重要なのは、〔・・・〕マルクスがたえず移動し転回しながら、それぞれのシステムにおける支配的な言説を「外の足場から」批判していることである。しかし、そのような「外の足場」は何か実体的にあるのではない。彼が立っているのは、言説の差異でありその「間」であって、それはむしろいかなる足場をも無効化するのである。重要なのは、観念論に対しては歴史的受動性を強調し、経験論に対しては現実を構成するカテゴリーの自律的な力を強調する、このマルクスの「批判」のフットワークである。基本的に、マルクスはジャーナリスティックな批評家である。このスタンスの機敏な移動を欠けば、マルクスのどんな考えをもってこようがーー彼の言葉は文脈によって逆になっている場合が多いから、どうとでもいえるーーだめなのだ。マルクスに一つの原理(ドクトリン)を求めようとすることはまちがっている。マルクスの思想はこうした絶え間ない移動と転回なしには存在しない。(柄谷行人『トランスクリティーク』2001年) |
ーー《柄谷の画期的成功は、…パララックスな読みかたをマルクスに適用したこと、マルクスその人をカント主義者として読んだことにある。》(ジジェク『パララックスヴュー』2006年) |
以前に私は一般的人間理解を単に私の悟性 Verstand の立場から考察した。今私は自分を自分のでない外的な理性 äußeren Vernunft の位置において、自分の判断をその最もひそかなる動機もろとも、他人の視点 Gesichtspunkte anderer から考察する。両方の考察の比較はたしかに強い視差 starke Parallaxen (パララックス)を生じはするが、それは光学的欺瞞 optischen Betrug を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段でもある。(カント『視霊者の夢Träume eines Geistersehers』1766年) |
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次のギルバート・ドクトロウの視点を持つことが大事だろうな、トランプのプーチンへの圧力を単なる「愚か」で片付けるのではなく、パララックスヴューのためには。
◼️ギルバート・ドクトロウ「『ジャッジング・フリーダム』―プーチン大統領への新たな圧力」 |
Judging Freedom’: New Pressures on Putin, Gilbert Doctorow July 15, 2025 |
アンドリュー・ナポリターノ氏のチャンネル「ジャッジング・フリーダム」の利点の一つは、国際的な主要情勢に関する事実については一致しつつも、そのニュースを発信する政治家については全く異なる解釈を提示できるパネリストを招いている点である。 ドナルド・トランプ氏が昨日、ウクライナとの和平が2ヶ月前に成立するという自身の期待を裏切ったとして、ウラジーミル・プーチン大統領を罰する用意があると発表したのも、まさにその例だ。 スコット・リッターは、ジャッジとのインタビューで、トランプ氏が発表した措置、すなわちロシアおよびロシアと貿易関係にある国に対する100%の二次関税の賦課と、NATOの欧州加盟国を通じたウクライナへの武器輸出の再開・拡大は、いずれも失敗する運命にあると述べた。パトリオットミサイル防衛システムは、ウクライナ全土で現在も行われているロシアによる大規模な空爆には対処できないだろう。リッター氏のこの事実に基づく評価は、私を含め、独立系メディアの多くのアナリストに受け入れられている。しかし、リッター氏は、トランプ大統領がなぜこれらの効果のない制裁措置を発表したのか、その理由を次のように説明した。大統領、政権の主要メンバー、そして議会全体が「愚か者」だからだ。 |
昨日の「ジャッジング・フリーダム」番組に出演したもう一人のパネリスト、ダグラス・マクレガー大佐は、トランプ大統領が発表した計画は、議会内やより広範な政治体制内の批判者から、ロシアの攻勢を阻止し、キエフ政権に時間稼ぎを求める声に応えて導入できる、最も悪くない措置だと述べた。 私はマクレガー氏と同様に、トランプ大統領の行動に論理性を見出そうとしているが、マクレガー氏よりもさらに踏み込んだ見解を持っている。具体的には、100%の二次関税発動期限を強調する。50日間!これは、ロシアによる大規模な攻勢が続く2025年の夏の残り期間にちょうど当てはまる。そして、トランプ大統領が設定した期限の多くと同様に、必要であれば延長される可能性が高いと考えられる。 その間、トランプ大統領は内部で最も危険な批判者を買収したのだ。リンジー・グラハム上院議員は、ロシアへの制裁圧力は功を奏したと言わざるを得ない。たとえ制裁が明日発効しないことに不満を抱いていたとしても。さらに、ヨーロッパにおけるトランプ批判者たちも、ワシントンが公式にウクライナへの武器供与を再開し、パトリオットを含む先進兵器システムをウクライナに供給する計画に協力し、米国で有償で代替品を製造してもらうことが決まった今、言葉を失った。 |
