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2015年12月11日金曜日

何云てやんでい。溝ッ蚊女郎!



このたぐいのドローン(無人攻撃機)にはあまり追いかけられたくないぜ
きみらの趣味はどうだい?

オレはむしろこっち系のほうがまだましだな




ところでこの蚊には蚊取線香がきくんだろうか
それとも溝ッ蚊女郎か恋女房の手助けが必要なんだろうか?

「今年はいつまでも、ほんとに暑いな。」と云った時お雪は「鳥渡しずかに。」と云いながらわたくしの額にとまった蚊を掌でおさえた。 

家の内の蚊は前よりも一層多くなったようで、人を刺す其針も鋭く太くなったらしい。お雪は懐紙でわたくしの額と自分の手についた血をふき、「こら。こんな。」と云って其紙を見せて円める。(永井荷風『 濹東綺譚 』)
窓口を覗いた素見客が、「よう、姉さん、御馳走さま。」 「一つあげよう。口をおあき。」 「青酸加里か。命が惜しいや。」 「文無しのくせに、聞いてあきれらア。」 「何云てやんでい。溝ッ蚊女郎。」と捨台詞で行き過るのを此方も負けて居ず、 「へッ。芥溜野郎。」 「はははは。」と後から来る素見客がまた笑って通り過ぎた。 (同上)

で、この世界において、細菌兵器を大々的に使わないままの戦争とはいつまでありうるんだろう?

例えば,テロリストが黙って大量かつ毒性の 強い炭疽菌を延べ1万人が買物をするデパート の通風孔より散布したとします。もしも診察し た医師が“炭疽菌によるテロ”を疑ってマスメ ディアを通して情報を流し,抗生物質投与を早 期より開始する場合と,最後のほうまでテロだ と気がつかない場合とでは,死亡数が10倍は 異なるでしょう。(「バイオテロの脅威」PDF)
仏議会は19日、パリ同時テロ後に出された非常事態宣言を3カ月間延長する法案の審議に入った。バルス首相は「あらゆるリスクに備えるべきだ。生物、化学兵器を使ったテロが起きる可能性もある」と述べ、治安維持に関する政府の権限を強化すべきだと訴えた。(パリ同時テロ=仏首相「生物兵器警戒を」

前回、次ぎの文を引用した。

コーランを無視すれば、たとえば CIA の特殊工作マニュアルと彼ら(テロリスト)はどこが違うのか。水洗トイレの詰まらせかたにいたるまで、日常生活をいかにかき乱すかを細かくニカラグアのコントラ反革命軍に指示した CIA のマニュアルは、まさに同じ種類のものではないか──違うとしたらせいぜい、もっと臆病ということだけなのでは?(ジジェク「現実界という砂漠にようこそ」)

イスラム国の連中だって、モスキート細菌兵器に脅えているのさ
アル=ヌスラ戦線の色男たちだって同じだろう




ジジェクの文章をもういくらか引用しておこう。もう15年近くまえのものである。

すぐに行動し報復するという衝撃に屈することはまさに、9月11日のできごとの真の次元に向かいあうのを避けることを意味する──だとしたらその行動の真の狙いは、ほんとうにはなにも変わっていないという確信にわれわれを引きずり込むことだ。真の長期的な脅威は、それと比べれば世界貿易センタービル崩壊の記憶も蒼ざめるような大規模テロがさ らに起こることだ──これほどスペクタクルでなく、しかしいっそう恐ろしいテロである。細菌戦はどうか、殺人ガスの使用はどうか、DNA テロ(ある種のゲノムを持つ人々だけを襲う毒の開発)はどうか
2001年9月の世界貿易センタービルの爆発と崩壊は、21世紀の戦争を指し示すというより、20世紀の戦争の最後のスペクタクルな叫びだった。われわれを待っているのは、もっとグロテスクなものだ。目に見えない攻撃による「非物質的」戦争の幻──どこにでもありどこにでもないウイルスや毒である、目に見える物質的な現実のレベルではなにも起きず、大きな爆発もないが、しかし、既知の宇宙は崩れだし、生は四散する……。(『現実界という砂漠にようこそ』)






次ぎの文はさらに古い。1997年のものだ。

このような「無頭の」知の範例的ケースは、(死の)欲動の「盲目的執拗性」を例証している現代科学によって提供されているのではないだろうか? 現代科学(微生物学や遺伝子操作や粒子物理学)はコストを度外視してその道を歩んでいる――満足はここで知それ自体によって提供されており、科学的知はいかなる倫理や公共の目的にも奉仕していない。

遺伝子操作や医学実験などについての適正な運営のルールを定めようとしている「倫理委員会」が近頃増えつつあるが、それらのすべての「倫理委員会」は、究極的には、内在的な限界付け(簡潔に言えば、科学的態度に内在的な倫理)を知らない科学の無尽蔵な欲動的-発展を再び刻み付けようとする必死の試みではないだろうか? 「倫理委員会」は人間の目的を制限し、科学に「人間の顔」という限界付けを与えようとしているのだ。(ジジェク「欲望:欲動=真理:知」)

いまさら戻るわけにはいかない。科学の「死の欲動」がそのうち思いがけない「成果」を生んでくれるだろう。

地球にとってもっともよいのは、三分の二の人間が死ぬような仕組みをゆっくりとつくることではないでしょうか。 (ジジェク『ジジェク、革命を語る』2013)

2015年12月10日木曜日

CIA 特殊工作マニュアル:「水洗トイレの詰まらせ方」

コーランを無視すれば、たとえば CIA の特殊工作マニュアルと彼ら(テロリスト)はどこが違うのか。水洗トイレの詰まらせかたにいたるまで、日常生活をいかにかき乱すかを細かくニカラグアのコントラ反革命軍に指示した CIA のマニュアルは、まさに同じ種類のものではないか──違うとしたらせいぜい、もっと臆病ということだけなのでは?(ジジェク「現実界の砂漠にようこそ」)

◆CIA のマニュアル(PDF)



たしかにこの「とてもわかりやすい」マニュアルのなかに「水洗トイレの詰まらせかた」の頁がある。





イスラム国もフセイン政権の元情報将校が裏にいるという話がある(フセイン自身が情報部出身だ)。

今年4月、ドイツのシュピーゲル誌に、ISの戦略を立案していたのはイラクの旧フセイン政権の元情報将校だった、という特集記事が出た。「ハジバクル」と呼ばれた元将校が2014年1月、シリア北部のタルリファトで自由シリア軍に家を襲撃されて殺害されたが、その自宅から31ページの機密文書を入手し、そこにISの戦略が記されていたという。

 同誌で紹介されている内容は、まず各地にイスラムを広める宗教センターを開き、そこに集まってくる人を使って、その土地の有力者や有力家族のメンバーや資金源などの情報を徹底的に収集し、イスラムの教えに反している行動などの弱みも押さえる。イスラムの有力者と近づき、時には脅したり、誘拐したり、暗殺したりして、地域を支配していく。そんな情報機関ならではの方法が詳述されていたという。

