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2020年1月28日火曜日

魔女狩りのほうもお忘れないように

まったく関心がなかったが、フランシスコ法王はこんなことを仰られる人物なのか。

もし私たちが記憶を失うなら、私たちは未来を破壊するのです。ホロコースト、75年前に人類が学んだ言語の絶した残酷さの記念が、立ち止まり、静かに佇み、思い出すことの呼びかけとして働きますように。私たちはこれをしなければならないのです、私たちが無関心になってしまわないように。

Pope Francis@Pontifex If we lose our memory, we destroy our future. May the anniversary of the Holocaust, the unspeakable cruelty that humanity learned of 75 years ago, serve as a summons to pause, to be still and to remember. We need to do this, lest we become indifferent.

とっても立派なことを仰られる方だな、「敬愛」するよ。でも魔女狩りのほうもお忘れないように。あんたの子分、あんたの信者には、魔女裁判資質をフンダンにもった人間がいまでもウヨウヨしてんだから。

魔女狩りが宗教戦争によって激化された面はあっても二次的なものである。この問題に関してだけはカトリックとプロテスタントがその立場を越えて互いに協力するという現象がみられるからである。互いに相手の文献や記述を引用しながら魔女狩りの根拠としてさえいる。さらに教会人も世俗人もともに協力しあった。つまり魔女狩りは非常に広範な ”合意" "共同戦線"によって行なわれた。そして組織的な警察などの治安維持機構のないところで、新知識のロー マ法的手続きで武装した大学卒の法官たちは、民衆の名ざすままに判決を下していった。市民法のローマ法化たとえばニュルンベルク法の成立と魔女狩りの開始は時期を一にする。

法官は、サタンが契約によってその軍勢である魔女をどんどんふやして全人類のためのキリストの儀牲を空無に帰せしめようとしている、と観念した。多くの者の危機感はほんものであり、「焼けども焼けども魔女は増える一方である」との嘆声がきこえる。独裁者が被害妄想を病むことは稀れでないが、支配階層の相当部分がかくも強烈な集団被害妄想にかかることは稀れであって、次は『魔女の槌』に代わって四〇〇年後に『我が闘争』をテキストにした人たちまで待たなければならない。法における正義を追求したジャン・ポーダンのような戦闘的啓蒙主義者が、同時に苛烈な魔女狩り追求者であったことをどう理解すべきであろうか。おそらく共通項は、ほとんど儀式的・強道的なまでの「清浄性」の追求にあるだろう。世界は、不正と同じく魔女のようないかがわしく不潔なものからクリーンでなければならなかったのである。死刑執行費がか遺族に請求されたが、その書類の形式まで四O○年後のナチスと酷似しているのは、民衆の求めた祝祭的・豊饒儀礼的な面とは全く別のシニカルなまでに強迫的な面である。また、科学に類比的な面もないではなかった。すべての魔女を火刑にする酷薄さには、ペストに対してとられた、同様に酷薄な手段、すなわち患者を放置し患者の入市や看護を死刑をもって禁ずるという方法が有効であったことが影響を与えているだろう。

魔女狩りの個々の内容については多くの成書に譲ってここでは詳述しない。(中井久夫「西欧精神医学背景史」『分裂病と人類』所収、p128)



宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆のアヘンである。(マルクス「ヘーゲル法哲学批判・序説」)
十歳か十二歳かの少年だったころ、父は私を散歩に連れていって、道すがら私に向って彼の人生観をぼつぼつ語りきかせた。彼はあるとき、昔はどんなに世の中が住みにくかったかということの一例を話した。「己の青年時代のことだが、いい着物をきて、新しい毛皮の帽子をかぶって土曜日に町を散歩していたのだ。するとキリスト教徒がひとり向うからやってきて、いきなり己の帽子をぬかるみの中へ叩き落した。そうしてこういうのだ、『ユダヤ人、舗道を歩くな』」「お父さんはそれでどうしたの?」すると父は平然と答えた、「己か。己は車道へ降りて、帽子を拾ったさ」(フロイト『夢解釈』1900年)
教会、つまり信者の共同体…そこにときに見られるのは他人に対する容赦ない敵意の衝動である。…宗教は、たとえそれが愛の宗教と呼ばれようと、所属外の人たちには過酷で無情なものである。もともとどんな宗教でも、根本においては、それに所属するすべての人びとにとっては愛の宗教であるが、それに所属していない人たちには残酷で偏狭になりがちである。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第5章、1921年)
ユダヤ人であったおかげで、私は、他の人たちが知力を行使する際制約されるところの数多くの偏見を免れたのでした。ユダヤ人の故に私はまた、排斥運動に遭遇する心構えもできておりましたし、固く結束した多数派に与することをきっぱりあきらめる覚悟もできたのでした。(フロイト『ブナイ・ブリース協会会員への挨拶』1926年)
わたくしをこわがらせるのは、社会的なものとしての教会でございます。教会が汚れに染まっているからということだけではなく、さらに教会の特色の一つが社会的なものであるという事実でございます。わたくしが非常に個人主義的な気質だからではございません。わたくしはその反対の理由でこわいのです。わたくしには、人々に雷同する強い傾向があります。わたくしは生れつきごく影響されやすい、影響されすぎる性質で、とくに集団のことについてそうでございます。もしいまわたくしの前で二十人ほどの若いドイツ人がナチスの歌を合唱しているとしたら、わたくしの魂の一部はたちまちナチスになることを、わたくしは知っております。これはとても大きな弱点でございます。けれどもわたくしはそういう人間でございます。生れつきの弱点と直接にたたかっても、何もならないと思います。(…)

わたくしはカトリックの中に存在する教会への愛国心を恐れます。愛国心というのは地上 の祖国に対するような感情という意味です。わたくしが恐れるのは、伝染によってそれに染まることを恐れるからです。教会にはそういう感情を起す価値がないと思うのではありません。 わたくしはそういう種類の感情を何も持ちたくないからです。持ちたくないという言葉は適当ではありません。すべてそういう種類の感情は、その対象が何であっても、いまわしいもので あることをわたくしは知っております。それを感じております。(シモーヌ・ヴェイユ書簡--ペラン神父宛『神を待ちのぞむ Attente de Dieu』所収)



愛しているときのわたしはいたって排他的になる。(フロイト『書簡集』)
ただ一人の者への愛は一種の野蛮である。それはすべての他の者を犠牲にして行なわれるからである。神への愛もまた然りである。(ニーチェ『善悪の彼岸』)
愛は、人間が事物を、このうえなく、ありのままには見ない状態である。甘美ならしめ、変貌せしめる力と同様、幻想の力がそこでは絶頂に達する。(ニーチェ『反キリスト者』)



ナチによる大量虐殺に加担したのは熱狂者でもサディストでも殺人狂でもない。自分の私生活の安全こそが何よりも大切な、ごく普通の家庭の父親達だ。彼らは年金や妻子の生活保障を確保するためには、人間の尊厳を犠牲にしてもちっとも構わなかったのだ。(ハンナ・アーレント『悪の陳腐さ』)
耐え難いのは差異ではない。耐え難いのは、ある意味で差異がないことだ。サラエボには血に飢えたあやしげな「バルカン人」はいない。われわれ同様、あたりまえの市民がいるだけだ。この事実に十分目をとめたとたん、「われわれ」を「彼ら」から隔てる国境は、まったく恣意的なものであることが明らかになり、われわれは外部の観察者という安全な距離をあきらめざるをえなくなる。 (ジジェク『快楽の転移』)






2019年9月27日金曜日

人はみな言語による操り人形である

斎藤環がグレタ・トゥンベリについてこう囀っている。

斎藤環@pentaxxx 2019年09月25日
彼女が大人の傀儡とも病んでいるとも思わない。傀儡は紋切り型の死んだ言葉しか言えないから。彼女の言葉は彼女自身のものだ。これが冷笑されてセクシー小泉が半笑いで許されいている状況にはくみしたくないな。正しいと思えたときに正しいと言えなければ人間には何もない、って言葉を思い出したよ。 https://twitter.com/nhk_news/status/1176481749427208194

ーーこの斎藤環の鳥語自体がひどく紋切り型に読めてしまうのだが、ボクの偏見かね?

ま、すくなくとも原理を問うことを忘れてしまった退行の世紀の精神科医の言葉だな。

私は歴史の終焉ではなく、歴史の退行を、二一世紀に見る。そして二一世紀は二〇〇一年でなく、一九九〇年にすでに始まっていた。科学の進歩は思ったほどの比重ではない。科学の果実は大衆化したが、その内容はブラック・ボックスになった。ただ使うだけなら石器時代と変わらない。(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」初出2000年『時のしずく』所収)


というわけで、「退行の世紀21世紀版紋切型辞典」二項目追加である。

【操り人形】:傀儡は紋切り型の死んだ言葉しか言えない

ーー「彼女の言葉は彼女自身のものだ」ともあるが「自分の言葉」なるものを話していたら、操り人形でないってわけかな? すくなくとも人はみな「見えない制度」の操り人形のはずだがね。

重要なことは、われわれの問いが、我々自身の“説明”できない所与の“環境”のなかで与えられているのだということ、したがってそれは普遍的でもなければ最終的でもないということを心得ておくことである。(柄谷行人『隠喩としての建築』1983年)
資本主義社会では、主観的暴力((犯罪、テロ、市民による暴動、国家観の紛争、など)以外にも、主観的な暴力の零度である「正常」状態を支える「客観的暴力」(システム的暴力)がある。(……)暴力と闘い、寛容をうながすわれわれの努力自体が、暴力によって支えられている。(ジジェク『暴力』2007年)

ーーま、もっともそんなレベルの話をしているわけじゃないって返されるのだろうがね。


【ポリコレ】:正しいと思えたときに正しいと言えなければ人間には何もない

ーー二番目については、ここでも斉藤環が尊敬しているらしい中井久夫の言葉を引用しておこう。

一般に「正義われにあり」とか「自分こそ」という気がするときは、一歩下がって考えなおしてみてからでも遅くない。そういうときは視野の幅が狭くなっていることが多い。 (中井久夫『看護のための精神医学』2004年)

………

ここでみなさんにタマキちゃんの言葉がトッテモ紋切型か否かを判断していただくために、クンデラと蓮實の注釈を示しておこう。

フローベールは、自分のまわりの人々が知ったかぶりを気取るために口にするさまざまの紋切り型の常套語を、底意地の悪い情熱を傾けて集めています。それをもとに、彼はあの有名な『紋切型辞典』を作ったのでした。この辞典の表題を使って、次のようにいっておきましょう。すなわち、現代の愚かさは無知を意味するのではなく、先入見の無思想を意味するのだと。フローベールの発見は、世界の未来にとってはマルクスやフロイトの革命的な思想よりも重要です。といいますのも、階級闘争のない未来、あるいは精神分析のない未来を想像することはできるとしても、さまざまの先入見のとどめがたい増大ぬきに未来を想像することはできないからです。これらの先入見はコンピューターに入力され、マス・メディアに流布されて、やがてひとつの力となる危険がありますし、この力によってあらゆる独創的で個人的な思想が粉砕され、かくて近代ヨーロッパの文化の本質そのものが息の根をとめられてしまうことになるでしょう。(クンデラ『エルサレム講演』)
あらゆる項目がそうだとは断言しえないが、『紋切型辞典』に採用されたかなりの単語についてみると、それが思わず誰かの口から洩れてしまったのは、それがたんに流行語であったからではなく、思考さるべき切実な課題をかたちづくるものだという暗黙の申し合わせが広く行きわたっていたからである。その単語をそっと会話にまぎれこませることで一群の他者たちとの差異がきわだち、洒落ているだの気が利いているだのといった印象を与えるからではなく、それについて語ることが時代を真摯に生きようとする者の義務であるかのような前提が共有されているから、ほとんど機械的に、その言葉を口にしてしまうのだ。そこには、もはやいかなる特権化も相互排除も認められず、誰もが平等に論ずべき問題だけが、人びとの説話論的な欲望を惹きつけている。問題となった語彙に下された定義が肯定的なものであれ否定的なものであれ、それを論じることは人類にとって望ましいことだという考えが希薄に連帯されているのである。(蓮實重彦『物語批判序説』)

フローベール自身からも一つだけ抜き出しておこう(1852年暮れの年上の女友達への手紙における紋切型辞典の構想)

ぼくは、誰からも容認されてきたすべてのことがらを、歴史的な現実に照らし合わせて賞讃し、多数派がつねに正しく、少数派はつねに誤っていると判断されてきた事実を示そうと思う。偉大な人物の全員を阿呆どもに、殉教者の全員を死刑執行人どもに生贄として捧げ、それを極度に過激な、火花の散るような文体で実践してみようというのです。従って文学については、凡庸なものは誰にでも理解しうるが故にこれのみが正しく、その結果、あらゆる種類の独自性は危険で馬鹿げたものとして辱めてやる必要がある、ということを立証したいのです。……そもそもこの弁証論の目的は、いかなる意味での超俗行為をも断固として排撃することにあるのだと主張したい。(フローベール書簡、1852年)

というわけで冷笑家の系列の言葉たちであり、21世紀のいまでは古いってんだろうがね、退行の21世紀のああいったクリシェが、18世紀以前に戻ってしまってとっても古いというのは自覚的でないんだろうよ。

………

そもそも16歳の少女グレタ・トゥンベリの言葉が何ものかの操り人形(傀儡)ではないという事態があり得るのかね。ここではごく標準的な頭脳なら、「子供を使った政治主張」の疑いを抱くだろうという話はしないでおくが(参照:グレタ・トゥンベリ16歳 環境団体のパペットに振り回される国際社会とメディア)。

20世紀版「紋切型」辞典によれば、「人はみな言語による操り人形である」なんだがな。

もはや、われわれには引用しかないのです。言語とは、引用のシステムにほかなりません。(ボルヘス 『砂の本』1975年)
フロイト的経験の光の下では、人間は言語によって囚われ拷問をこうむる主体である。à la lumière de l'expérience freudienne l'homme c'est le sujet pris et torturé par le langage (ラカン、S3、16 mai 1956)
動物園の動物はじめ飼育動物が一種の神経症状態になっていることがわかっているが、いささか気になることは、人間は自分で自分を動物園にとじこめて飼育している奇妙な動物である、というモリスの指摘である。(中井久夫「精神科医からみた子どもの問題」1986年『記憶の肖像』所収)
ヘーゲルが繰り返して指摘したように、人が話すとき、人は常に一般性のなかに住まう。この意味は、言語の世界に入り込むと、主体は、具体的な生の世界のなかの根を失うということだ。別の言い方をすれば、私は話し出した瞬間、もはや感覚的に具体的な「私」ではない。というのは、私は、非個人的メカニズムに囚われるからだ。そのメカニズムは、常に、私が言いたいこととは異なった何かを私に言わせる。前期ラカンが「私は話しているのではない。私は言語によって話されている」と言うのを好んだように。これは、「象徴的去勢」と呼ばれるものを理解するひとつの方法である。(ジジェク、LESS THAN NOTHING, 2012年)


さらにもっとむかしの「紋切り型」辞典には、人はみな役者だとあるがな。

この世界はすべてこれひとつの舞台、人間は男女を問わず すべてこれ役者にすぎぬ[All the world's a stage, And all the men and women merely players.](シェイクスピア「お気に召すまま」1603年)
かれらのうちには自分で知らずに俳優である者と、自分の意に反して俳優である者とがいる。――まがいものでない者は、いつもまれだ。ことにまがいものでない俳優は。(ニーチェ「卑小化する徳」『ツァラトゥストラ』第3部、1894年)

ああいった鳥語装置に囚われの身のおバカな精神科医の21世紀「退行版」紋切型ってのは、吐き気をもよおすしかないね、きみらはそうじゃないらしいがな、よっぽどニブイんだろうよ。

やめよ、おまえ、俳優よ、贋金造りよ、根柢からの嘘つきよ。おまえの正体はわかっている。

おまえ、孔雀のなかの孔雀よ、虚栄心の海よ。何をおまえはわたしに演じてみせたのだ。よこしまな魔術師よ、……

おまえの口、すなわちおまえの口にこびりついている嘔気だけは、真実だ。(ニーチェ「魔術師」『ツァラトゥストラ』第4部、1885年)

最後にさらに「他人の言葉」をこう引用させてもらってよろしいだろうか?

最後に、わたしの天性のもうひとつの特徴をここで暗示することを許していただけるだろうか? これがあるために、わたしは人との交際において少なからず難渋するのである。すなわち、わたしには、潔癖の本能がまったく不気味なほど鋭敏に備わっているのである。それゆえ、わたしは、どんな人と会っても、その人の魂の近辺――とでもいおうか?――もしくは、その人の魂の最奥のもの、「内臓」とでもいうべきものを、生理的に知覚しーーかぎわけるのである……わたしは、この鋭敏さを心理的触覚として、あらゆる秘密を探りあて、握ってしまう。その天性の底に、多くの汚れがひそんでいる人は少なくない。おそらく粗悪な血のせいだろうが、それが教育の上塗りによって隠れている。そういうものが、わたしには、ほとんど一度会っただけで、わかってしまうのだ。わたしの観察に誤りがないなら、わたしの潔癖性に不快の念を与えるように生れついた者たちの方でも、わたしが嘔吐感を催しそうになってがまんしていることを感づくらしい。だからとって、その連中の香りがよくなってくるわけではないのだが……(ニーチェ『この人を見よ』1888年)


2019年9月17日火曜日

ネトサヨの攻撃性発露の原因

私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性は時に紙一重である。それは、天秤の左右の皿かもしれない。…私たちは、自分の中の破壊性を何とか手なずけなければならない。かつては、そのために多くの社会的捌け口があった。今、その相当部分はインターネットの書き込みに集中しているのではないだろうか。(中井久夫「「踏み越え」について」初出2003年『徴候・記憶・外傷』所収)

ーーこの中井久夫の文をそのまま受け取れば、ネトウヨもネトサヨも社会的捌け口としてネットの書き込みを利用しているという点では(メカニズムとしては)同じだということになる(この文の前後は「踏み越えと踏みとどまり」を参照)。

もっとも「自己破壊性/他者破壊性」という語をそのまま受け取る必要はない。フロイトは、「マゾヒズム /サディズム」 = 「自己破壊性/他者破壊性」としつつ、同時に「マゾヒズム /サディズム」 =「受動性/能動性」ともしている。

したがってフロイトに依拠すれば、なんらかの受動的立場に置かれた人が「天秤の左右の皿」機制により、攻撃性発露をする傾向がある。







マゾヒズム /サディズム = 自己破壊性/他者破壊性
マゾヒズムはその目標 Ziel として自己破壊 Selbstzerstörung をもっている。…そしてマゾヒズムはサディズムより古い der Masochismus älter ist als der Sadismus。

他方、サディズムは外部に向けられた破壊欲動 der Sadismus aber ist nach außen gewendeter Destruktionstriebであり、攻撃性 Aggressionの特徴をもつ。或る量の原破壊欲動 ursprünglichen Destruktionstrieb は内部に居残ったままでありうる。…

我々は、自らを破壊しないように、つまり自己破壊欲動傾向 Tendenz zur Selbstdestruktioから逃れるために、他の物や他者を破壊する anderes und andere zerstören 必要があるようにみえる。ああ、モラリストたちにとって、実になんと悲しい開示だろうか!⋯⋯

