柄谷行人は『世界史の構造』で次の二つの図を示している(手元には英語版しかないのでそこから)。
これは『トランスクリティーク』にもすでに同じ思考がある(図はないが)。
トラクリの記述を活かせば、アソシエーションがXである。したがって上のボロメオの環を回転させてラカン的に示せば次のようになる。
共同体、資本、国家の項に、現在の日本の最大の論点であろう語彙群を代入しなおせば、次のようになる。
で、アソシエーションとはボクに言わせれば、なによりもまず「新しい家族の形態」ってことだな。
この家族というのは、主に中井久夫に依拠している→「家族なき社会はない」
今、家族の結合力は弱いように見える。しかし、困難な時代に頼れるのは家族が一番である。いざとなれば、それは増大するだろう。石器時代も、中世もそうだった。家族は親密性をもとにするが、それは狭い意味の性ではなくて、広い意味のエロスでよい。同性でも、母子でも、他人でもよい。過去にけっこうあったことで、試験済である。「言うことなし」の親密性と家計の共通性と安全性とがあればよい。家族が経済単位なのを心理学的家族論は忘れがちである。(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」初出2000年『時のしずく』所収)
ラカン的にはXのポジションは父の機能としてのΣ(参照:二種類のサントーム)。
最後のラカンにおいて⋯父の名はサントーム(Σ) として定義される。il a enfin défini le Nom-du-Père comme un sinthome(ミレール、2013、L'Autre sans Autre)