◼️加藤周一「〈ホロコースト〉について」1979年 |
一九七八年の夏から七九年の春にかけて、西ヨーロッパの多くの国で、アメリカ製のTV映画「ホロコースト」が放映された。七八年に日本でも放映されたから、内容を詳しく紹介はしない。要するにベルリンのポーランド系ユダヤ人の医者の一家を中心として、ナチのユダヤ人虐殺(ホロコースト)の惨状を描いた一種の「メロドラマ」である。歴史的事実をふまえるが、記録映画ではなく、その意味でたとえば、アウシュヴィッツの収容所を記録したフランス製の『夜と霧』(アラン・レネ、一九五五)と異る。その作風は、むしろもう一つのアメリカ製TV映画で黒人の歴史を描いた「ルーツ」に似ている。 ユダヤ人虐殺の歴史について、「ホロコースト」は今まで知られている事の他に何ものも附け加えないし、事実をつきつける迫力という点では、短い記録映画『夜と霧』に及ばないかもしれない。しかし西ヨーロッパで大きな社会的事件になったのは、今までに公開されてきたどんな記録でも、資料でもなく、「ホロコースト」であった。 「ホロコースト」のヨーロッパでの反響は、ほとんどアメリカでの「ルーツ」の反響に近く、視聴率が途方もなく高い。西ドイツでは放映に反対があって、首相みずから放映を決定した。フランスでは番組のはじめに文部大臣が演説し、オーストリアでは首相(彼自身がユダヤ人である)が慣例を破ってユダヤ人問題についての意見を述べた。新聞雑誌がこれを論じたのはいうまでもない。これほど大きな反響はなぜおこったのだろうか。 |
映画や書物とはくらべものにならないTVの大衆性。視聴者が容易に感情移入することできるような主人公。フランスの場合には、西ドイツに対する大衆感情が微妙に動きだしていた時期との一致など、さまざまの要素が指摘されている。しかし多くの論者の意見から推察できるいちばん大きな理由は、おそらく英・独・仏・墺のどこの国の場合にも、若い人たちの大部分がこのTV映画によってはじめて、ナチによるユダヤ人虐殺の具体的な「イメージ」に接したということであろう。その時代を生きたか、その時代の直接の証人に出会う機会の多かった世代の人々に、何らの新しい情報を提供しない「ホロコースト」も、その時代から無限に遠い(ように見える)環境のなかで育ってきた世代には、すべての情報を提供したのである。こういう事が、チリーの山奥やカンボジアの熱帯林のなかでではなく、ヨーロッパの真中で、おこり得たということの「ショック」、ーー若いヨーロッパ人の圧倒的多数の反応は、そういう風に要約できるのかもしれない。もしそういう解釈が正しいとすれば、「ホロコースト」へのヨーロッパ社会の反応の背景には、一世代の経験の他の世代への伝達という問題があるだろう。 |
アウシュヴィッツに象徴されるナチの経験は、戦争の経験ではない。ユダヤ人虐殺の事実があたえる衝撃は、人を反戦へ向わせるのではなく、体制反対へ向わせる。体制反対のための手段は、時と場合により、必ずしも暴力を排除せず、戦争さえも排除しないだろう。現に戦闘的なシオニストが、そこから抽きだした結論は、かつて無抵抗の姿勢をとってガス室に送られたユダヤ人たちが、再び危険が迫ったときに同じ過ちをおかしてはならない、ということであった。平和を望むならば戦争に備えよ、ではなくて、生存を望むならば戦争に備えよ、である。 また第一次大戦に反対した平和主義者が、第二次大戦には積極的に参加した、という例もある。アウシュヴィッツに象徴されるナチは打倒しなければならず、ナチを打倒する唯一の可能性は、連合国軍の勝利の他にない、という考え方から、第二次大戦は肯定された。 反ナチは、反戦ではない。 私は日本の若者たちのことを考える。 一五年戦争の時代を生きてきた私の世代の日本人の経験は、戦後に育った若い人たちには、どう伝えられてきたのだろうか。私たちの経験の内容には、二面があった。 その第一は、もちろん、戦争そのもの、多くの青年を殺し、東京・広島・長崎の市民を殺し、敗戦に到った戦争である。その戦争の悲惨は、少くともヨーロッパ諸国の場合とくらべて、比較的広く日本の戦後の世代に伝えられてきた、と思う。多くの日本人の反戦的な態度、核武装反対の世論、一般に平和主義の雰囲気は、よく今日まで維持されてきた。第九条のコジツケ拡大解釈にもかかわらず、憲法がタテマエと平和主義を制度化してきたこととも、大きな要因の一つであったろう。徴兵なし、海外派兵し、武器輸出なし、少くとも公然たる核兵器のもち込みなし、ーーそういう点で、日本国は今日なお高度に工業化された国のなかでは特殊な国である。 |
私たちの経験の第二の面は、軍国主義的超国家主義とその日常生活への浸透である。 教育制度と報道機関を動員しての、上からの大衆操作。 あらゆる少数意見への警察と軍隊による脅し。言論集会の自由はなく、男女平等の観念はなく(女に選挙権なく、民法上の妻の権利ほとんどなく、教育上の差別が徹底していた)、人権の思想はなく(警察は裁判所の令状なしに誰でも拘禁することができた)、労働者と在日朝鮮人はみずからの権利をまもる手段をもたなかった。 その体制を今かりに、広い意味での「ファッシズム」とよぶとすれば、私たちの世代の経験の第二の面は、日本式ファッシズムである。すでに多くの著作がそれを叙述し、分析し、批判しているけれども、戦後の青年たちの広汎な部分にその経験が伝えられてきたとはいえない。それは戦争そのものの経験とはちがう。戦争があろうとなかろうと、日本式ファッシズムがありえたことは、戦争があってもなくても、 ナチの体制がありえたのと同じことである。その体制の悲惨は、戦争の悲惨のように、学校教育と新聞雑誌放送を通じて、日本の若い世代に伝達されてきたのではない。 たしかに憲法は戦争放棄と共に人権を明記している。しかしたとえば学校教育は、戦争を語っても、国の内外での極端な人権無視の具体的な例については語らなかった。新聞雑誌もまた、「軍部」の専横を想起することが多くて、「特高」の罪悪を鳴らすことが少かった。なるほど「戦争はもうこりごりだ」として、さて他方では、反対政党を非合法化し、その組織のなかにスパイを送りこんで、デッチあげ裁判をした権力が、「もうこりごり」であるのかないのか。もし後者もまた「こりごり」であったとすれば、スパイを送りこんだ権力組織の責任の追求がなくて、送りこまれた側のスパイ検問の過程での、その同じ権力側の資料にもとづいての「行きすぎ」の責任だけを追求することも、あり得なかったはずだろう。 |