我々が、欲動において自己破壊 Selbstdestruktion を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動 Todestriebes の顕れと見なしうる。(フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)
マゾヒズム /サディズム = 受動性/能動性
「女性性 Weiblichkeit/男性性 Männlichkeit」=「受動性 Passivität/能動性 Aktivität」(『性欲論三篇』摘要、1905年)
サディズムは男性性、マゾヒズムは女性性とより密接な関係がある。daß der Sadismus zur Männlichkeit, der Masochismus zur Weiblichkeit eine intimere Beziehung unterhält (フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)


事実、フロイトはこう記している。

容易に観察されるのは(……)心的経験の領域においてはすべて、受動的に受け取られた印象[passiv empfangener Eindruck]が小児には能動的な反応を起こす傾向[Tendenz zu einer aktiven Reaktion]を生みだすということである。以前に自分がされたりさせられたりしたことを自分でやってみようとするのである。

それは、小児に課された外界に対処する仕事[Bewältigungsarbeit an der Außenwelt]の一部であって、…厄介な内容のために起こった印象の反復の試み[Wiederholung solcher Eindrücke bemüht]というところまでも導いてゆくかもしれない。

小児の遊戯もまた、受動的な体験を能動的な行為によって補い[passives Erlebnis durch eine aktive Handlung zu ergänzen] 、いわばそれをこのような仕方で解消しようとする意図に役立つようになっている。

医者がいやがる子供の口をあけて咽喉をみたとすると、家に帰ってから子供は医者の役割を演じ、自分が医者に対してそうだったように自分に無力な幼い兄弟をつかまえて、暴力的な処置を反復wiederholenするのである。受動性への反抗と能動的役割の選択 [Eine Auflehnung gegen die Passivität und eine Bevorzugung der aktiven Rolle]は疑いない。(フロイト『女性の性愛』1931年)

フロイトにとっては、一般に女らしさの発露と思われている女児の人形遊び自体が、能動性の発露である。

女児の人形遊び Spieles mit Puppen、これは女性性 Weiblichkeit の表現ではない。人形遊びとは、母との同一化 Mutteridentifizierung によって受動性を能動性に代替する Ersetzung der Passivität durch Aktivität 意図を持っている。女児は母を演じているのである spielte die Mutter。そして人形は彼女自身である Puppe war sie selbst。(フロイト『続・精神分析入門講義』第33講「女性性 Die Weiblichkeit」1933年)
母との同一化 Mutteridentifizierungは、母との結びつき Mutterbindung を押しのける ablösen 。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)


この「受動性/能動性」の天秤の左右の皿関係について、ジジェクはゆかいな例をあげている。

ニューヨークには「私どもは奴隷です Slaves are us」と呼ばれる団体があって、人のアパートの部屋を無料で掃除し、その家の主婦に乱暴に扱われたいという人を提供している。この団体は、掃除をする人を広告を通して集める(その謳い文句は「隷従そのものが報酬です Slavery is its own reward!」である)、応募してくる人の大半が,高い報酬を得ている重役や医者や弁護士で,彼らは動機を聞かれると,いつも責任を負っていることがいかに気分が悪いかを力説する――乱暴に命令されて仕事をし、どなりつけられることをこよなく楽しむのだ。(ジジェク『サイバースペース、あるいは幻想を横断する可能性』)

ーーこれは上の例とは逆に、能動性から受動性への反転である。

話を戻して、ここまでの引用に当面準拠するなら、ネトウヨやらネトサヨやらのインターネットの書き込みに攻撃性の発散をしている人たちは、どんな形で受動的立場に置かれているのだろうという問いが生まれる。

わたくしの攻撃性発露の主因は、山の神のせいである・・・

「そう。君らにはわかるまいが、五十六十の堂々たる紳士で、女房がおそろしくて、うちへ帰れないで、夜なかにそとをさまよっているのは、いくらもいるんだよ。」(川端康成『山の音』)

ほかにも人は場合によっては惚れらるすぎると、攻撃性の発露が生まれることもある。これはドストエフスキーの小説に頻繁に出現する現象である。そもそも「惚れられる」とは受動性なのだから。

マゾヒズム的とは、その根において女性的受動的である。masochistisch, d. h. im Grunde weiblich passiv.(フロイト『ドストエフスキーと父親殺し』1928)
他者の欲望の対象として自分自身を認めたら、常にマゾヒスト的だよ⋯⋯que se reconnaître comme objet de son désir, …c'est toujours masochiste. (ラカン、S10, 16 janvier 1963)

ーーこの受動性がマゾヒズムの最も一般的な意味である。 フロイトが女性性という用語を使うときには、ほとんどの場合、生物学的女性を示しているのではないことに注意しよう。

(母子関係において幼児は)受動的立場あるいは女性的立場 passive oder feminine Einstellung」をとらされることに対する反抗がある…私は、この「女性性の拒否 Ablehnung der Weiblichkeit」は人間の精神生活の非常に注目すべき要素を正しく記述するものではなかったろうかと最初から考えている。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第8章、1937年)

原初の母子関係においては、母が能動的立場あるいは男性的立場であり、幼児はみな受動的立場あるいは女性的立場なのである。


さてネトウヨやらネトサヨやらの大半の方々には惚れられすぎたり、山の神からの災難を蒙ったりすることがないと仮定するなら、ほかに何があるんだろう?

ここでふたたびジジェクを引用しよう。

エティエンヌ・バリバールは、現在の生の特徴として、過剰で非機能的な残酷さの概念を提示する。残酷さ、その範囲は、「原理主義者」のレイシストあるいは宗教的殺戮者から、我々の大都会にて青少年やホームレスによる暴力の「無意味な senseless」暴発までに及ぶが、そこでの暴力は、「エスの悪 Id-Evil」と呼ばれる(フロイトのId [das Es, le Ça])に言及しつつ)。すなわち何の実利的・イデオロギー的理由もなしで行なわれる暴力である。

外国人についての、我々から仕事を盗むやら、我々の西洋的価値観への脅威やらの全ての話に騙されるべきではない。より綿密に吟味してみれば、すぐに明らかになるのは、この話は、むしろ上っ面の二次的合理化に過ぎないということだ。

スキンヘッドから究極的に得られる答えとは、外国人を殴ることは、彼らを気持ちよくさせるということであり、外国人の現前はスキンヘッドを苛々させるということだ。

我々がここで遭遇するのは、実に「エスの悪 Id-Evil」である。自我と享楽のあいだにある関係性における最も基本的な不均衡によって構造化され動機付けられた悪である。

このように「エスの悪」とは、原初に喪われた「欲望の対象-原因 object-cause of his desire」ーー 「欲望の原因としての対象 objet comme cause du désir」ーーへの主体の関係性において、最も本源的な「短絡 short-circuit」を上演するのだ。「他者」(ユダヤ人、日本人、アフリカ人、トルコ人)の中にあって我々を「悩ます」ことは、この「他者」が対象への特権的な関係性を享楽しているように見えることだ。その「他者」は、対象-宝物を所有していたり、我々から掠め取ったり(その理由で、我々はそれを所有しえない)、あるいは対象の我々の所有を脅かそうとするように見えてしまうのだ。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、2012)

このところネトサヨのみなさんの鳥語をいくらか覗いたので、彼らに焦点を絞って記述させてもらうことにするが、 おそらくジジェクのいうこういう機制が働いている方がいるのだろうーー、

「他者」は、対象-宝物を所有していたり、我々から掠め取ったり(その理由で、我々はそれを所有しえない)、あるいは宝物の所有を脅かそうとするように見えてしまうのだ。

たとえば安倍政権は、あなたがたから宝物を掠め取ったり、宝物の所有を脅かそうとするように見えるんだろう。これはある程度は「真実」だろう。だがたとえば台風災害における千葉県知事の初動の遅れをほとんど難詰せず、安倍ばかり責めているのはやはり病気である。本来、災害の陣頭指揮をとるのは都道府県であり、その知事であるだろうから。

ここで、病的に嫉妬深い夫についてラカンが述べたことを思い出してみればよい。彼が自分の嫉妬の根拠として引き合いに出す事実がすべて真実だったとしても、つまり妻が本当に他の男たちと浮気をしていたとしても、彼の嫉妬が病的であり、妄想の産物であるという事実は、それによって微塵も変わらないとした。 …したがって、われわれはユダヤ人差別に対して、「ユダヤ人は本当はそんなんじゃない」と答えるのではなく、「ユダヤ人に対する偏見は実際のユダヤ人とはなんの関係もない。イデオロギー的なユダヤ人像は、われわれ自身のイデオロギー体系の綻びを繕うためのものである」と答えるべきなのである。(ジジェク『暴力』2010年)

というわけで、本来の攻撃性の元をはやく認知することをお勧めする。現在、その代表的なものは「新自由主義イデオロギー」に受動的立場に置かれていることであるとわたくしは考えているが、これがネトサヨの大半の方々(あるいはネトウヨの方もふくめて)に当てはまるとは断言するつもりはない。


今、市場原理主義がむきだしの素顔を見せ、「勝ち組」「負け組」という言葉が羞かしげもなく語られる時である。(中井久夫「アイデンティティと生きがい」『樹をみつめて』所収、2005年)
「帝国主義」時代のイデオロギーは、弱肉強食の社会ダーウィニズムであったが、「新自由主義」も同様である。事実、勝ち組・負け組、自己責任といった言葉が臆面もなく使われたのだから。(柄谷行人「長池講義」2009)
(現在)人々が気づかないままに、階級格差 class disparities を生み出す。これが現在、世界的規模の新自由主義の猖獗にともなって起こっていることである。(柄谷行人、Capital as Spirit“ by Kojin Karatani、2016)


ラカンはこの市場原理主義の時代、富めるものも貧しいものもみなプロレタリアだといっている。

社会的症状は一つあるだけである。すなわち各個人は実際上、皆プロレタリアである。Y'a qu'un seul symptôme social : chaque individu est réellement un prolétaire,(LACAN La troisième 1-11-1974 )


すなわち、人はみな資本の欲動に受動的立場に置かれているのである。もっともこの資本の欲動をそのまま資本主義と捉えず、新自由主義と捉える立場をわたくしはとる。

我々はシステム機械に成り下がった、そのシステムについて不平不満を言うシステム機械に。…

ポピュリストの批判は、大衆自らが選んだ腐敗した指導者を責めることだ。

ラディカルインテリは、どう変えたらいいのか分からないまま、資本主義システムを責める。

右翼左翼の政治家たちはどちらも、市場経済に直面して、己れのインポテンツを嘆く。

これら全ての態度に共通しているのは、何か別のものを責めたいことである。だが我々皆に責務があるのは、「新自由主義」を再尋問することだ。…それを「常識」として内面化するのを止めることだ。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe、What About Me? 2014年)

くりかえせばもちろんこれだけではない。より卑近な事例なら、少子高齢化社会における避けがたい負担増福祉減という必ず訪れる近未来に苛立ったり、あるいはさらに迫りくる財政破綻の恐れ、既存の社会システムの崩壊等を予感しての攻撃性発露という方もいるのかもしれない。

2019年9月7日土曜日

踏み越えと踏みとどまり

以下、中井久夫の「踏み越え」論を引用するが、「踏み越え」とは "transgression" の訳だとされている。

ところでラカンには同じ " transgression" を使って、次のような発言がある。

享楽の侵犯 la jouissance de la transgression(ラカン, S7, 30 Mars 1960)
人は侵犯などしない!on ne transgresse rien ! …

享楽、それは侵犯ではない。むしろはるかに侵入である。Ce n'est pas ici transgression, mais bien plutôt irruption(ラカン、S17, 26 Novembre 1969)

フロイトの「文化共同体病理学」を引き継ぐラカンは、1960年から1969年のあいだにその思考は「侵犯から侵入」に変わった。

その変貌は、「父の蒸発」あるいは「エディプスの失墜」にかかわる。

父の蒸発 évaporation du père (ラカン「父についての覚書 Note sur le Père」1968年)
エディプスの失墜 déclin de l'Œdipe において、…超自我は言う、「享楽せよ Jouis ! 」と。(ラカン、 S18、16 Juin 1971)

「享楽せよ Jouis ! 」とあるが、ラカンにとって《享楽は現実界 la jouissance c'est du Réel》(S23, 1976)であり、現実界とは穴=トラウマである、《現実界は …穴ウマ(troumatisme =トラウマ)」を為す》(S21, 1974)

享楽自体、穴を為すものであり、取り去らねばならない過剰を構成するものである la jouissance même qui fait trou qui comporte une part excessive qui doit être soustraite。(ジャック・アラン=ミレール 、Passion du nouveau、2003)

今うえに記してきた観点から、ラカンのボロメオの環の図のひとつをみてみよう。





二つの穴が示されている。これが2010年前後から臨床ラカン派で強調されるようになった「二つの現実界」であり、つまりは「二つの享楽」である。

象徴秩序の失墜後の世界は、象徴的法の越境としての享楽ではなく、エス(現実界)からの越境としての享楽が主役になった。

前者(象徴的法の越境)がラカンにとっての「侵犯 transgression」であり、後者(現実界からの越境)が「侵入 irruption」である。侵犯も侵入もどちらもブレイクスルーではある。

したがってーーこれは誰もそう示している人に出会ったことがないがーー、ボロメオの環で図示すればこうなる。




このブレイクスルーは、フロイトならその代表的な用語が "Durchbruch"である。フロイトの主要論文をざっと眺めたら、フロイトはこの語を「侵犯」の意味でも「侵入」の意味でも使っている。

たとえば以下の文は、「侵入」と訳すべき "Durchbruch" である。

「抑圧」は三つの段階に分けられる。 

①第一の段階は、あらゆる「抑圧 Verdrängung」の先駆けでありその条件をなしている「固着 Fixierung」である。(…)

②第二段階は、「本来の抑圧 eigentliche Verdrängung」である。この段階はーー精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているがーーより高度に発達した、自我の、意識可能な諸体系から発した「後期抑圧 Nachdrängen 」として記述できるものである。(… )

③第三段階は、病理現象として最も重要なものだが、その現象は、 「抑圧の失敗 Mißlingens der Verdrängung」「侵入 Durchbruch」「抑圧されたものの回帰 Wiederkehr des Verdrängten」である。この侵入 Durchbruch とは「固着点 Stelle der Fixierung」から始まる。そしてリビドー発展の固着点への退行 Regression der Libidoentwicklung を意味する。(フロイト『自伝的に記述されたパラノイア(パラノイド性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察』1911年、 摘要訳)


次の文は「侵略」と訳すべき "Durchbruch" である。

自我に課せられるあらゆる禁止や制限にあてはまることであるが、その禁制は周期的に侵略される periodische Durchbruch der Verbote Regelのが常である。つまりそれは祭の制度に示されているとおりである。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第11章、1921年)


次の三つの文は侵入とも侵略とも訳せる "Durchbruch" であり、「侵略侵入」とした。

外部から来て、刺激保護壁 Reizschutz を侵略侵入するdurchbrechen ほどの強力な興奮Erregungenを、われわれは外傷性 traumatische のものと呼ぶ。

外部にたいしては刺激保護壁があるので、外界からくる興奮量は小規模しか作用しないであろう。内部に対しては刺激保護は不可能である。(……)
刺激保護壁 Reizschutzes の防衛手段 Abwehrmittel を応用できるように、内部の興奮があたかも外部から作用したかのように取り扱う傾向が生まれる。

これが病理的過程の原因として、大きな役割が注目されている投射 Projektionである。(フロイト『快原理の彼岸』第4章、1920年)
一般的な外傷神経症を刺激保護壁の甚だしい侵略侵入Durchbruchs の結果と見なしてよいだろう。Ich glaube, man darf den Versuch wagen, die gemeine traumatische Neurose als die Folge eines ausgiebigen Durchbruchs des Reizschutzes aufzufassen.(フロイト『快原理の彼岸』第4章、1920年)
過剰な興奮強度による刺激保護壁の侵略侵入 die übergroße Stärke der Erregung und der Durchbruch des Reizschutzes,(フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)



前置きが長くなったが、中井久夫の踏み越え論は越境論であり、中井久夫の「踏み越え」とは、侵犯でもあり侵入でもある。

以下にやや長い引用をするが、いま記してたきことを読み取っていただくための長さである。


■中井久夫「「踏み越え」について」2003年

「はじめに」

「踏み越え」transgression とは、あまり聞きなれない言葉かと思う。しかし、オクスフォード辞典(OED)によれば、15世紀から「法やルールの埒外に出る」という今の意味で、心理学よりも法学のほうで使われてきたようである。お馴染みの「リグレッション」(退行)「プログレッションン」(前進)と同系列の言葉であるが、「トランス」は「越えて向こうへ」という意味であるから「踏み越え」と訳しておく。私の意味では、広く思考や情動を実行に移すことである。知情意を行動化するということか。抽象的に言えば「パフォーマンスのモード」の切り替えと定義してよかろう。

その逆は「踏みとどまり」holding-on である。実行に移さないように衝動に耐えて踏みとどまることである。

今にはじまった問題ではないし、私が何らかの明快な答えを与えるわけではない。ただ、踏み越えは現在無視できない重要性を持っているのではないかという問題提起をしておきたい。21世紀になって個人から国家まで、葛藤の中で踏みこたえるよりも踏み越えるほうを選ぶ傾向が目立つ。テロとテロへの反撃という国家社会的政治水準から個人の非行まで、その例は枚挙に遑がない。さらに「踏み越え」がプラスの意味を持ってきた。「改革」「ビッグバン」「IT革命」である。これらは長期的には有効性が期待値より低いおそれがあるのだが、そのことは軽視されている。フランス、ロシアの二大革命の末路から人は多くを学ばない。ロシア革命を否定してフランス革命が無傷で済むだろうか。革命の血を血で洗う中からナポレオンが出てきて、革命を外征にかえた。どれだけのフランス人、欧州人が非命に倒れたか。私の精神的な師の一人、アンリ・エランベルジェ先生が「個々の戦争犯罪だけでなく戦争をも犯罪学の対象としなければならない」といわれるのももっともである。幸か不幸か私は戦争の世紀である二十世紀の一九三四年に生を享けた。当時、一九○四年から一九〇五年の日露戦争は「このあいだの戦争」であった。戦争参加者はまだ四十歳代から六十歳代だったのである。

(……)

行動化の効用

事後的な言語化の意味と効用について述べたが、皮肉なことに、行動化自体にもまた、少なくともその最中は自己と自己を中心とする世界の因果関係による統一感、能動感、単一感、唯一無二感を与える力がある。行動というものには「一にして全」という性格がある。行動の最中には矛盾や葛藤に悩む暇がない。時代小説でも、言い争いの段階では話は果てしなく行きつ戻りつするが、いったん双方の剣が抜き放たれると別のモードに移る。すべては単純明快となる。行動には、能動感はもちろん、精神統一感、自己統一感、心身統一感、自己の単一感、唯一無二感がある。さらに、逆説的なことであるが、行動化は、暴力的・破壊的なものであっても、その最中には、因果関係の上に立っているという感覚を与える。自分は、かくかくの理由でこの相手を殴っているのだ、殺すのだ、戦争を開始するのだ、など。時代小説を読んでも、このモードの変化とそれに伴うカタルシスは理解できる。読者、観客の場合は同一化である。ボクサーや球団やサッカーチームとの同一化が起こり、同じ効果をもたらすのは日常の体験である。この同一化の最中には日常の心配や葛藤は一時棚上げされる。その限りであるが精神衛生によいのである。


