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2025年7月19日土曜日

女はみなファシストを讃える?

 



しかしこういうのを見ると愕然とするよ。上のツイートを明らかに肯定的にリツートしている女性は親露派として3年半頑張ってきた方でーー彼女の旦那がロシアの物理学者で日本で教えているーー私は3年間強く応援してきた女性なんだがね。


やっぱり今でもシルヴィア・プラスの名高い詩は生きているんだろうかね



女はみなファシストを讃える

Every woman adores a Fascist


ーーシルヴィア・プラス「お父ちゃん」 SYLVIA PLATH, Daddy, 1962


これは、フロイト的に言えば、こういうことだ。


強い父拘束[starker Vaterbindung」をいだいている女性は周知のように非常に多い[Frauen mit starker Vaterbindung sind bekanntlich sehr häufig](フロイト『女性の性愛』第1章、1931年)

対象への欲動の拘束を固着と呼ぶ[Bindung des Triebes an das Objekt wird als Fixierung ](フロイト「欲動とその運命』1915年)

強い父への固着をもった少女の夢[Traum eines Mädchens mit starker Vaterfixierung,](フロイト『夢解釈の理論と実践についての見解』1923年)


通常の現代的女性は、父拘束から逃れてナルシシズムが全面に出ている傾向があるのだがね。

われわれは女性性には(男性性に比べて)より多くのナルシシズムがあると考えている。このナルシシズムはまた、女性による対象選択に影響を与える。女性には愛するよりも愛されたいという強い要求があるのである。

Wir schreiben also der Weiblichkeit ein höheres Maß von Narzißmus zu, das noch ihre Objektwahl beeinflußt, so daß geliebt zu werden dem Weib ein stärkeres Bedürfnis ist als zu lieben.〔・・・〕

もっとも女性における対象選択の条件は、認知されないまましばしば社会的条件によって制約されている。女性において選択が自由に行われる場では、しばしば彼女がそうなりたい男性というナルシシズム的理想にしたがって対象選択がなされる。もし女性が父拘束に留まっているなら、つまりエディプスコンプレクスにあるなら、その女性の対象選択は父タイプに則る。

Die Bedingungen der Objektwahl des Weibes sind häufig genug durch soziale Verhältnisse unkenntlich gemacht. Wo sie sich frei zeigen darf, erfolgt sie oft nach dem narzißtischen Ideal des Mannes, der zu werden das Mädchen gewünscht hatte. Ist das Mädchen in der Vaterbindung, also im Ödipuskomplex, verblieben, so wählt es nach dem Vatertypus. (フロイト『新精神分析入門』第33講「女性性」1933年)



ひょっとして彼女らにとって、神谷宗幣くんがナルシシズム的理想なのかもしれないが、エディプスコンプレクス系とするなら、現実には頼りない父の代理[Vaterersatz]としての理想の父の表象であり、これがラカンの父の名、フロイトのエディプス的超自我である。



ラカンにおける父の名の概念は、フロイトのエディプス、トーテムとタブーの神話と結びつき、その場に適切な位置づけを与えられる[Le concept de Nom-du-Père chez Lacan, il faut lui donner sa juste place, réunir à l'Œdipe freudien le mythe de Totem et Tabou](J.-A. Miller, DE LA NATURE DES SEMBLANTS , 27 NOVEMBRE 1991 )

宗教、道徳、社会的感覚―人間における高等なものの主要内容――は元来一つであった。『トーテムとタブー』の仮説にしたがえば、これらは系統発生的に父コンプレクスから得られ、宗教と道徳的制約は本来のエディプスコンプレクスを支配することによって、そしてまた、社会的感情は若い世代の仲間に起こる競争をなくす必要によって得られた。〔・・・〕超自我はまさにトーテミズムに導いた出来事から発生する。

Religion, Moral und soziales Empfinden ― diese Hauptinhalte des Höheren im Menschen ― sind ursprünglich eins gewesen. Nach der Hypothese von Totem und Tabu wurden sie phylogenetisch am Vaterkomplex erworben, Religion und sittliche Beschränkung durch die Bewältigung des eigentlichen Ödipuskomplexes, die sozialen Gefühle durch die Nötigung zur Überwindung der erübrigenden Rivalität unter den Mitgliedern der jungen Generation.(…) 

Das Überich ließen wir gerade aus jenen Erlebnissen, die zum Totemismus führten, entstehen.

