このブログを検索

2019年1月18日金曜日

乳母へのエロス的固着

お前は俺の思惑とは全然違つた人間だつた」(芥川龍之介)で、古井由吉の次の文を引用した。

子供の頃に可愛がられていた人間は、後年しぶといものです。孤立無援になった時、過去に無条件に好かれていたという思いがあれば、辛抱できるんです。

でも、人に好かれないで突き放されて生きていた人は、痛ましい話だけれど、強くてももろいところがあるんです。こういう人は子供の頃に体験できなかった感情を、成人してから調達しようとします。(古井由吉『人生の色気』)

口がきけなくなつた」の太宰も仲間入りだな、太宰は強くはなく、もろいほうが突出しているのだろうけど。そもそも多くの日本の戦前作家はそうなのかもしれないから、強調して言おうとは思わないけど。

乳母や叔母へのエロス的固着ってのかな、太宰は。

母へのエロス的固着の残余は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への従属として存続する。Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. (フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)

しかも母とは異なり、必然的な別離が訪れ、烈しい喪失感を抱く幼少年期をもった太宰。

だれか言っていないかとネット上を探ってみたら、すぐに吉本隆明が言っているのを見出した。


◆シンポジウム・太宰治論 吉本隆明 1988年

第一番目に生と死の境界というのは、超えやすい人と、超えにくい人がいるわけですけど、太宰治はたぶん超えやすい人だったとおもいます。つまり、生涯に何回か自殺未遂とか、それもだいたい心中というかたちで、女性と一緒にというかたちなんですけど。何回か、そういう試みをしては失敗しといいましょうか、未遂に終わり、それで最後にはそれを完成したというような感じをもちます。だから、わりあいに生と死というものの境界が超えやすい人だったんじゃないかというふうにおもいます。……
今度は具体的に、太宰治の自伝に、幼年期及び乳児期といいましょうか、それから、中学時代にかけて、太宰治の自伝的な小説があります。それは初期の作品でいえば、『思ひ出』と か、中期の作品でいえば、『新樹の言葉』という作品がありますけど。そういうのを断片的に拾い集めると、事実らしいものとして残ってくるものがあります。

それを、確からしいとおもわれることを、いくつかあげてみますと、ひとつは乳児の時にじぶんは乳母に育てられたので、 母親に育てられたことはないと言っているわけです。つまり、 母親になんのあれもないと言っています。父親に対してもそうなんですけど、じぶんは乳母におっぱいをもらって育てられ た。

それから、4歳くらいになった頃に、じぶんを、日常、世話したり育ててくれたのは叔母であるというふうに言っています。つまり、母親じゃなくて、母親の妹である叔母に育てられた。だから、乳母に対する思い出と、それから、小児のとき育ててくれた叔母に対する懐かしさというのは、作品の中にしばしば繰り返しあらわれてきます。

たとえば、叔母に対しての思い出を描いているところがあるんですけど。あるとき夢を見たんだと、叔母がじぶんを捨て て、お前が嫌になったんだというふうに言って、叔母が家から 出ていっちゃう、そういう夢を見て、眼が覚めたら、じぶんはわーわー泣いていたという、そういう思い出があるということを語っています。

また、叔母がじぶんの子どもたちが大きくなって、子どもたちと同居するというので、家を出ていったと、じぶんはそのときに叔母と一緒にソリに乗って、じぶんの心づもりでは叔母と一緒にこれからも暮らすんだというふうに思っていたと、しかし、そうじゃなかった。で、そのときに兄貴から、お前は婿なんだ、つまり、叔母の子どもなんだと、兄貴からからかわれて、ものすごく怒りを発したということを『思ひ出』の中に書いています。そのくらい、叔母さんというのは母親代わりだったということになります。幼児期の母親代わりだったということになります。

それから、乳児期の乳母についても、ずいぶん切実な思いがあって、それは何回も小説のテーマになってあらわれてきま す。たとえば、『黄金風景』なんていう、太宰治のたいへんいい作品、短編ですけど、それもたぶん、乳母の思い出に対する典型なわけです。そういうのがでてきます。

つまり、これを母親に育てられなくて、授乳されたりしなくて、乳母と叔母に育てられたということというのは、太宰治が生と死というのを超えやすい資質をもっていたということに対して、たいへん、ぼくは重要なことだとおもいます。

逆に今度は、みんな、叔母に育てられたり、乳母に育てられたり、他人に育てられたりした人は、逆にみんな太宰治のよう に生と死が超えやすいかといったら、それは違うのです。これは一方通行の関係なのであって、すべての人は逆もまた真かというとそんなことはないのです。そこはたいへんむずかしいところだとおもいます。

ただ、太宰治の場合には、歴然としてそのことは重要な、特に太宰治が生と死を超えやすかった、つまり、何回も何回も心中事件を起こしたり、最後にはやっぱり心中で自殺したりという、危機において、いつでも死が超えやすいといいましょう か、生から死へすぐに歩みこんでいけるという、そういう資質というふうに考えれば、それはたいへん、叔母と乳母に育てられて、母親にはただ冷たい感じしかもっていなかったという、 そういうことはとても重要な意味をもつとおもいます。

でも、こういうふうにぼくがいうと、ウーマンリブの人は怒るわけですけど、つまり、おまえは女の人を母親に縛り付けよ うとしているのと同じじゃないかというふうに言うわけですけど、それは、因果関係は違うわけです。逆にそういうふうに育てられたら、必ずそれはそういうふうに生と死が超えやすいお かしな人になっちゃうのかといったら、そんなことはないわけです。(吉本隆明『シンポジウム・太宰治論』1988年)


⋯⋯⋯⋯

ボクは前回記したように太宰はほとんど読んでいないから、あまりエラそうなことは言えないけれど、上に吉本が挙げている『思ひ出』、『新樹の言葉』、『黄金風景』、それと自殺未遂直後の作品『道化の華』は読んでみて、なるほどと思った。





ーーいやあ、こんな女だったら、一緒に自殺したくなるよ。


フロイトあるいはラカン的観点では、たぶん太宰治はマゾヒズム人格だといってもよいかも。

マゾヒズムはサディズムより古い。der Masochismus älter ist als der Sadismus (…)

我々は、自らを破壊しないように、つまり自己破壊欲動傾向から逃れるために、他の物や他者を破壊する必要があるようにみえる。ああ、モラリストたちにとって、実になんと悲しい暴露(開示)だろうか!

es sieht wirklich so aus, als müßten wir anderes und andere zerstören, um uns nicht selbst zu zerstören, um uns vor der Tendenz zur Selbstdestruktion zu bewahren. Gewiß eine traurige Eröffnung für den Ethiker! (フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)
真理における唯一の問い、フロイトによって名付けられたもの、「死の本能 instinct de mort」、「享楽という原マゾヒズム masochisme primordial de la jouissance」 …全ての哲学的パロールは、ここから逃げ出し、視線を逸らしている。(ラカン、S13, 08 Juin 1966)
享楽はその根源においてマゾヒスム的である。(ラカン、S16, 15 Janvier 1969)
死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない。le chemin vers la mort n’est rien d’autre que ce qu’on appelle la jouissance (ラカン、S.17、26 Novembre 1969)
享楽は現実界にある。la jouissance c'est du Réel. …マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel(ラカン、S23, 10 Février 1976)


ま、わずかばかりの作品を読んだだけで、こういったことを記すと、この野郎!って罵倒されちまうから、話半分に読んでください、と強調しておこう。