行動化は集団をも統一する。二〇〇一年九月十一日のWTCへのハイジャック旅客機突入の後、米国政府が議論を尽くすだけで報復の決意を表明していなければ、アメリカの国論は乱れて手のつけようがなくなっていたかもしれない。もっとも、だからといって十月七日以後のアフガニスタンへの介入が最善であるかどうかは別問題である。副作用ばかり多くて目的を果たしたとはとうてい言えない。しかし国内政治的には国論の排他的統一が起こった。「事件の二週間以内に口走ったことは忘れてくれ」とある実業家が語っていたくらいである。すなわち、アメリカはその能動性、統一性の維持のために一時別の「モード」に移行したのである。

DVにおいても、暴力は脳/精神の低い水準での統一感を取り戻してくれる。この統一感は、しかし、その時かぎりであり、それも始まりのときにもっとも高く、次第に減る。戦争の高揚感は一ヶ月で消える。暴力は、終えた後に自己評価向上がない。真の満足感がないのである。したがって、暴力は嗜癖化する。最初は思い余ってとか論戦に敗れてというそれなりの理由があっても、次第次第に些細な契機、ついにはいいがかりをつけてまでふるうようになる。また、同じ効果を得るために次第に大量の暴力を用いなければならなくなる。すなわち、同程度の統一感に達するための暴力量は無限に増大する。さらに、嗜癖にはこれでよいという上限がない。嗜癖は、睡眠欲や食欲・性欲と異なり、満たされれば自ずと止むという性質がなく、ますます渇きが増大する。

ちなみに、賭博も行動化への直行コースである。パチンコはイメージとも言語化とも全く無縁な領域への没入であるが、パチンコも通常の「スリル」追求型の賭博も、同じく、イメージにも言語化にも遠い。

(……)

「踏み越えによる犯罪」

すべての犯罪が定義上「踏み越え」によるものであるとはいえ、最近の犯罪あるいは非行において、事故学的犯罪と対照的に、「踏み越え」の比重が非常に大きくなってきたという仮定のもとに考察を進める。

「踏み越え」をやさしくする条件を挙げてみよう。

(1)「踏み越え」に対する倫理的な障壁が低くなっていること。例えば、万引きに窃盗という認識、ひったくりに強盗という認識がなく、それに相当する倫理的障壁がない(逆に「立ち小便」に対する心理的障壁は五十年前にはない気に等しかったが、現在では高くなっている)。倫理的障壁はほとんど生理的であって、立ち小便は行おうとしてもなかなか尿が出ないのが普通である。強姦の際に勃起するのはごく一部の男性であろうと思えてならない。暴力をふるう時には勃起できないのが生理的に順当だからである。射精に至っては交感神経系優位性が副交感神経系優位性と急速に交代しなければならず、それが暴力行為の最中に起こるのは生理学的に理解しがたい。しかし、そういう男がありうるのは事実で、古典的な泥棒は侵入してまず排便したというが、それと似ていようか。

(2) 倫理には当然社会的側面もある。尊敬できる家族、先人、友人などが存在するか否かが大きい。家族などが例えば暴力などの侵犯への「踏み越え」を実演するなかで育つことは当然侵犯への敷居を低くする。また、自殺や離婚は、通常、踏み越えに思案を要するものの代表であるが、身近に自殺、離婚の例がある場合、行き詰まりの解決法として思いつきやすく選ばれる確率が高くなる。犯罪もまた同様。

(3) 問題解決への選択肢が少ないこと。イメージ化がうまくできないこと。無人島に行ったら何を持ってゆき、何をするかという「無人島物語」では、非行少年や家庭内暴力少年は思いつくものが少ない傾向があることを私は経験している。知的に普通と思われる少年なのに島ですると思いつくことが瑣末的なこと一つであった例がある。なお、私の経験では、箱庭で全くの模倣テーマ、たとえば「宝塚遊園地」を造るのは非行少年、特に嗜癖少年であった。これは極端例であるが、選択肢の少なさはかなり一般にいえるそうである(東京家裁主任調査官・藤川洋子による)。選択肢がわずかしかない人ほど、踏み越えが簡単であるはずである。手近な選択である嗜癖にもなりやすいだろう。

(4) 侵犯が見逃され、放置され、処罰されないこと。犯罪の最大の防止策は速やかな発見と検挙である。ニューヨークの地下鉄でも、わが国の大学でも、落書きをただちに消すことによって、落書きだけでなく、さまざまな侵犯の低下を見みている。

(5) 「踏み越え」を容易にする手段が卑近なところにあること。米国の殺人率の多さは銃規制がほとんど行われていないことによる。わが国の場合、実に卑近なことであるが、包丁が鋭利になったことがあると私は思う。 第二次大戦前の、拳銃による政治家暗殺も、ほとんどすべて銃ごと体当たりをすることによったものである。その伝統は包丁にそのまま継がれている。旧軍では、日本人はピストルの速距離射撃が下手といわれてきた。一九九五年の国松警察庁長官狙撃(四発全弾命中)は例外中の例外である。

(6)「踏み越え」を容易にする制度を経験すること。これは、多くの軍隊が行うところである。一般兵士の「発砲率」は国によらず十五ー二十パーセントと低かった。第二次大戦後、米陸軍は心理学的工夫によって朝鮮戦争において五十五パーセント、ベトナム戦争において実に九十五パーセントの発砲率を達成している。その副作用は、帰還兵が社会適応不可能となったことである。わが国では、会社、官庁における不正の黙認が挙げられようか。

わが国では、現在、当人の書面による承諾なくして事実上誰にでも生命保険をかけられるという制度的欠陥も、多くの踏み越えを容易にしている。

(7) 「踏み越え」を容易にするイデオロギーの存在。いわゆる大義が代表的なものであるが、必ずしも直接の踏み越えに関するものでなくてもよい。一般に二十世紀においては、マルロー、ヘミングウェイ、サン=テグジュベリら、「行動」を「思考」や「葛藤」よりも優位に置く作家の影響力が強くなり、登山、航海において不可能とされたことが次々に実現していった。ちなみにマルローの出世作『王道』は、カンボジャの文化遺産を盗みにゆく話である。

行動化は、自分に代ってやってくれる代理者によってもある程度満足される。サッカーや野球で選手やチームに同一化することによって、日常の心配や葛藤は棚上げにできる。この場合も含めて、行動化は、究極的に言語化・イメージ化できないものが多い。犯罪とは限らない。スポーツはもちろん、食や性でも言語を超えた部分がある。というか、言語、イメージを越えないと、何か欠けたものがあると感じられる。一般に言葉だけでは飢餓感が残る。謝罪の例がそれである。状況だけが言葉の不足感を救う。

(8) 行動をともにする仲間の存在。少年強盗の統計上の最近の増加には、集団でのひったくり、かつあげによる分が、相当に含まれている。一件七、八人ということが少なくない。

(9) ヴァーチャル・リアリティによる「踏み越え」の見聞と実体験。生まれた時すでにテレビが存在した世代の心理には、私の世代の心理と違う何かが感じられる。しかし、テレビは家族などの集団で見て対象化・客観化が可能である。テレビゲームを初めとするヴァーチャル・リアリティは孤独のなかで行われ、場の中に入り込み、かつ自分が不利な時にはリセットが可能である。

(10) 抑制されつづけてきた自己破壊衝動が「踏み越え」をやさしくする場合がある。「いい子」「努力家」は無理がかかっている場合が多い。ある学生は働いている母親の仕送りで生活していたが、ある時、パチンコをしていて止まらなくなり、そのうちに姿は見えないが声が聞こえた。「どんどんすってしまえ、すっからかんになったら楽になるぞ」。解離された自己破壊衝動の囁きである。また、四十年間、営々と努力して市でいちばんおいしいという評価を得るようになったヤキトリ屋さんがあった。主人はいつも白衣を着て暑い調理場に出て緊張した表情で陣頭指揮をしてあちこちに気配りをしていた。ある時、にわかに閉店した。野球賭博に店を賭けて、すべてを失ったとのことであった。私は、積木を高々と積んでから一気にガラガラと壊すのを快とする子ども時代の経験を思い合わせた。主人が店を賭けた瞬間はどうであったろうか。

(11) うかうかとでも、とにかく「やってしまった」という事実が、その後の踏み越えをぐっとやさしくすることは多いだろう。「どうせおいらは」というわけである。「濡れないうちは露をも避けるが、濡れてしまえば川の中にでもずかずか入ってゆく」という古くからの喩えは、非常に理解しやすい心理である。

(12) 自尊心の低さと弱さ。例えば、忍ぶ恋がストーカーになり下がる過程のどこかで、自尊心がぐっと低下する体験があるのではないか。もっとも、ストーカーには、現実の不可能を強引に擬似的可能にしようという点で、「現実の不可能を非現実の可能にする」という妄想と紙一重のところがある。

ストーカーに限らない。どういう人にせよ、プライドのない人間ほど始末におえない者はない。精神科医は、患者の自尊心を大切に守る必要がある。個々の病院によって大きな差があるが、精神科病院が自尊心を失う場になってはならないと思う。さまざまな矯正施設においても重要なことである。

(13)被害者がはっきりしない場合。収賄も、遠距離砲撃の場合も、これである。陸軍に比べて海軍がスマートに見えるのは殺戮が見えないからである。

変数は以上の悪魔の一ダース(十三) に尽きないであろう。また、今後、踏み越えをやさしくする条件が増加するおそれがあり、精神医学、心理学、犯罪学の大きな主題となってゆく可能性が少なくないと私は思う。

(……)

踏み越えと踏みとどまりの非対称性

不幸と幸福、悪(規範の侵犯)と善、病いと健康、踏み越えと踏みとどまりとは相似形ではない。戦争、不幸、悪、病い、踏み越えは、強烈な輪郭とストーリーを持ち、印象を残し、個人史を変える行動化で、それ以前に戻ることは困難である。規範の侵犯でなくとも、性的体験、労働体験、結婚、産児、離婚などは、心理的にそれ以前に戻ることがほとんど不可能な重要な踏み越えであるといってよかろう。

これに対して、踏みとどまりは目にとまらない。平和、幸福、善(規範内の生活)、健康、踏み外さないでいることは、輪郭がはっきりせず、取り立てていうほどのことがない、いつまでという期限がないメインテナンスである。それは、いつ起こるかもしれない不幸、悪、病い、踏み越え(踏み外し)などに慢性的に脅かされている。緊張は続き、怒りの種は多く、腹の底から笑える体験は少ない。強力な味方は「心身の健康を目指し、維持する自然回復力」すなわち生命的なものであって、これは今後も決して侮れない力を持つであろうが、しかし、現在、充分認知され、尊重されているとはいえない。テレビの番組は、その反対物にみちみちている。そうでないものもあるが、その多くは印象が薄いか、わざとらしい。

日常生活は安定した定常状態だろうか。大きい逸脱ではないが、あるゆらぎがあってはじめて、ほぼ健康な日常生活といえるのではないだろうか。あまりに「判でついたような」生活は、どうも健康といえないようである。(聖職といわれる仕事に従事している人が、時に、使い込みや痴漢行為など、全く引き合わない犯罪を起こすのは、無理がかかっているからではないだろうか。言語研究家の外山滋比古氏は、ある女性教師が退職後、道端の蜜柑をちぎって食べてスカッとしたというのは理解できると随筆に書いておられる。外に見えない場合、家庭や職場でわずらわしい正義の人になり、DVや硬直的な子ども教育や部下いじめなどで、周囲に被害を及しているおそれがある。

四季や祭りや家庭の祝いや供養などが、自然なゆらぎをもたらしていたのかもしれない。家族の位置がはっきりしていて、その役を演じているというのも重要だったかもしれない。踏み越えは、通過儀式という形で、社会的に導かれて与えられるということがあった。そういうものの比重が下がってきたということもあるだろう。もっとも、過去をすべて美化するつもりはない。

一般に健康を初め、生命的なものはなくなって初めてありがたみがわかるものだ。ありがたみがわかっても、取り戻せるとは限らない。また、長びくと、それ以前の「ふつう」の生活がどういうものか、わからなくなってくる。

私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性は時に紙一重である。それは、天秤の左右の皿かもしれない。先の引き合わない犯罪者のなかにもそれが働いているが、できすぎた模範患者が回復の最終段階で自殺する時、ひょっとしたら、と思う。再発の直前、本当に治ったような気がするのも、これかもしれない。私たちは、自分の中の破壊性を何とか手なずけなければならない。かつては、そのために多くの社会的捌け口があった。今、その相当部分はインターネットの書き込みに集中しているのではないだろうか。

サリヴァンは、 前青春期体験を、これらすべてに括抗する人間的体験とした。今、前青春期は、あるとしても息も絶え絶えである。成人の幸福なパートナー体験もさまざまな形で脅かされている。わが国のこの半世紀においては、社会的上昇の努力が幸福と結びつくとされていたが、もとより、それは幻想であり、今は幻滅の時代である。行動化への踏み越えをどうするかが、今後ますます心理臨床を悩ます問題となりそうである。

ウィニコットは、子どもの憎たらしさに耐えて、将来報いられると思えるのを「ほどよく良い母親」とした。大平健によれば、今の「やさしさ」は「何もしないという思いやり」で、侵入されたくない気持ちと対になっている。子どもは「やさしい」ばかりでなく、すごい泣き声を挙げて侵入する「やさしくない」存在でもある。その時の顔はいかにも憎々しい。昔の子守歌にも「寝る子のかわいさ、起きて泣く子の面憎さ」とあるとおりである。ウィニコットは、それを否認せずにわが子を世話できる母親をよしとしているのだが、今、いかなる意味でも「将来報いられる」期待をいうことができるだろうか。
「自己コントロール」について

私たちは「踏み越え」への心理的傾斜に逆らって「踏みとどまる」ために、もっぱら「自己コントロール」を説く。もとより、「自己コントロール」の重要性はいくら強調してもしたりないぐらいである。しかし、私たちは、「自己コントロール」を容易にし、「自己コントロール」が自尊心を増進し、情緒的な満足感を満たし、周囲よりの好意的な眼差しを感じ、社会的評価の高まりを実感し、尊敬する人が「自己コントロール」の実践者であって、その人たちを含む多数派に自分が属することを確信し、また「自己コントロール」を失うことが利益を生まないことを実際に見聞きする必要がある。

自己抑制をしている人が嘲笑され、少数派として迫害され、美学的にダサイと自分も感じられるような家庭的・仲間的・社会的環境は、「自己コントロール」を維持するために内的・外的緊張を生むもので、長期的には「自己コントロール」は苦行となり、虚無感が忍び寄って、崩壊するであろう。戦争における残虐行為は、そういう時、呆れるほどやすやすと行われるのではないか。

もっとも、そういう場は、短期的には誰しも通過するものであって、その時には単なる「自己コントロール」では足りない。おそらく、それを包むゆとり、情緒的なゆるめ感、そして自分は独りではないという感覚、近くは信頼できる友情、広くは価値的なもの、個を越えた良性の権威へのつながりの感覚が必要であろう。これを可能にするものを、私たちは文化と呼ぶのではあるまいか。(中井久夫「「踏み越え」について」初出2003年『徴候・記憶・外傷』所収)

ーーとてもすぐれた越境論である。

日本のラカン派で最近言われている「露出」やら「他者の享楽への嫉妬」(参照)やらだけでは、たとえば日本の嫌韓猖獗現象の分析はしがたい。こういった中井久夫のような観点にも大いに依拠すべきではないだろうか・

ここでは数箇所に現れる「自己破壊」という言葉のみに注目する。

抑制されつづけてきた自己破壊衝動が「踏み越え」をやさしくする場合がある。「いい子」「努力家」は無理がかかっている場合が多い。ある学生は働いている母親の仕送りで生活していたが、ある時、パチンコをしていて止まらなくなり、そのうちに姿は見えないが声が聞こえた。どんどんすってしまえ、すっからかんになったら楽になるぞ」。解離された自己破壊衝動の囁きである。(中井久夫「「踏み越え」について」2003年)

これこそ超自我の声の命令である。たとえば、現在大手メディアにさえみられる嫌韓示威はこの機制が働いているということはないだろうか? フロイトもラカンも「超自我の内なる声」という要約できることを言っている。他方、自我理想あるいは父の名は原則的に「眼差し」である。あなたを恥じ入らせる眼差し。これがきわめて劣化してしまったのが父の失墜の時代である。

もはやどんな恥もない Il n'y a plus de honte …

下品であればあるほど巧くいくよ plus vous serez ignoble mieux ça ira (Lacan, S17, 17 Juin 1970)

そして恥のない社会では超自我の《内なる声 Stimme in unserem Innern geben》(フロイト)、《内なる命令 intime impératif》(ラカン)が渦巻く。

超自我を除いて sauf le surmoiは、何ものも人を享楽へと強制しない Rien ne force personne à jouir。超自我は享楽の命令であるLe surmoi c'est l'impératif de la jouissance 「享楽せよ jouis!」と。(ラカン、S20、21 Novembre 1972)

ラカンにとって享楽とはなによりもまずマゾヒズム、原マゾヒズムである。

享楽という原マゾヒズム masochisme primordial de la jouissance (ラカン、S13、June 8, 1966)
享楽は現実界である。la jouissance c'est du Réel. …マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel。フロイトはこれを発見したのである。(ラカン、S23, 10 Février 1976)

そしてこのマゾヒズム(原マゾヒズム)とは、まさに中井久夫のいう自己破壊欲動である。

マゾヒズムはその目標 Ziel として自己破壊 Selbstzerstörung をもっている。…そしてマゾヒズムはサディズムより古い der Masochismus älter ist als der Sadismus。

他方、サディズムは外部に向けられた破壊欲動 der Sadismus aber ist nach außen gewendeter Destruktionstriebであり、攻撃性 Aggressionの特徴をもつ。或る量の原破壊欲動 ursprünglichen Destruktionstrieb は内部に居残ったままでありうる。…

我々は、自らを破壊しないように、つまり自己破壊欲動傾向 Tendenz zur Selbstdestruktioから逃れるために、他の物や他者を破壊する anderes und andere zerstören 必要があるようにみえる。ああ、モラリストたちにとって、実になんと悲しい開示だろうか!⋯⋯

我々が、欲動において自己破壊 Selbstdestruktion を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動 Todestriebes の顕れと見なしうる。(フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)

ここに見られるように1920年以降のフロイトには転回があり、1919年の『子供が叩かれる』まではまだサディズムがマゾヒズムに先行してあると考えていたフロイトとは異なって、後期フロイトにおいては自己破壊欲動が他者破壊欲動に先行してある。他者破壊欲動とは自己破壊欲動の投射なのである(参照)。




中井久夫は《解離された自己破壊衝動の囁き》と言っている。中井久夫にとって解離とは、排除のことである。

解離していたものの意識への一挙奔入(⋯⋯)。これは解離ではなく解離の解消ではないかという指摘が当然あるだろう。それは半分は解離概念の未成熟ゆえである。フラッシュバックも、解離していた内容が意識に侵入することでもあるから、解離の解除ということもできる。反復する悪夢も想定しうるかぎりにおいて同じことである。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」初出2007年『日時計の影』所収)
サリヴァンも解離という言葉を使っていますが、これは一般の神経症論でいう解離とは違います。むしろ排除です。フロイトが「外に放り投げる」という意味の Verwerfung という言葉で言わんとするものです。(中井久夫「統合失調症とトラウマ」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)

