このブログを検索

2018年9月7日金曜日

「あんたは女が一人いれば友達は全然いなくていいんじゃないの」

(佐野洋子さんに)「あんたは女が一人いれば友達は全然いなくていいんじゃないの」と言われてね、そういうことがパッと見えちゃう。自分では意識してなかったんですけど、本当にそうだったからショックでしたね。(「(語る 人生の贈りもの)谷川俊太郎:10 佐野洋子さんに見抜かれた本質」

このところ2016年2月に記した「詩なんてアクを掬いとった人生の上澄みね」にいくらかのアクセスがあるのでなんだろうと探ってみたら、それは谷川俊太郎の朝日新聞インタヴュー記事のせいのようだ。数日前気づいて、「母を売りに」のメモもこのインタヴューによる。

当時、「詩なんてアクを掬いとった人生の上澄みね」とは、たぶん佐野さんが言ったんだろうなと憶測していたが、 彼女は《言葉を信用していなくて詩のことを「スープのうわずみ」と言っていましたね》とのこと。

ところで「あんたは女が一人いれば友達は全然いなくていいんじゃないの」の谷川俊太郎は、2015年に次の詩句を書いている。

何もかもつまらんという言葉が
坦々麺を食べてる口から出てきた

この詩句がひどく気に入ってしまってたびたび引用しているのだが、なぜこんなに気に入ったのかは、「何もかもつまらん」と言い放つ調子とともにーーわたくしはしばしば同じようなことを呟いているーー、「タンタンメン」という音に魅せられたのだ。ラーメンでもたぬきうどんでもダメなのである。


坦々麺    谷川俊太郎 『詩に就いて』(思潮社、2015年04月30日発行)

何もかもつまらんという言葉が
坦々麺を食べてる口から出てきた
俺は本当にそう思ってるのかと
心の中で自問自答してみるが
詩人の常ではかばかしい答えはない
言葉は宙に浮いている でなきゃ
地下で縺れている
俺はそれを虚心に採集する
何もかもつまらんもそういう類いか
本心も本音も言葉の監獄につながれて
いち足すいちはにいいと言わせて
みんなの口角に微笑の形をつくらせる
笑みが本心であろうとなかろうと
無邪気な言葉に釣られて筋肉が動く
ひとり仏頂面でspontanceousの訳語を
頭の中でいじくり回してる奴が俺だ
そんな昔の記念写真が脳裡に浮かんで
思いがけず口から飛び出した言葉が
真偽を問わず詩を始めてしまう
坦々麺を食べながら詩人は赤面する


2015年とは谷川俊太郎、84才である。

佐野さんと離婚したあと(ネット情報では1996年離婚となっている)、彼はずっとひとりぐらしなんだろうか? 女はかたわらにいないんだろうか? たぶんときにはいるんだろうけど、あまり満足してないんじゃないだろうか?

じつはあの「タンタンメン」に魅せられたのは、「たんたんたぬきのきーんたま かーぜもないのに ぶーらぶら」を想起したせいでもあるんだ。

たぶんブーラブラのせいでなにもかもつまらんのではないでしょうか、
〈あなた〉はどうおもわれますか?