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2018年11月27日火曜日

パニック障害とサントーム

いやあ、ボクは臨床のことはぜんぜん知らないからな、そんなこときいてこられてもなんとも言えないね。ボクが「臨床」として興味があるのは、いままで深く関係した何人かの女たちと母、そしてボクのことだけだね。

でもせっかくだから、以下、以前に記したことをいくらか結合させて簡潔に貼り付けておくよ、テキトウにね。

そもそもたぶん中井久夫は、阪神大震災被災を契機に「分裂病」の人から「外傷神経症」あるいは「現勢神経症(現実神経症)」の人に移行しているよ

戦争神経症は外傷神経症でもあり、また、現実神経症という、フロイトの概念でありながらフロイト自身ほとんど発展させなかった、彼によれば第三類の、神経症性障害でもあった。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収)

分裂病の底には、外傷神経症があるのではないかとまで匂わせているんだから。

統合失調症と外傷との関係は今も悩ましい問題である。そもそもPTSD概念はヴェトナム復員兵症候群の発見から始まり、カーディナーの研究をもとにして作られ、そして統合失調症と診断されていた多くの復員兵が20年以上たってからPTSDと再診断された。後追い的にレイプ後症候群との同一性がとりあげられたにすぎない。われわれは長期間虐待一般の受傷者に対する治療についてはなお手さぐりの状態である。複雑性PTSDの概念が保留になっているのは現状を端的に示す。いちおう2012年に予定されているDSM-Ⅴのためのアジェンダでも、PTSDについての論述は短く、主に文化的相違に触れているにすぎない。

しかし統合失調症の幼少期には外傷的体験が報告されていることが少なくない。それはPTSDの外傷の定義に合わないかもしれないが、小さなひびも、ある時ガラスを大きく割る原因とならないとも限らない。幼児心理において何が重大かはまたまだ探求しなければならない。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収)

あるいはこうもある。

今日の講演を「外傷性神経症」という題にしたわけは、私はPTSDという言葉ですべてを括ろうとは思っていないからです。外傷性の障害はもっと広い。外傷性神経症はフロイトの言葉です。

医療人類学者のヤングいよれば、DSM体系では、神経症というものを廃棄して、第4版に至ってはついに一語もなくなった。ところがヤングは、フロイトが言っている神経症の中で精神神経症というものだけをDSMは相手にしているので、現実神経症と外傷性神経症については無視していると批判しています(『PTSDの医療人類学』)。

もっともフロイトもこの二つはあんまり論じていないのですね。私はとりあえずこの言葉(外傷性神経症)を使う。時には外傷症候群とか外傷性障害とか、こういう形でとらえていきたいと思っています。(中井久夫「外傷神経症の発生とその治療の試み」初出2002.9『徴候・記憶・外傷』所収)


現実神経症(現勢神経症)とは、フロイトが次のように記述しているもの。

原抑圧 Verdrängungen (固着)は現勢神経症 Aktualneurose の原因として現れ、抑圧Verdrängungenは精神神経症 Psychoneurose に特徴的である。(……)

現勢神経症 Aktualneurosen の基礎のうえに、精神神経症 Psychoneurosen が発達する。(……)

外傷性戦争神経症 traumatischen Kriegsneurosenという名称はいろいろな障害をふくんでいるが、それを分析してみれば、おそらくその一部分は現勢神経症 Aktualneurosen の性質をわけもっているだろう。(フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)
現勢神経症 Aktualneurosenの三つの純粋な形式 drei reine Formenは、神経衰弱Neurasthenie,、不安神経症Angstneurose、心気症 Hypochondrie である。…

現勢神経症 Aktualneurose の症状は、しばしば、精神神経症 psychoneurose の症状の核Kernであり、先駆け Vorstufe である。この種の関係は、神経衰弱 neurasthenia と「転換ヒステリー Konversionshysterie」として知られる転移神経症 Übertragungsneurose、不安神経症 Angstneurose と不安ヒステリー Angsthysterie とのあいだで最も明瞭に観察される。しかしまた、心気症 Hypochondrie とパラフレニア Paraphrenie (早期性痴呆 dementia praecox と パラノイア paranoia) の名の下の障害形式のあいだにもある。(フロイト『精神分析入門』第24章、1917年)

