いやあ、まいったな、じつに純粋に美しいな
天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾盖、夕岫結霧、鳥封穀而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是盖天坐地、促膝飛觴。忘言一室之裏、開衿煙霞之外。淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以濾情。詩紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。
吉田一穂と同じくらい美しいや
故園の書 吉田一穂
春
過ぎてゆく一雨ごとに、鮮麗な落葉松林の感覚が、さつと浅緑に芽ぶく。みすぼらしい亜寒帯植物が沨地を寇しはじめ、雪解の水は溢れて樹木を涵し、落ちて雪に埋れた去年の林檎が浮いて流れる。光と影に眩暈く水の氾濫! 樹液は青空に梢頭の夢を描き、早春の彼方へ鶫の群が放浪してゆく。自然は太古に甦り、春の鼓動を昂めてくる。李、桃、桜、辛夷、胡藤、林檎の花など一斉にひらき、馥郁の香気と夢幻に傷む春宵もなく、忽ち惜春の嗚咽を聴く麦雨の晨、林園に散りしく落花、雨水の痕の泥まぶれ、或は堰にあふれて境界を越え、おちて谿流のたゆたふ遠きあたりに、一葩の名残りを掬する人をして、いたづらに朔林の春を嘆かしめんか。
童骸未不焼 哀夜来白雨
蔽柩以緑草 待霽故山春
蜜蜂は琥珀色の昂奮に酔つて、小舎のまはりに圏を描く。木蔭に睡る園丁達、泉がひそかな琶音を奏でてゐる果樹園の真昼。裸体・太陽・果物――晴天は野外に、雨には籠り、燭を用ゐぬ日没後の安息、この単純な方式に拠る自然の沐浴こそ、生活の原則である。人が人の労働を搾取する経済組織の桎梏に、その奴隷制度の鉄鎖に囚はれて、人は一個の機械人となつた。再び自主労作の悦びから始められねばならない。農民の本質は日出而耕日入而息鑿井而飲耕田而食帝力何有於我哉といふ Anarchique な思想を基調としてゐる。土地は耕すものゝ所有である。たゞ自由聯合の自沧体のみが、地を嗣ぐものたるであらう。農民は図面上の境界線に拠つて支配される隷属者ではなく、寧ろ神の国の民である! 北方の洞窟で誕生した夜、産舎の上に鷲座が南中してゐた。この不吉な赤い太陽の運命のもとに世界を視た私は、年々荒廃してゆく痩せた土地に、鷲の如く飢ゑ、そして夜毎、地平に低く孤影を点ずる天幕の灯に、緑の草原を夢みるのである。
秋
楚々として秋は来た。 物自体のきびしい認識を超えて、人を清澄なパンセにまでひきいれる 像の陰影の深まさる時――汗と土と藁の匂ひ、収穫の穀物倉の簷に雀の巣が殖えてゐた。納屋の隅で蟋蟀が鳴く。空のヴァガボン渡り鳥の群は、切株畑に影をおとして再び地平の秋を旅立つていつた。霧の中で角笛が鳴つてゐる。放牧の群れが帰つて来る。私は蘆のうら枯れた沨の辺りに下り立つて、鼠色の湖心に移動する野鴨を銃口の先で焦点する。空は北方からその雲翳をみだしてくる。草は北洘の塩分を吹き送る東南風に萎れ、北風に苛らだち、西風に雨を感知して、日に日に地表はむくつけき●い容貌と変つてくる。父の如く厳つい自然よ、そして母の如くも優しく美しい季節よ! いまだ火のない暖炉の中から蟋蟀の細い寂しい唄が聞えてくる。燈が机の上に暈を投げる。天蓋に銀河が冴えて横はる。プレアデスやアンドロメダ、天馬の壮麗なシステムが一糸みだれず夜々の天に秋の祝祭の燈をかかげる。
冬
夜、孤独な魂を点ずる灯がある。片照る面を現実にむけて、蜜蜂の去つた地平線を想ひ、自らの体温で不毛の地を暖めながら待つ春への思索の虹――雪に埋れたヒュッテで私は煖炉を焚き、木を斫り、家畜を養ひ、燈火の下で銃を磨き、嵐の音に沈思する。今朝、谿の斜面に楢の木立が、鮮やかな藍と紫の影を印してゐた。丘に沿ふ美しい起伏を痕して吹雪は去つた。雪は蛋白石の内在界を光耀する。落葉松林の奥で肉食鳥の声が鋭い。斧が光り、丁々と木精は冴え、粉雪を散らして木は倒れる。尺寸の幹すら四五十年の年輪を刻んでゐた。私は自然を会得する一本の草木の如く生きて疑を懐かない。冬の脅威から家畜を戍り苛酷な自然に面して一挺の斧と銃とで営みを続けてゆく。一塊の土のある限り、農民は氷の上にすら田を作り得るであらう。彼等は蜥蜴に変形しても生命を保つ。が一度、社会組織の残忍な簒奪機構に入り込む時、彼等は人と人の間で餓死せねばならない。外には北極星が寒気に磨かれてゐるであらう。馭者座は金色の五辺形を描き、参星も高く昇つたであらうか。霜にとざされた硝子窓に愴絶な青光を放つ爛々たるは彼の天狼星であらう。
でもわが吉田一穂は警告してるな、社会組織の残忍な簒奪機構に入り込む時、令和は餓死せねばならない、と。
話はかわるが、すこしまえお二方の写真を拾ったのだが、彼女はこよなく美しいね、笑顔が似合わないタイプなだけで、この俯き顔のなんという「梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」。これほどの美だったらいっしょに心中してもいいだろ、令和のみなさん?