しかし、わからないかね、「政治の役割は余剰を配分ことから負担を配分することに変わっている」が。この池尾和人氏の2011年の発言は「常識」だと思うが。日本は世界一の少子高齢化国だとはいえ、世界も高齢化してるんだよ、社会保障の充実した福祉国家なんてふつうに考えたら世界的にもうあり得ないよ。
![]() |
(内閣府「世界の高齢化動向」令和4年版) |
例えば、ジジェクは2010年の段階で、ヨーロッパの福祉国家に関して、次のように言っている。
一つのことが明らかになっている。それは、福祉国家を数十年にわたって享受した後の現在、我々はある種の経済的非常事態が半永久的なものとなり、我々の生活様式にとって常態になった時代に突入した、という事実である。こうした事態は、給付の削減、医療や教育といったサービスの逓減、そしてこれまで以上に不安定な雇用といった、より残酷な緊縮策の脅威とともに、到来している。〔・・・〕現下の危機は早晩解消され、ヨーロッパ資本主義がより多くの人びとに比較的高い生活水準を保証し続けるだろうといった希望を持ち続けることは馬鹿げている。 |
One thing is clear: after decades of the welfare state, …we are now entering a period in which a kind of economic state of emergency is becoming permanent: turning into a constant, a way of life. It brings with it the threat of far more savage austerity measures, cuts in benefits, diminishing health and education services and more precarious employment.(…) It would thus be futile merely to hope that the ongoing crisis will be limited and that European capitalism will continue to guarantee a relatively high standard of living for a growing number of people. (ZIZEK, A PERMANENT ECONOMIC EMERGENCY、2010年) |
こういったことは、少なくとも2010年前後から一般常識だよ。
ドゥルーズ研究の「第一人者」檜垣立哉氏が次のようにツイートしているのを拾ったことがあるがね。
私は彼のことをときに批判することがあるが、これはとっても巧い言い方だよ。少なくともいままでの福祉国家が今後もありうるなんてのは、「どういう脳天気なアタマしたらそんな馬鹿げたことが考えられるのか知りたいよ」。
A Iに期待する人もいないではないがね。世界の高齢化のもとで社会保障制度を維持するには、基本的にはAI導入による労働生産性の飛躍的向上に望みを託すぐらいしかない。だが負の側面もある。しばしば語られてきたが、AI導入で雇用が奪われる。資金力のある大企業の独占が起こる。で、ユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)の話が出る。社会保障制度は事実上、UBIに代替される以外の方法はあるのか。もしないなら、そのとき負の側面としてのグローバリズムによる大衆の家畜化を避ける手立てはあるのか? ないよ、たぶん。
さらに柄谷の思考の下では、AIの発展があっても、国家と資本の結婚がある限り、世界戦争は起こる。
◼️柄谷行人「世界戦争の時代に思う──『帝国の構造』文庫化にあたって」 『図書』2023年12月号 目次 【巻頭エッセイ】2023.12.04 |
われわれは今、世界戦争の危機のさなかにある。それはいわば、国家と資本の「魔力」が前景化してきた状態である。このような「力」は、ホッブズが「リヴァイアサン」と呼び、マルクスが「物神」と呼んだような、人間と人間の交換から生じた観念的な力である。いずれも、人間が考案したようなものではない。だから、思い通りにコントロールすることも、廃棄することもできない。 かつてマルクス主義者は、国家の力によって資本物神を抑え込めば、まもなく国家も消滅するだろう、と考えた。ところがそうはいかなかった。結局、国家が強化されたばかりか、資本も存続する結果に終わったのである。以来、マルクス主義も否認され、国家・資本は人間が好んで採用したものであり、今後も適切な舵取りさえすれば人間を利する、と信じられてきた。 |
現実に、資本も国家も暴威を振るっているのに、人びとは、自分たちの力で何とかできるものだと信じ続けている。そして、AIの発展によって、また宇宙開発のような新奇なビジネスによって、世界を変えることができる、というような「生産様式論」に終始している。しかし、生産様式が変わっても、国家も資本も消えない。現に、今世界戦争が起こっている。私がこのことを予感したのは、ソ連邦崩壊後であった。その時期、「歴史の終焉」が語られたが、私は異議を唱え、二〇世紀の末に「交換様式論」を提起した。『帝国の構造』は、そこから国家の力を解明したものである。 |
AIは世界戦争で今後ますます活躍するだろうがね、ドローンだけでなく殺人ロボット等で。 より一般論として、しばしば掲げている一連の古井由吉を再掲しておくがね、なにはともあれペシミズムが肝腎だ。 |
このまま右肩上がりを前提にし続ければ、意外に人類の滅亡は早いんじゃないでしょうか。 もはや、滅亡をどう先送りするかという地点にまで来てしまったのではないでしょうか。〔・・・〕 国民の人心を考えると、しっかりしたペシミズムを持つことが大事だと思います。ペシミズムは普通、人を弱らせるように見られます。しかし、節度を持ってしっかり踏まえれば、かえって活力が出るぐらいに私は思っているんです。(古井由吉「新潮 45」2012 年 1 月号 片山杜秀との対談) |
|
近代の資本主義至上主義、あるいはリベラリズム、あるいは科学技術主義、これが限界期に入っていると思うんです。五年先か十年先か知りませんよ。僕はもういないんじゃないかと思いますけど。あらゆる意味の世界的な大恐慌が起こるんじゃないか。 その頃に壮年になった人間たちは大変だと思う。同時にそのとき、文学がよみがえるかもしれません。僕なんかの年だと、ずるいこと言うようだけど、逃げ切ったんですよ。だけど、子供や孫を見ていると不憫になることがある。後々、今の年寄りを恨むだろうな。(古井由吉「すばる」2015年9月号) |
|
しかし現在の苦境は、我が国ばかりでなく世界全体がひとつの限界域に、展開の限界に踏 み入りつつあるところから、来るのではないか。〔・・・〕 あくまでも一旦の限界であり、終末を思うにはあたらないのだろう。ここを克服すればその先に地平が開くと考えられる。しかしまた、この苦境は、いずれ春になれば、というような風にしては、しのげないもののようだ。(古井由吉『楽天の日々』「節を分ける時」2017年) |
変化に変化を重ねてきたそのあげくの、この現在の世界的な行き詰まりではないのか。何をなしてきたか、来し方を問い返すべき時ではないか。〔・・・〕 未来像という言葉にも私は疑問を抱く。その言葉で以ってたいていは、輝しき未来、豊かな未来を思い浮かべるのが、もう何十年来の人の習い性となっている。いま提示されるべき未来は、節度と抑制、そして市場からかろうじて自己を取り戻す未来のはずだ。かならずしも人好きのする未来ではない。 (古井由吉『楽天の日々』「六十五年目」、2017年) |