ーーパラフレニア Paraphrenie (早期性痴呆 dementia praecox と パラノイア paranoia)とあるけれど、早期性痴呆 dementia praecoxとは、分裂病のこと、《クレーペリンの早発性痴呆 Dementia praecox Kraepelins (ブロイラーの精神分裂病 Schizophrenie Bleulers)》(フロイト『無意識について』1915年)


つまり、フロイトにおいてもすでに、分裂病は、心気症(現勢神経症)の地階に対する上階なんだよ。



この区分でとても考えさせられることは、現在の女性たちにおいてヒステリー症状が少なくなって、パニック障害が多くなったことだな。パニック障害は、フロイトの不安神経症のことだと、ボクがしばしば依拠するポール・バーハウーー彼はフロイトよりのラカン派だーーが言っているんだ。

「現勢神経症」カテゴリーにおいて、フロイトが最も強調するのは、「不安神経症」である。……

実に、「パニック障害」についてのDSM–IVの叙述は、ほとんど正確にフロイトの「不安神経症」の叙述と同じである。(ACTUAL NEUROSIS AND PTSD、Paul Verhaeghe and Stijn Vanheule、2005)
DSM–IV のパニック障害panic disorder、身体化障害somatization、分類困難な身体表現性障害Undifferentiated somatoform disorderは、フロイトの現勢神経症Aktualneurose として理解されうる。(ポール・バーハウ他、Actual neurosis as the underlying psychic structure of panic disorder, somatization, and somatoform disorder, 2007)

なぜ不安神経症的症状が現在おおくなったのかと言えば、ようは父の斜陽(象徴的権威の崩壊)の時代には、上階の「不安ヒステリー(抑圧の症状)はすくなくなって、地階の「不安神経症」(固着、身体の症状)が裸のまま出現しているという理解がなされうるわけ。

フロイトは『夢解釈』以前の1894年にこう書いている。

・不安神経症 Angstneuroseと神経衰弱 Neurasthenie は…興奮の源泉や障害の誘引が身体領域 somatischem Gebiete にある。…他方、ヒステリーと強迫神経症は心的psychischem領域にある。

・不安神経症 Angstneuroseにおける情動 Affekt は…抑圧された表象に由来しておらず、心理学的分析psychologischer Analyse においてはそれ以上には還元不能 nicht weiter reduzierbarであり、精神療法 Psychotherapie では対抗不能 nicht anfechtbarである。 (フロイト『ある特定の症状複合を「不安神経症」として神経衰弱から分離することの妥当性について』1894年)

だからパニック障害というのは、身体の症状だよ。心の症状じゃないはずだな。

DSMについてはまったく詳しくないけれど、最近のDSM5の記述を図示すればこうなるらしい。



Panic Disorder and Panic Attacks



身体の症状(GAD)とかPTSDとかがパニック発作のまわりを取り巻いているわけで、ま、パニック障害(PD)が、不安神経症、あるいは外傷神経症にかかわるのはこの分類からみてもアッタリマエだね、

フロイト・ラカン派においての外傷の意味は、事故的トラウマというよりも、リビドーの「身体の上への刻印」という意味でのトラウマ。中井久夫なんか単語の記憶も外傷的だと言っているぐらいで、通念としてのトラウマとは異なることに注意。

で、ラカン派観点からも面白いのは、フロイトが不安神経症について《還元不能 nicht weiter reduzierbar》と記していたけど、これはラカンのサントーム(原症状)をめぐる発言にも同様に出現することだ。

四番目の用語(サントーム=原症状)にはどんな根源的還元もない Il n'y a aucune réduction radicale、それは分析自体においてさえである。というのは、フロイトが…どんな方法でかは知られていないが…言い得たから。すなわち原抑圧 Urverdrängung があると。決して取り消せない抑圧である。この穴を包含しているのがまさに象徴界の特性である。そして私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する。(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)

