私はプーチンやラブロフの発言に依拠して、現在のヨーロッパで起こっている「ナチスの回帰」をしばしば指摘してきたが、今、日本で起こっているのは同様に「戦前の回帰」なのは紛いようがない。 |
以前に、朝日新聞で同志社大学の浜矩子さんの記事を拾ったことがあるが(今はリンク切れ)、彼女はこう言っていた、《安倍政権は、経済政策のアベノミクスが「富国」を、今回の特定秘密保護法や、国家安全保障会議(日本版NSC)が「強兵」を担い、明治時代の「富国強兵」を目指しているように見えます。この両輪で事実上の憲法改正を狙い、大日本帝国を取り戻そうとしているかのようです。》。「腹をくくった」らしい高市早苗や噂の神谷宗幣はどう見たってこれ系だ。 |
浜矩子さんの別の記事を検索してみると、こうある。 |
【浜矩子が斬る! 日本経済】「あの時と今はどう違う?」2024年7月5日 |
2012年12月に安倍政権が発足した。そこから、筆者がアホノミクスと呼び替えたアベノミクスが始まった。アホノミクスとは何だったか。それは、下心政治による経済政策の手段化だった。アホノミクスの大将、故安倍晋三氏には、大いなる下心があった。それは、21世紀版の大日本帝国を構築することにあった。彼は、かねてより「戦後レジームからの脱却」を自分の政治的使命に掲げていた。戦後という枠組みから脱却したいなら、出来ることは一つしかない。戦前の世界に回帰することだ。そして、日本の戦前は大日本帝国の世界だった。だから、彼は大日本帝国の再現を目指した。であればこそ、あそこまで改憲に固執したわけだ。 アホノミクスには、21世紀版大日本帝国の経済基盤づくりが託された。経済政策の本来の使命は、経済活動のバランスを保ち、そのことによって弱者を守り、救済することにある。それなのに、アホノミクスの大将は経済政策を強い国家の強い経済基盤づくりの手段として位置づけた。その結果、経済運営としては全く辻褄の合わない「異次元緩和」の金融政策が始まった。この異次元緩和は、金融政策とは名ばかりの財政ファイナンス、すなわち日銀が政府のためにカネを振り出す打ち出の小槌と化すことを意味した。その上にあぐらをかいて、日本の財政は世界中で最悪の不健全性に陥ることになった。 |
安倍晋三のスローガン「戦後レジームからの脱却」はまさに戦前回帰だったからな。 |
・日本というのは古来から絆を大切にし、地域の絆、家族の絆、そして国の絆の中で、助け合っていろんな困難を乗り越えてきたわけでありまして、それぞれが抱えている問題についてもお互いが協力し合って乗り越えてきた。 ・この憲法、そして教育基本法といった、この時に出来上がった戦後の仕組みをもう一度、根本から見直しをしていって、21世紀にふさわしい日本を私達の手で作っていこうというのが「戦後レジームからの脱却」でございます。(【安倍晋三氏「美しい国へ―戦後レジームからの脱却】 2009年2月11日 明治神宮会館]) |
さらに日本会議のサイトの安倍晋三追悼文の列挙のページを見てみると、「戦後レジームからの脱却」という表現の連発がある。ここでは昨年亡くなったらしい田久保忠衛前日本会議会長の文を掲げておこう。 |
田久保忠衛 日本会議会長・杏林大学名誉教授 時代が必要とした安倍氏を悼む 「安倍元首相、撃たれる」の第一報から、通信社電などの速報を慄然たる思いで目にしながら、一命だけは取りとめてほしいと私は願った。1963年にケネディ米大統領が暗殺されたときの外電の第一報は「ケネディ撃たる」、次いで「撃たれたのはダラス」など至急報の連続だった。米国民は助かってほしいと祈ったが、天は非情だった。日本は安倍晋三というかけがえのない人物を最も必要としている時代に失ってしまった。痛恨に堪えない。 |
◆大局から判断した外交・内政 安倍氏の外交、内政を一言で表現しろと言われたら、私は「戦後レジームからの脱却」だと答える。ここから「地球儀を俯瞰する外交」姿勢が登場した。外務大臣が無能なのか外務省に責任があるのか定かではないが、外部で観察するかぎりでは二国間外交、それも相手国を刺激しないことに徹底した外交は「チャイナ・スクール」「土下座外交」という固有名詞まで生んだ。戦略性を帯びる外交には国際情勢を大局から判断する姿勢が不可欠だ。 2011年に国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)がインドを訪れたことがある。安倍氏を中心とする自民党の議員団と一緒になった際に、07年に首相としてインド議会で行った演説の感想を求められた。インド洋と太平洋を眼下に見渡し、戦略性に富んだ、躍動するような文章だったので「役所の書いたものではありませんね」と不躾な答えをしてしまった。これがいわゆる「2つの海の交わり」演説だ。議会は満場の拍手で応じ、インドの各紙は大きく取り扱った。 この安倍構想はいま、米国、インド、豪州、日本の「クアッド」に発展した。15年前に安倍氏の頭にはインド洋、太平洋にわたる対中戦略が練り上げられていたことになる。戦後に別れを告げる重要な動きは2015年8月14日に発表された戦後70年談話・安倍首相談話だ。活字で賛成の手を挙げたのが早かったせいか私への風当たりも強かった。しかし左右、前後に目配りしてほしい。この安倍談話は学界における研究発表ではない。 毎年8月15日が近づく度に戦前の罪とやらを詫びろと騒ぎ立てる内外の反日勢力に、静かにしてほしいと要求する政治的文書だ。いわれのない戦前批判には終止符が打たれた。以後今日までトラブルは全く起きていないではないか。安倍氏の政治力は熟している。 |
