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2018年11月11日日曜日

諸悪の根源『アンチ・オイディプス』

1966年に邦訳されたマンディアルグの『海の百合 Le Lis de mer』(1956年)は、とっても美しい中編小説だけれど、吉行淳之介が、精神分析的な種明かしがある最後の箇所だけはカットすべきだ、そこだけがこの小説の傷だという意味のことを言っていた。そうだな、あの部分はいらないかもな、と思った。

1970年前後までのほぼ半世紀は精神分析、とくにフロイトが支配的イデオロギーだったんだろう。だからドゥルーズ &ガタリの『アンチ・オイディプス』(1972年)が書かれフロイトを叩いた。あの書は支配的イデオロギーへのゲリラ戦法的書の側面が大きくある。

で、ゲリラ戦法が効きすぎたせいもあり、多くのインテリはこの書に踊って、精神分析にまったく無知な連中が跳梁跋扈する世界が出来上がった。

あるいは、セクシャリティについて20世紀に最も重要な貢献をした思想家であるのは間違いないフロイトを、フェミニストさえほとんど読んでいない世界が出来上がった。

ドゥルーズ はラカンを褒めてはいるから、フロイトを読まずにラカンにだけにはそれなりに敬意を表する「フリをする」インテリたちはいまでもいる。でもラカンなんてのはフロイトを読んでなかったら、ナーンニモわかんねえに決まってる。

なんでこんなに基本的なことがわかってない学者や批評家や小説家などがエラッソウにモノ言ってんだろ、とツイッターの片言隻語を垣間見て茫然自失してまうことがしばしばあるボクは、「流行外れ=反時代的」なのを十分自覚しているけどさ。

ニーチェの「メタ心理学」もまったく読めないだろうよ、

ニーチェによって獲得された自己省察(内観 Introspektion)の度合いは、いまだかつて誰によっても獲得されていない。今後もおそらく誰にも再び到達され得ないだろう。Eine solche Introspektion wie bei Nietzsche wurde bei keinem Menschen vorher erreicht und dürfte wahrscheinlich auch nicht mehr erreicht werden." (フロイト、於ウィーン精神分析協会会議 1908年 Wiener Psychoanalytischen Vereinigung)


ま、いろんなニーチェがいるとはいえ、連中はせいぜいニーチェの気合いが好きなだけさ。

これまで全ての心理学は、道徳的偏見と恐怖に囚われていた。心理学は敢えて深淵に踏み込まなかったのである。生物的形態学 morphologyと力への意志 Willens zur Macht 展開の教義としての心理学を把握すること。それが私の為したことである。誰もかつてこれに近づかず、思慮外でさえあったことを。…

心理学者は…少なくとも要求せねばならない。心理学をふたたび諸科学(人間学 Wissenschaften)の女王として承認することを。残りの人間学は、心理学の下僕であり心理学を準備するためにある。なぜなら,心理学はいまやあらためて根本的諸問題への道だからである。(ニーチェ『善悪の彼岸』第23番、1886年)

ここんとこ、シュルレアリスト的気分だな、《最も単純なシュルレアリスト的行為は、ピストル片手に街に飛び出し、無差別に群衆を撃ちまくる事だ》(アンドレ・ブルトン)

小林秀雄の三分の一程度の知力でもいいから、なんとか復活させろよ、メタ心理学を。いまからでも遅くない。

反道徳とか、反キリストとか、超人とか、ニヒリスムとか、孤独とかいう言葉は、ニイチェの著作から取り上げられ、誤解され、濫用されているが、これらの言葉は、近代における最も禁欲的な思想家の過剰な精神力から生れた言葉だと思えば、誤解の余地はないだろう。彼は妹への手紙で言っている、「自分は生来おとなしい人間だから、自己を喚び覚ますために激しい言葉が必要なのだ」と。ニイチェがまだ八つの時、学校から帰ろうとすると、ひどい雨になった。生徒たちが蜘蛛の仔を散らすように逃げ還る中で、彼は濡れないように帽子を石盤上に置き、ハンケチですっかり包み、土砂降りの中をゆっくり歩いて還って来た。母親がずぶ濡れの態を咎めると、歩調を正して、静かに還るのが学校の規則だ、と答えた。発狂直前のある日、乱暴な馬車屋が、馬を虐待するのに往来で出会い、彼は泣きながら走って、馬の首を抱いた。ちなみに彼はこういうことを言っている、「私は、いつも賑やかさのみに苦しんだ。七歳の時、すでに私は、人間らしい言葉が、決して私に到達しないことを知った」。およそ人生で宗教と道徳くらい賑やかな音を立てるものはない。ニイチェは、キリストという人が賑やかだ、と考えたことは一度もない。(小林秀雄「ニイチェ雑感」)


どこへ行ったのだ、きみたちの心のうぶ毛は?

・どこへ行ったのだ、わたしの目の涙は? わたしの心のうぶ毛 Flaum meinem Herzen は?

・わたしの所有している最も傷つきやすいものを目がけて、人々は矢を射かけた。つまり、おまえたちを目がけて。おまえたちの膚はうぶ毛に似ていた。それ以上に微笑に似ていた、ひとにちらと見られるともう死んでゆく微笑に。

・そうだ、傷つけることのできないもの、葬ることのできないもの、岩をも砕くものが、わたしにはそなわっている。その名はわたしの意志 Wille だ。それは黙々として、屈することなく歳月のなかを歩んでゆく。(『ツァラトゥストラ』第二部「墓の歌」)