私の解釈では、トランプはウラジーミル・プーチン大統領に事実上こう言っているのだ。「とにかくやれ。この戦争を50日以内に終わらせれば、我々は友好国になる!」これは、トランプがガザでのハマスとの戦争についてネタニヤフ首相に言った「好きなことをしろ、ただし早くしろ!」という言葉の繰り返しではないかと思う。 ウラジーミル・プーチン大統領が、これまでの戦争では見せなかった決断力を発揮し、ウクライナを徹底的に爆撃し、ロシアが誇る素晴らしいオレシュニク極超音速ミサイルを使ってキエフのゼレンスキー・ネオナチ一味を斬首するなど、あらゆる手段を講じることができれば、ヨーロッパ大陸は再び平和を享受し、ドイツ主導の再軍備をめぐるヒステリーも鎮静化されるだろう。 モスクワの富裕層がトランプ氏の「サプライズ」メッセージに非常に満足したことは特筆に値する。BBCは昨日、このニュースを受けてモスクワ株式市場が4%上昇したと報じた。 マクレガー氏はワシントンの友人から得た情報に基づき、米ロ当局者間の最近の非公開協議は依然として友好的な状況にあると伝えているため、トランプ氏は引き続きロシアとの緊張緩和を目指しており、クレムリンが必要なことを迅速かつ効果的に行うことを期待していると言えるだろう。こうしたアメは、トランプ大統領が昨日公に明らかにしたムチよりも、ウラジーミル・プーチン大統領に対して影響力を持つかもしれない。 |
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別の言い方をすれば、常に「小説の精神」を持っていないとな
◼️文学の欠如(不確定なものへの関心の欠如) |
今、人が政治家や実業家に持っている不満は、突き詰めると、文学の欠如にたいしてでは ないか。それは、詩を読めとか、小説を読めということではありません。不確定なものへの関心のことです。(古井由吉「翻訳と創作と」東京大学講演『群像』2012 年 12 月号) |
◼️人は宙吊りに耐えらえず、決まり切った概念、用語、符号が与えられることを求める |
人がサスペンデッドな状態、宙吊りの状態に耐えられなくなっているんです。むずかしい問題は、たいがいサスペンデッドです。判断が下せない期間が長くなります。その猶予に耐えられないから、決まり切った概念、用語、符号が与えられることを求めるんです。(古井由吉「宙吊りに耐えられない」『人生の色気』2009年) |
◼️小説の知恵(不確実性の知恵)la sagesse du roman (la sagesse de l'incertitude) |
人間は、善と悪とが明確に判別されうるような世界を望んでいます。といいますのも、人間には理解する前に判断したいという欲望 ――生得的で御しがたい欲望があるからです。さまざまな宗教やイデオロギーのよって立つ基礎は、この欲望であります。宗教やイデオロギーは、相対的で両義的な小説の言語を、その必然的で独断的な言説のなかに移しかえることがないかぎり、小説と両立することはできません。宗教やイデオロギーは、だれかが正しいことを要求します。たとえば、アンナ・カレーニナが狭量の暴君の犠牲者なのか、それともカレーニンが不道徳な妻の犠牲者なのかいずれかでなければならず、あるいはまた、無実なヨーゼフ・Kが不正な裁判で破滅してしまうのか、それとも裁判の背後には神の正義が隠されていてKには罪があるからなのか、いずれかでなければならないのです。 この〈あれかこれか〉のなかには、人間的事象の本質的相対性に耐えることのできない無能性が、至高の「審判者」の不在を直視することのできない無能性が含まれています。小説の知恵(不確実性の知恵)を受け入れ、そしてそれを理解することが困難なのは、この無能性のゆえなのです。 |
L'homme souhaite un monde où le bien et le mal soient nettement discernables car est en lui le désir, inné et indomptable, de juger avant de comprendre. Sur ce désir sont fondées les religions et les idéologies. Elles ne peuvent se concilier avec le roman que si elles traduisent son langage de relativité et d'ambiguïté dans leur discours apodictique et dogmatique. Elles exigent que quelqu'un ait raison ; ou Anna Karénine est victime d'un despote borné, ou Karénine est victime d'une femme immorale ; ou bien K., innocent, est écrasé par le tribunal injuste, ou bien derrière le tribunal se cache la justice divine et K. est coupable. Dans ce "ou bien-ou bien" est contenue l'incapacité de supporter la relativité essentielle des choses humaines, l'incapacité de regarder en face l'absence de Juge suprême. A cause de cette incapacité, la sagesse du roman (la sagesse de l'incertitude) est difficile à accepter et à comprendre. |
(ミラン・クンデラ「不評を買ったセルバンデスの遺産」『小説の精神』所収、Milan Kundera, l'héritage décrié de Cervantès, L'art du roman, 1986年) |