すなわち中井久夫の言う《解離された自己破壊衝動》は「享楽の排除」であり、その排除された享楽の外立である。

「享楽の排除」、あるいは「享楽の外立」。それは同じ意味である。terme de forclusion de la jouissance, ou d'ex-sistence de la jouissance. C'est le même. (J.-A. MILLER, - L'Être et l 'Un - 25/05/2011)

ーー排除あるいは外立とは二重の意味をもっており、第一の意味として「外に放り投げる Verwerfung(排除)」でありながら、さらに外に放り投げられたものは、回帰するというもう一つの意味がある。排除という用語を理解する上ではむしろ後者のほうが重要である。中井久夫が《解離していたものの意識への一挙奔入》と言っているのはこの後者の意味である。

これは、ラカンの別の言い方なら「享楽回帰」である。

反復は享楽回帰に基づいている la répétition est fondée sur un retour de la jouissance (ラカン、S17、14 Janvier 1970)

ここでもうひとつ、中井久夫からの自己破壊性のパラグラフである。

四季や祭りや家庭の祝いや供養などが、自然なゆらぎをもたらしていたのかもしれない。家族の位置がはっきりしていて、その役を演じているというのも重要だったかもしれない。踏み越えは、通過儀式という形で、社会的に導かれて与えられるということがあった。そういうものの比重が下がってきたということもあるだろう。もっとも、過去をすべて美化するつもりはない。(……)

私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性は時に紙一重である。それは、天秤の左右の皿かもしれない。先の引き合わない犯罪者のなかにもそれが働いているが、できすぎた模範患者が回復の最終段階で自殺する時、ひょっとしたら、と思う。再発の直前、本当に治ったような気がするのも、これかもしれない。私たちは、自分の中の破壊性を何とか手なずけなければならない。かつては、そのために多くの社会的捌け口があった。今、その相当部分はインターネットの書き込みに集中しているのではないだろうか。(中井久夫「「踏み越え」について」2003年)

《四季や祭りや家庭の祝いや供養》としての象徴秩序の崩壊があり、象徴的法(父なる超自我)に対する越境としての享楽の放出が難しくなったのが現在である。破壊欲動の放出は《インターネットの書き込みに集中している》とあるのもとても示唆的であるが、これについてはいまは触れないままにしておく。

ここでもう一度ラカンの考え方を確認しておこう。

父なる超自我の底には母なる超自我がある。

「エディプスなき神経症概念 notion de la névrose sans Œdipe」…ここにおける原超自我 surmoi primordial…私はそれを母なる超自我 le surmoi maternel と呼ぶ。

…問いがある。父なる超自我 Surmoi paternel の背後derrièreにこの母なる超自我 surmoi maternel がないだろうか? 神経症においての父なる超自我よりも、さらにいっそう要求しencore plus exigeant、さらにいっそう圧制的 encore plus opprimant、さらにいっそう破壊的 encore plus ravageant、さらにいっそう執着的な encore plus insistant 母なる超自我が。 (Lacan, S5, 15 Janvier 1958)

エディプスなき時代、この母なる超自我が露出するのである。そしてこの母なる超自我が現在ラカン派でいう超自我自体である。父なる超自我とはフロイトの自我理想、ラカンの父の名である(参照)。




超自我とはエスの境界表象であり、欲動の奔馬を飼い馴らす最初の鞍である。だが原防衛機能としてのこの超自我では、充分な飼い馴らしはなされない。残滓がある。

それがフロイトが次の文で言っていることである。

(超自我による原抑圧は)すべて早期幼児期に起こる。それは未成熟な弱い自我の原防衛手段 primitive Abwehrmaßregeln である。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)
超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する。Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend. (フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)
発達や変化に関して、残存現象 Resterscheinungen、つまり前段階の現象が部分的に置き残される Zurückbleiben という事態は、ほとんど常に認められるところである。…

いつでも以前のリビドー体制が新しいリビドー体制と並んで存続しつづける。…最終的に形成されおわったものの中にも、なお以前のリビドー固着の残滓 Reste der früheren Libidofixierungenが保たれていることもありうる。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)

「飼い馴らし」という語が直接に現れる二文も引用しておこう。

すべての神経症的障害の原因は混合的なものである。すなわち、それはあまりに強すぎる欲動 widerspenstige Triebe が自我による飼い馴らし Bändigung に反抗しているか、あるいは幼児期の、すなわち初期の外傷体験 frühzeitigen, d. h. vorzeitigen Traumenを、当時未成熟だった自我が支配することができなかったためかのいずれかである。

概してそれは二つの契機、素因的なもの konstitutionellen と偶然的なもの akzidentellenとの結びつきによる作用である。素因的なものが強ければ強いほど、速やかに外傷は固着を生じやすくTrauma zur Fixierung führen、精神発達の障害を後に残すものであるし、外傷的なものが強ければ強いほどますます確実に、正常な欲動状態normalen Triebverhältnissenにおいてもその障害が現われる可能性は増大する。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第2章)
「欲動要求の永続的解決 dauernde Erledigung eines Triebanspruchs」とは、欲動の「飼い馴らし Bändigung」とでも名づけるべきものである。それは、欲動が完全に自我の調和のなかに受容され、自我の持つそれ以外の志向からのあらゆる影響を受けやすくなり、もはや満足に向けて自らの道を行くことはない、という意味である。

しかし、いかなる方法、いかなる手段によってそれはなされるかと問われると、返答に窮する。われわれは、「するとやはり魔女の厄介になるのですな So muß denn doch die Hexe dran」(ゲーテ『ファウスト』)と呟かざるをえない。つまり魔女のメタサイコロジイDie Hexe Metapsychologie である。(フロイト『終りある分析と終わりなき分析』第3章、1937年)

くり返せば、エスの奔馬の原飼い馴らし機能をもつのが超自我≒原抑圧=固着(享楽の固着 fixation de jouissance [参照」)であり、その弱い飼い馴らし機能しかない超自我(母なる超自我)をさらに飼い馴らすのが、自我理想=父の名=父なる超自我=ファルスである。

ファルスの意味作用とは厳密に享楽の侵入を飼い馴らすことである。La signification du phallus c'est exactement d'apprivoiser l'intrusion de la jouissance (J.-A. MILLER, Ce qui fait insigne,1987)


そして残滓のほうは次の通り。

不安セミネール10にて、ラカンは「享楽の残滓 reste de jouissance」と一度だけ言った。だがそれで充分である。そこでは、ラカンはフロイトによって啓示を受け、リビドーの固着点 points de fixation de la libidoを語った。これが、孤立化された、発達段階の弁証法に抵抗するものである。固着は徴示的止揚に反抗するものを示す La fixation désigne ce qui est rétif à l'Aufhebung signifiante,。固着とは、享楽の経済 économie de la jouissanceにおいて、ファルス化 phallicisation されないものである。(ジャック=アラン・ミレール、INTRODUCTION À LA LECTURE DU SÉMINAIRE DE L'ANGOISSE DE JACQUES LACAN、2004)

これらはラカンのボロメオの環を使ってフロイト用語で示せばほぼこうなる。




象徴秩序の失墜の時代、ファルスによる飼い馴らし機能は弱体化し、超自我=母なる超自我=自己破壊欲動が侵入する宿命に現在はある。

 エディプスの失墜 déclin de l'Œdipe において、…超自我は言う、「享楽せよ Jouis ! と。(ラカン、 S18、16 Juin 1971)

これに対応するためにはどうしたらよいのか。

その時には単なる「自己コントロール」では足りない。おそらく、それを包むゆとり、情緒的なゆるめ感、そして自分は独りではないという感覚、近くは信頼できる友情、広くは価値的なもの、個を越えた良性の権威へのつながりの感覚が必要であろう。これを可能にするものを、私たちは文化と呼ぶのではあるまいか。(中井久夫「「踏み越え」について」初出2003年『徴候・記憶・外傷』所収)

《個を越えた良性の権威へのつながりの感覚》、これこそラカンが次の文で言っている真意である。

人は父の名を迂回したほうがいい。父の名を使用するという条件のもとで。le Nom-du-Père on peut aussi bien s'en passer, on peut aussi bien s'en passer à condition de s'en servir.(ラカン, S23, 13 Avril 1976)

かつての支配の論理に陥り勝ちな「父の名」ではなく、父の機能としての父の名を使用する必要がある、とラカンは言っている。

フロイトの『集団心理学と自我の分析』の図を簡略化して、「権威」→「権威の崩壊」を示せば次のとおり(参照)。





自我がかりに三者以上であっても、右図の様相を二者関係的という。

三者関係の理解に端的に現われているものは、その文脈性 contextuality である。三者関係においては、事態はつねに相対的であり、三角測量に似て、他の二者との関係において定まる。これが三者関係の文脈依存性である。

これに対して二者関係においては、一方が正しければ他方は誤っている。一方が善であれば他方は悪である。(中井久夫「外傷性記憶とその治療ーーひとつの方針」2000年『徴候・記憶・外傷』所収)
ラカン理論における「父の機能」とは、第三者が、二者-想像的段階において特有の「選択の欠如」に終止符を打つ機能である。第三者の導入によって可能となるこの移行は、母から離れて父へ向かうというよりも、二者関係から三者関係への移行である。この移行以降、主体性と選択が可能になる。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE、new studies of old villains A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex 、2009)


象徴的権威の蒸発によって、現在は二者関係的社会である。したがって自己破壊欲動ー他者破壊欲動が飼い馴らされないままなのである。

もっとも《個を越えた良性の権威へのつながりの感覚》を取り戻すために、いかにすべきかの具体的な答えはおそらく現在、いまだ誰にもない難題のままである。





良性の権威とは柄谷行人のいう「帝国の原理」と機能としては相同的である。

帝国の原理がむしろ重要なのです。多民族をどのように統合してきたかという経験がもっとも重要であり、それなしに宗教や思想を考えることはできない。(柄谷行人ー丸川哲史 対談『帝国・儒教・東アジア』2014年)
近代の国民国家と資本主義を超える原理は、何らかのかたちで帝国を回復することになる。(……)

帝国を回復するためには、帝国を否定しなければならない。帝国を否定し且つそれを回復すること、つまり帝国を揚棄することが必要(……)。それまで前近代的として否定されてきたものを高次元で回復することによって、西洋先進国文明の限界を乗り越えるというものである。(柄谷行人『帝国の構造』2014年)



………

※参照:「父なき時代のために

権威とは、人びとが自由を保持するための服従を意味する。(ハンナ・アーレント『権威とは何か』)
人間は「主人」(父)が必要である。というのは、我々は自らの自由に直接的にはアクセスしえないから。このアクセスを獲得するために、我々は外部から抑えられなくてはならない。なぜなら我々の「自然な状態」は、「自力で行動できないヘドニズム inert hedonism」のひとつであり、バディウが呼ぶところの《人間という動物 l’animal humain》であるから。

ここでの底に横たわるパラドクスは、我々は「主人なき自由な個人」として生活すればするほど、実質的には、既存の枠組に囚われて、いっそう不自由になることである。我々は「主人」によって、自由のなかに押し込まれ/動かされなければならない。(ジジェク、Can One Exit from The Capitalist Discourse Without Becoming a Saint? 2016)
私は、似非ドゥルージアンのネグリ&ハートの革命モデル、マルチチュードやダイナミズム等…、これらの革命モデルは過去のものだと考えている。そしてネグリ&ハートは、それに気づいた。

半年前、ネグリはインタヴューでこう言った。われわれは、無力なこのマルチチュードをやめるべきだ we should stop with this multitudes、と。われわれは二つの事を修復しなければならない。政治権力を取得する着想と、もうひとつ、ーードゥルーズ的な水平的結びつき、無ヒエラルキーで、たんにマルチチュードが結びつくことーー、これではない着想である。ネグリは今、リーダーシップとヒエラルキー的組織を見出したのだ。私はそれに全面的に賛同する。(ジジェク 、インタヴュー、Pornography no longer has any charm" — Part II、19.01.2018)

2019年9月1日日曜日

なぜレイシズムが猖獗するようになったのか

まずアーレントである。

権威とは、人びとが自由を保持するための服従を意味する。(ハンナ・アーレント『権威とは何か』)

次にノーベル文学賞作家でありかつまたかつてのフェミニストのアイコンだったドリス・レッシングの『自伝』からである。

子供たちは、常にいじめっ子だったし、今後もそれが続くだろう。問題は私たちの子供が悪いということにあるのではそれほどない。問題は大人や教師たちが今ではもはやいじめを取り扱いえないことにある。

Children have always been bullies and will always continue to be bullies. The question is not so much what is wrong with our children; the question is why adults and teachers nowadays cannot handle it anymore. (Doris Lessing, Under My Skin: Volume I of my Autobiography, 1994)

ようするに1968年の学園紛争後、権威は消滅したため、欧米でもいじめが猖獗するようになったのである。

父の蒸発 évaporation du père (ラカン「父についての覚書 Note sur le Père」1968年)
エディプスの失墜 déclin de l'Œdipe において、…超自我は言う、「享楽せよ Jouis ! 」と。(ラカン、 S18、16 Juin 1971)

したがってラカンは《レイシズム勃興の予言 prophétiser la montée du racisme》(Lacan, AE534, 1973)をした。

いじめもレイシズムも基本的には権力欲の問題である。

差別は純粋に権力欲の問題である。より下位のものがいることを確認するのは自らが支配の梯子を登るよりも楽であり容易であり、また競争とちがって結果が裏目に出ることがまずない。差別された者、抑圧されている者がしばしば差別者になる機微の一つでもある。(中井久夫「いじめの政治学」1997年)

この権力欲は権威が失墜したとき際立って露になる。

重要なことは、権力power と権威 authority の相違を理解するように努めることである。ラカン派の観点からは、権力はつねに二者関係にかかわる。その意味は、私か他の者か、ということである(Lacan, 1936)。この建て前としては平等な関係は、苦汁にみちた競争に陥ってしまう。すなわち二人のうちの一人が、他の者に勝たなければいけない。他方、権威はつねに三角関係にかかわる。それは、第三者の介入を通しての私と他者との関係を意味する。

現在、明らかなことは、第三者においてうまくいかない何かがあり、われわれは純粋な権力のなすがままになっていることだ。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe「社会的結びつきと権威 Social bond and authority」1999)

このところ何度か示しているフロイトの集団心理学の図を掲げよう。





原初的な集団は、同一の対象を自我理想の場に置き、その結果おたがいの自我において同一化する集団である。Eine solche primäre Masse ist eine Anzahl von Individuen, die ein und dasselbe Objekt an die Stelle ihres Ichideals gesetzt und sich infolgedessen in ihrem Ich miteinander identifiziert haben.(フロイト『集団心理学と自我の分析』第8章)

これは権威としての外的対象を自我理想として取り込み、各自我はその権威を通してたがいに同一化するということである。権威が消滅すれば、各自我は二者関係的になり「いじめ」が始まる。

簡略してしめせば次のとおり。




自我がかりに三者以上であっても、右図の様相を二者関係的という。

三者関係の理解に端的に現われているものは、その文脈性 contextuality である。三者関係においては、事態はつねに相対的であり、三角測量に似て、他の二者との関係において定まる。これが三者関係の文脈依存性である。

これに対して二者関係においては、一方が正しければ他方は誤っている。一方が善であれば他方は悪である。(中井久夫「外傷性記憶とその治療ーーひとつの方針」2000年『徴候・記憶・外傷』所収)
ラカン理論における「父の機能」とは、第三者が、二者-想像的段階において特有の「選択の欠如」に終止符を打つ機能である。第三者の導入によって可能となるこの移行は、母から離れて父へ向かうというよりも、二者関係から三者関係への移行である。この移行以降、主体性と選択が可能になる。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE、new studies of old villains A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex 、2009)

これらは、精神分析的知においてフロイトが創始した「文化共同体病理学 Pathologie der kulturellen Gemeinschaften」の思考のもと、かなり以前から理論的にこう説明されている話であり、現在のレイシズム社会に触れるなら必ず知っておくべき内容である。

現在の新自由主義社会とは、二者関係的社会である。

今、市場原理主義がむきだしの素顔を見せ、「勝ち組」「負け組」という言葉が羞かしげもなく語られる時である。(中井久夫「アイデンティティと生きがい」『樹をみつめて』所収、2005年)
「帝国主義」時代のイデオロギーは、弱肉強食の社会ダーウィニズムであったが、「新自由主義」も同様である。事実、勝ち組・負け組、自己責任といった言葉が臆面もなく使われたのだから。(柄谷行人「長池講義」2009)
(現在)人々が気づかないままに、階級格差 class disparities を生み出す。これが現在、世界的規模の新自由主義の猖獗にともなって起こっていることである。(柄谷行人、‟Capital as Spirit“ by Kojin Karatani、2016)

そもそも資本の論理自体が差異の論理であり、ここから差別の論理には半歩しかない。

資本の論理はすなわち差異性の論理であるわけです。差異性が利潤を生み出す。ピリオド、というわけです。(岩井克人『終りなき世界』柄谷行人・岩井克人対談、1990)

ラカン派も柄谷も支配の論理に陥りがちな権威の復活を願っているわけではない。それについては、「ナイーヴなマルチチュード概念のお釈迦」を参照されたし。

なお権威が失墜した社会で互いの「いじめあい」がおこらないようにするためには次のような構造が必要である。




理念 führende Idee がいわゆる消極的な場合もあるだろう。特定の個人や制度にたいする憎悪は、それらにたいする積極的依存 positive Anhänglichkeit と同様に、多くの人々を一体化させるように作用するだろうし、類似した感情的結つき Gefühlsbindungen を呼び起こすであろう。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第6章)


言語という自我理想

数日前に『集団心理学と自我の分析』を読み直したのだけれど、こんな文があるのは以前はまったく気づいていなかった。

言語は、個々人相互の同一化に大きく基づいた、集団のなかの相互理解適応にとって重要な役割を担っている。Die Sprache verdanke ihre Bedeutung ihrer Eignung zur gegenseitigen Verständigung in der Herde, auf ihr beruhe zum großen Teil die Identifizierung der Einzelnen miteinander.(フロイト『集団心理学と自我の分析』第9章、1921年)

この文は、言語は自我理想だといっているのであって、ジャック=アラン・ミレールの言い方なら、

言語は父の名である。C'est le langage qui est le Nom-du-Père》( J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses comités d'éthique,cours 4 -11/12/96)

である。




原初的な集団は、同一の対象を自我理想の場に置き、その結果おたがいの自我において同一化する集団である。Eine solche primäre Masse ist eine Anzahl von Individuen, die ein und dasselbe Objekt an die Stelle ihres Ichideals gesetzt und sich infolgedessen in ihrem Ich miteinander identifiziert haben.(フロイト『集団心理学と自我の分析』第8章)