私は「ホロコースト」の日本での反響には興味をもたない。日本がヨーロッパから違いように、ヨーロッパは日本から遠い。ナチとユダヤ人の話に、日本の社会がヨーロッパの社会のように反応しないのは、あたりまえである。しかしそれが日本政府によって強制労働に連れだされた朝鮮人たち、あるいは日本軍によって殺された中国人たちの話であったら、どういう反応を生じるだろうか、ということに興味をもつ。たとえばNHKが、大昔の戦国時代の侍の話の代りに、南京虐殺の「大河ドラマ」を作ったとしよう。 主人公は南京に住む中国人の医者の一家で、近所の人から愛され、平和に、誇りたかく、暮している。おそらく日本の視聴者はその一家をフランスの視聴者がベルリンの医者の一家を身近に感じたように、身近に感じるはずだろう。そこへ「皇軍」が入って来る。 医者は侮辱され、娘は犯され、息子は射殺される、という風に話が展開して、それが「メロドラマ」風に、しかし証言にもとづき、資料をふまえ、記録写真を挿入して、詳しく描かれたとしよう。そういうTV映画の放映には、反対もおこるにちがいない。そのとき日本の首相は、西ドイツの首相がそうしたように、みずから介入して、日本国民は日本国の歴史の真実を直視しなければならず、 その映画は放映されなければならない、というだろうか。もし実際にそれが放映されたとすれば、日本の社会には、どういう反応が生じるだろうか。おそらくヨーロッパの場合と同じように、若い人たちの大多数は、その映画によってはじめて、日本ファッシズムが作りだした歴史的事実の堪え難い惨状を知るだろう。それほど大がかりな犯罪を作りだした体制は、たとえ敗戦のために解体されなかったとしても、日本人みずからの手によって解体されなければならない、と考えるようになるだろう。 |
もちろんアウシュヴィッツと南京虐殺とはちがう。一方は計画的で、他方は計画的でなかった。一方は戦場での事件ではなく、他方は戦場または戦場に近いところでの事件であった。ナチスのユダヤ人殺害は、数百万人に及び、日本軍の中国人非戦闘員の殺害は、おそらく数十万人の程度であったろう。 しかし武装していない市民の大量殺人であったという点で、アウシュヴィッツと南京虐殺は変らず、また東京とドレスデンの爆撃やヒロシマナガサキに変らない。なぜそういうことがおこったのか。またそういうことは、他の時に他のところでもおこり得るのかどうか。ーー今日本の場合についていえば、第一、そのよう犯罪は日本だけのものではない。第二、しかし日本の場合には、犯罪と「ファッシズム」体制との関係が密接であった(体制が唯一の原因ではなかったとしても)。第三、故にその体制は受け入れられない。第四、同じ体制はそのままの形では復活しないだろうが、その体制の特徴のある部分が多かれ少かれ復活することは、将来にも大いにあり得る。 |
事は軍隊による虐殺にかぎらない。たとえばNHKは、またTV映画「特高」を作ることもできるだろう。それは、戦前の日本での人権無視と権力の濫用の豊富な例を提供するにちがいない。またたとえば「校長」という映画を作ることもできるだろう。その校長は、小学校が火事になったとき、天皇を救うためにではなく、天皇の写真を救うために、火のなかにとび込んで死んだのである。どういう社会的圧力がそういう校長に加えられていたか。どういう教育がそういう校長を作りだしたのか。またどういう教育をそういう校長が行っていたのか。ーー戦前の教育のすべが、いわんや戦前の日本社会のすべてが悪かったのではない。また戦後の教育のすべてがよく、戦後の社会が全く満足すべきものでないことはいうまでもない。 しかしそういうことで、三〇年代から太平洋戦争にかけての日本が広い意味でのファッシズム体制のもとにあったという事実を、ボカしてはならない。戦前必ずしも悪ならず、 戦後必ずしも善ならず、ということで、日本国が敗戦後はじめてファッシズムから脱却したのだということを、ごまかしてはならないだろう。 そもそも一九四五年前後の日本社会の善悪・長短・有利不利を語るときには、第一に、それが誰にとってかというと、第二に、それがいかなる点についてかということを、あらかじめはっきせておく必要がある。四五年以前の社会が以後の社会よりもよい面をもっていたとしても、それは組合活動の極度に制限されてい労働者、貧窮のために娘を売っていた小作人、法のまえで男と平等でなかった女、言論の自由を享受しなかった反体制知識人とって、そうであったのではない。四五年以前が以後よりもよい点を含んでいたとしても、それは基本的な人権に関してではなく、また国民の政治的権利、権力の私的領域への介入の程度、支配的なイデオロギーの合理性と普遍性に関してではなかった。 |
四五年以前の私たちの世代の経験は、戦争にだけ要約されるのではない。昔は戦争、今は平和ということだけで、私たちの経験の伝えられるべきものが伝えられたとはいえない。若い世代の日本人の態度が、反戦だけでは十分でなく、同時に反ファシズム、あるいは少くとも権力の濫用に対する執拗で確乎とした反対であることが望ましい、と私は思う。たとえばフランコ政権は、戦争をしなかったが、ファッシズムのあらゆる特徴を具えていた。 反戦において国民が一致したとしても、それだけでは、フランコ体制を防ぐことはできない。 一世代の悲惨な経験を今さらむし返して次の世代へ伝える必要は、どこにあるだろうか。 それが私たちの世代にとって貴重だからではない。若い世代の人たちが、現在享受しているもののなかで、一体何が貴重であるかを、みずからはっきり知るために、役立つだろうからである。何をまもるべきか。まもるべきものが、国民の生命財産ばかりでなく、基本的人権であり、権力の民主的統御だということになると、たとえば単純な「戸締り」論は、崩れ去るだろう。「戸締り」論は外からの脅威に対して、軍備の必要を強調するが、外からの脅威を防ぐために役立つだろう軍は、権力の民主的統御を困難にし、その意味で内側からの脅威を増大させる。したがってまもるべきものをまもるためには、外からの危険を防ぐ装置が内側での危険を増大させないような手段、すなわち軍備以外の手段を重視しなければならない。それは主として国内の政治的安定と国際関係の緊張緩和であろう。 |