 この話はイラクの旧情報機関の地域支配のノウハウが、ISの地域支配として生きているということを示すとともに、そのディテールが興味深い。シュピーゲル誌の記事からは、イラク戦争後に米占領体制を失敗させるためにテロを始めた旧政権の治安情報機関メンバーが、いまISの中で支配地域を維持する役割を果たしているという流れが見える。
ただし、ISの情報機能を元フセイン体制の治安情報機関が担っていると言っても、ISを支配しているということは意味しない。情報機関にとっては国が民主制か、独裁制か、カリフ制か、は関係ないことである。ISにはカリフ制を唱えて、厳格なイスラム法に基づいて統治しようと考える支配的組織または集団がいて、元イラク情報機関のメンバーは、その支配的意思を実現するために、民衆や部族を支配する地域対策などで役割を担っていると考えるべきだろう。彼らは冷徹な現実主義者であり、イスラムの実現さえ信じてもいないかもしれない。

 ISはなぜ、残酷なイメージを誇張し、それをインターネットで発信するのか。あえて欧米を敵に回すような宣伝手法をとるのか。それもまた、ISの戦略であろう。90年代には米国による封じ込め策の下にありながら、度々米国を挑発し、緊張状態を作りながら、国内を引き締めた旧フセイン体制の常套手段が連想される。空爆だけで根絶されることはないという計算や、米欧が空爆に結束すればするほど、イスラム世界との亀裂が広がるとの計算もあるだろう。

 米欧にとってISとの戦いは、米国の無謀なイラク戦争が生んだ「反米過激派」という怪物との戦いであり、それを支える情報機関というフセイン体制の亡霊との戦いでもある。しかし、怪物や亡霊が暗躍するのは、イラクやシリアのスンニ派の民衆の怒りや絶望をエネルギーとしているからである。米欧やロシアの空爆の激化が、IS支配地域にいる民衆の絶望を深めることになれば、さらなる泥沼へと進むだけとなろう。(「イスラム国」を支える影の存在、川上泰徳

きっとyoutubeで西側諸国を脅かす仕方等のマニュアルがあるのだろう。


Haji Bakr

こういうことを記すと、すぐさま陰謀論云々といってくるヤツがいるので、先に書いておけば、歴史や政治とは陰謀論にみちみちている。たとえば蓮實重彦の『帝国の陰謀』を読んだらすぐさまそれがわかる(参照)。「能ある鷹は爪を隠す」というように、陰謀論にまったく思いを馳せない輩は、たんなる無能にほかならない。

というわけで、ここでなぜか、ジジェクの顔写真を「ハジバクル」と並べておこう。





ジジェクならもうすこし緻密なマニュアルを作るのではないか。


◆Conversations with Ziiek Slavoj Zizek and Glyn Daly より私訳( 邦題『ジジェク自身によるジジェク』)

大統領 president 選? いやまずは大統領職 presidency 選だよ、大統領選じゃない。私は5番目だった。負けたんだ。けれど気にしなかったね。政治のポストでは、文化政治のたぐいには全く興味がなかったからな。興味があった唯一のことはーー古い話だがジョークではないよーー、内務省の大臣か諜報部の長だった。馬鹿げてきこえるかい? でもどちらも真剣に考えたんだ。たぶん、望んだらどちらかのポストを得たはずだ。(……)

けれど、友人たちが何て言ったと思う? ーーすばらしい、完璧だ! ただ一週間前に言ってくれ、そうしたら国から逃げ出すから、と。

このアイデアは少し馬鹿げていたさ。でも真剣だったんだ。けれど私はすぐに分かった、それは24時間の仕事だと。…とすれば理論的なことを続けることはできない。そして理論をやめるのは私にはまったく無理だ。だからそれで事は終わったってわけさ。


ーースロベニアの大統領や諜報部長といっても、日本でいえば地方都市の長のようなものだ。あの国は、人口200万人ほどしかないのだから。





2015年12月9日水曜日

〈あなた〉のなかのアサド

……ひそかに「自分をお人よし」「いざという時にひるんで強く自己主張ができない」「誰それさんに対して勝てないところがある」ということを内々思っている人(……)。こういう劣等感意識を持っていて、しかも何とか「自分を張りたい」という人が「意地」になりやすい((中井久夫「意地の場について」『記憶の肖像』所収)




さてまたシリアがらみの話題だがあまり信用するなよな、
公開された備忘録ってとこだから。
杞憂だとは思うけど念のため書いておくよ

そもそもオレは、一年ほど前くらいまでは、
シーア派、スンニ派の違いさえ知らなかった人間でね
シャルリー・エブド事件のとき、ようやくいくらか調べてみただけさ
新聞や雑誌、テレヴィも見ない習慣でね
ネット情報は見ないわけではないがひどく偏りがあるはずだしな

皆さんにとってはひどく常識のことをことあたらしく記してんじゃないか
と怖れつつメモってんだからさ






というわけで、ハーフェズ・アル・アサド家族はアラウィー派でありーー アラウィー派が政権の座に着くことは、ユダヤ人がロシアの皇帝に、また不可触賤民がインドのマハラジャとなるに等しいとも形容された(Robert D. Kaplan)ーー、現大統領バシャール ・ アル ・ アサドとその美貌の妻アスマー・アル=アサド(砂漠の薔薇、中東のダイアナ妃)はスンニ派である、かつまたバシャールはロンドンで眼科医をしていた政治に関心のない控え目で穏やかなハーフェズの次男だったが、兄(長男)の自動車事故死によって、やむことなく政治の道に入った、ということを記そうと思ったのが、ーーだがこんなことをメモして何になるのか?

ヒトラーがユダヤ人をガスで殺したのは、第一次大戦の毒ガス負傷兵であった彼の、被害者が加害者となる例であるからだという推定もある。薬物中毒者だったヒトラーを戦争神経症者として再検討することは、彼を「理解を超えた悪魔」とするよりも科学的であると私は思う。「個々人ではなく戦争自体こそが犯罪学の対象となるべきである」(エランベルジェ)。(中井久夫 「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収)




耐え難いのは差異ではない。耐え難いのは、ある意味で差異がないことだ。サラエボには血に飢えたあやしげな「バルカン人」はいない。われわれ同様、あたりまえの市民がいるだけだ。この事実に十分目をとめたとたん、「われわれ」を「彼ら」から隔てる国境は、まったく恣意的なものであることが明らかになり、われわれは外部の観察者という安全な距離をあきらめざるをえなくなる。(ジジェク『快楽の転移』)

さてーー。
ここでまずは、捏造された疑問符のある文をーーいささか厚顔無恥にーー掲げよう。

バシャール ・ アル ・ アサドは兄、あるいは父に劣等感があったのではないか、そもそもアンタッチャブルに近い宗派とみなされたアラウィー派の者たちは、主流のスンニ派にどのような感情を持っていた(持っている)のか?




