私は歴史に反復があると信じている。そしてそれを科学的に扱うことが可能である。反復されるのは、たしかに、出来事ではなく、構造あるいは反復構造である。驚くべきことに、構造が反復されると、出来事も同様に反復されて、しばしば現われる。しかしながら、反復されるのは反復構造のみである。(柄谷行人"Revolution and Repetition"(「革命と反復」)UMBR(a) UTOPIA A Journal of the Unconscious 2008より私訳ーー「柄谷行人の「構造と反復」をめぐって」より)
…………
たとえば、レイシストや一般にネトウヨと呼ばれる種族がいる。それに対してカウンター運動をするーー野間易通氏に代表されるーー集団がある。野間氏は「きみたちのやっていることはネトウヨと変わらない」と指摘されると当然のごとく大いに反撥する。だが彼らが「悪」と決めてかかった対象に集団で叩きのめそうとするそのやり方は、「構造的には」ネトウヨの振舞いとかわらず集団神経症的であるだろう。それを否定しても始まらないということは言える。
肝腎なのは、その同じ構造からは別のファシズムの享楽が生れうるということに常に注意を払わなければならないことだ(参照:レイシズムと享楽(Levi R. Bryant+ZIZEK))。
ファシズムは、理性的主体のなかにも宿ります。あなたのなかに、小さなヒトラーが息づいてはいないでしょうか?(船木亨『ドゥルーズ』)
あなたは義務という目的のために己の義務を果たしていると考えているとき、密かにわれわれは知っている、あなたはその義務をある個人的な倒錯した享楽のためにしていることを。(……)
例えば義務感にて、善のため、生徒を威嚇する教師は、密かに、生徒を威嚇することを享楽している。(『ジジェク自身によるジジェク』)
『集団神経症と自我の分析』で集団の同一化(あるいはファシズム化)を研究したフロイト自身、集団神経症を解消するためには、別の集団神経症が必要だ、と言っている。すなわちファシストの集団神経症を解消するためには、カウンターの集団神経症が必要なのだ。それを柄谷行人はフロイトの最晩年の著作『モーセと一神教』に依拠しながら次ぎのようにまとめている。
…………
レヴィ=ストロースなどにより「構造主義」の真の始祖とも呼ばれることがあるマルクスだが、つねに構造的に考えるのがいいわけではない。ただし経験主義者たちばかりが跳梁跋扈している世界では、マルクス的な構造主義的観点はことさら忘れないようにしなければならない。
〈あなた〉が途方にくれるようとくれまいとーーいやそれ以前に「構造」などがまるで視野に入っていない連中ばかりにみえる経験主義的日本ではことさら構造主義的観点が必要である。 それは合理論と経験論の対照といってもよい。
《三面記事的な偽の現場主義が支える物語的な真実の限界》 というものがあるのだ。
「感情転移関係」とは、一種の偶像崇拝である。フロイトにとって、治療とは、それを人工的に再現することによってそこからひとを解放させることである。つまり感情転移関係を解消するために、別の種類の感情転移関係が必要なのだ。これは、ある意味で、モーゼにおいて、宗教(神経症)を解消するために、もう一つの宗教(一神教)が不可欠だったのと似ている。実際、世界宗教は「宗教批判」なのだが、それ自体やはり宗教なのだ。
一般に、世界宗教は、偉大な宗教的人格によって開示されたものだといわれている。しかし、そのような人格と弟子たちとの関係は、けっしてフロイトのいう「感情転移関係」をまぬかれるものではない。つまり、世界宗教も集団神経症によってのみ可能なのだ。だからまた、それが始祖の死後に、その死自体を儀礼的に意味づける共同体の宗教を作り出すことも避けられない。さもなければ、どんな偉大な人格も、世界宗教の始祖となりえなかっただろう。
フロイトの運動体においても、同じことが生じている。それは、フロイトへの完全な服従と敵対に二分されてしまう。いずれも「感情転移」なのだ。フロイトは、彼の描くモーゼに似ている。偶像崇拝を摘出しつづける彼は、彼を偶像化する集団を作り出すことになる。精神分析運動は、文字通り“宗教”となる。フロイトがこの危険に気づいていなかったはずはない。しかし、彼はその理論的な核心を放棄することはできない。そうすれば、精神分析が「偶像崇拝」の傾向に押し流されることは眼にみえているからである。(柄谷行人『探求』)
…………