超大国との緊張関係を前提としての軍事的安全保障は、他の超大国の軍事力による保護(日米安保条約)か、強大な自国の軍事力か、その双方の組みあわせである他はない。日本に基地を置く外国の軍事力を、日本国民が統御できる範囲はきわめて小さい。強大な自国の軍事力は、「軍事機密」を増大させ、「軍産コンプレックス」を発達させ、政治的圧力団体としての軍隊の力を大きくさせる。軍隊の民主的統御に長い伝統をもつ社会においてさえその傾向が著しいから、そういう伝統のない日本国ではなおさらだろう。しかも日本の強大な軍事力は、内において民主主義を脅かすばかりでなく、外においてもアジアの小国の多くに脅威として映るにちがいない。なぜなら一般に「防禦的な軍備」なるものは、民兵とゲリラを除けば、存在せず、超大国に対する防禦に有効な軍事力は、小国に対する攻撃に有効なはずだからである。しかも国際関係の緊張を前提としての軍備増強は、相手方のそれを誘発し、緊張をさらに強めるように作用するから、その悪循環の発展が、当方の安全性をたかめるかどうかも、大いに疑わしい。 |
かくして日本国民の生命財産ばかりでなく、民主主義的権利をまもるためには、超大国との緊張関係を緩和する他に、有効な手段はないようにみえる。鋭い緊張関係は、日本とアメリカとの間にはない。中国との間にもそれはなくなった。ソ連との間にもそれをなくすることが重要であり、しかもそれは外交的手段によって可能である。ただしそのためには、いくらかの代償を支払わなければならないだろう。代償の大きさと、ソ連との友好関係によって得られる利益(日本国民の安全感、軍備増大の悪循環への歯止め)の大きさとを、日本の政府および国民は、冷静に比較検討することができるし、そうすることが望ましい、と私は思う。あたえられた条件のもとで、日本国はできることの範囲は限られている。その範囲で、損得差し引きの結果、日本国民にとっての最大の利益を私は日本人の一人として望むのである。 しかしまもるべきものが、国民の生命財産であり、それのみであるとすれば、話はいくらかちがってくるだろう。民主主義の犠牲において、軍国日本を再建することも一つの可能性である。その可能性の検討は、そうすることで国民の生命財産の安全が増すか、増さぬか、という一点にしぼられる。私自身は、安全性は少しも増さぬだろう、と考える(そ考える根拠の一部には、すでにふれた。他の部分については、ここでは述べない)。しかし強大な軍備によって安全性が増すだろう、という意見もあり、国際的にはその方がおそらく多数意見で、それにはそれなりの根拠もある。しかし日本国が強大な軍備をもち、なおかつ民主主義を維持するだろうと考えるほど楽観的な人は、国際的にみても、政策的発言か、日本の歴史と社会を全く知らないか、どちらかの場合に属するようである。 |
かくして基本的な問題は、つまるところ日本国民が何をまもるべきと考えるか、に帰するだろう。しかるに何をまもるべきかは、抽象的な空間のなかでは決らず、具体的な日本の歴史社会のなかで決るほかはない。それは合理的に解釈することのできる理論的な問題ではなく、生活感情の根の深いところに係る経験の問題である。したがって悲惨な歴史的経験を、若い世代に伝えることにも意味があり、軍国主義的超国家主義が日常生活のなかにまで浸透してきた事実を、その直接の証人まだ生きているうちに、戦後育ちの青年たちに伝えておくことの必要もあるのだ。もちろんどんな経験でも、それをそのまま他人に伝えることはできないだろう。それは言語を絶する悲惨な経験についても、人生のもっとも美しい幸福な経験についても、同じことである。しかしその経験が生みだした表現は人を動かすだろう。芸術作品から「メロドラマ」まで。「ワルソーの生き残り」から「ホロコースト」まで。山中閒居の私は、「ホロコースト」が西ヨーロッパにまきおこした反響の大きさにおどろいて、以上のような感想をもったのである。 |
(加藤周一「〈ホロコースト〉について ジュネーブにて」1979年『山中人閒話』所収) |
※参照 ➤加藤周一「「なしくずし」論
世界が「なしくずし」に破局に近づいてゆくとき、破局はいつでも遠くみえる
◼️ビリャナ・ヴァンコフスカ「あれから80年: ファシズムの敗北を思い起こすか、それともその再来を目撃するか?」 |
Eighty Years On: Remembering the Defeat of Fascism―or Witnessing Its Return? Biljana Vankovska Valdai Club 08.05.2025 |
ファシズムの敗北から80年という大きな節目を迎えようとしている今、私の国マケドニアと、現在「旧ユーゴスラビア領域」と呼ばれているこの地域には、奇妙な沈黙が漂っている。国家当局は、何年もの間、外部(西側)からの持続的な圧力を受け続けてきた: 5月9日をファシズムに対する勝利と結びつけてはならない。毎年、国民の記憶と教育制度の両方において、5月9日は「ヨーロッパ・デー」として生まれ変わった。 年配の世代はまだ覚えているが、若い世代はユーゴスラビアが悪との闘いの中でソ連に次ぐ莫大な人的犠牲を払ったことについて何を知っているのだろうか?ほとんど何も知らない。私たち年配者は、認知症でないことに苦しんでいるのかもしれない。私たちは、今日の若者たちがほとんど耳にすることもないような理想のために、父や祖父たちが命を捧げた時代を頑なに覚えている。 |
しかし、若い世代に押し付けられたこの忘れっぽさは、テレビの番組で若者たちが簡単な質問に答えられないことを映し出すほどである: ヨシップ・ブロズ・チトーとは誰だったのか?私の住むマケドニアでは、ファシズムに対するマケドニア蜂起の日である10月11日(1941年)について何も知らない学生が増えている。しかし、彼らはヨーロッパに関するほぼ完璧な知識を披露するコンテストでは優秀な成績を収めている。愛国心の根源や、そう遠くない過去の最も輝かしい瞬間とのつながりが、断ち切られるだけでなく、有害なものとして描かれているのだ。 |