イスラムの原点への回帰を唱えたシリア生まれの思想家アフマド・イブン・タイミーヤ (1268~1328年)は,アラウィー派を激しく非難 し,教祖のヌサイリー族はユダヤ人やキリスト教徒よりも不敬虔で,さらに彼らは戦争をひたすら行うフランク人やトルコ人やその他の異教徒より もいっそう不敬虔であると断じた。 (シリア・アラウィー派の特色との支配の歴史的背景,現代イスラム研究センター 理事長 宮田律 PDF)

ーーアラウィー派については、「The Alawi Capture of Power in Syria Daniel Pipes(1989)」(PDF)に比較的詳しい。この論にはヌサイリーについて、次のような記述がある。

Whereas 'Nusayri' emphasizes the group's differences from Islam, 'Alawi' suggests an adherent of Ali (the son-in-law of the Prophet Muhammad) and accentuates the religion's similarities to Shi'i Islam. Consequently, opponents of the Asad regime habitually use the former term, supporters of the regime use the latter.




……一般に「正義われにあり」とか「自分こそ」という気がするときは、一歩下がって考えなおしてみてからでも遅くない。そういうときは視野の幅が狭くなっていることが多い。 このようなことが問題になるのは、風邪のように、あまりこちらのこころが巻き込まれずにすむ病気が精神科には少ないからである。精神科治療者の先祖は、手軽な治療師ではな い。シャーマンなど、重い病気にいのちがけで立ち向かった古代の治療者である。 しかし私たちは、一部の民間治療者のように、自分だけの特別の治療的才能を誇る者で はない。 私たちを内面的にも外面的にも守ってくれるのは、無名性である。 本当の名医は名医と思っていないで、日々の糧のために働いていると思っているはずである。 しかし、ベテランでもライバル意識や権力欲が頭をもたげると、とんでもない道に迷い込む ことがある。これらは隠れていた劣等感のあらわれである。特別の治療の才を誇る者がも っともやっかみの強い人であるのは、民間治療者だけではない。 (『看護のための精神医学』 中井久夫)

ーーと「劣等感」という語彙を連発してみたが、それに関連づけてなにやらいうのは、一夜漬けの身としては、当面遠慮しておくことにする。

大切なのは、〈あなた〉のなかにもアサドがいる、ということを知ることだ。ふとしたきっかけでそれは現われるかもしれない。

ファシズムは、理性的主体のなかにも宿ります。あなたのなかに、小さなヒトラーが息づいてはいないでしょうか?われわれにとって重要なことは、理性的であるか否かということよりも、少なくともファシストでないかどうかということなのです。(船木 亨『ドゥルーズ』はじめに

〈あなた〉はアサドからまぬがれていると思っているかもしれない。だがニューヨークのテロ事件後の米人、そして今回のパリテロ事件後の仏人の反応も一種の集団アサドである(参照:人を戦争に駆り立てる「なにか」)。

特定の個人や制度にたいする憎悪は、それらにたいする積極的な依存と同様に、多くの人々を一体化させるように作用するだろうし、類似した感情的結合を呼び起こすであろう。(フロイト『集団心理学と自我の分析』)

かつまた、《「自己批判精神」と「繊細な精神」を徹底的に欠いた「善良な市民」》たちの集団ヒステリーということもできる。

魔女裁判で賛美歌を歌いながら「魔女」に薪を投じた人々、ヒトラー政権下で歓喜に酔いしれてユダヤ人絶滅演説を聞いた人々、彼らは極悪人ではなかった。むしろ驚くほど普通の人であった。つまり、「自己批判精神」と「繊細な精神」を徹底的に欠いた「善良な市民」であった。(『差別感情の哲学』中島義道)

…………

さてここでスンニ派/シーア派とはなんだったかを復習(?)しておこう。

ーー復・習とは傑作ねえ! 何よ! そんなもの、とんでもない、だまそうとしたってだめなの、私たちを。

……カンブルメール夫人が、「再読すべきだわ、ショーペンハウアーが音楽について述べていることを」といっているのを耳にはさむと、彼女ははげしい口調でこう言いながらその文句に私たちの注意をうながした「再・読とは傑作ねえ! 何よ! そんなもの、とんでもない、だまそうとしたってだめなの、私たちを」老アルボンはゲルマントの才気の形式の一つを認めてにっこりした。(プルースト「見出された時」)




◆「なぜスンナ派とシーア派は 争うのか」(塩尻和子 PDF)より

シーア派という名称は、 「アリーの党」という意味の「シーア・アリー」に由来する。彼らは「アリーが友とするものを友とし、敵とするものを敵 とする」を合言葉として結束し、アリーを初代の 「イマーム」 (最高指導者)に、次男のフサインは 第 3 代イマームとした。シーア派が成立してはじめて、それ以外の多数派が「スンナ派」 (ムハン マドの慣行と共同体の合意の人々)と呼ばれるようになったのである。  
教義においてシーア派とスンナ派がもっとも異なる点は、預言者ムハンマドの後継者を誰にするかという点である。スンナ派では、イスラーム共 同体の政治的および宗教的権威は信者の合意のも とに選ばれる最高指導者イマームに委ねられると され、預言者の後継者を意味するカリフをイマー ムとして認めてきた。一方、シーア派は、預言者 の血縁者を、正確にはアリーとその妻である預言 者の末娘の子孫を「聖家族」として認め、その中 でもイマーム位についた者のみが預言者の絶対的で無謬の権威を受け継いでいると主張してきた。
イスラーム集団の指導者としてのイマームの存在は両派に共通した教義である。しかしシーア派 では、イマームはムハンマドの血縁である「聖家族」によって継承され、それぞれの時代に一人し か現れない、神聖で絶対的な無謬の救世主であり、 かつ宗教的にも政治的にも最高指導者である。  

シーア派には多くの分派があるが、それは聖家族の子孫のうち、 誰をイマームと認めるか、 という 違いによって生じている。最大分派の十二イマー ム派では 12 代までのイマームの存在が認められ ている。最後のイマームは西暦 874 年に小幽隠に 入り、940 年には大幽隠に入ったとされ、現在も隠れて生きていると信じられている。この最後の イマームを「隠れイマーム」として崇敬する十二イマーム派では、 イマームは終末の日に救世主(マ フディー)としてこの世に再臨し、地上に神の正義を実現すると信じられている。 
スンナ派では、アッバース朝の滅亡後も、さまざまな形で共同体の指導者であるカリフの存在が認められており、 オスマン帝国ではスルターン(皇帝)がカリフを兼任する「スルタン・カリフ制度」 が実施されていた。現代にいたるも、イスラーム社会の理想形としてカリフ制の再興を求める意見 があとを絶たないことも事実である。
 
カリフの権威を認めないシーア派では、イマー ム不在の期間はイスラーム法の専門家である「ウラマー」が信者を指導するために、ウラマーの位階が設定されており、最高位がアーヤトッラー・ ウズマー (神の最高の徴) と呼ばれる。イラン・イ スラーム革命後にはこれがさらに整備され、7 位 階が設けられた。そのためにシーア派ではイスラー ム復興運動の担い手がほとんどの場合、ウラマーで あることは興味深い。イラン・イスラーム革命を成功に導いたホメイニも最高位のウラマーであったことは、よく知られている。





