平成27年(2015年)9月30日、「財政制度等審議会 財政制度分科会」(麻生財務大臣出席)にて、次の検討資料が配布されている(「戦後の我が国財政の変遷と今後の課題」pdf)。
最初の画像は小さすぎるので文字変換しておこう。
戦後直後の混乱期における金融危機対策と財政再建
〇 終戦直後、ハイパーインフレーションの進展を阻止し、戦後経済の再建を図るため、「預金封鎖」、「新円切替」を柱とする金融危機対策と、財産税等の特別課税等を柱とする財政再建計画が立案・公表される。
〇 これらは実施されるが、実際にはハイパーインフレーションが急速に進展し、終戦直前に200%程度であった国債残高対名目GDP比は昭和25年度15%弱にまで大幅に低下。
⇒ 結果として、戦後財政は、低水準の債務負担の中、均衡財政でスタート。
<預金封鎖・新円切替>
● 昭和21年2月16日、悪性インフレーションの進展を阻止するための措置として、「経済危機緊急対策」を公表。同日「金融危機措置令」が発出され、翌17日「預金封鎖」、「新円切替」を同時に実施。
● 「預金封鎖」: 2月17日以降、全金融機関の預貯金を封鎖し、引出しを原則的に禁止。生活費や事業資金について一定額のみ引出しを承認。
[・実施期間:昭和21年2月17日から昭和23年3月末までの約2年間。
・封鎖預金からの新円での引出可能な額は、当初は月額世帯主300円、世帯員1人当たり100円。]
●「新円切替」:日本銀行券を昭和21年3月3日以降は「旧券」として強制通用力を喪失させることとし、同7日までに流通中の旧券を預貯金等に受け入れ、既存の預金とともに封鎖。2月25日より「新券」を発行し、新円による預金引出しを認める(引出可能な額は上記金額)。
[・2月25日から3月7日までの間は、一定限度内に限って(一人当たり100円)旧券と新券の引換えが行われた(交換比率は1:1)。]
<財政再建計画>
●終戦直後の昭和20年11月5日、戦後の債務処理を行い、財政再建の基盤を造成するため、財産税等の特別課税を柱とする「財政再建計画大綱要目」を閣議了解。(当初の計画では、約4,000億円の国富に対して、1,000億円弱の課税を想定。)
●GHQとの調整等を経て、「財産税」及び「戦時補償特別税」の2税を創設。
●「財産税」:昭和21年3月3日時点において国内に在住した個人を対象に、通常生活に必要な家具等を除く個人資産(預貯金、株式等の金融資産及び宅地、家屋等の不動産)に対して、一回限りの特別課税(税率は課税価額に応じた累進課税(税率25%~90%))。
●「戦時補償特別税」:戦時中、戦争遂行のために調達した物品や建設工事の工事代金等の軍や政府に対する戦時補償請求権に対して100%課税を行うことで、戦時補償の支払いの打ち切りを実施。
●両税の税収は「財産税等收入金特別会計」で経理され、原則として国債償還金に充当。
[(参考)財産税及び戦時補償特別税による収入は5年間累計で約487億円(昭和21年時点:一般会計税収約264億円、個人及び法人企業の金融資産は約3,806億円)。]
⇒ 実際には、ハイパーインフレーションの進展により、国債残高対名目GDP比は大幅に低下。財産税等による寄与は限定的(次頁)。
(出典)「昭和財政史終戦から講和まで 第7巻」、「昭和財政史終戦から講和まで第11巻」、「昭和財政史終戦から講和まで 第12巻」。
大前研一による預金封鎖の話もたぶんこのあたりを受けているのだろう。
最悪の事態を避けるためには、政府が“平成の徳政令”を出して国の借金を一気に減らすしかないと思う。具体的な方法は、価値が半分の新貨幣の発行である。今の1万円が5000円になるわけだ。
そうすれば、1700兆円の個人金融資産が半分の850兆円になるので、パクった850兆円を国の借金1053兆円から差し引くと、残りは200兆円に圧縮される。200兆円はGDPの40%だから、デフォルトの恐れはなくなる。そこから“生まれ変わって”仕切り直すしか、この国の財政を健全化する手立てはないと思うのである。
その場合、徳政令はある日突然、出さねばならない。そして徳政令を出した瞬間に、1週間程度の預金封鎖を発動しなければならない。そうしないと、日本中の金融機関で取り付け騒ぎが起きてしまうからだ。(大前研一「財政破綻を避けるには「平成の徳政令」を出すしかない」2016.11)
ーー現在なら、平成の徳政令ではなく、「令和の徳政令」である。
この施策の考え方の基本は次の通り。
インフレ課税というのは、インフレを進める(あるいは放置する)ことによって実質的な債務残高を減らし、あたかも税金を課したかのように債務を処理する施策のことを指す。具体的には以下のようなメカニズムである。
