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2018年3月10日土曜日

巫女の緋袴

巫女の緋袴がとてつもないエロスを喚起するのはアキラカデアルガ、「赤と青と緑とゴダール」にて、「赤」という発情色についてそれを理論的に示した。




わたくしは30年ほどまえ京都に住んでおり、京都のなかでは最も好みの神社・北野天満宮をしばしば訪れたが、あるとき「梅仕事」をする巫女の姿に雷を打たれたことがある。だがあれはごく自然な現象であったのである。




この姿にとことん魅せられるのは、ほとんどすべての男性諸君と同様であろう。ただし、もしアナタがかりにあの処女たちに、みづのをひもを解いてまた結んでいただき、幸運にも「禊ぎの聖水」を浴びたとしても、無暗に歓喜してはならない。

・七処女は、何のために召されたか。言うまでもなくみづのをひもを解き奉るためである。…みづのをひもを解き、また結ぶ神事があったのである。

・みづのをひもは、禊ぎの聖水の中の行事を記念している語である。

・そこに水の女が現れて、おのれのみ知る結び目をときほぐして、長い物忌みから解放するのである。(折口信夫『水の女』)

すなわち「男なんざ光線とかいふもんだ/蜂が風みたいなものだ」(西脇順三郎)なのであり、聖水を浴びた後には、すぐさま「イボタの繁みから女のせせら笑いが/きこえてくる」のである。実のところアレはたまさかの蜘蛛の巣払いにすぎない。

わたくしは大学入試のときに九段のさるホテルに一週間ほど泊まったのだが、そのときあの悪評高い靖国神社に訪れたことをここで白状しなくてはならない。

あの神社はじつに美的な構造をもっている。杣径、つまり森の鞘の参道先に神殿があるのは、おおくの神社でもそうであるのだろうが、それに瞭然と開眼させられたのは、あの神社を訪れたときが初めてである。




杣(そま、Holz)とは森(Wald)に対する古い名称のことである。杣にはあまたの径があるが、大抵は草木に覆われ、突如として径なきところに杜絶する。

それらは杣径 Holzwege と呼ばれている。(ハイデガー『杣径』)

そして、杣径の先の森の空地 Lichtungには、外立がある、《存在の開けた明るみ Lichtung の中に立つことを、私は、人間の「外立 Ex-sistenz」と呼ぶ。》(同ハイデガー)

外立、すなわちエク・スターシス ek-stasis とは、自身の外へ出てしまうことである。エクスタシー的開け(エクスターティッシュ・オッフェン ekstatisch offen)、忘我、恍惚、驚愕、狂気である。

18才の田舎者の少年が、緋袴のお尻をゆらめかせた巫女から、上品な流し目をおくられて神殿の奥に誘導サレタラ、どうして忘我恍惚とならずにいられよう? あれはロラン・バルトのいう沈黙のなかの叫び、「ゆらめく閃光 un éclair qui flotte」であった。




ああ、《竹藪に榧の実がしきりに落ちる/アテネの女神に似た髪を結う/ノビラのおつかさんの/「なかさおはいりなせ--」という》あの眼差し、あの言語外の仄かな言葉・・・(西脇順三郎「留守」)


ところで巫女たちが緋袴をはくように正式に取り決められたのは、明治以降らしい。それまでも赤い袴が主流ではあったらしいが。

いま画像を探ってみると、巫女の紺袴もあるようだ。




ああ、だがこれでは完膚なきまでのエロスの不在である。女性のみなさん、オトコを誘いたいときは、かならず赤い服を着ましょう!

紺袴では、「神の妻(メ)」・「一夜配偶(ヒトヨヅマ)」としてあきらかに失格である。もし朱色があからさまに猥褻だと感じてしまう繊細で上品な女性であるならば、京都下鴨神社の巫女にときにみられたあの臙脂色にすべきである。




邑落生活に於ける原始信仰は、神学が組織せられ、倫理化せられ、神殿を固定する様になつても、其と併んで、多少の俤は残らない地方はない程根強いものであつた。

常世からする神に対する感情は、寧「人」と言ふのが適してゐた。又、其が「人」のする事である事を知つて居たからかも知れない。我々の祖先は、之に「まれびと」と命けた。思ふに「まれびと」は、数人の扮装した「神」が村内を巡行する形になつて居るのが普通であるが、成年者の人員が戸数だけあつたものとして、家毎に迎へ入れられて一夜泊つたものと思はれる。さうして其家の処女或は主婦は、神の杖代として一夜は神と起臥を共にする。扮装神の態度から神秘の破れる事の多い為に、「神」となる者の数が減り、家毎に泊る事はなくなつたのであらう。だから邑落生活に於ける女性は、悉く巫女としての資格を持つてゐなければならなかつた。

