文学部のなかで、長い戦争に対して疑問をもつ、あるいは反対だということをはっきりとした姿勢で考えていた人は教員80人近くいたと思いますが、ふたりだけ。渡辺一夫先生と、それから言語学科の神田先生。そのふたりは、はっきりと戦争全体に反対。ぼくも、そうですけれどね。あとは、いわゆる日支事変段階ではね「この戦争は一体どこまで泥沼に入ってしまうのか」と懸念をもっている人はいくらかいた。しかし日米戦争で空気はがらっと変わります。ハワイ真珠湾攻撃の日に、たまたま大学へ行ったんです。ある研究室のドアからね、教授、助教授の興奮した声が聞こえました。戦争の性格が変わった、この戦争はアジアの植民地解放戦争なんだ、これで戦争目的ははっきりしたと。そういう声が聞こえてきた。なるほど、これがこれからの日本政府の宣伝のポイントになるだろうという感じを受けました。
僕はアジアの植民地解放のためというスローガンを出すならば、なぜ朝鮮と台湾の問題に触れないのか。朝鮮の自主独立を許す、台湾を中国へ返すということを、日米戦争が始まったときにすぐに宣言していたら、アジアの解放もいいですよ。しかし、自分の植民地はそのままにしておいて、これはアジア解放戦争だと言っても通用しませんよ。(日高六郎『映画日本国憲法読本』2004年)
■令和財政 大戦時より深刻
「戒めるべきは根拠なき楽観。令和改元による気分一新モードも、国の債務問題には無力だと思い起こそう」(令和財政 大戦時より深刻:日本経済新聞、2019/5/20)
(平成の総括) |
ま、ようするに消費税を当面20%にあげて(それでは足らないけどまずはフランス並みの20%にして)、かつまた社会保障給付費を3割程度下げなくちゃいけないというのは、ごくごく常識的な話の筈だけど(そうしないと財政崩壊が起こってまっさきに弱者が途方に暮れる)、で、日本の言論界ってのは金融庁程度の話でなんでさわいでんだろ? ボクは最近は日本の情報にひどく疎いので、さっき知ったばかりだけど。
財政赤字の問題ってのは、社会保障の問題以外のなにものでもなくて、つまり少子高齢化社会⋯⋯、いやいやこれも引用しとこ、《社会保障は原因が非常に簡単で、人口減少で働く人が減って、高齢者が増えていく中で、今の賦課方式では行き詰まります。そうすると給付を削るか、負担を増やすかしかないのですが、そのどちらも難しいというのが社会保障問題の根本にあります。》(小峰隆夫「いま一度、社会保障の未来を問う」)ーーだな、いまさらだけど。
10年に一度の財務事務次官と言われた武藤敏郎、小沢一郎にきらわれて二度、日銀総裁になりそこなった人物だけど、彼はエライよ、いまは閑職に追いやられているけどさ、東京五輪組織委員会の事務総長なんてのは、彼を黙らせるためにその職務を与えたんじゃないだろうかね。彼は1943年生れだから、オリンピックおわったあと、もう一度活躍してもらうにはちょっとな、来年は77歳なんだから。
目指すべき国家像
社会保障の在り方を考える際には、どのような国家像を目指すのかが重要です。付加価値税(消費税)の税率 を見ると、日本はいま8%ですが、OECD諸国の多くは 20%前後です。標準税率はフランス20%、ドイツ19%、 イタリア22%、スウェーデン25%となっています。国民負担率(国民所得に対する税と社会保障負担の割合)は、日本では2013年度で41.6%です。フランス は67.6%、イタリアは64.7%、スウェーデンは高負担国のイメージがありますが改革を進めて55.7%となっ ています。なお、欧州に比べて、米国は32.5%と低い のですが、国民皆保険ではなく医療保険を民間保険に 依存していることで、これだけ低く済んでいるという事情があります。