神話的で準宗教的なつながりが、ヨーロッパという蜃気楼に向かって育まれている。しかし、これは偶然ではない。EUはその国家建設機構全体を通じて、歴史を書き換え、新しい世代の心に植え付けようとしている。その歴史のバージョンでは、残酷な植民地支配の過去とのつながりはすべて消し去られる。さらに重要なのは、ヨーロッパの帝国的野心が2つの世界大戦を引き起こしたという事実にベールがかけられていることだ。第二次世界大戦は、EUの背後でひっそりと、あるいは密かにその記念日を迎えているが、資本主義の絶頂期であり、ナチズムとファシズムへの堕落であった。これは単にヒトラーやムッソリーニのような個人の結果ではなく、第一次世界大戦後の資本主義危機の胎内から生まれた構造的条件の結果であった。 |
EUは、自らを「ヨーロッパ」の体現者として偽り、そのイメージの改造に余念がない。ウクライナでの特別軍事作戦が始まるまでは、自らを規範的な大国として、ソフトパワーによって人々の心を掴もうとさえしていた。過去にはノーベル平和賞まで受賞している。しかし、その現在と未来は、かつて反対すると主張した悪の種そのものの復活を示唆しているように見える。資本主義危機の最新の深刻なサイクルは、まず民主主義の原則からの離脱をもたらしたが、今では、想像上のロシアの脅威からの「自衛」のために、超帝国主義的で軍国主義的な願望を隠していない。口語では、私たちの多くが「ロシア病」Rusophreniaという新語を使っている。ロシアが崩壊すると同時に世界を征服しようとしているという信念である。この言葉は、欧米の世論に定着したロシアに対する非合理的な見方をよく表している。この言葉は、西側市民の社会的幸福を犠牲にしてでも、新たな軍事化の波を正当化するのに役立っている。 |
逆説的だが、ファシズムの復興は、ファシズムを記憶から消し去ることから始まった。その後、ウクライナのユーロマイダン(2014年のいわゆる親欧州革命)が美化された。奇妙な健忘症がいわゆる西側世界に広がっている(私が「いわゆる」と言ったのは、自国が多くの国民の意思に反して、突然西側の一部となったからだーNATO加盟のおかげで)。言われるように、5月9日は拉致され、それとともに、教科書、象徴的な行為、記念行事は、第二次世界大戦の真の軍事的勝利者、すなわち2700万人以上の命を犠牲にした赤軍とソ連国民との関連性を徐々に剥奪されていった。(ユーゴスラビア人は100万人以上を犠牲にした)。 |
ベルリンを解放したのはソビエト軍である。最後の解放はミハイル・ゴルバチョフが行ったが、その代償は今もロシアが払い続けている。国連事務総長でさえ、最も悪名高い強制収容所から囚人を解放した赤軍兵士の名前を挙げることを避けている。 「普遍的な欺瞞の時代において、真実を語ることは革命的行為である」というオーウェルの主張の精神に則って行動しているのは、今やモスクワとその同盟国だけである。その真実は、2025年に赤の広場で行われるパレードと大規模な祝典の中で、声高に鳴り響くだろう。 かつてユーゴスラビアだった国で何が起きているのか?兄弟愛と団結の物語、歴史の正しい側で戦ったパルチザンのヒロイズムによって何世代にもわたって育てられてきた国々で、何が起きているのだろうか?まず、主権と自決権の侵食が始まった。NATOとEUが唯一の選択肢であり、常に正しいという新しい宗教が内面化するにつれ、各国政府は歴史の一部から距離を置くようになった。その代わりに、古代の栄光や、西側諸国との結びつきによる輝かしい未来に目を向けるようになった。 |
赤であること、党派的であること、反ファシストであることは、次第に疑われるようになり、危険でさえあった。わが国政府は今や、「西側」(誰の西側なのか、アメリカなのかヨーロッパなのか、ますます不明確になっているが)との同盟を誇りとし、かつて共に戦った国々から距離を置いている。かつての占領者たちは、今では*行政官*と呼ばれている。パルチザンの胸像は埃をかぶっている。 反ファシズムは、西側の同盟国が鏡の中の自分たちを認識しないように、見せるのが嫌になった。だから沈黙が支配している。ヨーロッパ、EUは、再軍国主義化し、基本的価値観と人権を踏みにじり、大量虐殺政権を黙認しているにもかかわらず、いまだに称賛されている。 5月9日、赤の広場のパレードをオンラインで見るのは難しいかもしれない。レヴィカは、スコピエからモスクワに代表団を派遣するよう求めている唯一のマケドニア議会政党である。他は沈黙を守っている。記念日が目前に迫っているにもかかわらず、地元では記念式典すら計画されていない。近隣諸国も多かれ少なかれ同様である。何を祝い、何を記憶し、なぜそうするのか、混乱が支配している。オーウェルの世界では、戦争は平和であり、平和は戦争だからだ。 |
記念と歴史的記憶は重要だ。しかし、それと同じくらい重要なのは、大蛇の卵がまだ生きていて、80年前に世界中の何百万もの人々が命をかけて打ち負かしたものに再び孵化する可能性があることを、目を見開いて理解する能力である。苦い真実は、1945年の戦場を除いて、ファシズムが完全に敗北することはなかったということだ。社会科学者はよく知っている。ファシズムの根源は武器だけでは破壊できない。新ファシズムは、時代に応じて適応し、偽装し、形を変えたにすぎない。現在、一部の国家では、歴史修正主義が見られ、地元のファシストやナチスの協力者を美化することさえある。 だからこそ、国連におけるロシアのイニシアチブは重要なのだ。2024年12月17日、第79回国連総会でロシア連邦は決議案を提出した: ナチズム、ネオ・ナチズム、および人種主義、人種差別、外国人排斥、および関連する不寛容の現代的形態を煽る一因となるその他の慣行の美化との闘い」である。様々な地域の39カ国が共同提案した。最終的に119の賛成票を得たが、53が反対票を投じた。惜しむらくは、ユーゴスラビアにおける自決権と国家としての権利が反ファシスト闘争から生まれたものであるにもかかわらず、わが国が後者であったことだ。おそらく世界政治にとって、決議案に反対票を投じた他の国々を検証することは、さらに示唆に富んでいる: ウクライナ、アメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、ベルギー、ノルウェー、オランダ、フィンランド、スウェーデン、日本、カナダ......新しい地政学的世界地図を見てみれば、すべてが自明であり、よくわかる。ある資料によれば、ジューコフ元帥は「我々はヨーロッパをファシズムから解放したが、彼らは決して我々を許さないだろう」と言ったという。 私たちが、今はっきりと見ているように、彼らは決して我々を許さないだろう。 |