忘れてならないことは、スンナ派もシーア派も、 教義上にはさまざまな相違があるものの、両派ともたがいに正統的であると認め合っていることである。シーア派は少数派であるが、 最大分派の十二イマーム派はイラ ン・イスラーム共和国の国教であり、 また、アラウィー派はシリア人口の 12%を占めるにすぎないが、大統領一族がこの派に所属しているために、両派とも政治的に大きな注目を集めている。  

それでは、なぜ、互いに正統であ ると認め合っている宗派同士が、凄 惨な対立を続けているのか? 確実なことは、抗争の要因が「宗教的な宗派対立」ではない、ということである。シリアの混乱は、スンナ派を中心とする反 政府グループとアラウィー派政権との対立である と見られているが、双方ともにスンナ派もシーア派もキリスト教徒までもが入り乱れていて、一枚岩ではない。  

イラクでは、南部のシーア派政権と、中部地域 を支配しているスンナ派強硬派の「イスラーム国」 との間の覇権争いが激化しているが、正確に言え ば、 これも 「宗派紛争」 ではない。これらの紛争は、 意図的に仕組まれた貧富の格差と政治混乱のも とで、宗派に名を借りた熾烈な経済的利権闘争 となっている。この闘争にスンナ派とシーア派 の対立という、古典的なシナリオを纏わせるこ とは、宗教的な大義名分によって本質的な要因 を覆い隠す、姑息な手段に過ぎない。イスラエ ルとパレスチナの対立を「ユダヤ教とイスラー ム」の宗教的対立に陥れて、効果的な解決の道 を遠ざける超大国の策略と同じことが、ここでも行われている。

…………




◆上にも一部引用したが、 「シリア・アラウィー派の特色との支配の歴史的背景,現代イスラム研究センター 理事長 宮田律 PDF」からも抜き出しておこう。

アラウィー派がかつてシリアから独立しようとした集団ーーひょっとして今のクルドのような、だが小集団ーー、あるいはフランス植民地主義が育てた仏シンパの集団であるという点が興味深い。

世界のアラウィー派の全人口は現在130万人と見られ, そのうちの100万人前後がシリアに住んでいると見積もら れる。これはシリア全人口の12%を構成する数である。また,シリアのアラウィー派の4分の3が シリア北西のラタキア州に住んでいる。ラタキアではアラウィー派が全人口の実に3分の2を構成する。

アラウィー派は,イスラムのスンニ派やシーア派からは蔑まれた存在であり続けた。(……) 

アラウィー派は,オスマン帝国内の自治制度であるミッレト制度にとり込まれることもなかった。オスマン帝国が1571年に発した布告ではアラウィー派はムスリムが支払う以外の税を支払う義務があるとされた。というのも,アラウィー派は ラマダンの断食も行わず,礼拝も行わず,イスラ ムの教義に従わない異教徒と判断されたからであ る。オスマン帝国下でスンニ派は,アラウィー派 が生産する食料も不衛生と見なし,口にすること はなかった。
第一次世界大戦後のフランスによるシリアの委任統治はアラウィー派の地位を次第に上昇させることになる。アラウィー派は,1920年にフランス がダマスカスを占領すると,親フランスの姿勢を即座に見せるようになる。このアラウィー派の姿 勢は,従来の差別から抜け出そうとする意識とと もに,伝統的なタキーヤの意識の表出だったとも いえる。  

アラウィー派は, 「アラブの反乱」を指導したファイサル・イブン・フサインがシリアを支配することに反対した。というのも,スンニ派アラブによる統治は彼らの虐げられた状態が続くと考えたからである。アラウィー派は,フランスの保護の下に自らの国家を建設することも意図するようになったが,他方フランスはアラウィー派の支持をとりつけるために,彼らに自治を付与した。フラ ンス統治は,他のどのコミュニティーよりも特に アラウィー派に利益をもたらすものだった。1922 年7月にラタキア自治国が成立し,アラウィー派 の判事も誕生するようになった。こうしたアラウィー派の権利拡大にスンニ派は快く思わず,シリ アに自治国制度が設けられたのは,アラウィー派 の策動だともスンニ派の一部では考えられた。
アラウィー派は,フランス統治に協力し続け, 1926年1月の総選挙では多くのシリア人がフランスに反発してボイコットする中でアラウィー派は その人口に見合わないほどの議席を獲得した。ま た,フランスが創設した「レヴァント特別部隊」 の8個大隊の半分はアラウィー派の人間が占めるようになっていた。アラウィー派は,スンニ派の デモを解散させ,ストライキを解き,また反乱を鎮定した。アラウィー派は,フランス統治が終了すれば, スンニ派アラブの支配が復活すると考え, フランスに積極的に協力した。
シリアからの分離が困難になり,シリア国家にとどまることを決定すると,アラウィー派は軍隊 とバアス党の中で権力を獲得しようと躍起となっていった。軍隊におけるアラウィー派の人員は独 立後も減少することはなかった。フランス統治時代からのアラウィー派の将兵は残り,また新たに入隊して来る者たちもいた。  

軍隊は,アラウィー派に社会的上昇と経済機会を与える場であったし,両大戦期,民族感情を強 くもっていたスンニ派アラブ人たちはフランスに 協力することを嫌がり,その軍に入ることを拒絶 したり,躊躇したりした。アラウィー派など少数派は貧しいために,子弟の教育のために授業料が 無料の陸軍士官学校に好んで入校していった。ま た,家族の生活を支えるためにも軍隊に入って俸給を得ることが必要だった。  

1946年後もアラウィー派の人物がシリア軍の将 校に占める割合は多かった。1949年には重要な軍 の部隊すべてにアラウィー派の将校たちが配置さ れるようになっていた。アラウィー派の兵士たち が多数を占め,また下士官のうち実に3分の2をアラウィー派が占めるほど,アラウィー派の軍隊における存在は絶対的なものになっていく。




さて、最後にひょっとしてアサドに「同情」してしまうかもしれない善良な〈あなたたち〉のために、こう引用しておくことにする。

……われわれが避けねばならぬのは,「理解するよう努める」ということの罠である.つまり,ボスニア紛争が神秘化される主要な理由は,誰もがそれを「理解しよう」と努めることにある.そういった態度の紋切り型の一つに従えば,「何が起きているかを説明しようとすれば,少なくとも過去 500年の歴史,様々な戦争と宗教的,民族的等々の争いのあれこれについて知識を得なければならない」ということになるが,情勢の「複雑さ」をこのように強制的に喚起させることが結局何に貢献するかといえば,バルカンに注がれる疑似人類学的眼差し,つまりはファンタスムの場としてのバルカンに対して西欧の観察者が保っている距離を維持することに貢献するのである.言い換えるなら,旧ユーゴスラヴィアでの出来事が証明しているのは,「理解することは許すことだ」というお定まりの知恵がもつ愚劣さなのだ.為さねばならぬのは,まさにその逆のことである.ポスト =ユーゴスラヴィア戦争に関しては,いわば逆転した現象学的還元を行ない,われわれに状況を「理解する」ことを許す夥しい過去の亡霊,意味の多様性を括弧に入れなければならない.「理解する」ことの誘惑にあらがい, TVの音を切ることと同じようなことを行なわなければならない.するとどうだ,声の支えを失ったブラウン管上の人物の動きは,意味のない馬鹿げた仕草に見えるではないか …….「理解力」のこのような一時的宙吊りを行なうことで初めて,ポスト =ユーゴスラヴィア危機において政治的,経済的,イデオロギー的に問題となっているもの,すなわち,この戦争を導いた政治的計算と戦略的諸決定の分析が可能になるのである.(ジジェク『アンダーグラウンド 』

