないんだよ、これはアメリカの関税も同じ。
戯画兎氏がここでも巧みに指摘しているがね。
僕はもう5年前ぐらいに諦めたからな、言ってもムダと。今は健康のためにときに嘲弄する程度だよーー、《抗議や横車やたのしげな猜疑や嘲弄癖は、健康のしるしである[Der Einwand, der Seitensprung, das froehliche Misstrauen, die Spottlust sind Anzeichen der Gesundheit]》(ニーチェ『善悪の彼岸』154番、1886年)