つまり、フロイト/ラカンのあいだにあるかもしれない「現勢神経症/サントーム」のあいだの微妙な境界差異を除けば、基本的には次のように図示できるわけだ。





というわけで、勝手なことを言わせてもらえば、パニック障害とはサントーム(原症状)だよ。


症状は身体の出来事である。le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps(ラカン、JOYCE LE SYMPTOME,AE.569、16 juin 1975)

ーーこの文における「症状 symptôme」は、「サントーム sinthome」のこと。《サントームは身体の出来事として定義される Le sinthome est défini comme un événement de corps》  (miller,  2011)

身体の出来事は、トラウマの審級にある。衝撃、不慮の出来事、純粋な偶然の審級に。événement de corps…est de l'ordre du traumatisme, du choc, de la contingence, du pur hasard

…この享楽は、固着の対象である。elle est l'objet d'une fixation

…女性の享楽は、純粋な身体の出来事である。la jouissance féminine est un pur événement de corps (ジャック=アラン・ミレール 、Miller,  L'Être et l'Un 、2011)


で、還元不能の症状だとあったけれど、つまり治癒不能の症状だということだ。

私は外傷患者とわかった際には、①症状は精神病や神経症の症状が消えるようには消えないこと、②外傷以前に戻るということが外傷神経症の治癒ではないこと、それは過去の歴史を消せないのと同じことであり、かりに記憶を機械的に消去する方法が生じればファシズムなどに悪用される可能性があること、③しかし、症状の間隔が間遠になり、その衝撃力が減り、内容が恐ろしいものから退屈、矮小、滑稽なものになってきて、事件の人生における比重が減って、不愉快な一つのエピソードになってゆくなら、それは成功である。これが外傷神経症の治り方である。④今後の人生をいかに生きるかが、回復のために重要である。⑤薬物は多少の助けにはなるかもしれない。以上が、外傷としての初診の際に告げることである。(中井久夫「外傷性記憶とその治療ーー一つの方針」初出2003年)


外傷神経症(現勢神経症)あるいサントーム(原症状)とは、究極的には次のフロイトの記述に還元される筈。

「トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma」と「反復強迫 Wiederholungszwang」は…絶え間ない同一の傾向 ständige Tendenzen desselbenをもっており、「不変の個性刻印 unwandelbare Charakterzüge」 と呼びうる。(フロイト『モーセと一神教』1939年)

主流ラカン派的なひねくりまわした記述だとこうなる。

精神分析における主要な現実界の到来 l'avènement du réel majeur は、固着としての症状 Le symptôme, comme fixion・シニフィアンと享楽の結合 coalescence de signifant et de jouissance としての症状である。…現実界の到来は、文字-固着 lettre-fixion、文字-非意味の享楽 lettre a-sémantique, jouie である。(コレット・ソレール、"Avènements du réel" Colette Soler, 2017年)
「一」Unと「享楽」jouissanceとの結びつき connexion (=サントーム)が分析的経験の基盤であると私は考えている。そしてそれはまさにフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである。⋯⋯

抑圧 Verdrängung はフロイトが固着 Fixierung と呼ぶもののなかに基盤がある。フロイトは、欲動の居残り(欲動の置き残し arrêt de la pulsion)として、固着を叙述した。通常の発達とは対照的に、或る欲動は居残る une pulsion reste en arrière。そして制止inhibitionされる。フロイトが「固着」と呼ぶものは、そのテキストに「欲動の固着 une fixation de pulsion」として明瞭に表現されている。リビドー発達の、ある点もしくは多数の点における固着である。Fixation à un certain point ou à une multiplicité de points du développement de la libido(ジャック=アラン・ミレール、L'être et l'un、IX. Direction de la cure、2011年)

ーー《シニフィアンと享楽の結合 coalescence de signifant et de jouissance としての症状》あるいは《「一」Unと「享楽」jouissanceとの結びつき connexion (=サントーム)》とあるけれど、ここでの「享楽」は「身体」に置き換えてよい、《ラカンは、享楽によって身体を定義する définir le corps par la jouissance ようになった。》(ジャック=アラン・ミレール 、 L'Être et l 'Un - Année 2011 、25/05/2011)