いま上に掲げた図をもっと簡略して図示すればこうなる。





こういう形で、日本語集団、英語集団、仏語集団、独語集団、中国語集団、朝鮮語集団等々ができあがる。各民族はそれぞれの言語で同一化し、バカ化する。

集団の知的能力は、つねに個人のそれをはるかに下まわるけれども、その倫理的態度 ethisches Verhalten は、この水準以下に深く落ちることもあれば、またそれを高く抜きんでることもある。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第2章)
集団内部の個人は、その集団の影響によって彼の精神活動にしばしば深刻な変化をこうむる。……彼の知的活動 intellektuelle Leistung はいちじるしく制限される。そして情動と知的活動は両方とも、集団の他の個人に明らかに似通ったものになっていく。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章)

「サピア・ウォーフの仮説」というのがあって、バルトが日本論『記号の国』で触れているのだが、それは「人間の思考はその人間の母語によって決定される」という仮説だ。ニーチェ風にいえばこうである。

ウラル=アルタイ語においては、主語の概念がはなはだしく発達していないが、この語圏内の哲学者たちが、インドゲルマン族や回教徒とは異なった目で「世界を眺め」、異なった途を歩きつつあることは、ひじょうにありうべきことである。ある文法的機能の呪縛は、窮極において、生理的価値判断と人種条件の呪縛でもある。…(ニーチェ『善悪の彼岸』1886年)

言語が異なれば、世界は異なってみえるのである。現在の世界の最大の不幸は基軸通貨どころか基軸言語まで米国あるいはアングロサクソンであることである。

人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである。(ニーチェ『偶像の黄昏』「箴言と矢」12番)

話を戻して、より直接的に父の名=自我理想=神の文脈で言えば、

言語のうえだけの「理性」、おお、なんたる年老いた誤魔化しの女であることか! 私は怖れる、私たちが神を捨てきれないのは、私たちがまだ文法を信じているからであるということを・・・Die »Vernunft« in der Sprache: o was für eine alte betrügerische Weibsperson! Ich fürchte, wir werden Gott nicht los, weil wir noch an die Grammatik glauben...(ニーチェ「哲学における「理性」」5『偶像の黄昏』1888年)

ようするに文法という神、文法という父の名を言っている。

さらに各国の言語の使用ではなく、言語の使用自体が人間をニブクするということもある。

なおわれわれは、概念 Begriffe の形成について特別に考えてみることにしよう。すべて語Wortというものが、概念になるのはどのようにしてであるかと言えば、それは、次のような過程を経ることによって、直ちにそうなるのである。つまり、語というものが、その発生をそれに負うているあの一回限りの徹頭徹尾個性的な原体験 Urerlebnis に対して、何か記憶というようなものとして役立つとされるのではなくて、無数の、多少とも類似した、つまり厳密に言えば決して同等ではないような、すなわち全く不同の場合も同時に当てはまるものでなければならないとされることによってなのである。すべての概念は、等しからざるものを等置することによって、発生するのである Jeder Begriff entsteht durch Gleichsetzen des Nichtgleichen。

一枚の木の葉が他の一枚に全く等しいということが決してないのが確実であるように、木の葉という概念が、木の葉の個性的な差異性 Verschiedenheiten を任意に脱落させ、種々相違点を忘却することによって形成されたものであることは、確実なのであって、このようにして今やその概念は、現実のさまざまな木の葉のほかに自然のうちには「木の葉」そのものとでも言い得る何かが存在するかのような観念 Vorstellung を呼びおこすのである。つまり、あらゆる現実の木の葉がそれによって織りなされ、描かれ、コンパスで測られ、彩られ、ちぢらされ、彩色されたでもあろうような、何か或る原形 Urform というものが存在するかのような観念 Abbild を与えるのである。(ニーチェ「道徳外の意味における真理と虚偽についてÜber Wahrheit und Lüge im außermoralischen Sinne」1873年)


これが中井久夫の「言語による世界の貧困化・秩序化」である。


言語による世界の貧困化・秩序化
名辞による色彩の分割(色わけ)は民族と時代によって異なる。近代文化内でも英国、オランダ、日本の各々の100色以上の色鉛筆セットを比較すれば色名の文化的差異と色分布の違いは一目瞭然である。英国の標品が暗色、オランダのが褐色が多く、繊細な相違を強調し、逆に、100色以上においても日本の標品で「黄色」とされる「明るい菜種色」などを欠いていることが多い。

しかし、言語化困難だとはいえ、色や味覚や嗅覚は言語化がなければ、まったく個人の自閉的世界にとどまってしまうだろう。

言語化への努力はつねに存在する。それは「世界の言語化」によって世界を減圧し、貧困化し、論弁化して秩序だてることができるからである。(中井久夫「発達的記憶論」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)
言語を学ぶことは世界をカテゴリーでくくり、因果関係という粗い網をかぶせることである。言語によって世界は簡略化され、枠付けられ、その結果、自閉症でない人間は自閉症の人からみて一万倍も鈍感になっているという。ということは、このようにして単純化され薄まった世界において優位に立てるということだ。(中井久夫『私の日本語雑記』2010年)
ヒトの五官は動物に比べて格段に鈍感である。それは大脳新皮質の相当部分が言語活動に転用されたためもあり、また、そもそも、言語がイメージの圧倒的な衝拍を減圧する働きを持っていることにもよるだろう。

しかし、ここで、心的外傷がヒトにおいても深く動物と共通の刻印を脳/マインドに与えるものであることは考えておかなければならない。(中井久夫「トラウマについての断想」2006年『日時計の影』所収)



ここでラカンを引用しておこう。言語による啓蒙を通した人間のマヌケ化である。

私は相対的にはマヌケ débile mental にすぎないよ…言わせてもらえば、全世界の連中と同様に相対的知的障碍者 débile mentalにすぎない。というのは、たぶん私は、いささか啓蒙されている une petite lumière からな。

[Comme je ne suis débile mental que relativement… je veux dire que je le suis comme tout le monde …comme je ne suis débile mental que relativement, c'est peut-être qu'une petite lumière me serait arrivée. ](ラカン、S24, 17 Mai 1977)

で、半年後にはこう言う。

言語は存在しない le langage, ça n'existe pas.(ラカン、S25, 15 Novembre 1977)

これは言語は仮象であるということである。

さらにいえば世界は仮象である。世界は存在しない。

「仮象の scheinbare」世界が、唯一の世界である。「真の世界 wahre Welt」とは、たんに嘘 gelogenによって仮象の世界に付け加えられたにすぎない。(ニーチェ『偶像の黄昏』1888年)

したがってすべては解釈だということになる。

現象 Phänomenen に立ちどまったままで「あるのはただ事実のみ es giebt nur Thatsachen」と主張する実証主義 Positivismus に反対して、私は言うであろう、否、まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ nein, gerade Thatsachen giebt es nicht, nur Interpretationen と。私たちはいかなる事実「自体」をも確かめることはできない。おそらく、そのようなことを欲するのは背理であろらう。……

総じて「認識 Erkenntniß」という言葉が意味をもつかぎり、世界は認識されうるものである。しかし、世界は別様にも解釈されうるのであり、それはおのれの背後にいかなる意味をももってはおらず、かえって無数の意味をもっている。---「遠近法主義 Perspektivismus」(ニーチェ『力への意志』1886/87草稿)

《世界は別様にも解釈されうるのであり、それはおのれの背後にいかなる意味をももってはおらず、かえって無数の意味をもっている》、ーーこれが「真理は女」の内実である。

真理は女である die wahrheit ein weib (ニーチェ『善悪の彼岸』「序文」1886年)
真理は女である。真理は常に、女のように非全体 pas toute(非一貫的)である。la vérité est femme déjà de n'être pas toute(ラカン,Télévision, 1973, AE540)
真理は乙女である。真理はすべての乙女のように本質的に迷えるものである。la vérité, fille en ceci …qu'elle ne serait par essence, comme toute autre fille, qu'une égarée.(ラカン, S9, 15 Novembre 1961)


したがって真理は嘘であり錯角である。

真理は本来的に嘘と同じ本質を持っている。(フロイトが『心理学草稿』1895年で指摘した)proton pseudos[πρωτoυ πσευδoς] (ヒステリー的嘘・誤った結びつけ)もまた究極の欺瞞である。嘘をつかないものは享楽、話す身体の享楽である Ce qui ne ment pas, c'est la jouissance, la ou les jouissances du corps parlant。(JACQUES-ALAIN MILLER, L'inconscient et le corps parlant, 2014ーー)
真理とは錯覚である die Wahrheiten sind Illusionen。人が錯覚であることを忘れてしまった錯覚である。 真理とは、擦り切れて感覚的力が干上がった隠喩 Metaphernである。使い古されて肖像が消え、もはや貨幣としてではなく、金属として見なされるようになってしまった貨幣である。

die Wahrheiten sind Illusionen, von denen man vergessen hat, daß sie welche sind, Metaphern, die abgenutzt und sinnlich kraftlos geworden sind, Münzen, die ihr Bild verloren haben und nun als Metall, nicht mehr als Münzen, in Betracht kommen(ニーチェ『道徳外の意味における真理と虚偽について』1873年)

※ここで断っておかねばならないが、「真理とは嘘である」で記したように、フロイト・ラカンにおいて仮象としての世界の彼岸には現実界がある。あるいはエスがある。欲動の身体は実在する。これはニーチェにおいても同様である。ここではその相には触れずに記している。


巷間の「誠実な」歴史学者に欠けているのは、24歳のニーチェが言った次の認識である。

歴史とは、 それぞれの存立を賭けた無限に多様で無数の利害関心(Interessen)相互の闘争でないとしたら、一体何であろうか 。(Nietzsche, Nachgelassene Aufzeichnungen , Herbst 1867-Frühjahr 1868)

もっともこの認識の欠如は誰もが免れないと言っておいてもよい。つまりは《万人はいくらか自分につごうのよい自己像に頼って生きている》(Human being cannot endure very much reality ---エリオット『四つの四重奏』中井久夫超訳)のである。


………

いま記したことは歴史だけの話ではない。

たとえば物理学の対象の自然である。

物理学の言説が物理学者を決定づける。その逆ではない c'est que
c'est le discours de la physique qui détermine le physicien, non pas le contraire(ラカン、S16、20 Novembre 1968)

物理学の言説が、自然を解釈するのであり、異なった物理学の言説を採用すれば世界は異なったものになる。

・科学が居座っている信念は、いまだ形而上学的信念である。daß es immer noch ein metaphysischer Glaube ist, auf dem unser Glaube an die Wissenschaft ruht

・物理学とは世界の配合と解釈にすぎない。dass Physik auch nur eine Welt-Auslegung und -Zurechtlegung

・我々は、線・平面・物体・原子、あるいは可分的時間・可分的空間とかいった、実のところ存在しないもののみを以て操作する。Wir operieren mit lauter Dingen, die es nicht gibt, mit Linien, Flächen, Körpern, Atomen, teilbaren Zeiten, teilbaren Räumen (ニーチェ『 悦ばしき知 Die fröhliche Wissenschaft』1882年)

ラカンが、自然は《 非一 》pas-une であると言っているのはこの意味である。

自然は 《非一 pas-une 》に他ならない。La nature, dirai-je pour couper court, se spécifie de n’être « pas-une ». (Lacan, S23, 18 Novembre 1975)

ようするに「自然は存在しない」。 自然は解釈としてあるのみである。

近代科学にとって……、自然は、科学の数学的公理の正しい機能に必要であるもの以外にはどんな感覚的実体もない。(ジャン=クロード・ミルネールJean-Claude Milner, Le périple structural, 2002)

これらのニーチェ的ラカン派的思考は柄谷行人も相同的なことを言っている。

コペルニクス以前にも以後にも太陽はある。それは東に昇り、西に沈む。しかし、コペルニクス以後の太陽は、計算体系から想定されたものである。つまり、同じ太陽でありながら、われわれは違った「対象」をもっているのである。(柄谷行人『トランスクリティーク』2001年)

コペルニクスと異なった計算体系が採用されれば、自然は異なったものになる。

科学が事実・データからの帰納や“発見”によるのではなく、仮説にもとづく“発明”であること、科学的認識の変化は非連続的であること、それが受けいれられるか否かは好み(プレファレンス)あるいは宣伝(プロパガンダ)・説得(レトリック)によること(柄谷行人『隠喩としての建築』1983年)
経験的データが理論の真理性を保証しているのではなく、逆に経験的データこそ一つの「理論」の下で、すなわち認識論的パラダイムの下で見出される……そして、それが極端化されると、「真理」を決定するものはレトリックにほかならないということになる。(柄谷行人「形式化の諸問題」1983年)

ニーチェをくり返せば、物理学の言説における「線・平面・物体・原子、あるいは可分的時間・可分的空間といったもの」は、言語(仮象)の一種である。

言語はレトリックである。Die Sprache ist Rhetorik, (Nietzsche: Vorlesungsaufzeichnungen 講義録(WS 1871/72 – WS 1874/75)

言語(数学的記号も含まれる)を使用するかぎり、人はみなプロパガンディスト propagandistである。



2019年8月26日月曜日

ヒトラー大躍進の序奏

ファシズム的なものは受肉するんですよね、実際は。それは恐ろしいことなんですよ。軍隊の訓練も受肉しますけどね。もっとデリケートなところで、ファシズムというものも受肉するんですねえ。( ……)マイルドな場合では「三井人」、三井の人って言うのはみんな三井ふうな歩き方をするとか、教授の喋り方に教室員が似て来るとか。( ……)アメリカの友人から九月十一日以後来る手紙というのはね、何かこう文体が違うんですよね。同じ人だったとは思えないくらい、何かパトリオティックになっているんですね。愛国的に。正義というのは受肉すると恐ろしいですな。(中井久夫「「身体の多重性」をめぐる対談――鷲田精一とともに」2003年『徴候・記憶・外傷』所収)

………

フロイトの『集団心理学と自我の分析』…それは、ヒトラー大躍進の序文[préfaçant la grande explosion hitlérienne]である。(ラカン,S8,28 Juin 1961)



集団は衝動的 impulsiv で、変わりやすく刺激されやすい。集団は、もっぱら無意識によって導かれている。集団を支配する衝動は、事情によれば崇高にも、残酷にも、勇敢にも、臆病にもなりうるが、いずれにせよ、その衝動はきわめて専横的 gebieterisch であるから、個人的な関心、いや自己保存の関心さえみ問題にならないくらいである。集団のもとでは何ものもあらかじめ熟慮されていない。激情的に何ものかを欲求するにしても、決して永続きはしない。集団は持続の意志を欠いている。それは、自らの欲望と、欲望したものの実現にあいだに一刻も猶予もゆるさない。それは、全能感 Allmacht をいだいている。集団の中の個人にとって、不可能という概念は消えうせてしまう。

集団は異常に影響をうけやすく、また容易に信じやすく、批判力を欠いている。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第2章)
集団にはたらきかけようと思う者は、自分の論拠を論理的に組みたてる必要は毛頭ない。きわめて強烈なイメージをつかって描写し、誇張し、そしていつも同じことを繰り返せばよい。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第2章)




集団の道義 Sittlichkeit を正しく判断するためには、集団の中に個人が寄りあつまると、個人的制止individuellen Hemmungen がすべて脱落して、太古の遺産 Überbleibsel der Urzeit として個人の中にまどろんでいたあらゆる残酷で血なまぐさい破壊本能 destruktiven Instinkte が目ざまされて、自由な欲動満足 freien Triebbefriedigung に駆りたてる、ということを念頭におく必要がある。しかしまた、集団は暗示 Suggestion の影響下にあって、諦念や無私や理想への献身といった高い業績をなしとげる。孤立した個人では、個人的な利益がほとんど唯一の動因 einzige Triebfeder であるが、集団の場合には、それが支配力をふるうのはごく稀である。このようにして集団によって個人が道義的 Versittlichung になるということができよう(ルボン)。集団の知的能力は、つねに個人のそれをはるかに下まわるけれども、その倫理的態度 ethisches Verhalten は、この水準以下に深く落ちることもあれば、またそれを高く抜きんでることもある。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第2章) 
集団内部の個人は、その集団の影響によって彼の精神活動にしばしば深刻な変化をこうむる。彼の情動 Affektivität は異常にたかまり、彼の知的活動 intellektuelle Leistung はいちじるしく制限される。そして情動と知的活動は両方とも、集団の他の個人に明らかに似通ったものになっていく。そしてこれは、個人に固有な欲動制止 Triebhemmungen が解除され、個人的傾向の独自な発展を断念することによってのみ達せられる結果である。

この、のぞましくない結果は、集団の高度の「組織」によって、少なくとも部分的にはふせがれるといわれたが、集団心理の根本事実である原初的集団 primitiven Masse における情動興奮 Affektsteigerungと思考の制止 Denkhemmung という二つの法則は否定されはしない。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章)





原初的な集団は、同一の対象を自我理想の場に置き、その結果おたがいの自我において同一化する集団である。Eine solche primäre Masse ist eine Anzahl von Individuen, die ein und dasselbe Objekt an die Stelle ihres Ichideals gesetzt und sich infolgedessen in ihrem Ich miteinander identifiziert haben.(フロイト『集団心理学と自我の分析』第8章)



理念 führende Idee(自我理想)がいわゆる消極的な場合もあるだろう。特定の個人や制度にたいする憎悪は、それらにたいする積極的依存 positive Anhänglichkeit と同様に、多くの人々を一体化させるように作用するだろうし、類似した感情的結つき Gefühlsbindungen を呼び起こすであろう。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第6章)

………

権力をもつ者が最下級の者であり、人間であるよりは畜類である場合には、しだいに賤民の値が騰貴してくる。そしてついには賤民の徳がこう言うようになる。「見よ、われのみが徳だ」とーー(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第四部「王たちとの会話」手塚富雄訳)

(画像省略ーーワカルダロ?)