2050年の高齢化率は、日本は40%に近づきます。 イタリア、ドイツが30%代前半、20%代中頃が中国、 フランス、英国、スウェーデン、米国、ロシアです。社 会保障と財政問題を考える際に、2020年や30年を見 据えるだけでは、高齢化が進展するので破綻します。 長期計画では、2040 ~ 50年のことを考えないと、社会保障の仕組みを構築したことにはなりません。
長期シミュレーションからの示唆と提言
大和総研では、長期的な議論をするためにシミュ レーションを行いました。所得代替率(65歳以上人口 1人当たり社会保障給付の、生産年齢人口1人当たり所得に対する割合)が現状の70%のまま一定、その削減率を1割、3割、5割とする4パターンを試算しました。 現在、高齢者は現役の平均所得の7割相当の社会保障給付を受け取っていますが、1割削減すると63%、5割減らすと35%になります。社会保険料率は2016年 度の23.4%から、現状を維持すれば2060年度頃に 38.2%へと6割上がります。しかし、所得代替率を3割削減すれば、27.3%とそれほど上がりません。 試算上、社会保障給付費は高齢化で増加しますが、その他の予算はGDP比で横ばい、中央・地方政府の基 礎的財政収支は均衡という前提で計算しました。消費税で均衡させるには、所得代替率が一定の場合、税率 を22%に引き上げる必要があります。成長率が違っても消費税率の差は2%程度ですので、成長率を高める努力というよりは、7割の所得代替率をコントロール することがカギになるという結論です。
所得代替率 7 割を維持した場合の国民負担率は 2 0 1 5 年 度 の 4 1 . 8 % か ら 、2 0 6 0 年度 に は 6 4 . 9 % に し なくてはなりません。1割削減で60.9%、3割削減でも 52.9%です。5割削減は現在の半分の給付にすること ですから、実現は政治的に難しいでしょう。こうした 数字を前提として、受け入れられる国民負担率がどの くらいかを考える必要があります。たとえば、2割削減 ならば50%台半ばとなり、スウェーデンの国民負担率 が55.7%ですから、許容可能な水準かもしれません。 ただし、スウェーデンの高齢化率は2060年で20%代 半ば程度です。それでも負担率が高いのは、家族手当など高齢化と関係ない社会保障が充実しているからです。日本の場合は、ほとんどが高齢者対応に使われることに留意しなくてはなりません。
公的部門だけで社会保障給付をすべて満足いくように提供しようとすると負担率が高くなりますから、介護などの産業化を検討すべきでしょう。もう1つは、医薬品の負担額の見直しです。うがい薬、湿布薬など薬局で買えるものは保険対象外とすべきでしょう。フランスでは胃薬やビタミン剤は自己負担率が高く、ドイツでもジェネリック薬の値段を超える分は自己負担を求めるよう制度化しています。
最後に申し上げたいのは、日本の場合、低福祉・低負担や高福祉・高負担という選択肢はなく、中福祉・高負担しかありえないことです。それに異論があるなら、 公的保険を小さくして自己負担を増やしていくか、産業化するといった全く違う発想が必要になるでしょう。
消費税25%にあげて、かつ所得代替率を三割さげないとーーつまり今年金が25万円だったら17万円にするってことだーー、にっちもさっちもいかないんだ、これに反論するヤツは阿呆だね。
大和総研理事長武藤敏郎( 2017年1月18日) |
年金へったらへったで、日の丸弁当とか食べといたらいいだろ、みそ汁ぐらいつける余裕はあるかもな。戦争末期や戦後のハイパーインフレ期よりましだろ? 高齢者生活保護費打ち止めで、餓死者続出するよりずっとましだね。で、あの政治家やらインテリやらはこれをひそかに狙ってんだろうか?