◆歪な防衛体制を是正 安倍氏の功績の中で特筆大書すべきは、戦後歪なままで現在に至っている防衛体制を是正しようと努めたことだと思う。総じて日本の防衛体制が「普通の国」のそれに及ばないのは、敗戦による衝撃の後遺症が依然として残っている、防衛を怖がる臆病な気持ちの蔓延、政治家にとって票にならない―などいくつもの理由があろう。防衛に手をつけない口実として登場したのが軽武装・経済大国を目指す「吉田ドクトリン」だ。岸田文雄首相は自著の中で自らこのドクトリンの信奉者だと言い切っている。ウクライナ戦争を契機に国際情勢はにわかに慌ただしくなり、日本だけが軽武装だなどと寝ぼけていたらどうなるか、は首相が一番承知のはずだ。 安倍氏は政権を取った翌年の2013年に国家安全保障会議を設置した。首相を司令塔に、官房長官、外相、防衛相の4大臣会合、ときには9大臣会合が開かれ、国家安全保障に関する重要事項および重大緊急事態への対処を審議する。首相官邸が重要な役割を果たす体制をつくり上げた。 おそらく安倍氏が最大の労力を払ったのは平和安全法制であろう。自身の言葉を引用すると、「乾坤一擲の大勝負に出なければならない『ここ一番』。安倍政権にとってそれは二〇一五年に訪れました」である。集団的自衛権の一部を容認する道を開かなければ、日本の防衛力による米軍の後方支援も許されなかった。「内閣支持率を一〇%失ってもなお、私の信念は揺るぎませんでした」(「安倍晋三時代に挑む!」)と書いている。世論の一部を敵にしても国のためにはやる、との気迫を感じる。 |
◆原点の憲法の根本的改正 戦後時代を脱皮させるには、原点である日本国憲法を根本的に改めなければならない。ロシアのウクライナ侵攻に即時対応し、国防政策の百八十度転換を図ったのはドイツだ。ドイツの変わり身は早い。国際環境の険しさに岸田首相も気づいたのだろう。防衛力の抜本的強化を公約した。英シンクタンク「欧州外交評議会」のマーク・レナード氏は最近のフォーリン・アフェアーズ誌ウェブ版に、衰退する米国の穴をドイツと日本が埋める時代の到来をほのめかす一文を書いた。が、敗戦国の日独両国が一人前のプレーヤーになるのを目前に安倍氏は去った。 安倍さん、親ほど年の違う私が安倍さんの弔文を書くことになるとは夢にも思わなかった。どうぞ安らかにお休みください。 |
ボクは「日本会議」というのを詳しくは知らないがね、おおかたのみなさんがよく知ってるらしいようには。
ま、なにはともあれ、過去の亡霊の復活真っ最中だよ、
ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的な事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度目は偉大な悲劇[Tragödie]として、二度目はみじめな笑劇[Farce]として、と。〔・・・〕 人間は自分自身の歴史を創るが、しかし、自発的に、自分が選んだ状況の下で歴史を創るのではなく、すぐ目の前にある、与えられた、過去から受け渡された状況の下でそうする。すべての死せる世代の伝統が悪夢のように生きているものの思考にのしかかっている。そして、生きている者たちは、自分自身と事態を根本的に変革し、いままでになかったものを創造する仕事を携わっているように見えるちょうどそのときでさえ、まさにそのような革命的危機の時期に、不安そうに過去の亡霊[Geister der Vergangenheit]を呼び出して自分のたちの役に立てようとし、その名前、鬨の声、衣装を借用して、これらの由緒ある衣装に身を包み、借り物の言葉で、新しい世界史の場面を演じようとしているのである。 |
Hegel bemerkte irgendwo, daß alle großen weltgeschichtlichen Tatsachen und Personen sich sozusagen zweimal ereignen. Er hat vergessen, hinzuzufügen: das eine Mal als Tragödie, das andere Mal als Farce.(…) Die Menschen machen ihre eigene Geschichte, aber sie machen sie nicht aus freien Stücken, nicht unter selbstgewählten, sondern unter unmittelbar vorgefundenen, gegebenen und überlieferten Umständen. Die Tradition aller toten Geschlechter lastet wie ein Alp auf dem Gehirne der Lebenden. Und wenn sie eben damit beschäftigt scheinen, sich und die Dinge umzuwälzen, noch nicht Dagewesenes zu schaffen, gerade in solchen Epochen revolutionärer Krise beschwören sie ängstlich die Geister der Vergangenheit zu ihrem Dienste herauf, entlehnen ihnen Namen, Schlachtparole, Kostüm, um in dieser altehrwürdigen Verkleidung und mit dieser erborgten Sprache die neuen Weltgeschichtsszene aufzuführen. |
(マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』Der 18te Brumaire des Louis Bonaparte、1852年) |
こういうほかないね、オメデト、戦前回帰の地獄!と。
ーーと記したら西脇の詩句が浮かんできたよ
この小径は地獄へゆく昔の道
プロセルピナを生垣の割目からみる
偉大なたかまるしりをつき出して
接木している
ーー西脇順三郎 夏(失われたりんぼくの実)
で、やっぱり早苗チャンと宗幣クンの接木があるんだろうよ