…………

※追記

◆シリア内戦非武装市民犠牲者数(シリア人権監視団による11月末までの統計)





2015年12月8日火曜日

「イラク難民」と「シリア難民」の混淆による国境の消滅




歴史家山内昌之は、今年一月の「イスラム国とクルド独立」という記事にてイラクとシリアの国境の消滅をめぐって次ぎのように言っている。

ISは、2014年8月にイラクのクルド地域政府(KRG)への本格的な攻撃を始めたが、それはトルコ、イラン、シリア、イラクに分散しているクルド人に国民形成と国家建設を促す大きなきっかけとなった。しかも、KRGを北イラク地方の自治政権から、米欧にとって国際政治に死活的な存在に転換せしめる触媒にもなったのだ。

 KRGとISは、イラクとシリアにまたがる地域を迅速に占領することで、国際的に承認された既存の国境線をぼやけさせ、イラクとシリアの分裂が残した政治的真空を満たそうとしている。双方ともに、自治の強化や独立国家の既成事実化を図るために、1千キロにわたり直接に「国境」を接する互いの存在を強く意識するようになった。かれらは、相手を映し出す鏡におのれの姿を見ているのだ。

 ISは、6月に指導者バグダディをカリフ(預言者ムハンマドの代理人)とするイスラム国家の建設を宣言した。こうしてシリアとイラクとの国境が無視されると、領土的に新たな「無人地帯」が現れた。それは、クルド人とISが影響力を競い合う地域と言い換えてもよい。

 国境線の希薄化はクルドにも利点がある。12年夏にシリアのクルド人地域(ロジャヴァ)は事実上の自治を獲得し、KRGとの協力と新たな共通国境を模索した。ISによるKRGとロジャヴァへの攻撃は、対立していたシリアとイラクのクルド人に共通の敵と対決する必要性を痛感させるに至った。

 この機運は、4国にまたがるクルディスタンの全体に広がった。イラン・クルディスタン民主党の部隊は、KRG国防省の指揮下にあるアルビルの南西地域に派遣され、トルコのクルディスタン労働者党とそのロジャヴァの直系組織たる人民保護軍は女性も含めてシリアとイラクでISと戦っている。

 いちばん劇的な変化は、長くイラクの一体性を主張してきた米国で起きた。オバマ大統領はISに対抗するクルド支援の必要性に寄せて、イラクと別にクルドの名を明示的に挙げるようになった。米国をはじめとする有志連合による空爆は、不活発なイラク国防軍のためでなく、戦場のクルド部隊のためなのである。有志連合はKRGに依拠する以外に対IS地上戦略の足がかりがないのが現状なのだ。

 クルド民族は、かれらの歴史と伝統において異次元の世界に入ったといえよう。その独立国家宣言は時間の問題のように思える。




※イスラム国の「領土」については、「メモ:「イスラム国」と「クルド国」」を見よ。


ジジェクも孫引きだが次ぎのように国境の消滅について語っているようだ。

(ジジェクによれば)IS の出現は、かつて植民地の支配者がシリアとイラクに分けてしまったスンニ派が、ようや く一つになったとも解釈できるという。(川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」

とはいえ、ジジェクはどこでこのように具体的に言っているのだろうか、ーー川口さんが依拠しているのはドイツ語での記事であるようで、わたくしには縁がないーー英文記事で少し探してみた。

すると、「ISIS Is a Disgrace to True Fundamentalism - The New York Times」(SEPTEMBER 3, 2014)に次ぎのような叙述がある。

最近の数ヶ月で次のように認めるは、もはやありきたりになった。イラクとシリアにおける「イスラム国」、あるいはISISの台頭は、反植民地的覚醒の長い物語における最後の章であるとーーすなわち、第一次世界大戦後に列強諸国によって引かれた気まぐれ・専横的な国境の引き直しーー、かつまた同時に、世界資本が国民国家の権力を掘り崩すやり方に対する闘争の最後の章だと。

しかし上述の恐怖と狼狽を引き起こすものは、「イスラム国」の別の特徴だ。「イスラム国」当局の公式声明がはっきりさせていることは、国家権力の主要な仕事は国民の福利(健康、飢餓との闘い)ではないということだ。本当に問題となっていることは、宗教的生活とすべての公的生活が宗教的法に従う関心事にかかわる。

ここには次のギャップがある。「イスラム国」によって実践される権力と近代西洋の概念ーー、ミシェル・フーコーが呼ぶところの「生権力」とを分け隔てるギャップである。後者は公衆の福利を統制するものである。「イスラム国」のカリフ制は生権力を全的に拒絶する。公式の「イスラム国」のイデオロギーは西洋の自由放任主義に激しく衝突するが、「イスラム国」のギャングたちの日々の実践は、全面的なグロテスク・オルギー(暴力的狂宴)を包含している。

これは「イスラム国」を前近代的なものとするだろうか? いや、「イスラム国」に近代化への過激な抵抗の事例を見る代わりに、人はむしろ倒錯した近代化の事例として捉えるべきだ。そして一連の保守的な近代化として位置づけるべきだ。すなわち、19世紀の日本の明治維新に始まった保守的な近代化のようなものとして(「維新restoration」あるいは十全な天皇制への回帰のイデオロギー的形式として装われた急速な産業近代化である)。

ーーこの文の明治維新とイスラム国誕生を似たようなものとする見解は、ここでの話題とはずれるが、われわれにとっていっけん意表をつくもので、逆にジジェクの日本史の知識の欠如をすぐさま指摘する人もいるかもしれない。だが天皇制=カリフ制(あるいは明治維新=テロ)とはけっして荒唐無稽なものではない。

明治維新の実態は、長州の狂信的なテロリストが尊王攘夷というカルト思想にもとづいて徳川幕府を倒した内戦だった。「明治維新」という言葉も同時代にはなく、「昭和維新」のテロリストたちが使い始めたものだ。(なぜ長州のテロは成功したのか『明治維新という過ち』

「歴史は勝者によってつくられる」という誰でもが知っている箴言がある。テロが成功すれば、テロリストは英雄となる。その例は歴史上枚挙に暇がない。


さて話を戻して、山内氏とジジェクの見解に従えば、もはやイラクとシリアの国境は元には戻らないのではないか、とさえ考えることができる。かりにイスラム国が殲滅されても、たとえばクルド人たちはそれぞれの元の居住地に戻るだろか。そもそも彼らはもともと遊牧民である。

