そこのしきりにカイエブログを引用してまったく反対の結論を出す「蒼い空くん」よ、一年ほど前コメントしたことがあるがね。
今回はあの加藤周一の論から、いくらなんでもこれはないんじゃないかい?
「法が価値観・モラルを左右をする」のはごく当然だが、それと天皇制廃止を結びつけて日本の道徳が改善するってわけかい?
先の論ではリンクだけして直接の引用はしてないがね、天皇の法?を廃止したって日本語の法が残ってるダロ?
日本語文法が反映しているのは、世界の時間的構造、過去・現在・未来に分割された時間軸上にすべての出来事を位置づける世界秩序ではなくて、話し手の出来事に対する反応、命題の確からしさの程度ということになろう。(加藤周一『日本文化における時間と空間』2007年) |
この加藤周一の観点は1970年代以来しばしば語られてきたものだがね、日本語使ってる限り《競争的集団主義、世界観の此岸性と超越的価値の不在、その時間の軸への投影としての現在主義――そういう日本社会または文化の特徴が、相互に関連しているということ、また極端な形式主義と極端な「気持」主義の両面を備えた価値の体系が、典型的な日本人の行動様式を決定している》ことはなくならないよ。 |
「私」が発言する時、その「私」は「汝」にとっての「汝」であるという建て前から発言しているのである。日本人は相手のことを気にしながら発言するという時、それは単に心理的なものである以上、人間関係そのもの、言語構成そのものがそういう構造をもっているのである。(森有正『経験と思想』1977年) |
日本語は、つねに語尾において、話し手と聞き手の「関係」を指示せずにおかないからであり、またそれによって「主語」がなくても誰のことをさすかを理解することができる。それはたんなる語としての敬語の問題ではない。時枝誠記が言うように、日本語は本質的に「敬語的」なのである。(柄谷行人「内面の発見」『日本近代文学の起源』1980年) |
いまさらながら、日本語の文章が相手の受け取り方を絶えず気にしていることに気づく。日本語の対話性と、それは相照らしあう。むろん、聴き手、読み手もそうであることを求めるから、日本語がそうなっていったのである。これは文を越えて、一般に発想から行動に至るまでの特徴である。文化だといってもよいだろう。(中井久夫「日本語の対話性」2002年『時のしずく』所収) |
どうだい、日本語廃止したら? そうしたらキミの望みがかなうかもよ。
この敬語的日本語の問題が加藤周一の『日本文学史序説』の核のひとつなんだがね、
二カ国語の併用と表記法とを離れて、日本語そのものについていえば、その多くの特徴のなかに、殊に文学作品の性質と密接に関連していると思われるものがある。 |
第二、日本語の語順が、修飾句を名詞のまえにおき、動詞(とその否定の語)を最後におくということ。すなわち日本語の文は部分からはじまって、全体に及ぶので、その逆ではない。そういう構造は、大きくみて、中国語や西洋語と正反対であり、しかもたとえば中国大陸の影響を脱して作られた日本の大建築の構造にも反映しているのである。徳川時代初期の大名屋敷の平面図は、あきらかに、大きな空間を小空間に分割したものではなく、部屋をつないでゆくうちに自ら全体ができあがったとしか考えられないものである。その状あたかも建増しの繰返しのようにみえる。日本の建築家は、中国や西洋の建築家とは逆に、部分から出発して全体に到ろうとしたので、語順の特徴は、空間への日本式接近法にもあらわれている、といえるだろう。またたとえば丸山真男氏も指摘したように、日本の神話にあらわれた時間は、始めもなく終りもないものである。そこでは現在が、始めあり終りある歴史的な時間の全体の構造のなかに、位置づけられるのではなく、現在(部分)のかぎりない継起が、自ら時間の全体となる。歴史的時間の全体の構造というものはない。しかもそういう時間の表象は、決して神話のなかにのみ現れたのではなく、その後の時代を一貫して根本的には変らなかった。すなわち時間に対する日本式接近法も、全体から部分へではなく、部分から全体への方向をとったということができる。比喩的にいえば、日本語の語順は、日本文化の語順にほかならない。したがって日本文学にその特徴があらわれていることは当然である。 |
ほとんどすべての散文作品は、少数の例外を除いて、多かれ少なかれ部分の細かいところに遊び、全体の構造を考慮することが少ない。平安朝の物語はその典型的な例である。たとえば『宇津保物語』の各章はほとんど独立していて、その相互の連関は極めて薄い。『源氏物語』には、大きくみて、全体の構造がないとはいえないが、その全体との関連において部分が描かれてというよりも、部分がそれ自身の独立した興味のために語られている場合が、圧倒的に多いのである。部分の描写は、全体のために十分だが、必ずしも必要ではない。またたとえば『今昔物語』は多くの短い説話をあつめ、説話を大まかに分類している。しかしその分類以外に全体をまとめるどのようなすじ立ても、指導的な思想もない。ただその個別的な挿話のなかのいくつかが、実に生々として、独立の短篇小説の傑作として読めるのである。 |
(加藤周一『日本文学史序説』1975年) |
背後にあるものを何も読まないで寝言言ってたらダメだよ、キミみたいなのをボクは構造的無責任主義者と命名してんだがね。
で、こういった話は当時の加藤周一が強い影響を受けた友人の森有正も言っており、次の文が嚆矢のひとつかもしれないな。
25年前の第二次世界大戦が終るまで、日本の思想や道徳は、君臣、父子、兄弟、主従の関係を軸としていた。ことに全体の中心をなしていた天皇中心的国家観は、国家と国民の生活の全体を陰に陽に組織する原理のようなものとなっていた。人はそれを天皇制と呼び、戦前の諸悪の根源のように言うけれども、実際は、それはむしろ古来の日本人の「経験」の構造に由来するものではないであろうか。むしろそれがおもてにあらわれ、制度や道徳の形に結晶した結果として考えることの出来るものではないであろうか。 天皇のために死するということが〔・・・〕自己の自己に対する責任と倫理を包含することなく、君臣の関係がすでに自己の意志を越えて存在しており、その関係の責任の「根拠」が自己になくて、関係そのものに在る時、そしてそれが自発的に当然うけとられるべきものとして要求される時、そういう関係の歴史的、社会学的因果づけは一応捨象して、そのものとしての説明を日本人の「経験」の構造に帰せざるをえないであろう。〔・・・〕その「経験」は、個人をではなく、二人あるいは複数の人間を定義するものである。これは単に仮設ではなく、現実であったのであり、また、現実である。それが「経験」である以上、人間にとって根源的であり、それを外部から矯正することは出来ない。たとえば親子関係の事実上の存在がそのまま「経験」のこれ以上分析を許されぬ単位になっている、と言うこと、この複合関係から個人が決して脱出出来ないということ、これは思うよりは遥かに深刻なことである。(森有正『木々は光を浴びて』1972年) |
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森有正は今の人はほとんど知らないだろうから、在庫から大岡昇平評を貼り付けとくよ。
ほかにもこれは彫刻家の高田博厚の加藤周一と森有正の評だ➤参照 |
というわけだが、ボクは蒼い空くんを説得するつもりは毛ほどもないからな、キミは天皇制廃止イデオロギー狂信者に紛いようもないからな。カイエブログを引用するな、なんてケチなことも言わないよ。ただお願いしたいのは、リンクだけはしないでほしいんだな。それだけで悪臭に汚染されちまう気がしてならないんだよ。ワカルカイ?