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2025年9月19日金曜日

大日本国防婦人会の割烹着ファッショの「美」

 


動画

いやあ、実に「美しい」な、この割烹着ファッションの女たちの集団は。



「献身報告大会」となっているが、この割烹着ファッショの女たちの集団の正式名称は「大日本国防婦人会」のようだね、


大日本国防婦人会

 昭和7年(1932)10月24日、軍部の総力戦体制・国防国家体制作りに全面的に協力する趣旨で設立された我が国最初のファッショ(イタリア語で「束」「集団」を意味)的婦人団体。前身は大阪国防婦人会である。軍事援護事業だけでなく「伝統的日本婦徳の鼓吹」をスローガンに大衆婦人の精神教化に威力を発揮し、軍部を背景として家庭婦人や労働婦人の組織となった。同12年の日中戦争開始後は、銃後後援強化活動・消費節約廃品回収運動・毛布献納運動などを出征軍人歓送迎事業と共に精力的に展開した。

 本県では同9年頃から市町村単位で結成したが、同17年に愛国婦人会・大日本連合婦人会と共に大日本婦人会への統合で解散した。


<参考>

・国史大辞典編集委員会編『國史大辞典』第8巻,吉川弘文館,1987

・HP「富山大百科事典 電子版(平成27年9月25日アクセス)






婦人会活動

戦場での兵士たちの戦いに対して、それを支える国民の日常は「銃後」と呼ばれたが、女性は地域における「銃後の守り」の中心的な戦力であることが求められた。女性団体は「銃後」活動を幅広く展開して、多数の女性を組織化していった。日露戦争前から軍事援護活動をしていた愛国婦人会(愛婦)は中上流婦人が中心で広がりに欠けていたのに対し、満州事変後に発足した大日本国防婦人会(国婦)は、兵士の送迎や留守家族慰問などの活動をおこなったが、白の割烹着姿で家の外に出て活動することに喜びをみいだした庶民層の女性に会員を広げ、一九四一(昭和一六)年には一千万人の会員数を誇るまでに急成長した(『国防婦人会』)。愛国婦人会、大日本国防婦人会、大日本連合婦人会(連婦)の三団体は一九四二年二月に統合して大日本婦人会となり、大政翼賛会の傘下に入った。大日本婦人会は「婦徳」の啓蒙活動や遺家族慰問といった軍事援護活動にとどまらず、町内会・部落会の婦人部と一体となって、防空訓練や貯蓄奨励など「銃後の守り」と「戦時生活」全般にわたる統制と動員に力を発揮した。

 小平における婦人団体の活動は、一九三七年一一月に愛国婦人会小平分会が発会して、出征兵士遺家族の慰問活動をおこなっており(近現代編史料集③ No.三〇二)、一九四二年一二月には大日本婦人会小平支部が発会した(近現代編史料集③ No.三〇八)。



ああいった映像を見て最も重要なのは、誰でもひょんなことでああなりうるということをしっかり悟っておくことだ。



ファシズムは、理性的主体のなかにも宿ります。あなたのなかに、小さなヒトラーが息づいてはいないでしょうか?われわれにとって重要なことは、理性的であるか否かということよりも、少なくともファシストでないかどうかということなのです。(船木亨『ドゥルーズ』「はじめに」2016年)





女はみなファシストを讃える

Every woman adores a Fascist


ーーシルヴィア・プラス「お父ちゃん」 SYLVIA PLATH, Daddy, 1962



女たちだけではない。男女両性とも、自分は例外だ、と思わないことだ。


◼️クリス・ヘッジズ「イスラエルのジェノサイドはホロコーストを裏切る」

Chris Hedges: Israel's Genocide Betrays the Holocaust, January 3, 2024

我々は皆、ナチスになり得る。ほんの僅かなことでそうなる。

悪、我々自身の悪に対する絶え間ない警戒の中で、我々はガザで大量殺戮を行っている者たちのように、怪物になってしまう。

おそらく最も悲しいアイロニーは、かつてジェノサイドから保護される必要があった民族が、今やジェノサイドを犯しているということだ。

We can all become Nazis. It takes very little.

in eternal vigilance over evil, our evil, we become, like those carrying out the mass killing in Gaza, monsters.