ま、いいさ、ようするに太平洋戦争前のインテリたちとかわってないってことだな。
もうひとつ武藤さん、貼り付けておこう。
■社会保障改革 武藤敏郎 (大和総研、2013年)
日本の総人口は2008年をピークに減少し続け、2050年代には9000万人を割り込むと推計される。総人口は約60年前に戻るだけだが、問題は高齢化率(総人□に占める65歳以上の割合)だ。現在の23%(2010年)から、2060年には約40%になる。国連の定義では高齢化率が21%を超えた社会は「超高齢社会」である。超高齢社会を維持するには、人数が減った現役世代の生み出す付加価値によって、人数が増加した高齢者の生活を支えていかねばならない。現行の社会保障制度をそのまま続けることは不可能だ。
現行の社会保障制度を維持しつつプライマリーバランスを均衡させるには、国民負担率(税と社会保障の負担が国民所得に占める割合)を現在の4割から7割近くまで引き上げねばならない。しかし、これでは働く意欲を衰えさせ、経済に悪影響をもたらしかねない。福祉国家と言われ、かつては国民負担率が70%を超えていたスイゥーデンでも、現在は59%程度に下がっている。
では、いったいどの程度まで国民負担率を増やし、給付を削れば社会保障制度を持続させることができるのだろうか ―。
国民負担率は現在の欧州諸国に近い60%程度を超えないように設定し、消費税率は25%まで引き上げることが可能だと想定してみた。その上で、①年金支給開始年齢を69歳に引き上げ②70歳以上の医療費自己負担割合を2割へ引き上げ ― など思いきった給付削減を想定した。
しかし、この程度の改革では社会保障制度を維持できないばかりか、プライマリーバランスの構造的な赤宇も解消できず、国の債務残高は累増し続ける可能性が高いという結論になった。要するに、社会保障の給付削減と負担増を図るだけの従来の発想の延長では、問題を解決する処方箋は容易に描けないのである。
超改革シナリオとは、政府による直接的な給付をナショナルミニマム(国による必要最低限の保障)に限定して国民皆年金や皆保険を維持する一方、民間部門の知恵と活力を総動員して国民が自らリスクを管理していく発想である。
超改革シナリオでは、前述した改革シナリオの内容に加え、①公的年金の所得代替率(その時点の現役世代の所得に対する年金給付額の比率)を現在の62%(2009年財政検証時)から、40%に引き下げる②医療費自己負担割合を全国民一律 3割とする③介護給付の自己負担割合を現在の1割から2割に引き上げる― など給付削減と受益者負担の引き上げを行うこととした。
結論を言えば、この超改革シナリオでは、プライマリーバランスが黒字化し、財政の債務残高そのものをGDP対比で減らしていくことができ、社会保障制度を確実に持続可能なものにしていくことができる。社会保障改革の在り方を、大きな政府か小さな政府かという視点ではなく、超高齢社会において機能する政府とは何かという視点で考えることが重要である。
ま、老人が自宅で暮らすのが不可能だとしたら(光熱費とか水道代もあることだし)、生き続けることが可能な姥捨て山システムを開発しなくちゃいけないのかもな。
ま、いずれにせよ真のインテリってのは、むかしから中井久夫のように考えてるもんだよ、日本の避けられない近未来をね。
今、家族の結合力は弱いように見える。しかし、困難な時代に頼れるのは家族が一番である。いざとなれば、それは増大するだろう。石器時代も、中世もそうだった。家族は親密性をもとにするが、それは狭い意味の性ではなくて、広い意味のエロスでよい。同性でも、母子でも、他人でもよい。過去にけっこうあったことで、試験済である。「言うことなし」の親密性と家計の共通性と安全性とがあればよい。家族が経済単位なのを心理学的家族論は忘れがちである。二一世紀の家族のあり方は、何よりもまず二一世紀がどれだけどのように困難な時代かによる。それは、どの国、どの階級に属するかによって違うが、ある程度以上混乱した社会では、個人の家あるいは小地区を要塞にしてプライヴェート・ポリスを雇って自己責任で防衛しなければならない。それは、すでにアメリカにもイタリアにもある。
困難な時代には家族の老若男女は協力する。そうでなければ生き残れない。では、家族だけ残って広い社会は消滅するか。そういうことはなかろう。社会と家族の依存と摩擦は、過去と変わらないだろう。ただ、困難な時代には、こいつは信用できるかどうかという人間の鑑別能力が鋭くないと生きてゆけないだろう。これも、すでに方々では実現していることである。
現在のロシアでは、広い大地の家庭菜園と人脈と友情とが家計を支えている。そして、すでにソ連時代に始まることだが、平均寿命はあっという間に一〇歳以上低下した。高齢社会はそういう形で消滅するかもしれない。(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」初出2000年『時のしずく』所収)