ひょっとしたら誤解されるかもしれないから、一言しておこう。私は資本家や土地所有者の姿をけっしてばら色に描いていない。そしてここで問題になっているのは、経済的範疇(カテゴリー)の人格化であるかぎりでの、一定の階級関係と利害関係の担い手であるかぎりでの人間にすぎない。経済的社会構成の発展を自然史的過程としてとらえる私の立場は、他のどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとはしない。個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。(マルクス『資本論』第一巻「第一版へのまえがき」1867年)
レヴィ=ストロースなどにより「構造主義」の真の始祖とも呼ばれることがあるマルクスだが、つねに構造的に考えるのがいいわけではない。ただし経験主義者たちばかりが跳梁跋扈している世界では、マルクス的な構造主義的観点はことさら忘れないようにしなければならない。
こうした構造主義的な見方は不可欠である。マルクスは安直なかたちで資本主義の道徳的非難をしなかった。むしろそこにこそ、マルクスの倫理学を見るべきである。資本家も労働者もそこでは主体ではなく、いわば彼らがおかれる場によって規定されている。しかし、このような見方は、読者を途方にくれさせる。(柄谷行人『トランスクリティーク』p40-41)
思想は実生活を越えた何かであるという考えは、合理論である。思想は実生活に由来するという考えは、経験論である。その場合、カントは、 合理論がドミナントであるとき経験論からそれを批判し、経験論がドミナントであるとき合理論からそれを批判した。つまり、彼は合理論と経験論というアンチノミーを揚棄する第三の立場に立ったのではない。もしそうすれば、カントではなく、ヘーゲルになってしまうだろう。 この意味で、カントの批判は機敏なフットワークに存するのである。ゆえに、私はこれをトランスクリティークと呼ぶ。(柄谷行人「丸山真男とアソシエーショニズム (2006)」
日本では経験論者がドミナントでありすぎるのではないか。とすれば合理的な構造主義的観点がぜひとも必要だろう。
実際にこの目で見たりこの耳で聞いたりすることを語るのではなく、見聞という事態が肥大化する虚構にさからい、見ることと聞くこととを条件づける思考の枠組そのものを明らかにすべく、ある一つのモデルを想定し、そこに交錯しあう力の方向が現実に事件として生起する瞬間にどんな構図におさまるかを語るというのが、マルクス的な言説にほかならない。だから、これとて一つの虚構にすぎないわけなのだが、この種の構造的な作業仮説による歴史分析の物語は、その場にいたという説話論的な特権者の物語そのものの真偽を越えた知の配置さえをも語りの対象としうる言説だという点で、とりあえず総体的な視点を確保する。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)
《三面記事的な偽の現場主義が支える物語的な真実の限界》 というものがあるのだ。
衆知を集めてことにあたれば、誤った断定をする気遣いのない時代に生きていると確信し、あるとき、根拠の根拠ともいうべきものが理性の統禦を離脱し、識別の基盤を揺るがせはしまいかといった疑念とはいっさい無縁の世界に彼は暮らしている。実証主義的な楽天性ともいうべきものが、彼にたえず断定の根拠を提供しているのだ。(同『凡庸な芸術家の肖像』)
《根拠の根拠ともいうべきものが理性の統禦を離脱し、識別の基盤を揺るがせはしまいかといった疑念とはいっさい無縁の世界に彼は暮らしている》の「彼」を誰もが免れない。ときに自らの行動が正義だと思い込んでいる連中はなおさらである。
一般に「正義われにあり」とか「自分こそ」という気がするときは、一歩下がって考えなお してみてからでも遅くない。そういうときは視野の幅が狭くなっていることが多い。(『看護のための精神医学』中井久夫)
ファシズム的なものは受肉するんですよね、実際は。それは恐ろしいことなんですよ。軍隊の訓練も受肉しますけどね。もっとデリケートなところで、ファシズムというものも受肉するんですねえ。( ……)マイルドな場合では「三井人」、三井の人って言うのはみんな三井ふうな歩き方をするとか、教授の喋り方に教室員が似て来るとか。( ……)アメリカの友人から九月十一日以後来る手紙というのはね、何かこう文体が違うんですよね。同じ人だったとは思えないくらい、何かパトリオティックになっているんですね。愛国的に。正義というのは受肉すると恐ろしいですな。(中井久夫「「身体の多重性」をめぐる対談――鷲田精一とともに」『徴候・記憶・外傷』所収ーー「これ、よくあるパターンなので早々に脱却したい(野間易通)」)
ところで、なぜあんなに経験主義者ばかりが跋扈しているのだろう? わたくしは日本人の言動にはツイッターでしかほとんど遭遇することのない海外暮らしだが、ツイッターとはそもそも経験主義者の場なのだろうか。いやツイッターという「構造の場」で語れば人は経験主義者になってしまうのだろうか。