例えばここに1000万円の借金があると仮定する。年収が500万円程度の人にとって1000万円の債務は重い。しかし数年後に物価が4倍になると、給料もそれに伴って2000万円に上昇する(支出も同じように増えるので生活水準は変わらない)。しかし借金の額は、最初に決まった1000万円のままで固定されている。年収が2000万円の人にとって1000万円の借金はそれほど大きな負担ではなく、物価が上がってしまえば、実質的に借金の負担が減ってしまうのだ。
この場合、誰が損をしているのかというと、お金を貸した人である。物価が4倍に上がってしまうと、実質的に貸し付けたお金の価値は4分の1になってしまう。これを政府の借金に応用したのがインフレ課税である。
現在、日本政府は1000兆円ほどの借金を抱えているが、もし物価が2倍になれば、実質的な借金は半額の500兆円になる。この場合には、預金をしている国民が大損しているわけだが、これは国民の預金から課税して借金の穴埋めをしたことと同じになる。実際に税金を取ることなく、課税したことと同じ効果が得られるので、インフレ課税と呼ばれている。(加谷珪一「戦後、焼野原の日本はこうして財政を立て直した 途方もない金額の負債を清算した2つの方法」2016.8.15)
ところで、かつて東大金融教育センター内に、2012年に発足した「『財政破綻後の日本経済の姿』に関する研究会」があった(代表は、井堀利宏(東大大学院教授)、貝塚啓明(東大名誉教授)、三輪芳朗(大阪学院大教授・東大名誉教授)という日本の経済学会を代表する学者)。わたくしは4,5年前に3カ月ほど経済の勉強をしたなかで、この議事録(2012~2014)を読んでその冷徹さに感心したことがある。
そのなかに「財政破綻によるハイパーインフレーション」をめぐって、次のようなメモがある(福井義高メモ、pdf)。
このメモの発信者福井義高氏は最近もこう言っている。
ハイパーインフレは、国債という国の株式を無価値にすることで、これまでの財政赤字を一挙に清算する、究極の財政再建策でもある。
予期しないインフレは、実体経済へのマイナスの影響が小さい、効率的資本課税とされる。ハイパーインフレにもそれが当てはまるかどうかはともかく、大した金融資産を持たない大多数の庶民にとっては、大増税を通じた財政再建よりも望ましい可能性がある。(本当に国は「借金」があるのか、福井義高 2019.02.03)
大前研一のいう「徳政令」とはいくらかの期間のあいだの混乱を除いては、こういうことでありうる。細部の詰めはしっかりなされなければならないが、ようするに《大した金融資産を持たない大多数の庶民にとっては、大増税を通じた財政再建よりも望ましい可能性がある》。
もっとも上流階級よりもせっせと貯蓄している堅実な中流階級あるいは中下流階級こそ最も痛手があるという観点も大いにあるだろうことを補足しておく。それは「平成財政の総括」(財務省、平成31年4月17日、pdf)にその示唆がある。
○ 第2次世界大戦時の巨額の軍事費調達のために多額の国債が発行された結果、終戦直前には債務残高対GNP比が200%程度にまで増大。この巨額の国債発行は日銀引受けによって行われたことから、マネーサプライの増加等を通じて、終戦直後にハイパーインフレーションが発生。
○ 政府は、ハイパーインフレーションに対応し、債務を削減する観点から、「預金封鎖」・「新円切替」を柱とする金融危機対策を講じるとともに、「財産税」・「戦時特別補償税」を柱とする財政再建計画を立案公表。ハイパーインフレーションやこれらの施策により、債務残高対GNP比は大幅に低下したが、同時に国民の資産(特に保有国債)も犠牲になった。
○ こうした教訓に基づき、財政法上、「非募債主義(4条)」や「国債の日銀引受け禁止(5条)」が定められた。
く預金封鎖・新円切替>
全金融機関の預貯金を封鎖し、引出しを原則的に禁止。生活費や事業資金について一定額のみ引出しを承認。
日銀券を「旧券」として強制通用力を喪失させ、流通中の旧券を預貯金等に受け入れ、既存の預金とともに封鎖。「新券」を発行し、新円による預金引出しを認める。
く財政再建計画>
「財産税」:通常生活に必要な家具等を除く個人資産(預貯金、株式等の金融資産及び宅地、家屋等の不動産)に対して、一回限りの特別課税。
「戦時補償特別税」:戦争遂行のために調達した物品等の軍や政府に対する戦時補償請求権に対して100%課税を行うことで、戦時補償の支払いを打ち切り。
(参考)財産税及び戦時補償特別税による収入は5年間累計で約487億円(昭和21年時点:一般会計税収約264億円、個人及び法人企業の金融資産は約3,806億円)。
くハイパーインフレーションの影響>
「預金封鎖が父を変えてしまった」。漁師の父親は酒もたばこもやらず、こつこつ貯金し続け、「戦争が終わったら、家を建てて暮らそう」と言っていた。だが、預金封鎖で財産のほぼすべてを失った。やけを起こした父は海に出なくなり、酒浸りに。家族に暴力も振るった。イネ(娘)は栄養失調で左目の視力を失い、ニ人の弟は餓死した。