間違ってばかりいる大衆の小さな意識的な判断などは、彼には問題ではなかった。大衆の広大な無意識界を捕えて、これを動かすのが問題であった。人間は侮蔑されたら怒るものだ、などと考えているのは浅墓な心理学に過ぎぬ。その点、個人の心理も群集の心理も変わりはしない。本当を言えば、大衆は侮蔑されたがっている。支配されたがっている。獣物達にとって、他に勝とうとする邪念ほど強いものはない。それなら、勝つ見込みがない者が、勝つ見込みのある者に、どうして屈従し味方しない筈があるか。大衆は理論を好まぬ。自由はもっと嫌いだ。何も彼も君自身の自由な判断、自由な選択にまかすと言われれば、そんな厄介な重荷に誰が堪えられよう。ヒットラーは、この根本問題で、ドストエフスキーが「カラマーゾフの兄弟」で描いた、あの有名な「大審問官」という悪魔と全く見解を同じくする。言葉まで同じなのである。同じように孤独で、合理的で、狂信的で、不屈不撓であった。
大衆はみんな嘘つきだ。が、小さな嘘しかつけないから、お互いに小さな嘘には警戒心が強いだけだ。大きな嘘となれば、これは別問題だ。彼等には恥ずかしくて、とてもつく勇気のないような大嘘を、彼らが真に受けるのは、極く自然な道理である。たとえ嘘だとばれたとしても、それは人々の心に必ず強い印象を残す。うそだったということよりも、この残された強い痕跡の方が余程大事である、と。
大衆が、信じられぬほどの健忘症であることも忘れてはならない。プロパガンダというものは、何度も何度も繰り返さねばならぬ。それも、紋切型の文句で、耳にたこが出来るほど言わねばならぬ。但し、大衆の目を、特定の敵に集中させて置いての上でだ。

これには忍耐が要るが、大衆は、彼が忍耐しているとは受け取らぬ。そこに敵に対して一歩も譲らぬ不屈の精神を読みとってくれる。紋切型を嫌い、新奇を追うのは、知識階級のロマンチックな趣味を出ない。彼らは論戦を好むが、戦術を知らない。論戦に勝つには、一方的な主張の正しさばかりを論じ通す事だ。これは鉄則である。押しまくられた連中は、必ず自分等の論理は薄弱ではなかったか、と思いたがるものだ。討論に、唯一の理性などという無用なものを持ち出してみよう。討論には果てしがない事が直ぐわかるだろう。だから、人々は、合議し、会議し、投票し、多数決という人間の意志を欠いた反故を得ているのだ。(小林秀雄「ヒットラーと悪魔」)

(ワカルヨナ、きみたちがスキラシイ左翼ポピュリストのあのタレントボウヤだぜ、やめとけ、あいつだけは。いくら反安倍の急先鋒だって、あいつだけはやめとけ)

国民集団としての日本人の弱点を思わずにいられない。それは、おみこしの熱狂と無責任とに例えられようか。輿を担ぐ者も、輿に載るものも、誰も輿の方向を定めることができない。ぶらさがっている者がいても、力は平均化して、輿は道路上を直線的に進む限りまず傾かない。この欠陥が露呈するのは曲がり角であり、輿が思わぬ方向に行き、あるいは傾いて破壊を自他に及ぼす。しかも、誰もが自分は全力をつくしていたのだと思っている。(中井久夫「戦争と平和についての観察」『樹をみつめて』所収、2005年)


これと闘わなくちゃいけないのはよくわかる。




だがあいつだけはやめとけ、《紋切型の文句で、耳にたこが出来るほど言わねばならぬ》




2019年8月24日土曜日

国別死者(第一次、第二次大戦)




ーーこういった数字はみたことがなかったのだが、すこしまえ日本軍の戦死者数を調べたときに行き当たった。画像の大きさが調整できないので貼り付けるのをやめたのだが、小さいままでもやはり備忘として貼付しておこう。

フランスにおける第一次大戦の死傷者数135万人というのはやはりその人口比で考えれば、かなり大きな数字だ。もっともドイツの177万人があるが。

中井久夫はこう記している。

第二次大戦におけるフランスの早期離脱には、第一次大戦の外傷神経症が軍をも市民をも侵していて、フランス人は外傷の再演に耐えられなかったという事態があるのではないか。フランス軍が初期にドイツ国内への進撃の機会を捨て、ドイツ国内への爆撃さえ禁止したこと、ポーランドを見殺しにした一年間の静かな対峙、その挙げ句の一ヶ月間の全面的戦線崩壊、パリ陥落、そして降伏である。両大戦間の間隔は二十年しかなく、また人口減少で青年の少ないフランスでは将軍はもちろん兵士にも再出征者が多かった。いや、戦争直前、チェコを犠牲にして英仏がヒトラーに屈したミュンヘン会談にも外傷が裏で働いていたかもしれない。

では、ドイツが好戦的だったのはどういうことか。敗戦ドイツの復員兵は、敗戦を否認して兵舎に住み、資本家に強要した金で擬似的兵営生活を続けており、その中にはヒトラーもいた。ヒトラーがユダヤ人をガスで殺したのは、第一次大戦の毒ガス負傷兵であった彼の、被害者が加害者となる例であるからだという推定もある。薬物中毒者だったヒトラーを戦争神経症者として再検討することは、彼を「理解を超えた悪魔」とするよりも科学的であると私は思う。「個々人ではなく戦争自体こそが犯罪学の対象となるべきである」(エランベルジェ)。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収)


第二次世界大戦の死者はこうだ。




ドイツの「市民の死者数」が267万人とある。オーストリア93万人(うちユダヤ系市民65万人)とあるように、267万人のなかにはユダヤ系ユダヤがかなりの数をしめるだろう。だがそれだけではない(日本は80万人とある)。

ヒトラーの自殺後、ドイツは無政府状態となって軍人も市民も出会った米英仏ソ軍に降伏した。この「流れ解散」の間に十万人のドイツ人が殺されるか行方不明になった。日本の場合は「ポツダム宣言」があり、国外の軍には「勅使」が説得にあたった。

なお、敗戦後のドイツ人虐殺を遺憾としたのは数ある米将官中マッカーサー一人で、そういうところが彼にはある。(中井久夫「清陰星雨」、「神戸新聞」二〇〇七年六月――『日時計の影』所収)

以下の文は、《戦勝目前に死ぬほどつまらないことはない》とあるが、降伏後に一般市民が虐殺されるのも「つまらない」。

ミズーリ号の左舷中央構造物に迫る特攻機の写真がある。凄絶である。なにゆえの特攻だったか。吉田満の『戦艦大和ノ最期』で士官の議論をまとめた臼井大尉は「新生日本にさきがけて散る。本望じゃないか」という。日本は敗北して一から出直すしかないところまできている、そのために死ぬのだ、自分たちの死の意義はそれしかない、というのだ。特攻隊の犠牲の上に今の日本があるとはそういう意味である。それ以外にはおよそ考えられない。

特攻機は無効ではなかった。米艦の乗務員は燃えるガソリンを全身に浴びる恐怖に脅え、戦争神経症を大量に生んだ。しかし、「では降伏しよう」に繋がらない。そして戦勝目前に死ぬほどつまらないことはない。米兵の憎悪を増幅した理由の一つである。

一九四四年末の「天王山」レイテ戦敗北後のわが国に勝算はなかったが、その時点では降伏を言いだせる「空気」はなかった。特攻隊員は時間稼ぎ、それも「空気」が変わる時間を稼ぐために死んだ。私は南米諸国までが次々に対日宣戦を行なう新聞記事を読んで、とうとう世界を敵に回したと思ったが、口に出せることではなかった。

最近暴露されている企業・官庁の不正は、それを知った従業員が「とても言いだせる空気ではなかった」にちがいない。重役会でもだろう。「空気が読める」ことが単純によいことではないのを記して、二〇〇七年のこのコラムを閉じる。(中井久夫「戦艦ミズーリと特攻機」(「清陰星雨」『神戸新聞』2007.12.29)


鳩山由紀夫と石破茂の韓国のGSOMIA破棄についての次の発言にたいしてツイッター上などではひどいさわぎがおこっている。

「日韓の対立が最悪の展開。原点は日本が朝鮮半島を植民地にして彼らに苦痛を与えたこと」(鳩山由紀夫、2019年8月23日)
「日本が戦争責任と正面から向き合わなかったことが問題の根底にある」(自民・石破茂元幹事長、2019年8月23日)

こういったことが「とても言いだせる空気ではない」などということになりつつあるのではないかとの心配が杞憂であることを祈る。

すくなくとも戦争にかんしては楽観論とはつねにあやういものである。

第一次大戦開始の際のドイツ宰相ベートマン=ホルヴェーグは前任者に「どうしてこういうことになったんだ」と問われて「それがわかったらねぇ」と嘆息したという。太平洋戦争の開戦直前、指導層は「ジリ貧よりドカ貧を選ぶ」といって、そのとおりになった。必要十分の根拠を以て開戦することは、1939年、ソ連に事実上の併合を迫られたフィンランドの他、なかなか思いつかない。(中井久夫「戦争と平和ある観察」)
戦争が始まりそうになってからの反対で奏功した例はあっても少ない。1937年に始まる日中戦争直前には社会大衆党が躍進した。ダンスホールやキャバレーが開かれていた。人々はほぼ泰平の世を謳歌していたのである。天皇機関説は天皇の支持の下に二年前まで官僚公認の学説であった。たしかに昭和天皇とその親英米エスタブリッシュメントは孤立を深めつつあったが、満州や上海における軍の独断専行は、ある程度許容すれば止むであろうと楽観的に眺められていた。中国は軍閥が割拠し、いずれにせよ早晩列強の間で分割されてしまうのだという、少し古い認識がその背後にあった。しかし、いったん戦争が始まってしまうと、「前線の兵士の苦労を思え」という声の前に反対論は急速に圧伏された。ついで「戦死者」が持ち出される。「生存者罪悪感」への強烈な訴えである。平和への思考は平和への郷愁となり、個々の低い呟きでしかなくなる。(中井久夫「戦争と平和ある観察」)


表に戻れば、ベトナムの餓死者というのは、その数の信憑性の疑義がネット上には落ちている。だがすくなくともかなりの量の米輸入を日本はベトナムからしている。

日本国民の中国、朝鮮(韓国)、アジア諸国に対する責任は、一人一人の責任が昭和天皇の責任と五十歩百歩である。私が戦時中食べた「外米」はベトナムに数十万の餓死者を出させた収奪物である。〔…〕天皇の死後もはや昭和天皇に責任を帰して、国民は高枕ではおれない。(中井久夫「「昭和」を送る――ひととしての昭和天皇」1989年)

死者の話とは関係がないが、「戦争研究家」中井久夫によるとても印象に残っている記述がある。

元商船三井監査役、熊谷淑郎氏によれば、戦争末期も末期、昭和二十年七月、病院船「高砂丸」が米駆逐艦の臨検を受けた。乗艦してきた米水兵は皆船尾に翻る日の丸に向かってきちっと敬礼した。若き乗務員の熊谷氏には「目のくらむような驚き」だった。この時期、日本では米英の国旗を踏みつけていた。米国に兜を脱ぎたくなるのはこういう時である。(中井久夫「国際化と日の丸」(神戸新聞 1991.12.26)『記憶の肖像』所収)

最後にこう引用しておこう。

戦争を知る者が引退するか世を去った時に次の戦争が始まる例が少なくない。(中井久夫「戦争と平和ある観察」)

ーー戦争の外傷性記憶があるうちはまだいいのである。

……心的外傷には別の面もある。殺人者の自首はしばしば、被害者の出てくる悪夢というPTSD症状に耐えかねて起こる(これを治療するべきかという倫理的問題がある)。 ある種の心的外傷は「良心」あるいは「超自我」に通じる地下通路を持つのであるまいか。阪神・淡路大震災の被害者への共感は、過去の震災、戦災の経験者に著しく、トラウマは「共感」「同情」の成長の原点となる面をも持つということができまいか。心に傷のない人間があろうか(「季節よ、城よ、無傷な心がどこにあろう」――ランボー「地獄の一季節」)。心の傷は、人間的な心の持ち主の証でもある(中井久夫「トラウマとその治療経験――外傷性障害私見」2000年初出『徴候・記憶・外傷』所収)

2019年8月23日金曜日

おれの心はムクロ。埋葬ずみの死骸さ


いってたな「ほかの土地にゆきたい。別の海がいい。
いつかおれは行くんだ」と。
「あっちのほうがこっちよりよい。
ここでしたことは初めから結局駄目と決っていた。みんなだ。
おれの心はムクロ。埋葬ずみの死骸さ。こんな索漠とした心境でいつまでおれる?
眼にふれるあたりのものは皆わが人生の黒い廃墟。
ここで何年過したことか。
過した歳月は無駄だった。パアになった。

きみにゃ新しい土地はみつかるまい。
別の海はみあたるまい。
この市はずっとついてまわる
……
まわりまわってたどりついても
みればまたぞろこの市だ。
他の場所にゆく夢は捨てろ。
きみ用の船はない。道もだ。
この市の片隅できみの人生が廃墟になったからには
きみの人生は全世界で廃墟になったさ」

ーーカヴァフィス「市」より 中井久夫訳


《ここでしたことは初めから結局駄目と決っていた。みんなだ。/おれの心はムクロ。埋葬ずみの死骸さ。こんな索漠とした心境でいつまでおれる?》

この箇所のギリシャ語原詩は次の通り。




下線部の、中井訳では「おれの心はムクロ。埋葬ずみの死骸さ。」の箇所は、

・And my heart is—like a corse--buried (代表的な英訳とされる KeeleySherrard)

・Mon cceur est enseveli comme un mort (ユルスナール仏訳)

であり、もし直訳すれば「私の心はーー死体のようにーー埋葬されている。」となる。


この箇所を、各国十一もの翻訳を引用して比較されている方がいる。

この部分の眼目は何といっても、(……)「死体のように」という煮え切らない明喩を、「おれの心はムクロ。」と吐き捨てるような片仮名表記で、ピリオドを打ち、暗喩に転換したことに尽きる、(……)中井訳の、ここまで思い切った、しかも作者の心奥に肉薄し、それに対応する表現を再構成して提示するのは、翻訳というより、詩作それ自体と変わらないであろう。普通の文学研究者に、これはできないのではないだろうか。目に見えない心理を把握し、言語化する精神科医の力はあまりにも大きいことを思い知らされる。(中村幸一「おれの心はムクロ。」――中井久夫訳『カヴァフィス全詩集』における翻訳技法の研究)

………

■中井久夫「訳詩の生理学」より
私は、詩の翻訳可能性にかんしての議論は表層言語の水準では解決できないものであると考えている。訳詩というものがそもそも果たして可能かという議論はいつまでも尽きない永遠の問題である。これが、ゼノンの逆理に似ているのは、歩行は現実にできているのだが、それを歩行と認めるかどうかという問題だからだ。ゼノンの逆理に対してディオゲネスは「立って歩けば解決できる」と言ったが、それでもなお「歩いているというのは何かの間違いだ」「ほんとうは歩けないはずだ」という反論はありうるだろう。つまり、詩の訳はできているし、あるのだが、それでもなお「それは原詩とはちがう」「ほんとうは詩の訳はできない」ということはできる。

私は、多くのものが他のもので代表象〔ルプラザンテ〕できる程度には詩の翻訳は可能であると考える。それだけでなく、もっと強く、原文を味到できる人も、その人の母語が別の言語であるならばその人の母語によって訳詩を読むことにかけがえのない意義があると考える。

その詩を母語としない外国語学の専門家が原文を母語のように味到できるという可能性は絶無ではないが、言語の生理学からは非常に至難の技である。ましてや詩である。

人間は胎内で母からその言語のリズムを体に刻みつけ、その上に一歳までの間に喃語を呟きながらその言語の音素とその組み合わせの刻印を受け取り、その言語の単語によって世界を分節化し、最後のおおよそ二歳半から三歳にかけての「言語爆発」によって一挙に「成人文法性 adult grammaticality」を獲得する。これが言語発達の初期に起こることである。これは成人になってからでは絶対に習得して身につけることができない能力であると決っているわけではないけれども、なまなかの語学の専門家養成過程ぐらいで身につくものではないからである。

それを疑う人は、あなたが男性ならば女性性器を指す語をあなたの方言でそっと呟いてみられよ。周囲に聴く者がいなくても、あなたの体はよじれて身も世もあらぬ思いをされるであろう。ところが、三文字に身をよじる関西人も関東の四文字語ならまあ冷静に口にすることができる。英語、フランス語ならばなおさらである。これは母語が肉体化しているということだ。

いかに原文に通じている人も、全身を戦慄させるほどにはその言語によって総身が「濡れて」いると私は思わない。よい訳とは単なる注釈の一つの形ではない。母語による戦慄をあなたの中に蘇えらせるものである。「かけがえのない価値」とはそういうことである。

この戦慄は、訳者の戦慄と同じでなくてもよい。むしろ多少の違和感があることこそあなたの中にそういう戦慄を蘇えらせる契機となる。実際、訳詩家は翻訳によって初めて原詩の戦慄を翻訳に着手する以前よりも遥かに深く味わうものである。そうでなければ、経済的に報われることが散文翻訳に比してもさらに少ない詩の翻訳を誰が手掛けるだろうか。

翻訳以前の原詩は、いかに精密であり美しくてもアルプスの地図に過ぎない。翻訳は登頂である。ただに頂上を極めることだけではなく、それが極められなくとも、道々の風景を実際に体験する。翻訳を読むことは、あなたが原文を味到することが十分できる方〔かた〕であって、その翻訳にあきたりないところがあっても、登頂の疑似体験にはなる。愛するすべての外国語詩を原語で読むことは誰にもできない相談であるから、訳詩を読むことは、その言語に生まれついていない人には必ず独立の価値があって、それをとおして、原詩を味わうのに貢献すると私は思う。

また、こういう場合もある。晩年のゲーテは『ファウスト』を決してドイツ語では読まなかった。読んだのはもっぱらネルヴァルのフランス散文詩訳である。おそらく、おのれの書いた原文の迫るなまなましさから距離を置きたくもあり、翻訳による快い違和感を面白がりもしていたのであろう。(中井久夫「訳詩の生理学」1996年初出『アリアドネからの糸』所収)


■中井久夫「詩の基底にあるもの」―――その生理心理的基底


精神科医として、私は精神分裂病における言語危機、特に最初期の言語意識の危機に多少立ち会ってきた。それが詩を生み出す生理・心理的状態と同一であるというつもりはないが、多くの共通点がある。人間の脳がとりうる様態は多様ではあるが、ある幅の中に収まり、その幅は予想よりも狭いものであって、それが人間同士の相互理解を可能にしていると思われるが、中でも言語に関与し、言語を用いる意識は、比較的新しく登場しただけあって、自由度はそれほど大きいものではないと私は思う。

言語危機としての両者の共通点は、言語が単なる意味の担い手でなくなっているということである。語の意味ひとつを取り上げてみても、その辺縁的な意味、個人的記憶と結びついた意味、状況を離れては理解しにくい意味、語が喚起する表象の群れとさらにそれらが喚起する意味、ふだんは通用の意味の背後に収まり返っている、そういったものが雲のように語を取り囲む。

この変化が、語を単なる意味の運搬体でなくする要因であろう。語の物質的側面が尖鋭に意識される。音調が無視できない要素となる。発語における口腔あるいは喉頭の感覚あるいはその記憶あるいはその表象が喚起される。舌が口蓋に触れる感覚、呼気が歯の間から洩れる感覚など主に触覚的な感覚もあれば、舌や喉頭の発声筋の運動感覚もある。

これらは、全体として医学が共通感覚と呼ぶ、星雲のような感覚に統合され、またそこから発散する。音やその組み合わせに結びついた色彩感覚もその中から出てくる。

さらにこのような状態は、意味による連想ばかりでなく、音による連想はもとより、口腔感覚による連想、色彩感覚による連想すら喚起する。その結果、通用の散文的意味だけではまったく理解できない語の連なりが生じうる。精神分裂病患者の発語は、このような観点を併せれば理解の度合いが大きく進むものであって、外国の教科書に「支離滅裂」の例として掲載されているものさえ、相当程度に翻訳が可能であった。しばしば、注釈を多量に必要とするけれども。

このような言語の例外状態は、語の「徴候」的あるいは「余韻」的な面を意識の前面に出し、ついに語は自らの徴候性あるいは余韻性によってほとんど覆われるに至る。実際には、意味の連想的喚起も、表象の連想的喚起も、感覚の連想的喚起も、空間的・同時的ではなく、現在に遅れあるいは先立つものとして現れる。それらの連想が語より遅れて出現することはもとより少なくないが、それだけとするのは余りに言語を図式化したものである。連想はしばしば言語に先行する。

当然、発語というものは、同時には一つの語しかできない。文字言語でも同じである。それは、感覚から意味が一体となった、さだかならぬ雲のようなものから競争に勝ち抜いて、明確な言語意識の座を当面獲得したものである。