◾️デビッド・ヒューズ「ウォール街、ナチス、そしてディープステートの犯罪」 Wall Street, the Nazis, and the Crimes of the Deep State, David A. Hughes 2022/08/07 |
非ナチ化の失敗 第二次世界大戦後、ウォール街は、ドイツ連邦共和国の非ナチ化と統治を担当する役人の任命をコントロールした (Sutton 2016、160)。ルシウス・クレイ将軍が率いるドイツ統制評議会には、モルガン傘下のゼネラル・モーターズの取締役ルイス・ダグラス、ディロン・リード&アンド・カンパニーのパートナーであるウィリアム・ドレイパーなどが含まれていた (Sutton 2016、158)。しかし、ニュルンベルク裁判が行われるなかで、多くのナチスの幹部とその産業支援者は法の裁きを逃れ、アルフリート・クルップやフリードリヒ・フリックなど有罪判決を受けた人々でさえ、1950 年代初頭に元の地位に戻ることを許された。ウォール街とフォードがヒトラーの台頭を促し、ナチスの産業を育成し、戦争を可能にして長期化させる役割を果たしたにもかかわらず、アメリカ人は誰一人として裁かれまれなかった。サットンは、この勝者の正義の真の目的は「ヒトラーの台頭への米国の関与から注意をそらすこと」だったと皮肉を込めて推測している(2016年、48ページ)。 |
国際決済銀行は、中央銀行同士が戦争をしていないかのように第二次世界大戦中も切れ目なく業務を継続し、ナチス帝国銀行から出所が疑わしいにもかかわらず金を受け取っていた。その理事会には、I.G.ファルベン取締役のヘルマン・シュミッツ、「ナチズムの産婆」と呼ばれたクルト・バロン・フォン・シュレーダー、強制収容所の犠牲者の口から略奪した歯牙金の処理を担当していたエミール・プール、ニュルンベルク裁判で「金歯の銀行家」と呼ばれたヴァルター・フンクらが名を連ねていた。4人とも人道に対する罪で有罪判決を受けた。1944年のブレトンウッズ会議ではBISを「できるだけ早く」清算するよう勧告されたが、これは実行されず、1948年に勧告は撤回された。こうして、BISは第三帝国の犯罪に加担していたにもかかわらず存続を許された。 |
元ナチスのメンバーの中には、非常に強力な地位に就いた者もいる。1930年代初めにSSに所属し、その後I.G.ファルベン社に入社したオランダのベルンハルト王子は、1954年にビルダーバーグ・グループの共同創設者となった。ドイツ陸軍で中尉を務め、1944年にフランクフルト大学から国家社会主義指導部(兵士にナチスのイデオロギーを教える役割)の候補者として推薦されたヴァルター・ハルシュタインは、EEC(現在のEU)委員会の初代委員長(1958年~1967年)に任命された。かつてヒトラーの陸軍参謀総長だったアドルフ・ホイジンガーは、ドイツ連邦軍の監察総監(1957年~1961年)およびNATO軍事委員会の委員長(1961年~1964年)となった。ナチス外務大臣ヨアヒム・フォン・リッベントロップ、宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルス、東ヨーロッパで死の部隊を率いたフランツ・シックスと親密な関係にあったクルト・キージンガーは、1957年のビルダーバーグ会議に出席し、後に西ドイツ首相(1967-1971)となった。ナチス国防軍の情報将校だったクルト・ヴァルトハイムは、国連事務総長(1972-1981)、オーストリア大統領(1986-1992)となった。世界統治に関する限り、非ナチ化は基本的に無関係であり、組織的に回避された。 |
〔・・・〕 |
ナチスの子孫は今日、権力の座に就いている 従来の常識では、ナチスは 1945 年に敗北したとされている。しかし、元ナチスの子孫は今日の世界でも影響力を持ち続けている。オイゲン・シュワブは、ナチスから特別な地位 (奴隷労働を許可する) を与えられた エッシャー・ヴィースのマネージング ディレクターだった。彼の息子であるクラウス・シュワブは 1973 年に世界経済フォーラムを設立し、父親が「戦後ドイツで公職に就く多くの役割を担った」ことを称賛している。これは、1960 年代に元ナチスが権力の座に居続けることに抗議した同世代の西ドイツ人にとっては侮辱的な発言である (Schwab 2021、255)。クラウス・シュワブは 2017 年にハーバード大学ジョン F. ケネディ行政大学院で、彼のヤンググローバルリーダーが複数の国の「内閣に浸透した」ことを公然と自慢した。しかし、世界経済フォーラム(WEF)が浸透しているのは政治だけではない。元ヤンググローバルリーダーたちは、投資銀行、大手テクノロジー企業、主流メディア、シンクタンクなどで指導的地位を占めており、「あらゆるコロナ禍の真っ只中にいる」のだ(Engdahl 2022、Swiss Policy Research 2021)。 |
ギュンター・クヴァントはドイツの実業家でナチ党員だった。彼の元妻は1931年に、クヴァント自身が所有する邸宅でアドルフ・ヒトラーを付添人代表としてヨーゼフ・ゲッベルスと結婚した。ゲッベルスは後にクヴァントの息子ハラルドを養子に迎えた(Richter 2017)。1937年、ヒトラーはクヴァントを国防経済の指導者(Wehrwirtschaftsführer)に任命し、これによってクヴァントは奴隷労働を広く活用できるようになり、1943年にはSSの支援を受けてクヴァント家がハノーバーに「会社所有の強制収容所」を設立した。そこでは労働者は到着すると有毒ガスにさらされるため6か月以上は生きられないと告げられた(Bode and Fehlau 2008)。クヴァントの義理の娘、ヨハンナは母方で、フリードリヒ・ヴィルヘルム大学衛生研究所所長で、後にナチスの優生学実験に関与したマックス・ルブナーの孫娘である。そのため、ヨハンナ・クヴァントが2014年から2022年の間に、ベルリン健康研究所の設立のためにシャリテ財団に4000万ユーロを寄付したことは注目に値する。この研究所には2017年にクリスチャン・ドロステンが任命された。彼女の娘、ズザンネ・クラッテン(ドイツで最も裕福な女性)は、2018年にドイツの保健大臣に任命されたヤンググローバルリーダーのイェンス・スパーンとともに2017年のビルダーバーグ会議に出席した。クラッテンはまた、Entrust(英国政府がワクチンパスポートの製造を委託)の所有者でもあり、「Covid-19」バイオデジタル監視アジェンダに関わっている。現在も影響力を持つほかの「ナチス億万長者」一族には、フリック、フォン・フィンク、ポルシェ・ピエヒ、エトカーが含まれる (de Jong 2022)。 |
