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2025年8月1日金曜日

福祉国家の終焉について

 

現在の日本人の最大の「社会的不安」はおそらく将来の社会保障、特に公的年金がどうなるかではないか。既に4半世紀前に池尾和人氏が次のように指摘しているがね。


◼️経済再生の鍵は 不確実性の解消 (池尾和人 大崎貞和) ーーー野村総合研究所 金融ITイノベーション研究部2011(「二十一世紀の歴史の退行と家族、あるいは社会保障」より)

池尾:日本については、人口動態の問題があります。高齢化・少子化が進む中で、社会保障制度の枠組みがどうなるのかが、最大の不安要因になっていると思います。


経済学的に考えたときに、一般的な家計において最大の保有資産は公的年金の受給権です。〔・・・〕

今約束されている年金が受け取れるのであれば、それが最大の資産になるはずです。ところが、そこが保証されていません。


一般人にとっての最大の資産が保証されていないのは、ほとんどの人が気づいているはずである、よほどの経済音痴的リベラルでなければ。


少し前、山崎雅弘くんが次のように言っているのを見て唖然としたがね。



山崎雅弘くんはよほど社会保障の「思考のタイムスパンが極端に短い」と言わざるを得ないね、あるいは現在の公的年金の受給権が将来も保証されているという前提で語っている。こういうのを外挿的思考というのだがね、《人間は現在の傾向がいつまでも続くような「外挿法思考」に慣れている》(中井久夫「戦争と平和ある観察」 2005年)、《外挿法ほど危ないものはない。一つの方向に向かう強い傾向は、必ずその反動を生むだろう》(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」2000年)。ま、似たようなリベラル、あるいはリベラル左翼はいくらでもいて彼だけの問題ではまったくないが。音喜多駿曰くの、《 地獄への道は 「福祉」 と善意で舗装されている》にまったく不感症タイプが。



ひょっとすると、多くの社会は、あるいは政府は、医療のこれ以上の向上をそれほど望んでいないのではないか。平均年齢のこれ以上の延長とそれに伴う医療費の増大とを。各国最近の医療制度改革の本音は経費節約である。数年前わが国のある大蔵大臣が「国民が年金年齢に達した途端に死んでくれたら大蔵省は助かる」と放言し私は眼を丸くしたが誰も問題にしなかった。(中井久夫「医学部というところ」所出1995年『家族の肖像』所収)


この大蔵大臣はミッチーこと渡辺美智雄である(発言当時は大蔵大臣ではなく通産大臣)。

「二十一世紀は灰色の世界、なぜならば、働かない老人がいっぱいいつまでも生きておって、稼ぐことのできない人が、税金を使う話をする資格がないの、最初から」、こう言ったわけであります。渡辺通産大臣は、それ以外にも、八三年の十一月二十四日には、「乳牛は乳が出なくなったら屠殺場へ送る。豚は八カ月たったら殺す。人間も、働けなくなったら死んでいただくと大蔵省は大変助かる。経済的に言えば一番効率がいい」、こう言っておられます。(第104回国会 大蔵委員会 第7号 昭和六十一年三月六日(木曜日) 委員長 小泉純一郎君)



これはとてもヒドイ言い方であるにしろ、ある意味で、1986年に既に現在の有り様を予言している、「二十一世紀は灰色の世界」と。


この話は日本だけではない。少なくとも西側世界は同様である。


一つのことが明らかになっている。それは、福祉国家を数十年にわたって享受した後の現在、我々はある種の経済的非常事態が半永久的なものとなり、我々の生活様式にとって常態になった時代に突入した、という事実である。こうした事態は、給付の削減、医療や教育といったサービスの逓減、そしてこれまで以上に不安定な雇用といった、より残酷な緊縮策の脅威とともに、到来している。〔・・・〕現下の危機は早晩解消され、ヨーロッパ資本主義がより多くの人びとに比較的高い生活水準を保証し続けるだろうといった希望を持ち続けることは馬鹿げている。

One thing is clear: after decades of the welfare state, …we are now entering a period in which a kind of economic state of emergency is becoming permanent: turning into a constant, a way of life. It brings with it the threat of far more savage austerity measures, cuts in benefits, diminishing health and education services and more precarious employment.(…) It would thus be futile merely to hope that the ongoing crisis will be limited and that European capitalism will continue to guarantee a relatively high standard of living for a growing number of people. ZIZEK, A PERMANENT ECONOMIC EMERGENCY2010年)


このジジェクの話の内実は「どういう脳天気なアタマしたらそんな馬鹿げたことが考えられるのか知りたいよ」を参照


ところで"the end of the welfare state" でグーグル検索すると数多の論文が出てくるが、冒頭にAI ーーグーグルの人工知能であり「ジェミニ」というらしいがーーによるまとめがあるので、ここではそれを訳して掲げておくよ。



「福祉国家の終焉」という考え方は複雑で、議論の的となっている。福祉国家は大きな変化、あるいは解体に向かっていると主張する人がいる一方で、福祉国家の終焉に関する報道は誇張であり、福祉国家は単に新たな現実に適応しているだけだと主張する人もいる。福祉制度の縮小(リテンション)と福祉制度の再定義(リジェネレーション)の両方が進行している兆候が見られる。


様々な視点の内訳は以下のとおりである。


◼️「終焉」または大幅な変化を支持する議論:


・緊縮:多くの国で福祉支出の削減と給付受給資格の厳格化が見られる。

市場による解決策への焦点:伝統的に福祉国家がカバーしてきた分野において、民間セクターによる解決策と個人の責任がますます重視されるようになっている。


・条件の強化:福祉プログラムは就労要件やその他の条件とますます結び付けられるようになり、普遍的な提供から対象を絞った支援へと焦点が移行している。


・財政的制約:国家債務と財政赤字への懸念から、社会福祉を含む政府支出の削減を求める声が高まっている。


・グローバル化と競争:世界的な競争の激化により、福祉国家は競争力を維持するための圧力にさらされており、社会支出の削減につながる可能性がある。


◼️「終焉」に反対する議論、または適応を支持する議論:


・継続的な支持:変化にもかかわらず、福祉国家は多くの国で国民に依然として人気があり、社会セーフティネットに対する国民の支持は依然として強い。


・再定義であって終焉ではない:福祉国家は、完全に消滅するのではなく、高齢化や労働市場の変化といった新たな課題に適応し、進化し続けている。


・新たな形態の普遍主義:福祉国家は、すべての国民にセーフティネットを提供するユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)といった新たな形態の普遍主義へと移行しつつあると主張する人もいる。


・社会的投資の重要性:社会プログラムへの投資は、健康や教育の向上といった経済的なプラス効果をもたらす可能性があるという認識が高まっている。


・不平等への取り組みにおける継続的な役割:福祉国家は、不平等の削減と脆弱な立場にある人々へのセーフティネットの提供において、引き続き重要な役割を果たしている。


結論:

福祉国家は確かに課題に直面し、変革を遂げつつあるが、これらの変化が福祉国家の「終焉」を意味するかどうかは議論の余地がある。福祉制度の大幅な縮小、あるいは解体を主張する人がいる一方で、社会保障の重要性は依然として高く、福祉国家が適応し進化していく可能性を強調する人もいる。この議論は現在も続いており、福祉国家の将来は経済、社会、政治の3つの要因の複雑な相互作用に左右されるだろう。




私は人工知能はまったく好まないのだが、巷間の寝言リベラルよりは100倍以上はマシなのは間違いない。どうぞご参考までに。