詩作者と、精神分裂病患者の、特に最初期との言語意識は、以上の点で共通すると私は考える。

私がかつて「詩とは言語の徴候的側面を主にした使用であり、散文とはその図式的側面を主にした使用である」と述べた(『現代ギリシャ詩選』みすず書房、一九八五年、序文)のは、この意味においてである。この場合、「徴候」の中に非図式的、非道具的なもの、たとえば「余韻」を含めていた。その後、私はこの辺りの事情を多少洗練させようとしたが、私の哲学的思考の射程がどうしても伸びないために徹底させられずに終わっている(「世界における索引と徴候」『ヘルメス』 26号、岩波書店、1990年、「世界における索引と徴候 ――再考」同27 号、1990年)。「索引」とは「余韻」を含んでいるが、それだけではない。

その基底には、意識の過剰覚醒が共通点としてある。同時に、それは古型の言語意識への回帰がある。どうして同時にそうなのであろうか。過剰覚醒は、通用言語の持つ覆いを取り除いて、その基盤を露出すると私は考える。

言語リズムの感覚はごく初期に始まり、母胎の中で母親の言語リズムを会得してから人間は生れてくる。喃語はそれが洗練されてゆく過程である。さらに「もの」としての発語を楽しむ時期がくる。精神分析は最初の自己生産物として糞便を強調するが、「もの」としての言葉はそれに先んじる貴重な生産物である。成人型の記述的言語はこの巣の中からゆるやかに生れてくるが、最初は「もの」としての挨拶や自己防衛の道具であり、意味の共通性はそこから徐々に分化する。もっとも、成人型の伝達中心の言語はそれ自体は詰まらない平凡なものである。言語の「発見論的」 heuristicな使用が改めて起こる。これは通常十五歳から十八歳ぐらいに発現する。「妄想を生み出す能力」の発生と同時である。


実際、妄想は未曾有の事態に対する言語意識の発見論的使用がなければ成立しない。幼少年型の分裂病では、これを分裂病と呼べるとしてであるが、言語は水や砂のようにさらさらと流れて固まらない。しかし、妄想は単に言語の発見論的使用ではない。妄想が妄想として認識されるのは決してその内容ではなく、問題の陳腐な解決、特にその解決に権力欲がまつわりついた場合であり、さらに発語内容のみならず形式のほとんど一字一句に至るまでの反復によって「妄想」と認識される(初期分裂病の「妄想的」発語は妄想ではない)。妄想を、通常人が「奇想天外」と余裕を以て驚いてみせるのは、実はその意外性、未曾有性でなく、その陳腐さを高みから眺められるからである。もし陳腐でなければ(いやいささか陳腐であっても)、啓示として跪拝するのは日常見られることではないか(ここで分裂病が一次的には妄想病ではないかと私が考えていることを言っておく必要があるだろう)。

むろん一方は病いであり、一方は病いではないといちおうは言うことができる。しかし、分裂病の場合でも、その最初期、病いといえるか否かの「未病」の時期に言語の徴候的側面への過敏が顕著であり、また一般には、この過敏はその時期の徴候一般に対する過敏の一部として出現する。逆に、詩人の場合も、何の危機もなくて徴候性への敏感さが現れるかどうか。

散文を書く時は、たとえ難渋するにしても、それは主題との格闘であって、言語そのものに対しては「大地の感覚」を維持している。散文においても言語は「発見」の道具でありうるが、言語を「発見論」的にしようしてはいない。「発見論」的使用とは、発見のために闇を探ることであり、それは決して何かを証明することはなく、常に「悪魔と深い海との間に落ちる」危うさがある。詩とは言語の「発見論的」使用であり、それゆえの徴候あるいは余韻、索引への敏感性があるということができると私は考える。詩を書き始める年齢は「妄想能力」の成立の年齢とほぼ一致する。

かりに、貴重な薄氷感を失えば、言語の発見論的使用は「妄想」に堕する危険がある。実際、妄想は全面的危機に際して一つの解釈を示して救い手として現れるものであり、患者が妄想にその内容にふさわしい恐怖を示さないかに見えることは、何よりもまず、それに先行する事態がはるかにおそるべきものであって、それに比すれば何ほどのことはないからである。実際、妄想の反復性と一義性とは、内容の恐怖性を補って余りある安定を与える。ここに妄想の抜けにくさがある。それは不要になった時に自然に消滅する他はないものである。しかし、安んじて共存できるものでもない。また問題は、新しい体験が入ってこなくなることであり、それゆえに妄想を持つ人の「心が痩せる」。詩と妄想とは最終的には相互排除的であるが、出発点においては、まったく別個のものではないと私は考える。むろん、発見論的使用と無縁な韻文はありうる。それは韻文であるが「詩」との相違は、数学の論文とパズルとの差に近くはないか。もっとも、詩作のある段階においてはパズル的側面、言語ゲーム的側面が前に出ることもある。それが詩を完成させる救いになることもある。


私がここでポール・ヴァレリーに触れるのは、ただ私が無謀にも彼の詩の若干を訳したことがあるというだけではない(『ヘルメス』 40号、同47 号)。むろん、翻訳は、出来ばえはどうであっても通常よりも徹底的な読みであり、その過程で気づいた襞もある。しかし、それよりも、詩作の生理学を自ら述べているのがなかんづく彼だからである。ここでは紙幅の関係もあり、主に「太公と若きパルク」によって述べよう。

彼は一八九二年に詩作を廃し、一九一二年に四十一歳にして友人の促しによって詩に回帰する。彼は、「自分ではわからない青春への回帰によって二十年を隔てて詩に感興を覚えるようになった」と述べている。外的原因も無視できないが、彼は「長周期の記憶あるいは共鳴があって、それがにわかに己の性癖、力、遠い過去の希望も返してくれるのではないか」と述べている。これについては人生の入口および出口近くに詩作のピークを持つ詩人が少なくないことを付言しておこう。さしあたりT・S・エリオットあるいはリルケが念頭にある。

最初には、ことばの響き、その「音楽」への敏感性を自覚し、さらにそれを味到しようと努力するようになる。「語を耳にすると私の中で自分でもわからない和音的相互依存関係や皮一枚下まできている律動の、まだ声にならない存在〔もの〕が揺らいだ」。この「うたう状態」の始まりは「演奏前のオーケストラの楽器の低い呟きのような甘美」であった。彼は自分の中に詩人を認め、それに馴染み、成り行きに任せる。ここで彼が「当時は難問に取り組むことにとうの昔からうんざりしていた」と述べているのは事実であろう。彼が書き続けてきた「カイエ」による探求は「地獄のような悪循環」になっていた。彼の中に再生した詩への傾斜は、救いとして、さらに青春の再生として感受されている。

これは、彼を「若きパルク」制作に誘い込む陥穽であった。しかし、彼は詩に回帰してもこの地獄から逃避できなかった。「新しい季節の初花の下には抽象的問題と謎とが群集していることをすぐに認めた。見たいと思うところには必ずあった。詩にも」。「粗書きの幸福の後、かいま見た将来の美、内面の声のこの神のような囁きの後、まだ指紋のついていない断片がすでに生れているというのに、そこから苦役にむかって、このざわめきを文節し、断片を繋ぎ合わせ、全知性に問いかけ ……そして待たねばならないのであった」。「最初の一句はミューズから与えられる。後は努力である」と彼は別のところで言っている。ある日、「すでにある部分の構築と推敲とに疲れて」絶望的嫌悪感に陥り、ある部分の断念を自分に言い聞かせて、雑踏の中を彷徨する。一九一三年十二月のことである。

神秘家は、召命の後、ある時期には aridity(不毛)に耐えなければならないと聞く。このことは詩人にもある。

彼はあるカフェに入り、散らばっている新聞に、あるドイツの大公が、愛人であった女優の演技と台詞を具体的に細部にわたって記してあるのに遭遇する。それは「まさにしかるべき瞬間に到来して、もっとも予想外の経路によって必要であった救いをもたらした」。これはサン・ピエトロ広場のオベリスクが建立中途で進退谷〔きわ〕まった時、厳禁されている沈黙を破った「綱を湿せ」の一声が綱の強度を増して破局を救ったのに例えられている。劇はシラーの「メアリ・スチュアート」の処刑寸前の一節を音の高さから沈黙まで記述したものであるが、どうして彼を救ったかは自分ではわからないという。

この時までに彼が現在刊行されている「若きパルク」の草稿のどの段階に達していたかは、それらの多く、特に初期のものに日付がない以上、確定できないが、この特権的な救いによって、「パレット」と「断片」にすっと筋が一本通ったのであろう。棋士が勝負を進める時、あらゆる可能性を読むうちはまだ駄目で、他の可能性がおのずと排除されてすっと一筋の道が見えるようになる必要があるというが、それに似た転換である。

パレットに絵の具を並べるようにさまざまの語や観念とその相関とが乱舞するのは、分裂病の言語危機においても見られるところである。分裂病が創造性にもっとも近づく一時期である。もし、そのまま推移して、パレットが自動的に増殖し、ついには認知が追いつけないほど加速され、また、語の「自由基」ともいうべき未成の観念の犇めきが意識されるようになれば、病いのほうに近づく。精神は集中に過ぎれば不毛になり(それゆえカイエの「地獄」、散乱にすぎれば解体の危機に近づく(「パレット」の時期)からである。あらゆる可能性をきわめようとしつつ、精神の統一を強化しようとする矛盾した自己激励は、時に創造的であるが、しばしば袋小路に自らを追い込む。


この瞬間によって「若きパルク」に坦々とした道が開けたわけではない。一九一四年夏には第一次大戦が始まる。早く「方法的制覇」「鴨緑江」によってこの危機を予言していた彼は、後の有名な論文「精神の危機」(一九一九年)に見るごとく、自己を西欧(彼の場合はほとんど英国とフランス)と同一化していた。「パルク」をおのれの個人的な最後の詩とするつもりの彼は、文明の破局によってこれが最後のフランス詩となる可能性に思い至っている。かれは徴兵を覚悟し、妻子を疎開させ、パリに残留して詩作を継続した。「若きパルク」は「軍神マルスの相のもとに書かれた」と彼はいう。「パルク」がどういう詩であるかはさんざん論じられてきた。「内容でなく形式が私の自叙伝である」と詩人自身は韜晦している。形式とは何であろうか。それが構成であれば、純粋予感というべきもので始まり、比較的唐突な肯定が喚起されては次第に否定的なものに転調変化しつつ、この反復によって次第に深く沈下してゆくという構成を持っている。周知のように最終的な形は、昇る太陽に向かって感謝しつつ乙女が立ち上がって終わるのであるが、一九一六年初めの第四稿では、この詩句の後、再び下降が始まり、入水に終わろうとして中断する。彼は一八九六年秋ロンドンで自殺未遂をしている。引き返そうとしてはさらに深みに下降する形は知的な自殺者の行動にしばしば見られる。

第一部といわれる入水への暗示に終わる三二四行の後、下降の余波はありつつも再生と睡眠へ覚醒へと移行する現在の形は一九一六年秋の第五項からであり、一九一七年初頭にはほぼ完成する。この間にあるのは、パリに迫っていたドイツ軍が撃退されたヴェルダン戦である。彼が同一化している文明の危機が彼の中の何かを変えた。さらにこの時期までの彼は、別の詩となる予定のものも「若きパルク」に投じている。あたかも備品さえ缶に投じて走る絶望的な船の観がある。ところがこの時を契機に「パルク」の一部、時には一句を本歌として「魅惑」の諸詩篇が生まれてゆく。収斂から発散への転換が行われたということができる。

この変化と並んで、ずっと題が決まらなかったこの詩に「若きパルク」LA JEUNE PARQUE の名が与えられる。それは私には PAUL VALÉRY のアナグラムに感じられる。なお、本歌の見つからない「魅惑」詩篇に「失われた酒」LE VIN PERDU があるが、これは VERDUN のアナグラムではないだろうか。内容も「失われた血」を歌ったものである(「精神の危機」に同じ比喩が使用されている)。両者相まって一九一六年夏が彼にとってもヴェルダンであったことを示唆するように私には思われる。(中井久夫「詩の基底にあるもの」初出「現代詩手帳」第37巻5号、1994年5月)


■「訳詩の生理学」より
散文を歩行に、詩を舞踏に例えたのはポール・ヴァレリーである。T・S・エリオットはこれにやんわりと異議を唱えて、詩と散文とはそれほど明瞭に区別されるものではないと述べている。

これは英詩とフランス詩との相違をも写し出していて、英詩には「歩行的」な「語り」が現代に至るまで少なくない。フランス詩、少なくとも二十世紀のフランス詩とは全く異なる。例外としてサン=ジョン・ペルスの「アナバシス」を挙げることもできるかもしれないが、この「語り」は英詩の基準からすればおおよそ曖昧模糊としたものである。

その底をさぐれば、詩と散文との両者を媒介〔なかだち〕し、そして本来はエクリチュール(書かれたもの)でなくエノンセ(口を衝いて出るもの)である詩劇というもののイギリスとフランスとの違いが絡んでくるだろう。フランスのラシーヌ劇の詩的完成はシェイクスピアの及ばないところであるが、ラシーヌは何よりもまず詩として、それも厳格な規則に従ったアレクサンドラン詩形の技巧の極致として耳を打ってくる。これに反してシェイクスピアを純粋に詩として聴く人はあるだろうか。ラシーヌの舞台が観客からいわば無限遠にあるのに対して、シェイクスピアの観客は舞台の上にあがって、そのダイナミズムに合流する。

詩作者としてのヴァレリーが「詩とは舞踏である」という時、彼はおそらくソロで舞踏する姿を思い浮かべていたのであろう。そうだとすれば訳詩というものはデュエットでの舞踏である。原詩の足を踏むかもしれないし、完全に合わせることはできないだろう。程度の差はあってもぎこちないパートナーだろう。しかし、それにもかかわらず、散文の翻訳とはちがう。訳詩者はただ並んで歩き、たかだか歩調を合わせればよいのではない。もっと微妙で多面的な波長合わせが必要である。手を取り合い、足をからませ、肌を合わせ、時には汗を浴び、体臭をふんだんに嗅ぎ、思いがけない近さで顔の造作を眺め、そして醒めていながらも陶酔を共にしなければならない。訳詩者の「舞踏」はそういうものである。したがって、訳詩の過程によって訳詩は原詩よりも劇詩に近づく傾向があって、それはたいていの場合にそうあるよりほかないものである。(中井久夫「訳詩の生理学」)
最後にーー、これまで日本語とフランス語ならフランス語との言語的懸隔は翻訳の最大の敵のように思われてきた。これは口実に過ぎないと私は思う。ヴァレリー詩のイタリア訳やスペイン訳は原詩のパロディにならないための大層な努力が払われていて、しかもどこか滑稽さをまぬかれないところがある。標準日本語の詩の吉利吉利語訳というものを考えてみればわかりやすいであろう。そういう意味では日本語のほうが有利なのである。

私は現代ギリシャ語の詩の翻訳から入った。ここから入らなければ私は訳詩者にならなかったであろう。言語学的には双方の隔たりは著しい。しかし、母音がアイウエオの五個、語尾が母音でなければ n あるいは s 、まれに r で終わり、せいぜい部分的にしか押韻できず、文語と口語との差が大きくてしかもお互いになしではすまず、抽象名詞が長い単語でしばしば不細工であり、詩の一行が長い(しばしば十五から二十数シラブル)などの点に目を向ければ、現代ギリシャの詩人は詩の言語としての現代ギリシャ語に、日本の詩人が日本語に直面するのと同じ困難を感じているであろうと思われた。彼らがどのようにそれに挑み、しばしば優れた詩を生み出しているのかを知ったことが私を訳詩の世界に導いたのであった。(中井久夫「訳詩の生理学」1996年)


■中井久夫「詩の音読可能な翻訳について」より
ここで、現代日本の詩に特有のことかもしれないが、押韻や定型を云々する以前に、詩は音読されねばならないかどうかが問題である。詩は必ずしも音読する必要はないかもしれない。これは、その人がどういう感覚によって詩を作りあるいは味わっているかという問題があって、当否で答える問題ではないと思う。ここで、音読とは、聴覚だけの問題ではないことを言っておくにとどめよう。たとえば、舌と喉頭の筋肉感覚があり、口腔の触覚を始めとする綜合感覚もある。私は、リッツォスの「三幅対」の第三において「接吻の直後にその余韻を舌を動かしながら味わっているひとの口腔感覚」を、音読する者の口腔に再現しようとしたことがある。

きみの舌の裏には、カレイの稚魚がいる。
ブドウの種がある。桃の繊維がある。
きみの睫毛の投げかける影には
暖かい南国がある……

(リッツォス『括弧Ⅰ』「三幅対」三「このままではいけない?」)

もし、音読を詩の必要条件の一つとするならば、いや、詩は時に読まれるべきものだとするなら、改行とは音読をガイドする働きを持っているかもしれないという仮説が生まれる。私は、改行とは、第一に、読む速度をそれとなく規定するものであると考える。長い行ほど早口で読むようにと自然に人を誘導すると私は思う。

視覚的言語が二つの要請を音声に与える。一シラブル(正確には一モーラ)をほぼ同じ速度で読ませようとする「文字」と、一行全体がほぼ同じ時間内に読まれる権利を主張する「行」とのせめぎあいである。これはシラブル数が不定な詩においては特に著しい。その結果として、読後の緩急が決ってくる。この緩急は、行の末端が作り出す上り下りによって、読者にあらかじめ示唆されている。(……)

私の訳詩は思い入れをこめた緩急な朗読を予想していない。私は、現代日本語の美の可能性の一つは、速い速度で読まれることによる、母音と母音、子音と子音、あるいは母音と子音の響き合いにあるのではないかと思っている。(……)日本語のやや湿った母音は単独ではさほど美しくなくとも、その融け合いと響き合いとが素晴らしい美を醸成することを、私は信じている(……)

私は、詩の読まれる速さが、単純に一行の字数で決まるといっているのではない。まず、わが国においては、詩のたいていは漢字かな混じり文である。複雑な漢字は、その存在そのものが一字で二音以上である可能性を示唆し、読む者に、ゆるやかに読もうという姿勢を取らせる。また、漢字の多い行は、当然短くなる。これも、短い行はゆるやかに、という示唆のために、ゆるやかに読む姿勢を強化するだろう。(中井久夫「詩の音読可能な翻訳について」初出1992年『精神科医がものを書くときⅡ』所収)


■ヴァレリー「散文詩九編」後記
散文詩と詩、特に自由詩とはどうちがうのか。日本語現代詩を諧謔的に「改行された散文詩」という人がいる。しかし、私見によれば、改行には意味がある。まず、改行は一拍子あるいはそれ以上の休止を意味する。次に改行のたびに音はリズムもアリテラシオン(頭韻)もアソナンス(母音の響き合い)も質を変えてよい。意味も跳躍を許される。すなわち、改行は詩に転調、変調、飛躍、回帰を許す。そして、改行は朗読を、ゆるやかにであるが、指示する。特に、長い一行は早く、短い一行はゆっくりという読み方を促す。