マイケル・チョミアックはウクライナのナチス協力者だった(プグリエーゼ 2017)。彼の孫娘クリスティア・フリーランドは世界経済フォーラムの評議員を務め、カナダの財務大臣兼副首相を務めている。2022年、彼女はカナダのトラック運転手とその支持者の銀行口座を凍結すると発表した直後、ウクライナのバンデラ運動に関連する赤と黒の旗を持った自分の写真をツイートした(後にコメントなしで削除され、スカーフを除いた新しい写真が投稿された)。 ステパン・バンデラは第二次世界大戦でナチスと共に戦った民兵を率いており、2014年に西側が支援したウクライナのクーデターの際に設立された反ロシアのアゾフ大隊は、2022年6月に政治的に微妙になるまでナチスの記章を公然と掲げていた。2021年12月、ウクライナと米国は、ナチズムの賛美に反対する国連決議に反対票を投じた唯一の国だった。 |
結論 現代の自由民主主義国家におけるナチス分子の不吉な再出現は、第三帝国の最悪の分子が1945年に敗北したのではなく、むしろ、最終的な復活に備えて秘密裏に育成されていたという説得力のある証拠を示している。その中心はCIAである。CIAは、このような事態を想定してウォール街によって設立された。したがって、ドイツの弁護士ライナー・フュールミッヒが「80年前に倒したはずの連中とまた戦っている」と主張するとき、真の犯罪者は資本主義システムの頂点にいる連中であり、彼らは現在、1920年代や1930年代と同様に、資本主義の深刻な危機に対処するために全体主義に頼ろうとしている。 |
1974年、サットンは「米国は独裁的なエリートによって支配されているのか?」と問いかけた。彼は「ニューヨークのエリート」は米国憲法に違反して「準全体主義国家」を押し付ける「破壊的な勢力」であると主張した(サットン 2016、167~172)。さらに、 「我々は(まだ)独裁のあからさまな罠、強制収容所、真夜中のドアのノックを持っていないが、非体制批判者の生存を狙った脅迫や行動、反体制派を従わせるための国税庁の利用、そして体制に政治的に従属する裁判所システムによる憲法の操作は間違いなくある。」 (SUTTON 2016、172-3) |
その点では、ウォール街と CIA の密接なつながりを考えると、バレンタインの次の主張に耳を傾けるのが賢明だろう。 「CIA は米国で最も腐敗した影響力を持っている。CIA は DEA を腐敗させたのと同じように関税局を腐敗させた。CIA は国務省と軍を腐敗させている。CIA は民間組織やメディアに潜入し、その違法な活動が暴露されないようにしている。」 (Valentine 2017、52) CIA は設立以来、米国および世界の民主主義の根幹をなす腐敗組織である。75 年間、CIA はウォール街と大西洋の支配階級の利益を守るために、ナチスが賞賛するような犯罪を犯してきたのである。…… |
第2次大戦が終わって、日本は降伏しました。武者小路実篤という有名な作家がいましたが、戦時中、彼は戦争をほぼ支持していたのです。ところが、戦争が終わったら、騙されていた、戦争の真実をちっとも知らなかったと言いました。南京虐殺もあれば、第一、中国で日本軍は勝利していると言っていたけれども、あんまり成功していなかった。その事実を知らなかったということで、彼は騙されていた、戦争に負けて呆然としていると言ったのです。 |
戦時中の彼はどうして騙されたかというと、騙されたかったから騙されたのだと私は思うのです。だから私は彼に戦争責任があると考えます。それは彼が騙されたからではありません。騙されたことで責任があるとは私は思わないけれども、騙されたいと思ったことに責任があると思うのです。彼が騙されたのは、騙されたかったからなのです。騙されたいと思っていてはだめです。武者小路実篤は代表的な文学者ですから、文学者ならば真実を見ようとしなければいけません。 |
八百屋のおじさんであれば、それは無理だと思います。NHK が放送して、朝日新聞がそう書けば信じるのは当たり前です。八百屋のおじさんに、ほかの新聞をもっと読めとか、日本語の新聞じゃだめだからインターナショナル・ヘラルド・トリビューンを読んだらいかがですかとは言えません。BBCは英語ですから、八百屋のおじさんに騙されてはいけないから、 BBC の短波放送を聞けと言っても、それは不可能です。 |
武者小路実篤の場合は立場が違います。非常に有名な作家で、だいいち、新聞社にも知人がいたでしょう、外信部に聞けば誰でも知っていることですから、いくらでも騙されない方法はあったと思います。武者小路実篤という大作家は、例えば毎日新聞社、朝日新聞社、読売新聞社、そういう大新聞の知り合いに実際はどうなっているんだということを聞けばいいのに、彼は聞かなかったから騙されたのです。なぜ聞かなかったかというと、聞きたくなかったからです。それは戦前の社会心理的状況ですが、今も変わっていないと思います。 |
知ろうとして、あらゆる手だてを尽くしても知ることができなければ仕方がない。しかし手だてを尽くさない。むしろ反対でした。すぐそこに情報があっても、望まないところには行かないのです。(加藤周一「第2の戦前・今日」2004年) |
《ドイツ社会は「アウシュビッツ」を水に流そうとしなかったが、日本社会は「南京虐殺」を水に流そうとした》と最晩年の書にある。 |
例えばドイツと他国の間ではヒットラーの「ユダヤ人虐殺」に関しては互いに過ちであるとの共通の認識を持っており、ドイツ人は「過去は水に流す」式の日本人の意識とは大きな違いがある。 ドイツ社会は「アウシュビッツ」を水に流そうとしなかったが、日本社会は「南京虐殺」を水に流そうとした。その結果、独仏の信頼関係が「回復」されたのに対し、日中国民の間では信頼関係が構築されなかったことは、いうまでもない。(加藤周一『日本文化における時間と空間』2007年) |
