少し前、「中心の空洞に向けての祈りのみの身」でも暗示したが、蚊居肢子は実はタントラ信者なのである・・・
かくの如く私は聞いた。ある時、ブッダは一切如来の身語心の心髄である金剛妃たちの女陰に住しておられた[evaṃ mayā śrutam / ekasmin samaye bhagavān sarvatathāgatakāyavākcittahṛdayavajrayoṣidbhageṣu vijahāra ](『秘密集会タントラ』Guhyasamāja tantra) |
英訳)Thus was it heard by me, on occasion the bhagavān was dwelling in the vajra-women's bhagas, the matrix of the body, speech, and mind of all ones-gone-thus. |
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後期インド仏教の時代には、初期・中期の大乗経典に集約される思想を核とする既存の「大乗」とは別な発想およびそれに基づく実践内容(真言理趣, mantranaya)を表現した数多くのタントラ群が作成され続けた。このタントラを作成しその思想を鼓吹したグループの先端部分は、自らを「最勝の大乗である金剛乗(Vajrayāna)」と名乗り、それ以前・以外の「大乗」を「波羅蜜乗(Pāramitāyāna)」 「経部大乗」 「因乗」 「共の大乗(通大乗)」などと呼んでいる。(静春樹「金剛乗における複数のヴァジラパーニについて」2018年) |
自慢ではないが、日々(?)修行を積んでいるのである・・・
ヨーガとはサンスクリット語で「結合」「統御」を意味する。ヨーガの伝統には、大きく分けて古典的なヨーガと密教的なヨーガがある。歴史的には、中世になって、 西からの新興勢力、イスラームの影響が強まる中で、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教が、そろってタントリズム(密教)という新しい方法を発展させる。多少のリスクをおかしてでも、より早く解脱の境地に至れるように、身体的、とくに性的な行為をつうじて瞑想を加速させる方法が開発されていった。〔・・・〕 ハタ・ヨーガでは最下部、会陰のムーラーダーラチャクラにクンダリニーという蛇、ないしシャクティという女神によって象徴される[女]性的なエネルギーが眠っており、これを目覚めさせ、 スシュムナーに沿って頭頂まで引き上げることにより、解脱の境地に至る。 そのための身体技法がムドラーで、性的な方法が使用されることもあるため、秘密の方法とされた。ムドラー、つまり封印と呼ばれるのはそのためである。〔・・・〕 |
性的なエネルギーを上昇させ、昇華させ、性を聖に転化させるというのが、ハタ・ヨーガの基本的な考えである。それに対し、気功には、宇宙の気を吸い込んで眉間の上丹田に集め、それを下腹の下丹田に降ろしていくという呼吸法もあり、小周天という循環の回路も考えられている。一般にインド的な身体技法には、身体を超越するという 彼岸的発想が濃厚で、それに対し漢族的な身体技法には、循環によって身体のバランスをとるという現世的傾向が強い。(蛭川研究室「ヨーガと気功」) |
要するに、そのあたりのチョロい信者とはわけが違い、根源的オメガ信者なのである・・・
そもそもの原初のlogos はどの地域からどのようにして出てきたものなのか。それはインドの原始ヒンズー教(タントラ教)の女神 Kali Ma の「創造の言葉」のOm(オーム)から始まったのである。Kali Maが「創造の言葉」のOmを唱えることによって万物を創造したのである。しかし、Kali Maは自ら創造した万物を貪り食う、恐ろしい破壊の女神でもあった。それが「大いなる破壊の Om」のOmegaである。 Kali Maが創ったサンスクリットのアルファベットは、創造の文字Alpha (A)で始まり、破壊の文字Omega(Ω)で終わる. Omegaは原始ヒンズー教(タントラ教)の馬蹄形の女陰の門のΩである。もちろん、Kali Maは破壊の死のOmegaで終りにしたのではない。「生→死→再生」という永遠に生き続ける循環を宇宙原理、自然原理、女性原理と定めたのである。〔・・・〕 |
後のキリスト教の父権制社会になってからは、logosは原初の意味を失い、「創造の言葉」は「神の言葉(化肉)」として、キリスト教に取り込まれ、破壊のOmegaは取り除かれてしまった。その結果、現象としては確かめようのない死後を裁くキリスト教が、月女神の宗教に取って代わったのである。父権制社会のもとでのKali Maが、魔女ということになり、自分の夫、自分の子どもたちを貪り食う、恐ろしい破壊の相のOmegaとの関わりだけが強調されるようになった。しかし、原初のKali Maは、OmのAlpha からOmegaまでを司り、さらに再生の周期を司る偉大な月女神であった。 月女神Kali Maの本質は「創造→維持→破壊」の周期を司る三相一体(trinity)にある。月は夜空にあって、「新月→満月→旧月」の周期を繰り返している。これが宇宙原理である。自然原理、女性原理も「創造→維持→破壊」の三相一体に従っている。母性とは「処女→母親→老婆」の周期を繰り返すエネルギー(シャクティ)である。この三相一体の母権制社会の宗教思想は、紀元前8000年から7000年に、広い地域で受容されていたのであり、それがこの世の運命であると認識していたのだ。 |
三相一体の「破壊」とは、Kali Maが「時」を支配する神で、一方で「時」は生命を与えながら、他方で「時」は生命を貪り食べ、死に至らしめる。ケルトではMorrigan,ギリシアではMoerae、北欧ではNorns、ローマではFate、Uni、Juno、エジプトではMutで、三相一体に対応する女神名を有していた。そして、この三相体の真中の「維持」を司る女神が、月母神、大地母神、そして母親である。どの地域でも母親を真中に位置づけ、「処女→母親→老婆」に対応する三相一体の女神を立てていた。(「古代母権制社会研究の今日的視点 一 神話と語源からの思索・素描」松田義幸・江藤裕之、2007年、pdf) |
なお三点リーダー〔・・・〕を三連発したが、この意味は「笑い」だとしてもボードレール的な笑いである。 |
笑いは本質的に人間的なものであるから、本質的に矛盾したものだ、すなわち、笑いは無限な偉大さの徴であると同時に無限な悲惨さであって、人間が頭で知っている〈絶対的存在者〉との関連においてみれば無限の悲惨、動物たちとの関連においてみれば無限の偉大さということになる。この二つの無限の絶え間ない衝突からこそ、笑いが発する。 滑稽というものは、笑いの原動力は、笑う者の裡に存するのであり、笑いの対象の裡にあるのでは断じてない。ころんだ当人が、自分自身のころんだことを笑ったりは決してしない、もっとも、これが哲人である場合、自分をすみやかに二重化し、自らの自我の諸現象に局外の傍観者として立ち会う力を、習慣によって身につけた人間である場合は、話が別だが。 (ボードレール「笑いの本質について、および一般に造型芸術における滑稽について」阿部良雄訳) |
オワカリダロウカ? もしオワカリデナイ方がいらっしゃるようなら、 ➤「女の最も蠱惑の姿態」 |
➤「鎮守の森と樟のざわめき」
ーーを当面参照されたし。