山内昌之氏の文をくり返しておこう、《クルド民族は、かれらの歴史と伝統において異次元の世界に入ったといえよう。その独立国家宣言は時間の問題のように思える》と。


SLAVOJ ZIZEK: KURDS ARE THE MOST PROGRESSIVE, DEMOCRATIC NATION IN THE MIDDLE EAST(22nd October 2015)より

歴史を見てみよう。クルド人は植民地分割の最大の犠牲者だ。西洋人の中東への接近法は、どの民族がどの民族と戦っているかを基にしている。言い換えれば、西側がそれを決定するのだ。それは中東における西洋の介入の伝統だ。最も大きなカタストロフィは第一次世界大戦後のものだ。シリアはエジプトの手に、他の国は他の国に手に。このせいで、すべての国境は偽物 artificial だ。現在のイラクを見なさい。東部イラクはシーア派でイランの影響下、西部イラクはスンニ派だ。人びとの視点からは、連合 federation は合理的だったのだが。アフガニスタンとパキスタンを見なさい。どこもかしこも同じだ。(……)

クルド人は中東において鍵となる役割をもっている。クルドの問いが解決されれば、中東のすべての問題もまた解決される。バルカンには非合理的状況がある。アルバニアとコソボは、二つに分離した国家だが同じ人びとだ。西側は統合することを許さない。というのは彼らはより大きなアルバニアをおそれるからだ。逆に、中東における「クルド国 A Kurdish state」は誰にも脅威にならない。実際上、それは人びとのあいだの架け橋になるだろう。

ここでいささか話を変えて、イラク難民についてみてみよう。


(Refugee conference opens ,2007)

この図によれば、ある時期、シリアに120万人ものイラク難民がいたことになる。

(他にもざっと探してみたが、思いの外、イラク難民の情報はすくない)。

現在はどうなのか、ここでも山内昌之の記事から拾ってみよう(【ヨルダン危機の背景にシリアとイラクの難民】~イスラム国が引き起こした悲劇~)。

イラクには20万以上のシリア難民がいる苦境に加えて、2014年には200万以上の イラク人が国内難民として登録されている。11年にはシリアに11万2000人のイラク難民がいた。いまや、二つの国は難民を互いに出すことになり、国家としての枠組みが壊れただけでなく、国境の線引きも消えてしまった。この状況を生み出したのは原因と結果は、I Sの「革命戦争」と人員の粛清やそれに伴う土地の荒廃によるものだ。 たいていのシリア難民とイラク国内難民のおよそ半分は、イラクのクルド地域におり、その 地の急激な人口増をもたらしている。この難民の64%が女性と子供であり、22%が教育 や雇用の機会を必死に求めていた若い女性なのだ。

クルド地域にはシリア難民のうち97%の人びとが住んでいる。それはシーア派中心のイラク中央政府がスンナ派の多いシリア難民の受け入れを事実上拒否しているからだ。 もっともこの地域へのシリア難民のうち90%はシリア・クルド人と言われている。かれらの大多数は、収入を得られる道を断たれており、家賃の20%上昇、オフィス賃貸料の10-1 5%値上げなどに苦しんでいる。 しかし、イラクのクルド地域へのシリア・クルド人の集住が組織化され安定を見るようであれば、北イラクを中心にしたクルド国家の独立も既成事実となり、法的独立の宣言も日程に上る。 いずれにせよ、シリアとイラクの国家存在の希薄化は、その双方にまたがる自称カリフ国 家ISと、事実上の独立を法的な独立に格上げしようとするクルド国家との正面対決をますます促進することだろう。 そして、その狭間で苦しむ難民の問題こそ、現在の中東危機の本質につながる争点なの だ。イラク人難民40万に加え60万から70万にもなるシリア人難民が人口630万のヨルダ ンに流入すれば、国家の財政だけでなく社会の安定と治安にも大きな負担となる。そこが ISの狙いでもあるのだ。

《2011年にはシリアに11万2000人のイラク難民がいた》とあるが、この事実関係は今調べきれていない。

帰還者の実態は、円城由美子さんの「フセイン政権崩壊後のイラクと国外避難民」(2012,PDF)によれば次の通り。スンニ派やクルド人などは帰還できていない。とすれば、スンニ派のイラク・シリア横断国家ーーそれは「イスラム国」に限らないーーやクルド国家の独立機運は、容易にやむことがないだろう。

イラク攻撃後、 イラク国内の治安の悪化により多くのイラク人が居住地を離れ国内外の別の場所へと移動せざるを得ない――つまり displaced の――状況に陥った。その数は、推定300 万人とも言われ、うち半数近くを国外避難民が占めている。しかし、イラク攻撃前にもイラクからの出国者は多数存在した。

(……)以上、 論じてきたことに補足を加え、 出国時期別にそれぞれの社会集団としての特徴に着目して整理すると、次のようにまとめることができる。

①フセイン政権下での弾圧や迫害、強制移住政策による出国者は、主にシーア派で、南部出身者が多数含まれ、イランに滞在している。

②2003 年のフセイン政権崩壊前後からアスカリーヤ ・ モスク爆破までの出国者は、主に前政権関係者およびキリスト教などマイノリティーが中心。 前政権関係者はヨルダンに滞在している場合が多い。

2006年のアスカリーヤ ・ モスク爆破以降の出国者は、 シーア、スンニの両宗派にまたがって約 2 年間の間に出国し、 多くがシリアに滞在している――ということである。

(……)イランからの帰国者の多くは、上述①にあたる 2003 年より前にフセイン政権下での弾圧や迫害を理由に出国していた人であり、大半がシーア派である。帰還はフセイン政権崩壊直後の約1年間に最も多くみられたが、その後は急激には拡大せず、現在まで細々と続いている。

一方、 シリアからの帰還者は、 ③の 2006 年以降に宗派対立およびその他諸々の治安の悪化を原因として出国した避難者であり、 宗派や民族を横断するように避難者は存在していた。しかし、そのうち帰還しているのは主にシーア派で、スンニ派を含む、他の宗派・民族的マイノリティーはほとんど帰還していない[UNHCR 2012: 4]。

①③ともに帰還先は、バグダッド以外は、ほとんどの場合、シーア派が主流宗派である南部への帰還である[UNHCR 2012: 4]。つまり、国外からの帰還者は、大半はシーア派であり、スンニ派や他のマイノリティーでは帰還が進んでいないことが推察される。

このように、複数の支援機関が治安改善を認め、2009 年以降は帰還支援に重心を移しているのがわかる。では、避難民は減ったのか。あくまでも各機関への登録者数に基づいた推定の数字ではあるが、各機関の見解は概ね以下の内容で一致している。すなわち、2012 年現在も、 国外避難民は 130万人規模で存在し、 多くが5年以上避難生活を送る、 いわゆる長期的避難民の様相を呈している、ということである。