愛知県の松坂屋名古屋店は商品も少なく、物々交換所に様変わりした。インフレで物価は高く、必要な物を交換で入手できる場として重宝された。着物を持ってきて食料を欲しがる人もいれば、鍋釜を探す人もあった。同店従業員が交換を仲介し手数料を得た。(出典)『人びとの戦後経済秘史』(東京新聞·中日新聞経済部 編 2016年)
ーー財務省はこのようなメッセージを出し続けているのである(人によっては「脅し」としてのメッセージと言うだろうが)。
しかし同じ平成の総括で示された次の図を、人は最低限認知しなければならない。
もちろん正当的な財政再建策、つまりは預金封鎖なき財政再建策もある。その代表例は、10年に一度の財務事務次官といわれた武藤敏郎案(大和総研案)である。だがこの案を実現させるにはひどく困難である(参照:踏み絵のすすめ)。
1000兆円超の国家債務を抱えてしまった今、経済成長は逆ザヤになる可能性が高い。つまり経済成長による税収増よりも、経済成長に伴って上る確率の高い金利上昇による利払い増のほうが多くなってしまう可能性が高い。
とすればこの武藤氏の言うように事実上、これらの方策をすべて行うしかない(すくなくともそう考えざるをえないのを、「踏み絵のすすめ」で示した)。
武藤氏は2018年には《いつでも増税できるようにしておいて、世論が熟したら直ちに》と言っている。
消費税は、高齢化で増加する社会保障費をまかなう狙いで導入されましたが、実際には増税が進まず、国の借金が膨らみました。
高齢化がピークを迎える2040年ごろを見据えて大和総研が試算したところ、年金支給額の削減、医療や介護の自己負担の引き上げといった厳しい社会保障費の抑制を実施したとしても、30年代半ばには20~25%の消費税が必要、との結果になりました。
導入後、25年で3%から8%までしか上げられなかった消費税を、今後20年弱で最低12%分は上げざるを得ないことになります。従来のペースでは間に合わないでしょう。
増税が一時的に景気を下押しするのは事実です。景気の悪化を絶対に避けるなら、増税はできないことになります。
今までの経験からして、消費増税を計画するのは、実行する2年前です。景気がよいときに計画したとしても、いざ増税しようとするときに景気がよいかは怪しい。したがって、かなりの確率で増税は頓挫します。
非常に難しいことですが、いつでも増税できるようにしておいて、世論が熟したら直ちにやるやり方を考えておかないといけないのではないでしょうか。
平成の間に官僚の力が落ちて、政治家の力が強まったと言われます。しかし、仮に官の力がどんなに強くても、増税を官僚が決めることは無理だと思います。増税の決定は(昔から与党の税制調査会が議論する)全く政治的なプロセスだからです。
政治家は「国民の声を聞く」とよく口にしますが、何でも国民の声で決めるなら、世論調査で国政をすればいい。政治家は不要です。時には「苦い薬を飲まないといけない」と国民を説得することが、真の政治判断ではないでしょうか。
英国のチャーチル元首相は「民主主義は最悪の政治と言える」との有名な言葉を残しました。民主主義の投票行動で、国民が自らの負担増を決めることを期待するのは、並大抵のことではありません。
与野党の勢力が拮抗している状況で、与党が増税、野党が減税を主張すると、恐らく選挙で政権交代になります。消費増税は政治生命をかけることになります。そこまでのことを政治に期待するのは、冷静に考えると難しいのかもしれません。
だから、財政再建は与野党が対立していてはできません。財政再建を与野党の争点にしない環境を、オピニオンリーダーはつくる責任があると思います。
わたくしがいくらか考えてみた範囲ではそうなる。あとは混乱を最小限にとどめる施策を「ひそかに」考えたらよいのである(政治にはまったく疎く、経済学からは長いあいだ離れている身の者がいっていることを断っておかねばならない)。
一つの悪徳を行使しなくては、自国の存亡にかかわるという容易ならぬばあいには、悪徳の評判などかまわずに受けるがよい。(マキャベリ『君主論』)
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以上、海外住まいの者の記した無責任な言説として読んで頂いてもよろしい。わたくしは幸か不幸か、日本的社会諸関係から外れたポジションにいるので、いくらか「冷徹に」眺めうる視点を与えられているのである。
個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。(マルクス『資本論』第一巻「第一版序」1867年)
ようするに来るべき財政大震災という「口にしちゃいけないこと」を容易に口にできる立場に置かれているのである。
本当のことを言うとね、空襲で焼かれたとき、やっぱり解放感ありました。震災でもそれがあるはずなんです。日常生活を破られるというのは大変な恐怖だし、喪失感も強いけど、一方には解放感が必ずある。でも、もうそれは口にしちゃいけないことになっているから。(古井由吉「新潮」2012年1月号又吉直樹対談)