で、シニフィアン+身体とは文字固着のこと。

後年のラカンは「文字理論」を展開させた。この文字 lettre とは、「固着 Fixierung」、あるいは「身体の上への刻印 inscription」を理解するラカンなりの方法である。(ポール・バーハウ『ジェンダーの彼岸』2001年)

ようするに 身体の上への刻印「一」のあるところには常に、《「一」と身体がある Il y a le Un et le corps》(Hélène Bonnaud、Percussion du signifiant dans le corps à l'entrée et à la fin de l'analyse、2013)

以上、ひどくテキトウに記したからな、あまり信用しないように。


⋯⋯⋯⋯

※追記






ーーさきほど掲げた図のパニック障害PDの箇所のみを取り出せばこうだ。このパニック障害PDは、「頻繁な自発的 spontaneous 発作」とあるけれど、この記述は、不安神経症障害だよ、フロイトの言うね。

不安神経症障害は、時に自発的に起こる。Störungen der Angstneurose disponiert, die irgend einmal spontan (フロイト『ある特定の症状複合を「不安神経症」として神経衰弱から分離することの妥当性について』1894年)

ようするに自動的反復強迫だ。ラカン派的に言えば、《サントーム sinthome=身体の自動享楽 auto-jouissance du corps 》

反復的享楽 La jouissance répétitive、これを中毒の享楽と言い得るが、厳密に、ラカンがサントームと呼んだものは、中毒の水準 niveau de l'addiction にある。この反復的享楽は「一のシニフィアン le signifiant Un」・S1とのみ関係がある。その意味は、知を代表象するS2とは関係がないということだ。この反復的享楽は知の外部 hors-savoir にある。それはただ、S2なきS1(S1 sans S2)を通した身体の自動享楽 auto-jouissance du corps に他ならない。(L'être et l'un、notes du cours 2011 de jacques-alain miller)

で、先ほどの図にあった avoidance のほうは、上にフロイト最晩年の論文の触りを引用したけど、その後の記述にある「回避 Vermeidungen」のこと。つまり上のパニック障害の記述は、フロイトの記述のパクリだね。

われわれの研究が示すのは、神経症の現象 Phänomene(症状 Symptome)は、或る経験Erlebnissenと印象 Eindrücken の結果だという事である。したがってその経験と印象を「病因的トラウマ ätiologische Traumen」と見なす。…

トラウマの影響は二種類ある。ポジ面とネガ面である。

ポジ面は、トラウマを再生させようとする Trauma wieder zur Geltung zu bringen 試み、すなわち忘却された経験の想起、よりよく言えば、トラウマを現実的なものにしようとするreal zu machen、トラウマを反復して新しく経験しようとする Wiederholung davon von neuem zu erleben ことである。さらに忘却された経験が、初期の情動的結びつきAffektbeziehung であるなら、誰かほかの人との類似的関係においてその情動的結びつきを復活させることである。

これらの尽力は「トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma」と「反復強迫Wiederholungszwang」の名の下に要約される。

これらは、標準的自我 normale Ich と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向 ständige Tendenzen desselbenをもっており、「不変の個性刻印 unwandelbare Charakterzüge」 と呼びうる。…

ネガ面の反応は逆の目標に従う。忘却されたトラウマは何も想起されず、何も反復されない。我々はこれを「防衛反応 Abwehrreaktionen」として要約できる。その基本的現れは、「回避 Vermeidungen」と呼ばれるもので、「制止 Hemmungen」と「恐怖症 Phobien」に収斂しうる。これらのネガ反応もまた、「個性刻印 Prägung des Charakters」に強く貢献している。

ネガ反応はポジ反応と同様に「トラウマへの固着 Fixierungen an das Trauma」である。それはただ「反対の傾向との固着Fixierungen mit entgegengesetzter Tendenz」という相違があるだけである。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)