このブログを検索

2019年1月31日木曜日

ひとを愛して/愛したことは忘れてしまった

このところ、戦前の文学者(小説家、詩人)の作品を少しずつ読んでいるのだが、三好達治略歴を少し調べているなか、次の文に出会った。

私が初めて三好さんにお会いしたのは、昭和三十七年の初めころであった。石原八束さんのお宅であった。詩の上から云うと、おじいさんの前に出た孫のような世代のへだたりを遠く私は感じていた。

三好さんは私の気持を見ぬいたように、すらりと云われた。

「現代はいい詩人がいないな」
そして「どうですか」と云われた。
初対面の女にずばりものを言うまっすぐさの裏には、三好さんが日ごろ現代詩をみて感じている激しい何かがあるのが、私にわかった。(滝口雅子「三好さんの思い出」)


滝口雅子さんは、現在ではほとんど知られていない名だろうが、わたくしには、茨木のり子、石垣りんとともにこの三人はセットになっている。

詩をそれほど読むほうではないが、手元に1976年に手に入れたーー、大学一年のときであるーー『日本の詩歌』27「現代詩集」があって、今でもときたま読み返す。四百頁ほどの文庫本である。

このアンソロジーには六十人前後の詩人たちの作品の代表作が掲載されている。一人当り、六、七ページであり、各々の詩人の作品は実にわずかなしか掲載されていないが、このアンソロジーの末尾には、女流詩人が十一人掲げてあり、そのなかでは、「白石かずこ、富岡多惠子」の異質のセットの二人とは別に、「茨木のり子、石垣りん、滝口雅子」が、長いあいだわたくしのお気に入りの三人である。


男について  

男は知つている 
しやつきりのびた女の 
二本の脚の間で 
一つの花が 
はる 
なつ 
あき 
ふゆ 
それぞれの咲きようをするのを 
男は透視者のように 
それをズバリと云う 
女の脳天まで赤らむような 
つよい声で  

男はねがつている 
好きな女が早く死んでくれろ と 
女が自分のものだと 
なつとくしたいために 
空の美しい冬の日に 
うしろからやってきて 
こう云う 
早く死ねよ 
棺をかついでやるからな  

男は急いでいる 
青いあんずはあかくしよう 
バラの蕾はおしひらこう 
自分の掌がふれると 
女が熟しておちてくる と 
神エホバのように信じて 
男の掌は 
いつも脂でしめっている

ーーー滝口雅子『鋼鉄の足』所収、1960年


(滝口雅子さんの「男について」)男性への憎悪をテーマにした詩ととらえる人も多いのですが、私は愛憎こもごもの男性への恋唄と、とっています。こうでなければ男といえない面もあるからで、かなり年上の女が、かなりのゆとりをもって、男のうとましさ、いとおしさを、突きはなして思いやっているような、複雑な味わいをもち、まごうかたなき詩であって、上等のワインのようなコクがあります。(茨木のり子『詩のこころを読む』)




滝口雅子(1918~2002)は、日本の植民地時代の朝鮮生まれである。以下の事実は、数日前知った。


1918年(大正7年)、9月20日、朝鮮咸鏡北道に生れる。父・山本勝三郎は京城府庁の土木技師であった。病身の母の傍を離れて親戚の家を転々としたが、4歳の時母逝く。

1925年(大正14年)、牧場主、滝口家の養女になり、滝口姓になる。京城西大門公立尋常小学校に入学。4年生の時、実父・勝三郎は、郷里福岡の病院で亡くなる。

1938年(昭和13年)、養父母のもとめる結婚に反対して19歳のとき東京にでて、速記者などで生活。戦後、国会図書館に定年まで勤めながら作品を書く。






以下の作品、あるいは作品の断片は、手元のアンソロジーには掲載されておらず、ネット上から拾ったものである。


秋の接吻

ひとを愛して
愛したことは忘れてしまった
そんな瞳(め)が咲いていた
萩の花の白くこぼれる道
火山灰の白く降る山の道
すすきを分けてきた風が
頬をさし出して
接吻した
ひとを愛して
愛したことは忘れてしまった

ーー滝口雅子『窓ひらく』所収、1963年


死と愛

娘の腕はしびれた
ひとつのものをみつめて目が痛んだ
傷ぐちから光ったものは
憎しみを持った夜
上ってくる
足音が階段を上ってくる

葡萄酒の体臭
激しくまじり合うもののかなしい音
ゆれはじめる娘の部屋

あれは 誰だったか
絶望の手で抱きあげてくれたのは
重たい血の壺をゆすってみせたのは――
娘は
青くやせて
すこやかに<死>をみごもった

ーー滝口雅子『蒼い馬』所収、1955年


蒼い馬

沈んだつぶやきは 海の底からくる
水のしわをすかして見える一匹の馬の
盲いたそのふたつの目
かってその背中に
人をのせた記憶さえうすれて
海底を行く一匹の蒼い馬
馬はいつから 海に住むか
背なかに浴びた血しぶきは
自分のものだったか
誰のだったか
何の気取りもなく 片脚で
からみつく海藻を払いながら行く
………


水炎

目をひらくと 海の底にいた
いつ 地上の歩みをふみはずしたのか
いつか地上が終りになるな と思ったことが
いま本当のことになったな
……

ーー滝口雅子『蒼い馬』所収、1955年


女の半身像

白いからだ 白い胸
白い足のうら
折りまげた膝のうらにひそむ影
耳につるばらの花がかかり
口の切りこみにゆれる緑の葉
黒ずむ乳房
しなう腕はやがて折れおちて
とじられた目のうらに一つの窓がひらく
窓の下におちていく大理石の
女の半身像

幾世紀のむかし
ばらは さざ波をくぐって
窓の果てまで匂いを放ったが
闇に唇をひらいて燃えているのは
あれは 忘れられてしまった愛
今は 死んでしまった愛

ーー滝口雅子『蒼い馬』所収、1955年


ーー

ちなみに石垣りん1920年(大正9年)ー 2004年(平成16年)の幼児期の経歴はこうである。

東京都生まれ。4歳の時に生母と死別、以後18歳までに3人の義母を持つ。また3人の妹、2人の弟を持つが、死別や離別を経験する。小学校を卒業した14歳の時に日本興業銀行に事務員として就職。以来定年まで勤務し、戦前、戦中、戦後と家族の生活を支えた。(wiki)



石垣りんの作品のいくつかは「幻の花」に掲げた。