いやあいい詩だな、今まで知らなかったけど
背に母を負い
髪に母の息がかかり
掌に母の尻の骨を支え
母を売りに行った
飴を買い母に舐めらせ
寒くないかと問い
肩に母の指が喰いこみ
母を売りに行った
市場は子や孫たちで賑わい
空はのどかに曇り
値はつかず
冗談を交し合い
背で母は眠り込み
小水を洩らし
電車は高架を走り
まだ恋人たちも居て
使い古した宇宙服や
からっぽのカセット・テープ
僅かな野花も並ぶ市場へ
誰が買ってくれるのか
母を売りに行った
声は涸れ
足は萎え
母を売りに行った
⋯⋯⋯⋯
五分前に言ったことを忘れて同じことを何度でも繰り返す
それがすべての始まりだった
何十個も鍋を焦がしながらまだ台所をうろうろし
到来物のクッキーの缶を抱えて納戸の隅に鼠のように隠れ
呑んべだった母は盗み酒の果てにオーデコロンまで飲んだ
時折思い出したように薄汚れたガウン姿でピアノの前に坐り
猥褻なアルペジオの夕立を降らせた
あれもまた音楽だったのか
その後口もきけず物も食べられず管につながれて
病院のベッドに横たわるだけになった母を父は毎日欠かさず見舞った
「帰ろうとすると悲しそうな顔をするんだ」
CTスキャンでは脳は萎縮して三歳児に等しいということだった
四年七ケ月病院にいて母は死んだ
病室の母を撮ったビデオを久しぶりに見ると
繰り返されるズームの度に母の寝顔は明るくなり暗くなり
ぼくにはどんな表情も見わけることができない
うしろでモーツァルトのロンドイ短調ケッヘル五一一番が鳴っている
まるで人間ではない誰かが気まぐれに弾いているかのうようだ
うつろいやすい人間の感情を超えて
それが何かを告げようとしているのは確かだが
その何かはいつまでも隠されたままだろう
ぼくらの死のむこうに
ーー谷川俊太郎「二つのロンド」より
ぼくの母はピアノが上手だった
小学生のぼくにピアノを教えるときの母はこわかった
呆けてから毎晩のようにぼくに手紙を書いた
どの手紙にもあなたのお父さんは冷たい人だと書いてあった
お父さんのようにはならないで下さいお願いだから
五年前に母は死に去年父も死んだ
ーー谷川俊太郎「ザルツブルグ散歩」より