避難民にはマイノリティーの占める割合が突出して高く、その背景には、元の居住地でのマイノリティーに対するヘイトクライム的な攻撃の実態がある。 マイノリティーに対する襲撃は、フセイン政権崩壊後から 10 年後も依然として続いており、帰還の進まない理由として存在している。


…………

最後に次の文で始まるシリアの2011年~2015年の内戦の推移をまとめた記事をいくらか邦訳して抜き出しておく。

シリアにおいて、政府に対する単なる抗議として始まったことが、市民戦争に拡大し今では国際的な危機になった。2011年の紛争に始まって以来、いくつかの外部の国家は、現場での内紛を支援したり反抗したりして、代理戦争の火に油を注いでいる、すなわち、大統領バッシャール・アル=アサド体制支持者、自由シリア軍、クルド派、アルカイダ、イスラム国のあいだの権力争いがいっそう苛烈になっている。

以下、上の文と同様に、How the growing web of conflict in Syria became a global problem(2015/11/03,washingtonpost)の2015年の説明箇所だが、いくらか意訳をしているので、原文をかならず参照のこと。

【2015年 ロシアの軍事介入とフランスの報復】

「自由シリア軍 FSA」は、アサド体制に対して目を瞠る成果を得る。9月、長期のシリア体制同盟国であるロシアは、反アサド集団を押し返すために空爆作戦を開始する。11月、フランスは、シリアの都市であるラッカ Raqqa を空爆する。ラッカ、すなわち「イスラム国」の事実上の首都であり、パリにおけるテロ攻撃に対する報復としての空爆である。






【破砕したシリア】

2015年秋の時点で、アサド体制は、主に西部シリアーー海岸地帯とダマスカスを含むーーに実権がある。反逆者たちとアルカイダ同盟の「アル=ヌスラ戦線」は、北部と南部を拠り所にしている。クルド勢力は、さらにいっそうの北の領域ーートルコとの国境沿いーーに根を張っている。「イスラム国」は、イラクからシリアへの流入を可能にするユーフラテス川に沿って実権がある。






紛争が継続するに従って、彼らの家から追い出されるシリア人の数は増え続ける。2015年10月時点での国連推計では、400万人以上の公認されたシリア難民がいる。その殆どはレバノン、トルコ、ヨルダンに向かう。




これは、2014年12月の時点で自国内で追い出された推計760万人のシリア人に付け加わる人数だ。彼らは家から追い払われたが、国内に留まっている。2015年8月の時点で、紛争以来、推計25万人のシリア人が死亡している。この人数は、国から逃げ出したり殺されたり追い出された1200万人以上の人々に付加される。それは、2011年に2240万人だったシリアの人口の半数以上である。







2015年12月7日月曜日

人を戦争に駆り立てる「なにか」

《ある事業が成功するかしないかは、いつに、その事業に人々を駆り立てるなにかがあるかなにかにかかっている。》(マキャベリ

・「歴史は徹底的であるから、何度でも〝追試〟させられる。しかも無反省な輩はその都度なんどでも同じ過ちをくりかえす」。友人Sさんの手紙のなかの1行。ニッポンの「国際反テロ戦争」参戦が近い、とかれはみている。わたしもそうおもう。参戦前夜をひしひしと予感する。「国際反テロ戦争」は、〝テロ〟現象の可変的深層をだれもつかみえないまま、拡大し、変容し、いたずらに泥沼化するだろう。〝テロ〟の様態はみるもののつごうで、つごうよく変えられ、表現される。そのとき、ひとびとの精神と立ち居ふるまいはどうなるだろうか。愛国化、民族主義化、祖国防衛戦線化しないものか。パルタイは「国際反テロ戦争」参戦にはっきりと反対できるだろうか。そこだ。〝追試〟とはそれなのだ。第二次世界大戦はファシズム対反ファシズムではなく、反ファシズム戦争の装いをした帝国主義戦争であった。〝追試〟のポイントはそこにある。パルタイは〝追試〟で合格するか。またも落第の公算が大ではないのか。「赤旗」のインタビュー・ドタキャン事件について、まだなんの連絡もきていない。パルタイ中央にはきっと「事件」の感覚もあるまい。みずからの歴史をいくども塗りかえてきたものたちに、歴史修正主義を難ずることはできないはずだ。歴史はあまりにも徹底的にめぐってくるので、わたしたちは何度でも〝追試〟をうけさせられる。コビトと犬と東口のカフェ。エベレストにのぼらなかった。(辺見庸 私事片々 2015/12/03

さて、日本にはその事業(戦争)に人々を駆り立てるなにかがあるだろうか?
いやなければ、作り出せばよい、とマキャベリはいうだろう。

誰でも すぐさま思いつくだろう「なにか」は、日本での--たとえばイスラム過激派たちによるーーテロ行為だ(あるいはそれに見せかけた自作自演のテロだ)。それがあれば人々はすぐさま「駆り立てられる」だろう。

すなわち安全保障感の喪失を生み出せばよい。

実際、人間が端的に求めるものは、「平和」よりも「安全保障感」である。人間は老病死を恐れ、孤立を恐れ、治安を求め、社会保障を求め、社会の内外よりの干渉と攻撃とを恐れる。人間はしばしば脅威に過敏である。しかし、安全への脅威はその気になって捜せば必ず見つかる。完全なセキュリティというものはそもそも存在しないからである。

 「安全保障感」希求は平和維持のほうを選ぶと思われるであろうか。そうとは限らない。まさに「安全の脅威」こそ戦争準備を強力に訴えるスローガンである。まことに「安全の脅威」ほど平和を掘り崩すキャンペーンに使われやすいものはない。自国が生存するための「生存圏」「生命線」を国境外に設定するのは帝国主義国の常套手段であった。明治中期の日本もすでにこれを設定していた。そしてこの生命線なるものを脅かすものに対する非難、それに対抗する軍備の増強となる。1939年のポーランドがナチス・ドイツの脅威になっていたなど信じる者があるとも思えない。しかし、市民は「お前は単純だ」といわれて沈黙してしまう。ドイツの「権益」をおかそうとするポーランドの報復感情が強調される。(中井久夫「戦争と平和 ある観察」初出 2005 『樹をみつめて』所収)

以下の文は、ここでの文脈ではいくらかの書き換えが必要かもしれないが、敢えてそうしないでおく。たとえば「猖獗する反ユダヤ主義」を「猖獗する反イスラム国」と代入するなどして読もう。

……“la traversée du fantasme”(幻想の横断)の課題(人びとの享楽を組織しる幻想的な枠組から最低限の距離をとるにはどうしたらいいのか)は、精神分析的な治療とその終結にとって決定的なことだけではなく、再興したレイシストのテンションが高まるわれわれの時代、猖獗する反ユダヤ主義の時代において、おそらくまた真っ先の政治的課題でもある。伝統的な“啓蒙主義的”態度の不能性は、反レイシストによって最もよい例証になるだろう。理性的な議論のレベルでは、彼らはレイシストの〈他者〉を拒絶する一連の説得的な理由をあげる。だがそれにもかかわらず、己れの批判の対象に魅了されているのだ。