しかし、散文詩は違う。定義からして基本的に一パラグラフが一行の詩と私はみなす。

もちろん、散文詩は詩としての肉体を持たないわけではない。実際、訳出の上で、原文を筆写し、音読を繰り返すことが突破口を開いた力の一つである。しかし、詩の訳出が軽い憑依状態であるとすれば、散文詩の訳出は数式を解くのに近いクールな快感を伴う営みであった。(ヴァレリー「散文詩九編」後記 中井久夫、2005年)


■「私と現代ギリシャ文学」より
自由詩における改行の意味はどういうところにあるだろうか? 散文詩とどこが違うのであろうか。これには、十分な説明を聞いたことがない。私はこう考えている。読む速度をひそかに規定しているのであろう、と。長い行は速い速度で、短い行はゆっくりした速度で読みように、という指示を下しているのである。散文詩とは、ほぼ同じ速度で読まれる詩である。音韻的には、散文とはそういうものであるというのが、私だけの定義である。同じエリティスの詩でも「狂ったザクロの木」は「エーゲ海」よりも速い速度で読まれるのが自然だと私は思い、私の翻訳では、そのように訳してある。思い入れたっぷりの現代日本詩の朗読法は私の好みではない。現代ギリシャ詩の朗読のように、もっと速い速度で、過度の抑揚を付けずに、ほとんど散文的に、しかし行の長さによって速度を変えるか、行間休止時間を変え、頭韻や脚韻に注意して読まれるべきである。そうすれば、日本語においても、母音と母音、子音と子音の響き合いによる美しさが現れるはずである。

ついでにいえば、私にとって、詩とは言語の徴候的使用であり、散文とは図式的使用である。詩語は、ひびきあい、きらめき交わす予感と余韻とに満ちていなければならない。私がエリティスやカヴァフィスを読み進む時、未熟な言語能力ゆえに時間を要する。その間に、私の予感的な言語意識は次の行を予感する。この予感が外れても、それはそれで「快い意外さ la bonne surprise」がある。詩を読む快楽とは、このような時間性の中でひとときを過ごすことであると私は思う。(中井久夫「私と現代ギリシャ文学」1991年)


■「ギリシャ詩に狂う」
突然、現代ギリシャの詩が私を捉えた。「古代」の間違いではない。現代ギリシャが、ニ人のノーベル賞詩人セ フェリスとエリティスを初めとする優れた詩の源泉であるという知識はかねてよりあった。だが遠い世界だった。第一、私は詩人ではない。

若い友人の結婚式のスピーチを考えていた。甘美で格調のある祝婚の詩はめったにない。たまたま英訳エリティス詩集が書架にあった。たちまち冒頭の「エーゲ海」に吸いこまれた。なんとか日本語にした。結婚式のスピーチ代わりにはなる程度のものができた。

次のページをめくった。次も。私は魅了された。空と海と鷗と白い島と。乾いた夏と湿った冬と。太陽と裸体とセミと星明りの夜ときつく匂う草と。独特の漁船と生乾きの海藻の香と。そして何よりも風。庭を吹き荒れ、樹を揺るがせ、平原をこうこうと吹く風があった。舞い、ひるがえり、一瞬停止し、どっと駆け出す風のリズムがあった。

原文を少し入手した。現代ギリシャ語。鋭い言葉である。母音は短いアイウエオだけ、それもイ、エが多いから。そして我が国語純化論者なら嘆くだろう”乱れ”。文語が厳存し、ロ語は江戸弁のままという粗さで、しかも両方が混じる。生まの方言で論説や科学論文を書くとすれば、雅語や漢語を加えねばならぬ。そこに生じる混乱、この荒さ、鋭さ、変化が、例えばエリティスの傑作「狂ったザクロの木」になるのだろう。

私の訳で紹介しても甲斐ないことだが、歌い出しは、「南の風が白い中庭から中庭へと笛の音をたてて/円天井のアーチを吹き抜けている。おお、あれが狂 ったザクロの木か、/光の中で跳ね、しつこい風に揺すられながら、果の実りに満ちた笑いを/あたりにふりまいているのは?/おお、あれが狂ったザクロの木か、/今朝生まれた葉の群とともにそよぎながら、勝利にふるえて高くすべての旗を掲げるのは?」である。全六連の最後までザクロの木を歌っているのか風なのか定かならぬままにしばしの陶酔を私に与えてくれる。(中井久夫「ギリシャ詩に狂う」1984年)


■「「私の中のリズム」--『現代ギリシャ詩選』を編んで」
……私の訳した詩人四人中三人までが俳諧を作っているのでもわかるとおり、ギリシャの現代詩人で俳諧に親しんでいる人が多いらしい。シリアでもそうらしいことは奴田原睦明『エジプト人はどこにいるか』(1985年)という本にあるから、レヴァント地域の詩的・知的風土だろうか。あるいは、古代ギリシャの二行詩、中東の四行詩以来の伝統なのだろうか。とにかく、セフェリスの、私の訳が「たそがれの暗さの中でも/あけぼのの初の光のなかでも/ジャスミンの/かわらぬ白さ」となっている原詩は、五・七・五合計十七シラブルである。そして、これはみすず書房の吉田欣子さんの慧眼どおり「あけぼのや 白魚の白きこと一寸」(芭蕉)の本歌取りに違いない。こうなれば感受性の親近性もありそうである。(中井久夫「「私の中のリズム」--『現代ギリシャ詩選』を編んで」1986年)


■「私と外国語」
翻訳は徹底的な、しゃぶりつくす読書である。音読可能であることを心掛ける。自分でテープに入れて聞く。そしてひっかかるところを直す。朗読してもらうこともある。専門の書籍の場合には原書にはなくても小見出しをつけ、索引を作り、さらに引用の索引まで作る。比較的初心の人に読んでもらって理解しにくいところは改める。ここまですると、散文の場合には原書を読む気がしなくなる。訳から原典がいつでも喚起されてくるからである。ところが、詩の場合はそうではない。すぐれた詩には、翻訳すると、ますます原詩に淫するようにさせるものがある。散文と詩との相違である。

五十歳になって、現代ギリシャ詩の翻訳に手を染めたのは私自身にも謎である。現代ギリシャの詩に挑戦したのではなく、向こうから語りかけてきたのである。とにかく私は言語の「意味の縁暈(halo) 」 や音の響きや、その起こす口腔感覚に異常に敏感になった。私は半ば冗談に、「病[やまい]だれ」の言葉ばかり二十年書いてきたので私の言語意識が反乱したのだろうと言うことにした。この異常な状態は一年ほどで下降に向かった。たまたま中国の留学生がやってきて、私は中国語を使わなければならなくなったということもある。

こう書いてきて、私はさぞ何カ国語か喋れるだろうと思われそうな気がしてきた。私は日本語でも聞き取れないことが多く、私と話す人は、私の聞き返しの多さにうんざりされるはずである。英語すらまともに話せないのが私の実情である。耳が悪いのである。(中井久夫「私と外国語」1994年)



■「翻訳の世界」翻訳者選者としてのコメント(1992年)
①美わしのベンガル(ジボナノンド・ダーシュ、臼田雅彦訳)
②官能の庭(マリオ・プラーツ、若桑みどり訳)
③パウル・ツェラン全詩集(中村朝子訳)
④フランス中世文学集3 笑いと愛と(新倉俊一、神沢栄三・天沢退二郎訳)
⑤比較精神医学(H・B・マーフィ、内沼幸雄他訳)
⑥地中海Ⅰ、Ⅱ(F・ブローデル、浜名優美訳)
⑦カミュの手帖(大久保敏彦訳)
⑧世界宗教史Ⅲ(ミルチャ・エリアーデ、鶴岡賀雄訳)
⑨オランダ・ベルギー絵画紀行(フロマンタン、高橋裕子訳)
⑩現代ロールシャッハ・テスト体系(エクスナー、秋谷たつ子他訳)

臼田訳は一読脊髄を快い戦慄が走る。熱帯樹を伝う雨の雫、稲田にこもる湿気がそくそくと身に迫る。体言止め、SVO文の多用。しかも違和感なく、立原道造より出て彼を超える詩語の可能性を示す。早世したベンガル詩人の原語よりの訳という珍しさをはるかに超えている。 『官能の庭』の訳には敬服。ツェラン単独訳は力業。ただ「ぼく」「お前」はリルケ邦訳ですり切れた代名詞かと思う。『フランス中世文学集』はチョーク臭のない学者と詩人の愉しい共作。読みとおせる長い訳詩はなかなかない。重要な大部の学術書訳出の努力に感謝し、文体の一層の洗練を願うーー「のだ」「なのだ」の節約など。妄言多謝。(中井久夫「「翻訳の世界」翻訳者選者としてのコメント」1992年)
したたるほどのイメージが(いや視覚だけでなく聴覚も嗅覚も身体感覚さえも) 鮮明強力に立ち上がってくるすばらしい例を挙げたい。………「美わしのベンガル」(ジボナノンド・ダーシュ、臼田雅彦訳)…(中井久夫『私の日本語雑記』2010年)

君たちはどこへでも好きな所に行くがいい、私はこのベンガルの岸に
残るつもりだ そして見るだろう カンタルの葉が夜明けの風に落ちるのを
焦茶色のシャリクの羽が夕暮に冷えてゆくのを
白い羽毛の下、その鬱金(うこん)の肢が暗がりの草のなかを
踊りゆくのを-一度-二度-そこから急にその鳥のことを
森のヒジュルの樹が呼びかける 心のかたわらで
私は見るだろう優しい女の手を-白い腕輪をつけたその手が灰色の風に
法螺貝のようにむせび泣くのを、夕暮れにその女(ひと)は池のほとりに立ち
煎り米の家鴨(いりごめのあひる)を連れてでも行くよう どこか物語の国へと-
「生命(いのち)の言葉」の匂いが触れてでもいるよう その女(ひと)は この池の住み処(か)に
声もなく一度みずに足を洗う-それから遠くあてもなく
立ち去っていく 霧のなかに、-でも知っている 地上の雑踏のなかで
私はその女(ひと)を見失うことはあるまい-あの女(ひと)はいる、このベンガルの岸に



■「詩を訳すまで」
私は多くの文章を暗誦したり筆記する習慣がある。よい文章とは口唇感覚にも口腔感覚にも発声に参与する筋の筋肉感覚にも快い。筆記感覚でさえうれしい。私には、言語の深部構造とはチョムスキーのいう構造主義的なものを突き抜けて、こういう生理的・官能的なものにまで行き着くのではないかとひそかに思っている。実際、同じ口唇感覚であり口腔感覚であり、ノドと下顎を動かす筋肉であるためか、私に合った詩や散文を現前させている時には、ほとんど現実の果実を果汁を滴らせながらかぶりついている感覚を感じる。 

果実が溶けて快楽〔けらく〕となるように
その息絶える口の中で
その「不在」を甘さに変えるように
――ポール・ヴァレリー「海辺の墓地」第五節――

しかも、詩の果実は実在の果実と違って口の中に消えてもまた再生する! 
五十歳の秋になって、何度目かの言語の節目が現れた。偶然の機会から詩を訳すようになったのである。「精神」「分裂」「傷害」「解体」というたぐいの語ばかりを語り、そういう字を書くことに私の言語意識が耐えられなくなって反抗を起こしたのであろう。ヴァレリーは「ほんとうに言葉が歌うのだよ」と言っているが、私にも、一つ一つの日本語の単語がほんとうに歌うように感じられる時期があった。その伴示、類語、類音語、音調、イマージュ、色調、粘膜感覚と筋肉感覚などで一語一語が重すぎるほどであった時期があった。頭韻や半階音が寝床までつきまとったこともあった。訳詩が完成して一年ほど経って、それが消えていることに気づいた。その時の詩集のページは知らん振りをして横顔を見せている少女のようであった。私は「詩がさっぱりわからない」という人には詩がこういうふうに映っていることを理解した。(中井久夫「詩を訳すまで」1996年)


■「多田智満子訳『サン=ジョン・ペルス詩集』との出会い」より
調布への電車は新宿から出る。よく駅ビル五階にあった山下書店に寄った。この書店で私好みの本に出会うことが多かった。

それでも、その日は特別の日だった。ふと手に取った本の第一ページから、字が、行が、行の並び行くリズムが、私の眼に飛び込んできたからである。

「棕櫚…!/あのころおまえは緑の葉の水にひたされたものだ。そして水はまだ緑の太陽のものであった。おまえの母の下脚 (はしため)たち、大柄で肌つややかな娘らがふるえているおまえのそばで熱いふくらはぎをうごかしていた…」
「植物の熱気、おお 光、おお 恵み!/それからあの蝿たち あの種の蝿ときたら、庭のいちばん奥の段へと、まるで光が歌っているかのように!」
「想いだすのは塩、黄いろい乳母が私の眼尻からふきとらねばならなかったあの塩。/黒い妖術師が祭式に際してしかつめらしく宣言していた、〈世界は丸木舟のごとし。ぐるぐる廻り廻って、風が笑わんとするか泣かんとするかをもはや知らぬ.…〉/するとたちまち私の眼は 輝く波にゆられる世界を描こうと努めて、木の幹になめらかな帆柱を認め、葉蔭に檣楼をまた帆桁を、蔓草に支檣索を認めるのだった。/そのしげみでは 丈高すぎる花々が/鸚哥の叫びをあげてかっと開くのであった。」

今こうやって写してゆくと、隠してある頭韻を初め、訳詩者としてのさまざまの工夫がわかる。しかし、その時の私は分析的な見方など思いもよらなかった。熱帯の過剰な光と熱気の全体が私を襲った。それは、棕櫚への呼びかけから始まって、樹林の帆船の装具、かっと口を開く丈高い花々のインコの叫びという諸感覚の陶酔的混乱までクレッシェンドに高まるのだった。もちろん、これは序の口に過ぎなかった。その本は、象牙色の表紙に金文字で『サン =ジョン·ペルス詩集/多田智満子訳/思潮社』とあった。一九六七年の初夏であった。

私はただただ驚嘆した。フランス語の詩、特に象徴詩には、少年時代に親しんだことがあり、いくつかは暗唱するまでになっていたが、学者たちのこごしくこちたい邦訳は私の心の琴線を掻き鳴らすものではなかった(上田敏や永井荷風の言葉もやや遠かった)。(……)

あたかも、私の仕事は技術的に一○年を待たなければ突破できないような困難に際会し、そして上司との間も微妙になっていた。私は、それまでの仕事をまとめてチェコの雑誌に発表し、精神科に替わった。当時、"精神分裂病"はデルフォイの神託になぞらえられていた。そこではまだ現状を変えるために少しはやれることがあるように感じた。

精神科で診療を始めたことは、私には、文学への回帰でもあった。ちょうどその時に出会ったのが多田さんのサン=ジョン・ペルス詩集であった。いっとき、私は、それまでの日本詩を挨っぽいものと感じた。それほど、彼女の訳文は、むいたばかりの果実のように汚れがなくて、滴したたるばかりにみずみずしかった。

「..…ところでこの静かな水は乳である/また 朝の柔らかな孤独にひろがるすべてのものである。/夜明け前、夢の中のように曙を溶かした水で洗われた橋が空と美しい交わりをむすぶ。そして讃うべき陽光の幼い日々が いくつも巻いたテントの棚をつたって じかにぼくの歌に降りてくる。/…/いとしい幼年期よ、追憶に身をゆだねさえすればよい…あのころほくはそう云ったろうか? もうあんな肌着などほしくない/…/そしてこの心、この心、ほらあそこに、心は橋の上をずるずると裾ひきずって行くがよいのだ、古びた雑巾ぼうきよりもつつましく 荒々しく/くたびれ果てて…」

私は、そのような形で幼年期に訣別したわげではなかったけれども、いっときは、幻想の中で、カリブ海で幼年期を過ごしたかのような錯覚に陥ったほどであった。この今は三四年を経ていかにも古びた詩集は、私にとって大きな里程標となってなお本棚にある。(中井久夫「多田智満子訳『サン=ジョン・ペルス詩集』との出会い」2001年)

………

中井久夫は、『日時計の影』の「あとがき」でエリティスの「アルバニア戦線に倒れた少尉にささげる英雄詩」の訳について次のように書いている、《…拙い翻訳ながら、私の訳詩の中では最良のものかと、ひそかに思っている。翻訳をしながら、また読み返しながら、涙がごみあげてきたのは、他にも絶無ではないが、訳者を泣かせるパワーがいちばん大きかったのはこの詩である》。

この長詩は一から十四節まであるが、ここでは冒頭と五だけ抜き出す。


アルバニア戦線に倒れた少尉にささげる英雄詩

オディッセアス・エリティス  中井久夫訳




太陽が初めて腰をおろしたところ、
時が処女の瞳のように開いたところ、
風がハタンキョウの花びらを雪と散らしたところ、
騎兵が草の葉を白く光らせて駆け抜けていったところ、

端正なスズカケの樹冠がしなうところ、
高く掲げた長旗がはためいて、水と地とに尾を揺らすところ、
砲身の重さに背が曲がるのではなく、空の重みに、世界の重みに背がしなうのである。

世界は光る、きらりと、
朝まだき露の滴が山裾の野に光るように。

今、影が伸びる、神のため息のように、長く、いっそう長く。

今、苦悶が総身に覆いかぶさり、
骨の浮いた手が、花を摘んでは握りつぶす、一本 また一本と。
水無瀬の河の涸れ谷に憂いのみ多くして、歌は死に、声は絶え、
居並ぶ岩の列は髪ひややかなる僧のごとく、声を殺して
たたなわる原野を横ざまに切る。

身も心もこごえる冬。不運に不意を打たれる予感。
猪背〔ししせ〕の虚国〔むなくに〕の山並のたてがみ。

空の高みに禿鷹は舞う、高く高く、空の小さなパン屑を取り合って。




太陽よ、太陽は万能ではなかったか?
鳥よ、鳥は絶えず動いてやまない喜びの瞬間ではなかったか?
かがやきよ、かがやきは雲の大胆ではなかったか?
庭よ、庭は花の泰楽堂ではなかったか?
暗い根よ、根は泰山木を吹くフルートではなかったか?

雨の中で一もとの樹がふるえる時、
魂の立ち去った身体を不幸の女神が黒ずませてゆく時、
狂った者がおのれを雪で縛る時、
ふたつの眼が涙の流れにゆだねられる時、
その時、鷲は若者のゆくえを尋ねる。
鷲の子は皆、若者がどこへ行ったかときづかう。
その時、母はわが子のゆくえを尋ねて溜息をつく。
母たちは皆、その子のゆくえをきづかう。
その時、友は尋ねる、わがはらからのゆくえを。
友は皆、いちばん若いはらからのゆくえをきづかう。
指が雪に触れれば指は雪の熱さにたじろぎ、
その手に触れれば手は凍りつき、
パンを噛めばパンは血を滴らし、
空の深みを見やれば空は鉛の死の色となる。
なぜだ、なぜ、なぜなぜなぜ、死は体温を与えず、なぜ、こんな聖餐でもないパンが血を流し
なぜ、こんな鉛の空があるのだ、いつも太陽が輝いていたところに?

エリティスの『アルバニア戦線にたおれた一少尉のための悲歌』の翻訳には、私自身の戦争体験たとえば機銃掃射を受けた経験が役に立った。あの詩の前半には、私のもっともすばらしいと思う詩句があり、最初の一節は私がひそかに誇る部分である。(中井久夫「私と現代ギリシャ文学」1991年)