(フロイト『自我とエス』第3章、1923年)



なおフロイトの超自我は2種類あるので注意されたし。本来の超自我は前エディプス的超自我である[参照]。




なお後期ラカンに基づいた現代ラカン派においては、父の名は本来の超自我の見せかけ、フェティシズムとして捉えられている。

ラカンが、フロイトのエディプスの形式化から抽出した「父の名」自体、見せかけに位置づけられる[Le Nom-du-Père que Lacan avait extrait de sa formalisation de l'Œdipe freudien est lui-même situé comme semblant](ジャン=ルイ・ゴー Jean-Louis Gault, Hommes et femmes selon Lacan, 2019)

ラカンは、父を固有のフェティシズムに基づいて定義した[Lacan définit le père à partir d'un fétichisme particulier](エリック・ロラン Éric Laurent, Un nouvel amour pour le père, 2006)

※参照:父の名文献


この観点を取って、神谷宗幣フェチと言った方がいいかもね、いくらなんでも彼は理想の父の表象としては頼りないから。むしろやんちゃな息子系だよ、息子フェチかもね(是非とも庇ってあげなくちゃいけないボウヤフェチとしてもファシズムになりかねないから厄介だが[ファシズムの原義は束になること])。


ということはある種の女性にとっては、やっぱりナルシシズム的理想かもしれないよ。

精神分析のエビデンスが示しているのは、ある期間持続して二人の人間のあいだにむすばれる親密な感情関係ーー結婚、友情、親子関係ーーのほとんどすべては、拒絶し敵対する感情のしこりを含んでいる。それが気づかれないのは、ただ抑圧されているからである。

おそらく唯一の例外は、息子への母の関係[Beziehung der Mutter zum Sohn ]である。これはナルシシズムに基づいており、後年の(主に娘との)ライバル意識によっても損なわれことなく、性的目標選択のアプローチによって強固なものになる。

Nach dem Zeugnis der Psychoanalyse enthält fast jedes intime Gefühlsverhältnis zwischen zwei Personen von längerer Dauer — Ehebeziehung, Freundschaft, Eltern- und Kindschaft — einen Bodensatz von ablehnenden, feindseligen Gefühlen, der nur infolge von Verdrängung der Wahrnehmung entgeht.

Vielleicht mit einziger Ausnahme der Beziehung der Mutter zum Sohn, die, auf Narzißmus gegründet, durch spätere Rivalität nicht gestört und durch einen Ansatz zur sexuellen Objektwahl verstärkt wird. 

(フロイト『集団心理学と自我の分析』第6章、1921年)



以上、この記事はテキトーに書いてるからな、あまり信用しないように。このところちょっとヤケクソ気味でね。

こんなものよりは次のAI分析にまずは目を向けるべきだなーー、


要するに参政党支持者をバカと言ったらダメなんだよな、たまたま次の発言に感心したところだが、ーー《私は、敵やその時代の指導者を馬鹿だと仮定することは、ほとんどあらゆる事柄について真剣な分析を行う上で非常に不適切な出発点だと考えています》(ギルバート・ドクトロウ「『トランプはロシアを脅す』―グレン・ディーセンによるインタビュー」Gilbert Doctorow July 17, 2025)。私もときにこのバカをやっちまうがね、反省することしきりだよ。

上のAI分析は実に優れているよ。この分析を演繹するなら、れいわ信者は、孤立感・置き去りにされた感等は同様であったとしても、参政党信者よりも、経済的に余裕がない層に傾いているんじゃないか。

どちらの支持者も丸山真男モデルなら原子化の領域にいるのだろうがね。原子化した個人は、突如としてファナティックな政治参加に転化することがある




《この(原子化)タイプの人間は社会的な根無し草状態の現実もしくはその幻影に悩まされ、行動の規範の喪失(アノミー)に苦しんでおり、生活環境の急激な変化が惹き起こした孤独・不安・恐怖・挫折の感情がその心理を特徴づける。》(丸山真男「個人析出のさまざまなパターン」1960年)