このブログを検索

2018年11月17日土曜日

マッサージロボット






いやあこんなのあるんだな、ぜんぜん知らなかったね
しかもボイスコントロールだってさ。

あ、そこでとまって! もうすこし左よ。そう、そこ! もっとつよく、ああ、そう! そのままつづけて!

もうおわりまぢかだな、男たちってのは。


そもそもーー、いや話が飛んできこえるかもしれないが、

張形は男たちが女に向かって使う道具として登場したのではなく、女たちが自身で選び、買い、使うものとして登場した。(田中優子『張形―江戸をんなの性』1999年)

だそうだ。

江戸川柳にはこんなのがある。

小間物屋割りのいいのはへのこなり
小間物屋 よっきよっきと 出して見せ
小間物屋 すぽすぽさせて 一本売り
いぼ付きは 切らしましたと 小間物屋


ま、当時は当たり前だったんだろうけど、日本伝来の出張文化の雛型ががあったわけで。

諸大名一年替りに御城下に詰居れば,一年はさみの旅宿也。其妻は常江戸なる故,常住の旅宿也。御旗本の武士も,常江戸にて常住の旅宿也。諸大名の家中も,大方其城下に聚り居て面々の知行所に居ざれば,皆々旅宿成上に,近年は江戸勝手の家来次第に多くなる。是凡武士といはるる程の者の旅宿ならぬは一人もなし。(荻生徂徠 「政談」)

一年ごとに旦那がいなくなる参勤交代文化において、張形の需要が高くなるのは当然といえば当然。

此年(天保元年 1830年)十月に榛軒は正寧に扈随して福山に往くこととなつた。(森鷗外『伊沢蘭軒』 その百九十五)

伊沢蘭軒死後、長子榛軒が江戸に住んでいた阿部正寧に扈随して福山に戻る。福山藩主阿部氏が戻ったのは、参勤交代による。

此年天保元年十月二十一日は、福山へ立つた榛軒が始て留守に寄する書を作つた日である。宇津の山輿中にあつて筆を把ると云つてある》とある。


この留守宅の弟柏軒に寄せる手紙はこうである。

榛軒は最も妻勇のために心を労してゐたらしく、柏軒に嘱して「勇の挙止に気を附けよ」と云つてゐる。(その百九十七)

妻の「挙止に気を附けよ」・・・浮気よりは張形使用がいいに決まってるのである。