蓮實)それにも、こっちはやや責任がないわけではないけれども、構造主義が定着しなかったのは、そもそも構造というものが思考しがたいというのが、ひとつあるわけでしょう。構造は図式ではなく機能する形式だという点で、思考の対象たりがたい。それはやはり歴史的な体験の欠如からくるものでしょうね、たぶん。だから機能する構造の歴史を見てゆけば、構造主義になるはずだということがあると思うわけ。
ただし、もうひとつ機能する形式に対する感性の不在ね。三島由紀夫だってそうした形式に対しての感性はまったくないと思うわけ。
柄谷)ないね。
蓮實)形とかフォルムとか、そういうものに対する感性が彼には欠けている。彼が持っているのは、機能を停止したあとの形式のイメージにすぎない。だからせいぜい安保の対応をどうかするという程度のことでしょう。形式は生きられていないですよね。
その形式に僕は魅かれます。だからレヴィ・ストロースを読んで、いろんな不満があったって、最終的にはやっぱり偉い人だ。三島を読むより、文学的に高度な興奮を与えてくれますもの。しかし、なぜ批評がフォルムを括弧に括った形で平気でいられるんだろう。
いわば形式に眩惑されていないわけね、眩惑されれば恐ろしくて逃げるやつが出てくると思う。それはいいのです。フォルムなんて怖くてやってられないっていって。ところが怖くて逃げているわけじゃなくて、それはそういうものもあるだろうけれども、適当にそれなしでやっていけると高を括って無感覚に安住する形で避けているだけなんですね。(蓮實重彦/柄谷行人『闘争のエチカ』)
ラカンの四つの言説理論も、人の発話行為ーーそれだけではないがーーの構造的観点が重視されていることは「シェイクスピア、ロラン・バルト、デモ(ヒステリーの言説)」などでいくらか見た。
……ラカンは逆に内容を超えて作業し、発話行為から導き出された言説の形式的関係にアクセントを置く。これが意味するのは、ラカンの言説理論は先ずはどんな話された言葉からも独立した形式的システムとして理解されなければならない、ということだ。
言説は具体的に話されたどんな言葉以前に存在する。その上こうも言える、言説は具体的な発話行為を決定する、と。決定論の結果はラカンの基本的な仮定の反映である。すなわちどの言説も特定の社会的紐帯によってもたらされる基礎的関係性を描写するのだ。(Paul Verhaeghe,1995)
すなわちラカンの言説論とは、言説主体は、《主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産》(マルクス)であるという理論であり、四つの言説のそれぞれの場に置かれらば、《彼らがおかれる場によって規定されて》(柄谷行人)しまうということを教えている。
…………
「構造」は、はじめのうちは良き価値であったのに、あまりにもおおぜいの人びとの念頭で動きのない形式(「設計図」、「図式」、「モデル」)として考えられているということがあきらかになったとき、信用を失う羽目となった。が、幸いにも「構造化」ということばがそばにあった。そしてそれが、役わりを引き継ぎ、飛切の有力な価値を含意することとなったのだ。すなわち《つくり、おこなうこと》、倒錯的な(「何のあてもない」)費用支出、という価値である。(『彼自身によるロラン・バルト』)
要素自体はけっして内在的に意味をもつものではない。意味は「位置によって」きまるのである。それは、一方で歴史と文化的コンテキストの、他方でそれらの要素が参加している体系の構造の関数である(それらに応じて変化する)。(レヴィ=ストロース『野性の思考』大橋保夫訳 P65-66)
もちろんロラン・バルトの文に示唆されているように「構造的」理論ーーあるいは理論一般ーーを妄信してはならないのは既に周知だろう。
理論の正しさは経験からは演繹できない。いや、経験から演繹できるような理論は、真の理論とはなりえない。真の理論とは日常の経験と対立し、世の常識を逆なでする。それだからこそ、それはそれまで見えなかった真理をひとびとの前に照らしだす。
(……)理論の批判は、理論によってしか可能でない。そしてそれは、それまでの理論が「思考せずに済ませていたこと」を思考することによってのみ可能なのである。(……)
真の理論とは日常の経験と対立し、世の常識を逆なでする。だが、日常経験と対立し、世の常識を逆なでするというその理論のはたらきが、真理を照らしだすよりも、真理をおおい隠しはじめるとき、それはその理論が、真の理論からドグマに転落したときである。そしてそのとき、その理論に内在していた盲点と限界とが同時に露呈されることになる。(岩井克人『二十一世紀の資本主義論』)