巫女の資格の第一は「神の妻(メ)」となり得るか如何と言ふ事である。村の処女は必神の嫁として神に仕へて後、人の妻となる事が許されたのである。後期王朝初頭に於いて、民間に設ける事を禁じた采女(ウネメ)制度は、古くは宮廷同様国々の豪族の上にも行はれた事なのである。邑落々々の現神なる豪族が神としての資格を以て、村のすべての処女を見る事の出来た風が、文化の進んだ世にも残つてゐたのだ。数多の常世神が、一つの神となつて、神々に仕へた処女を、現神一人が見る事に改まつて来たのである。而も、明らかに大きな現神を戴かなかつた島々・山間では、今に尚俤の窺はれる程、近い昔まで処女の貞操は、まづ常世神に献ずるものとして居たのである。初夜権の存在は、采女制度の時代から現代まで続いてゐると見てよい。「女」になるはじめに、此式を経る事もある。裳着は成女となる儀式である。形式だけだが、宮廷にすら、平安中期まで、之を存してゐた。

神の常任が神主の常任であると共に、巫女も大体に於いて常任せられ、初夜の風習も単なる伝承と化してしまふ。すると、巫女なる処女の貞操は、神或は現神以外の人間に対しては、厳重に戒しめられる事になる。即「人の妻(メ)」と「神の嫁」とは、別殊の人となるのである。かうした風の生じる以前の社会には、常世神の「一夜配偶(ヒトヨヅマ)」の風が行はれてゐたものと思ふ事が出来る。其一人数人の長老・君主に集中したものが、初夜権なのである。(折口信夫『「とこよ」と「まれびと」と』)

なにはともあれ、「たたる」ことが肝要である。「祟り」とは、ハイデガーの「エク・スターシス ek-stasis」、すなわち「エクスタシー的開け(エクスターティッシュ・オッフェンekstatisch offen)」に違いないのである。


・後代の人々の考へに能はぬ事は、神が忽然幽界から物を人間の前に表す事である。

・たゝると言ふ語は、記紀既に祟の字を宛てゝゐるから奈良朝に既に神の咎め・神の禍など言ふ意義が含まれて来てゐたものと見える。其にも拘らず、古いものから平安の初めにかけて、後代とは大分違うた用語例を持つてゐる。最古い意義は神意が現れると言ふところにある。

・たゝりはたつのありと複合した形で、後世風にはたてりと言ふところである。「祟りて言ふ」は「立有而言ふ」と言ふ事になる。神現れて言ふが内化した神意現れて言ふとの意で、実は「言ふ」のでなく、「しゞま」の「ほ」を示すのであつた。

・此序に言ふべきは、たゝふと言ふ語である。讃ふの意義を持つて来る道筋には、円満を予祝する表現をすると言ふ内容があつたのだとばかりもきめられない事である。「たつ」が語原として語根「ふ」をとつて、「たゝふ」と言ふ語が出来、「神意が現れる」「神意を現す様にする」「予祝する」など言ふ風に意義が転化して行つたものとも見られる。さう見ると、此から述べる「ほむ」と均しく、「たゝふ」が讃美の義を持つて来た道筋が知れる。だから、必しも「湛ふ」から来たものとは言へないのである。(折口信夫『「ほ」・「うら」から「ほかひ」へ』)


そして恋とは、魂乞ひであり、巫女とはその至高の表象である。






こゝに予め、説かねばならぬ一つは、恋愛を意味するこひなる語である。

こひは魂乞ひの義であり、而もその乞ひ自体が、相手の合意を強ひて、その所有する魂を迎へようとするにあるらしい。玉劔を受領する時の動作に、「乞ひ度(わた)す」と謂つた用語例もある。領巾・袖をふるのも、霊ごひの為である。又、仮死者の魂を山深く覓め行くのも、こひである。魂を迎へることがこひであり、其次第に分化して、男女の間に限られたのが恋ひであると考へてゐる。うたがきの形式としての魂ごひの歌が、「恋ひ歌」であり、同時に、相聞歌である。(折口信夫「日本文学の発生」)


そういえば、巫女の映画というものを観たことはないのだが、かつてあったのだろうかと探れば、あるにはあるようだ、だが行き当たったものはごく最近の作品「巫女っちゃけん」である。