結果として、彼の弁明のすべてはリアルな危機が起こった瞬間、崩壊してしまう(例えば“祖国が危機に陥ったとき”)。それは古典的なハリウッドの映画のようであり、そこでは悪党は、“公式的には”最後にとがめられるにもかかわらず、われわれのリビドーが注ぎこまれる核心である(ヒッチコックは強調した、映画とはバッドガイによってのみ魅惑的になる、と)。真っ先の課題とは、いかに敵を弾劾し理性的に敵を打ち負かすことではない。――その仕事は、かんたんに(内なるリビドーが)われわれをつかみとる結果を生む。――肝要なのは、(幻想的な)魔術を中断させることなのだ。“幻想の横断”のポイントは、享楽から逃れることではない(旧式スタイルの左翼清教徒気質のモードのように)。幻想から最小限の距離をとることはむしろ次のことを意味する。私は、あたかも、幻想の枠組みから享楽の“ホック(鉤)をはずす”ことなのだ。そして享楽が、正当には決定できないものとして、分割できない残余として、すなわちけっして歴史的惰性を支える、固有に“反動的”なものでもなく、また現存する秩序の束縛を掘り崩す解放的な力でもないことを認めることである。 (ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012、私訳)

やや難解な文であるかもしれない。いくらかの捕捉としては、「レイシズムと享楽(Levi R. Bryant+ZIZEK)」を見よ。

ここではフロイトに戻って次ぎのように引用してみよう。

特定の個人や制度にたいする憎悪は、それらにたいする積極的な依存と同様に、多くの人々を一体化させるように作用するだろうし、類似した感情的結合を呼び起こすであろう。(フロイト『集団心理学と自我の分析』フロイト著作集6 P219)

こういった現象は島国根性の国、共感の共同体ではいっそう起こりやすい。

・この共同体では人々は慰め合い哀れみ合うことはしても、災害の原因となる条件を解明したり災害の原因を生み出したありその危険性を隠蔽した者たちを探し出し、糾問し、処罰することは行われない。

・そのような『事を荒立てる』ことは国民共同体が、和の精神によって維持されているどころか、実は抗争と対立の場であるという『本当のこと』を、図らずも示してしまうからである。

・「将来の安全と希望を確保するために過去の失敗を振り返」って、「事を荒立てる」かわりに、「『仲良し同士』の慰安感を維持することが全てに優先している」のである。しかし、この共同体が機能している限り、ジャーナリズムは流通せず、「感傷的な被害者への共感」の記事に埋もれてしまう。(酒井直樹「無責任の体系」

共感の共同体では集団神経症にきわめてなりやすいといってよい。仏国や米国でも大きなテロ事件があったなら集団ヒステリーになってしまうのだから、日本ではなおさらである(参照:「〈ソリダリテ〉(連帯)」の悲しい運命)。

……国民集団としての日本人の弱点を思わずにいられない。それは、おみこしの熱狂と無責任とに例えられようか。輿を担ぐ者も、輿に載るものも、誰も輿の方向を定めることができない。ぶらさがっている者がいても、力は平均化して、輿は道路上を直線的に進む限りまず傾かない。この欠陥が露呈するのは曲がり角であり、輿が思わぬ方向に行き、あるいは傾いて破壊を自他に及ぼす。しかも、誰もが自分は全力をつくしていたのだと思っている。醒めている者も、ふつう亡命の可能性に乏しいから、担いでいるふりをしないわけにはゆかない(中井久夫「戦争と平和についての観察」『樹をみつめて』所収)

正義の味方としてふるまう元しばき隊の連中でも、その「おみこしの熱狂」ぶりは、最近ツイッター上で目にあまる(参照:構造的な類似(ネトウヨ/カウンター))。

ファシズム的なものは受肉するんですよね、実際は。それは恐ろしいことなんですよ。軍隊の訓練も受肉しますけどね。もっとデリケートなところで、ファシズムというものも受肉するんですねえ。( ……)マイルドな場合では「三井人」、三井の人って言うのはみんな三井ふうな歩き方をするとか、教授の喋り方に教室員が似て来るとか。( ……)アメリカの友人から九月十一日以後来る手紙というのはね、何かこう文体が違うんですよね。同じ人だったとは思えないくらい、何かパトリオティックになっているんですね。愛国的に。正義というのは受肉すると恐ろしいですな。(中井久夫「「身体の多重性」をめぐる対談――鷲田精一とともに」『徴候・記憶・外傷』所収)

ーーいったい誰が止めうるというのか、おみこしの熱狂を。

《そのとき、ひとびとの精神と立ち居ふるまいはどうなるだろうか。愛国化、民族主義化、祖国防衛戦線化しないものか》と辺見庸は記しているが、実のところ彼はほとんど諦めているに違いない。

日本には「ユダヤ人」--すなわち、《固く結束した多数派に与することをきっぱりあきらめる覚悟》をもった人物ーーもすくない。

ユダヤ人であったおかげで、私は、他の人たちが知力を行使する際制約されるところの数多くの偏見を免れたのでした。ユダヤ人の故に私はまた、排斥運動に遭遇する心構えもできておりましたし、固く結束した多数派に与することをきっぱりあきらめる覚悟もできたのでした。(フロイト『ブナイ・ブリース協会会員への挨拶』)

数少ない「ユダヤ人」である古井由吉の文をここで挿入しておこう。

私は人を先導したことはない。むしろ、熱狂が周囲に満ちると、ひとり離れて歩き出す性質だ。しかしその悪癖がいまでは、群れを破壊へ導きかねない。たったひとりの気紛れが全体の、永遠にも似た忍耐をいきなり破る。(古井由吉『哀原』女人)

とはいえ、日本で、少数の弱々しい知性の声が果たして機能するとでも言うのか?

知性が欲動生活に比べて無力だということをいくら強調しようと、またそれがいかに正しいことであろうと――この知性の弱さは一種独特のものなのだ。なるほど、知性の声は弱々しい。けれども、この知性の声は、聞き入れられるまではつぶやきを止めないのであり、しかも、何度か黙殺されたあと、結局は聞き入れられるのである。これは、われわれが人類の将来について楽観的でありうる数少ない理由の一つであるが、このこと自体も少なからぬ意味を持っている。なぜなら、これを手がかりに、われわれはそのほかにもいろいろの希望を持ちうるのだから。なるほど、知性の優位は遠い遠い未来にしか実現しないであろうが、しかしそれも、無限の未来のことというわけではないらしい。(フロイト『ある幻想の未来』)

ところで、「フランス極右政党が記録的得票、パリ同時テロ以降初の選挙」という〈予想通り〉の結果が生れたようだ(参照:「日の沈む地方の蛮族たちの末期の熱病」の末尾)。






田舎にいけばいくほど、ル・ペン党(国民戦線 Front National; FN)の勝ちだということがわかる。