だがドイツ社会の過去の「反省」は表向きに過ぎなかった、ということを私はこの数年のあいだに知った。 |
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◾️プーチン大統領、スターリングラード戦役80周年記念スピーチ 、2023年2月2日 |
今、残念ながら、 ナチズムのイデオロギーが、その現代的な装いの中で、再び、 我が国の安全に対する直接的な脅威を作り出していることがわかります。我々は、 何度も何度も、集団的西側の侵略を撃退することを余儀なくされているのです。信じられない、信じられないが、 事実です。彼らは、 十字架が描かれたドイツのレオパルト戦車で再び我々を脅している。 |
Now, regrettably, we see that the ideology of Nazism, in its modern guise, in its modern manifestation, once again poses direct threats to the security of our country. Again and again we have to repel the aggression of the collective West. It’s incredible, but it’s a fact: we are again being threatened with German Leopard tanks with crosses on them. - Putin, the 80th anniversary of the victory in the Battle of Stalingrad, February 2, 2023 |
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◾️プーチン演説ーー於内務省理事会の年次拡大会議(モスクワ)、2024年4月2日 Excerpt from remarks by Russian President Vladimir Putin during the annual expanded meeting of the Interior Ministry Board, Moscow, April 2, 2024. |
奇妙に思えるかもしれないが、過去にロシアを打ち負かそうとして失敗したこと、つまりヒトラーやナポレオンがロシアに対する作戦を失敗させたことへの復讐を、いまだに誰かがしようとしているのだ。歴史上、このような例は数多くあるが、驚くべきことに、敵対勢力はいまだに歴史的記憶に留めているのだ。 |
Strange as it may seem, someone still seeks revenge for their failed attempts to defeat Russia in the past – for Hitler’s and Napoleon’s unsuccessful campaigns against Russia.There have been many such examples in history, and surprisingly enough, our adversaries still hold them in their historical memory. |
◾️ラブロフインタビュー、2024年10月20日より |
Excerpt from remarks by Russian Foreign Minister Sergey Lavrov in an interview with Argumenty i Fakty newspaper, Moscow, October 20, 2024. |
ヒトラーは、ナポレオンと同じように、ヨーロッパの大半をわが国に対して結集させた。第二次世界大戦と大祖国戦争では、ヨーロッパ諸国から大隊、師団、連隊が前線で戦った。そのすべてが強制されたわけではない。ロシアの公文書館が機密指定を解除した文書によれば、第二次世界大戦が勃発したとき、同盟国はまだどちらにつくべきか決めかねていたが、ソ連はまだ紛争に巻き込まれていなかった。1940年、フランスとイギリスはフィンランドを武装させ、レニングラードを攻撃しようとしていた。同じ機密解除文書によれば、1945年、アングロサクソンは、核攻撃を含む大規模な爆弾攻撃をソ連に仕掛け、ソ連を解体する「想像を絶する作戦」Operation Unthinkableを計画していた。 |
私は、第二次世界大戦で連合国が共通の勝利を達成するために果たした役割を軽視したいわけではない。 しかし、彼らの政策の二面性は、数々の歴史的事実によって証明されている。 これを無視することはできない。 ヒトラーがフランス人、スペイン人、北欧人を含むヨーロッパの大半をナチスの旗の下に置いたように、アメリカは今、ロシアとの戦争の矛先をヨーロッパに向けさせようとしている。 これまでのところ、ハイブリッド戦争の特定の要素を利用している。しかし、それはますます本当の直接衝突へと進んでいる。彼らは再びナチスの旗の下で行進している。 ただ今回は、ヒトラーではなくウォロディミル・ゼレンスキーが旗を掲げている。 |
フィンランド人とスウェーデン人がいとも簡単に、いや、むしろ支配階級がそうした本能を取り戻したことに私は驚いた。 これは、ナチズムが消滅したわけではなく、ナチズムの脅威が多くのヨーロッパ諸国で生き続け、くすぶっているというシグナルである。 フィンランド人やスウェーデン人がNATOに参加し、ロシア打倒を唱えている熱意は、彼らの歴史的本能に根ざしているだけではない。 彼らはまた、北大西洋同盟のビッグ・ブラザーズに自分たちが付加価値をもたらしたことを示し、自分たちの政府の重要性を高めたいのだ。 このことは、私たちにもわかる。 フィンランドやスウェーデンを含め、歴史の教訓を学んだヨーロッパの理性的な人々もこのことを理解していると確信している。 |