ーー実に教育的な映画でスバラシイ

わたくし京都時代の住まいから歩いて5分ほどの場所に「梅宮大社」というまったく「大社」ではないお酒の神様を祀る神社があって、当時は桝酒が無料で飲めた。散歩がてら、あるいは煙草を買いにいくついでにしばしば訪れたものである。楼門前は、おそらく生活のためだろう、月極駐車場になっていた(最近ではあの下鴨神社でさえ経営難らしいが)。

梅苑は、梅の季節以外でもその鄙びた(ほとんど手入れされていない)佇まいーー菖蒲や紫陽花がことに美しかったーーを愛してしばしば訪れた。ところが入苑料をはらう窓口に坐っている巫女さんがしばしば居眠りしていて呼びかけてもなかなかオメザメにならないのである(梅の季節以外は、である)。不在のときも多かった。仕方なしにほぼつねに無銭入苑をさせていただいたことを懐かしく想い起してしまった。





さて話を戻せば、日活ロマンポルノ・リブート・プロジェクトにおいても、ぜひ巫女映画をつくるべきである。かつての黄金時代でさえ、日活ポルノ・エース監督の神代辰巳による、巫女の変種としての「凡庸な」映像しかないのである。


(四畳半襖の裏張り、神代辰巳、1973)


くりかえせばーーわたくしの偏見ではーー、梅摘みをする巫女が映像がこよなく重要である。すなわち卵よりも梅のほうがずっと大切である。

季節の関係でやむえないにしろ、西脇は、薔薇や菫、林檎や栗につけくわえて梅の実を歌うべきではなかったか。

灌木について語りたいと思うが
キノコの生えた丸太に腰かけて
考えている間に
麦の穂や薔薇や菫を入れた
籠にはもう林檎や栗を入れなければならない。
生垣をめぐらす人々は自分の庭の中で
神酒を入れるヒョウタンを磨き始めた。

ーー西脇順三郎「秋」


わたくしの場合、キノコ型のヒョウタンを磨き始めるためには、栗より梅のほうがずっと適している。

ラカンは次のように言っている。

トカゲの自傷、苦境のなかの尻尾切り。享楽の生垣での欲望の災難 l’automutilation du lézard, sa queue larguée dans la détresse. Mésaventure du désir aux haies de la jouissance(ラカン,E 853)

すなわち欲望の審級から享楽への審級に「エクスタシー的開け(エクスターティッシュ・オッフェンekstatisch offen)」をするためには、人は梅の生垣に穴をあけねばならぬ。

人生の通常の経験の関係の世界はあまりいろいろのものが繁茂してゐて永遠をみることが出来ない。それで幾分その樹を切りとるか、また生垣に穴をあけなければ永遠の世界を眺めることが出来ない。要するに通常の人生の関係を少しでも動かし移転しなければ、そのままの関係の状態では永遠をみることが出来ない。(西脇順三郎「あむばるわりあ あとがき(詩情)」より)




もっとも巫女たちに梅摘みではなく、むしろ笛をふいていただく事により、こよなきエロスを喚起する場合があるのを否定するつもりはない。




ふと今思いついたが、神社神殿の大奥に「笛吹きの間」、「梅摘みの間」、あるいは折口の示唆を受けて「一夜配偶(ヒトヨヅマ)の間」を設ければ、21世紀における神社経営難などすぐさま解消するのではなかろうか。ようするに巫女・采女の「たたり」による「とこよ」ビジネス・「まれびと」ビジネスである。あの緋袴の乙女たちに雑事を与えることのみに終始してしまうのはいかにも勿体無く、本来の「魂乞ひ」の仕事をさせねばならない。

なにはともあれ肝腎なのは、折口のいう「「しゞま」の「ほ」」である。「とこよ」ビジネスとはなにも性交などしなくてもよいのである。この点、20世紀後半の至高のトウサク映画作家ベルトルッチは、わが日活ロマンポルノにはるかに先行していた。

たとえば Novecento である。



ひとはロバート・デ・ニーロとジェラール・ドパルデューのあいだにいる女性は巫女ではないかと思いを馳せてみなければならない。事実、彼女はこのあと神のたたりをおこすのである。




くりかえして強調すれば、実に折口的映像である。

たゝりはたつのありと複合した形で、後世風にはたてりと言ふところである。「祟りて言ふ」は「立有而言ふ」と言ふ事になる。神現れて言ふが内化した神意現れて言ふとの意で、実は「言ふ」のでなく、「しゞま」の「ほ」を示すのであつた。(折口信夫『「ほ」・「うら」から「ほかひ」へ』)