このブログを検索

2019年9月9日月曜日

左翼ポピュリストは沈黙すべきである

フランクフルト学派代表であったユダヤ系ドイツ人ホルクハイマーはこう言った。

資本主義について批判的に語りたくない者はファシズムについても沈黙すべきである。Wer aber vom Kapitalismus nicht reden will, sollte auch vom Faschismus schweigen." (マックス・ホルクハイマー Max Horkheimer「ユダヤ人とヨーロッパ Die Juden und Europa.」1939年)

ホルクハイマーは当時、ナチの迫害をさけるために米国に亡命し、コロンビア大学で教鞭を取っていた。ジジェクは上の発言を何度も引用しており、その文脈のなかで次のように言っている。

ヒトラーがユダヤ人を標的にしたことは、結局、本当の敵——資本主義的な社会関係そのものの核——を避けるための置き換え行為であった。ヒトラーは、資本主義体制が存続できるように革命のスペクタクルを上演したのである。 (ジジェク『暴力』2008年)
主体が「この世の不幸のもとはユダヤ人だ」と言うとき、ほんとうは「この世の不幸のもとは巨大資本だ」と言いたいのである。(ジジェク『ポストモダンの共産主義』2009年)

ラカン派ポール・バーハウは「資本主義」を「新自由主義」に置き換えて、こう言っている。

我々はシステム機械に成り下がった、そのシステムについて不平不満を言うシステム機械に。…

ポピュリストの批判は、大衆自らが選んだ腐敗した指導者を責めることだ。

ラディカルインテリは、どう変えたらいいのか分からないまま、資本主義システムを責める。

右翼左翼の政治家たちはどちらも、市場経済に直面して、己れのインポテンツを嘆く。

これら全ての態度に共通しているのは、何か別のものを責めたいことである。だが我々皆に責務があるのは、「新自由主義」を再尋問することだ。…それを「常識」として内面化するのを止めることだ。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe、What About Me? 2014年)

ホルクハイマーを再掲しよう、《資本主義について批判的に語りたくない者はファシズムについても沈黙すべきである》。

「新自由主義について批判的に語りたくない者は安倍批判やレイシズム批判についても沈黙すべきである」とは言わないでおく。

だが少なくともこの今の日本で、世界一の少子高齢化と巨大な財政赤字に対して不感症の連中は、あらゆる政治的なことに口を閉ざしたほうがいい。そうは言っておこう。


(「社会保障について」 平成31年4月23日(火) 財務省、pdf



たとえば左翼ポピュリストあるいはリベラルインテリの繰り言、「このデフレ経済で消費税増は不可能だ」、このたぐいのその場かぎりで無責任な発言が30年来続き、少子高齢化社会では避けられない社会保障給付費(あるいはその負担比率)増大に対応するための国民負担率増の要請が遅延して、現在の巨大な財政赤字が生まれたのである。





もっとも現在の政治家たちは保守も左翼も同じように本質的にポピュリスト(大衆迎合主義者)ではある。保守政権は選挙のために左翼ポピュリスト言説に対抗できなかったという「ふしだらさ」を持ってきた。

現実の民主主義社会では、政治家は選挙があるため、減税はできても増税は困難。民主主義の下で財政を均衡させ、政府の肥大化を防ぐには、憲法で財政均衡を義務付けるしかない。(ブキャナン&ワグナー著『赤字の民主主義 ケインズが遺したもの』)






ここでは左翼ポピュリストに焦点を絞る。連中の言説がその場かぎりで無責任なものであるのは、彼らに問うてみたらすぐさまわかることだ。たとえば「きみは10年後の国民負担率をどうしたいのかね」と。彼らには僅か10年という近未来の視点さえほとんど皆無である。




なぜ世界一の少子高齢化社会でこの国民負担率ですむのか、その問いがあの連中たちにはまったくないとしか思えない。






1990年から2019年の30年のあいだに公共事業、教育、防衛などの歳出はなにも増えてない。増えたのは社会保障費と、それにほとんどその社会保障費を補填するのみの国債費だけである。

歳入のほうはこうだ。





連中は消費税増に反対して所得税やら法人税をあげたいわけだろうか?


(これからの日本のために 財政を考える、財務省、令和元年6月、PDF


現在の税収では社会保障、国債費と地方交付税だけに限ってもまかなえないのである。






たとえば連中は日本をこれまた世界一の法人税国にしたいのだろうか?





連中は、全世代が負担する消費税(=国民福祉税)をカットして、所得税やあるいは社会保険料をあげて勤労世代への負担のみを増やしたいのだろうか。








日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」大和総研2013、武藤敏郎監修)

あの左翼ポピュリズムの経政音痴の連中は、せいぜいMMT等の札束バラマキ派か、「経済成長があれば今のままでもなんとかなる」のたぐいの無責任な寝言を言うぐらいなのである。

アメリカの潜在成長率は 2.5%弱であると言われているが、アメリカは移民が入っていることと出生率が高いことがあり、生産年齢人口は年率1%伸びている。日本では、今後、年率1%弱で生産年齢人口が減っていくので、女性や高齢者の雇用を促進するとしても、潜在成長率は実質1 %程度に引き上げるのがやっとであろう。

丸めた数字で説明すれば,、アメリカの人口成長率が+1%、日本は-1%、生産性の伸びを日米で同じ 1.5%と置いても日本の潜在成長率は 0.5%であり、これをさらに引き上げることは難しい。なお過去 20年間の1人当たり実質GDP 成長率は、アメリカで 1.55%、日本は 0.78%でアメリカより低いが、これは日本においては失われた 10 年といった不況期があったからである。

潜在成長率の引上げには人口減少に対する強力な政策が必要だが、出生率を今すぐ引き上げることが出来たとしても、成人して労働力になるのは20年先であり、即効性はない。今すべき政策のポイントは、人口政策として移民政策を位置づけることである。現在は一時的に労働力を導入しようという攻策に止まっているが、むしろ移民として日本に定住してもらえる人材を積極的に受け入れる必要がある。(『財政赤字・社会保障制度の維持可能性と金融政策の財政コスト』深尾光洋、2015年)

そしてMMTの議論などというものは、結局これに収斂する。

非基軸通貨国は、自国の生産に見合った額の自国通貨しか流通させることはできないのである。それ以上流通させても、インフレーションになるだけである。(岩井克人『二十一世紀の資本主義論』2000年)
ここで言う基軸国とは一体どういう意味なのでしょうか?ドルは世界の基軸貨幣です。だが、それは世界中の国々がアメリカと取引するためにドルを大量に保有しているという意味ではありません。ドルが基軸貨幣であるとは、日本と韓国との貿易がドルで決済され、ドイツとチリとの貸借がドルで行われるということなのです。アメリカの貨幣でしかないドルが、アメリカ以外の国々の取引においても貨幣として使われているということなのです。(岩井克人「アメリカに対するテロリストの誤った認識」朝日新聞2001年11月5日)