Perhaps the saddest irony is that a people once in need of protection from genocide now commit it.


…………



わたくしには、人々に雷同する強い傾向があります。わたくしは生れつきごく影響されやすい、影響されすぎる性質で、とくに集団のことについてそうでございます。


もしいまわたくしの前で二十人ほどの若いドイツ人がナチスの歌を合唱しているとしたら、わたくしの魂の一部はたちまちナチスになることを、わたくしは知っております。これはとても大きな弱点でございます。けれどもわたくしはそういう人間でございます。生れつきの弱点と直接にたたかっても、何もならないと思います。

J’ai en moi un fort penchant grégaire. Je suis par disposition naturelle extrêmement influençable, influençable à l’excès, et surtout aux choses collectives.

Je sais que si j’avais devant moi en ce moment une vingtaine de jeunes Allemands chantant en chœur des chants nazis, une partie de mon âme deviendrait immédiatement nazie. C’est là une très grande faiblesse. Mais c’est ainsi que je suis. Je crois qu’il ne sert à rien de combattre directement les faiblesses naturelles.〔・・・〕

わたくしはカトリックの中に存在する教会への愛国心を恐れます。愛国心というのは地上の祖国に対するような感情という意味です。わたくしが恐れるのは、伝染によってそれに染まることを恐れるからです。教会にはそういう感情を起す価値がないと思うのではありません。 わたくしはそういう種類の感情を何も持ちたくないからです。持ちたくないという言葉は適当ではありません。すべてそういう種類の感情は、その対象が何であっても、いまわしいものであることをわたくしは知っております。それを感じております。

J’ai peur de ce patriotisme de l’Église qui existe dans les milieux catholiques. J’entends patriotisme au sens du sentiment qu’on accorde à une patrie terrestre. J’en ai peur parce que j’ai peur de le contracter par contagion. Non pas que l’Église me paraisse indigne d’inspirer un tel sentiment. Mais parce que je ne veux pour moi d’aucun sentiment de ce genre. Le mot vouloir est impropre. Je sais, je sens avec certitude que tout sentiment de ce genre, quel qu’en soit l’objet, est funeste pour moi.

(シモーヌ・ヴェイユ書簡--ペラン神父宛『神を待ちのぞむ Attente de Dieu』所収)



サビナは学生時代、寮に住んでいた。メーデーの日は全員が朝早くから行進の列をととのえる集会場に行かねばならなかった。欠席者がいないように、学生の役員たちは寮を徹底的にチェックした。そこでサビナはトイレにかくれ、みんながとっくに出ていってしまってから、自分の部屋にもどった。それまで一度も味わったことのない静けさであった。ただ遠くからパレードの音楽がきこえてきた。それは貝の中にかくれていると、遠くから敵の世界の海の音がきこえてくるようであった。


チェコを立ち去ってから二年後、ロシアの侵入の記念日にサビナはたまたまパリにいた。抗議のための集会が行なわれ、彼女はそれに参加するのを我慢することができなかった。フランスの若者たちがこぶしを上げ、ソビエト帝国主義反対のスローガンを叫んでいた。そのスローガンは彼女の気に入ったが、しかし、突然彼らと一緒にそれを叫ぶことができないことに気がつき驚いた。彼女はほんの二、三分で行進の中にいることがいたたまれなくなった。

サビナはそのことをフランスの友人に打ちあけた。彼らは驚いて、「じゃあ、君は自分の国が占領されたのに対して戦いたくないのかい?」と、いった。彼女は共産主義であろうと、ファシズムであろうと、すべての占領や侵略の後ろにより根本的で、より一般的な悪がかくされており、こぶしを上につき上げ、ユニゾンで区切って同じシラブルを叫ぶ人たちの行進の列が、その悪の姿を写している[pour elle, l'image de ce mal, c'étaient les cortèges de gens qui défilent en levant le bras et en criant les mêmes syllabes à l'unisson]といおうと思った。しかし、それを彼らに説明することができないだろうということは分かっていた。そこで困惑のうちに会話を他のテーマへと変えたのである。(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』1984年)