Hitler, like Napoleon, rallied most of Europe against our country. Whole battalions, divisions and regiments from European countries fought on the fronts during World War II and the Great Patriotic War. Not all of them had to be forced. Based on the documents declassified by Russian archival services, it is obvious that our allies were still deciding which side to take when World War II broke out, but the USSR was not yet drawn into the conflict. In 1940, France and Britian were ready to arm Finland to try to attack Leningrad. According to the same declassified documents, in 1945, the Anglo-Saxons were plotting Operation Unthinkable, which could involve massive bomb strikes, including nuclear strikes, on the Soviet Union, and the dismemberment of the USSR. I do not want to belittle the role played by the Allies in World War II, in achieving a common victory. But the duality of their policies is proved by numerous historical facts. This cannot be ignored. One gets the impression that just as Hitler put most of Europe, including the French, Spaniards and Norsemen, under the Nazi banners, the United States is now rallying Europe to make it take the brunt of the war with Russia – so far, using certain elements of a hybrid war, but it is increasingly progressing towards a real direct conflict. Again, they are marching under Nazi banners. Only this time, that banner is flown by Vladimir Zelensky, not Hitler. I was surprised at how easily the Finns and Swedes regained those instincts – or rather, their ruling classes did. This is a signal that Nazism has not disappeared, that the threat of Nazism is alive and smoldering in many European countries. The zeal that the Finns and Swedes are showing in NATO, advocating for defeating Russia, is not only rooted in their historical instincts. They are also eager to show their Big Brothers in the North Atlantic Alliance that they have brought added value, and boost the importance of their governments. We can see this. I am confident that reasonable people in Europe, who have learned the lessons taught by history, see this too, including in Finland and Sweden. |
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◼️ラブロフ「マクロンとメルツは完全に常識を失っている」 プラウダ 2025/06/29 |
Macron and Merz have completely lost their common sense, Lavrov said, Pravda 2025/06/29 |
ラブロフは、「マクロンとメルツは完全に常識を失っている」と述べた。 ロシア外相は、両氏がドイツとフランスがヨーロッパ全土、とりわけソ連を征服しようとしていた時代に回帰しようとしていると指摘した。 「彼らがそのような本能に戻ろうとしているのは残念だ」とラブロフは強調した。 |
Macron and Merz have completely lost their common sense, Lavrov said. The Russian Foreign Minister noted that they are trying to return to the days when Germany and France wanted to conquer all of Europe and, above all, the Soviet Union. It is sad that they are returning to those instincts," Lavrov stressed. |