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2019年10月3日木曜日

アートがミュージアムにあるのではなく、ミュージアムにあるからアートとなる

デュシャンは次のようなたぐいのことをしきりに言った。

芸術でないような作品をつくることができようか Peut-on faire une œuvre qui ne soit pas d’art?(Duchamp en 1923
私は真剣に信じている、絵画をつくるのは、アーティストと同じくらい、観客だと。Je crois sincèrement que le tableau est autant fait par le regardeur que par l'artiste.(Marcel Duchamp en 1960

これをそのまま受けとめて演繹すれば、たとえば「美術品が美術館にあるのではなく、美術館にあるから美術品なのだ」ということになるのだろう。これはなにも絵画や彫刻などにかぎらない。すべての芸術がそうでありうる。たとえばケージの『4分33秒』もデュシャンの考え方と同様な思考のなかにあるはずである。

いや芸術の領域にかぎらない。すべての領域において、マルクスの言うようなことがあてはまるはずである。

この人物が王であるのは、ただ他の人々が彼に対して臣下として振舞うからでしかない。ところが、彼らは逆に、彼が王だから、自分たちは臣下なのだと信じている。B. nur König, weil sich andre Menschen als Unterthanen zu ihm verhalten. Sie glauben urngekehrt Unterthanen zu sein , weil er König ist. (マルクス『資本論』第一篇 註)

ーー芸術に限って言えば、たとえば「ある作品が芸術であるのは、ただ観客がこの作品を芸術とみなすからでしかない。 ところが、観客は逆に、この作品が芸術だから、それを珍重する(のだと信じている)」となる。

このマルクスの文を引用しつつ、ジジェクはデュシャンについてこう記している(柄谷行人も『トランスクリティーク』でほぼ同様なことを記している)。

対象から発するアウラは、対象の直接的な特性ではなく、それが占める場である。この場への依存の古典的な例は、もちろん、マルセル・デュシャンのよく知られた小便器(泉)ーー小便器自体が展示されることによってアートの対象となったものーーである。

デュシャンの功績は、たんに、アート作品においてなにが重要とされるか(小便器でさえも)の範囲を拡げたことになるのではない。彼がなしたことはーーそのような普遍化の形式的条件としてーー、対象とそれが占める(構造的な)場のあいだの区別の導入である。すなわち小便器をアート作品とするのは、それに内在する特性ではなく、それが占める場(アートギャラリイ)なのである。あるいはマルクスが遠い昔に商品フェティシズムに関して言ったように、「 ある人間が王であるのは、ただ他の人間が彼に対して臣下として相対するからである。彼らは、逆に彼が王だから、自分たちが臣下でなければならぬと信じている」ということである。

日常生活において、われわれはこの種の物象化 reification の犠牲者である。つまり、われわれは純粋な形式的あるいは構造的決定性を対象の直接の特性として誤認してしまうのである。(ジジェク、LESS THAN NOTHING, 2012年)





ところでプルーストは石鹸の広告とパスカルのパンセとは、場合によってはおなじくらい貴重だと言っている。

われわれも相当の年になると、回想はたがいに複雑に交錯するから、いま考えていることや、いま読んでいる本は、もう大して重要性をもたなくなる。われわれはどこにでも自己を置いてきたから、なんでも肥沃で、なんでも危険であり、石鹸の広告のなかにも、パスカルの『パンセ』のなかに発見するのとおなじほど貴重な発見をすることができるのだ。(プルースト「逃げさる女」)

このパスカルのパンセは、プルーストが愛したたとえばフェメールの作品に置き換えうる。つまり石鹸の広告もフェメールもおなじくらい貴重だ、と。

この考え方の説明のひとつは「見出された時」にある。

人が芸術的なよろこびを求めるのは、芸術的なよろこびがあたえる印象のためであるのに、われわれは芸術的なよろこびのなかに身を置くときでも、まさしくその印象自体を、言葉に言いあらわしえないものとして、早急に放置しようとする。また、その印象自体の快感をそんなに深く知らなくてもただなんとなく快感を感じさせてくれものとか、会ってともに語ることが可能な他の愛好者たちにぜひこの快感をつたえたいと思わせてくれるものとかに、むすびつこうとする。

それというのも、われわれはどうしても他の愛好者たちと自分との双方にとっておなじ一つの事柄を話題にしようとするからで、そのために自分だけに固有の印象の個人的な根源が断たれてしまうのである。われわれが、自然に、社会に、恋愛に、芸術そのものに、まったく欲得を離れた傍観者である場合も、あらゆる印象は、二重構造になっていて、なかばは対象の鞘におさまり、他の半分はわれわれ自身の内部にのびているtoute impression est double, à demi engainée dans l'objet, prolongée en nous-mêmes par une autre moitié。後者を知ることができるであろうのは自分だけなのだが、われわれは早まってこの部分を閑却してしまう。要は、この部分の印象にこそわれわれの精神を集中すべきであろう、ということなのである。それなのにわれわれは前者の半分のことしか考慮に入れない。その部分は外部であるから深められることがなく、したがってわれわれにどんな疲労を招く原因にもならないだろう。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳)

石鹸の広告において、「われわれ自身の内部にのびている」なにものかを見出せば、それは限りなく貴重なものとなる。反対に名高い作品において「われわれ自身の内部にのびている」ものを見出さないことはしばしばあるだろう。

彼らが私の注意をひきつけようとする美をまえにして私はひややかであり、とらえどころのないレミニサンス réminiscences confuses にふけっていた…戸口を吹きぬけるすきま風の匂を陶酔するように嗅いで立ちどまったりした。「あなたはすきま風がお好きなようですね」と彼らは私にいった。(プルースト「ソドムとゴモラ」)

ーー場合によっては、葉叢のざわめきや蝉しぐれよりも、モーツァルトのほうが美しいなどということがどうしてありえよう?と言ったってよい。

たとえばバルトが『明るい部屋』で語った「温室の写真」の貴重さはこの思考のもとにある。

(「温室の写真」をここに掲げることはできない。それは私にとってしか存在しないのである。読者にとっては、それは関心=差異のない一枚の写真、《任意のもの》の何千という表われの一つにすぎないであろう。それはいかなる点においても一つの科学の明白な対象とはなりえず、語の積極的な意味において、客観性の基礎とはなりえない。時代や衣装や撮影効果が、せいぜい読者のストゥディウムをかきたてるかもしれぬが、しかし読者にとっては、その写真には、いかなる心の傷 blessure もないのである。)(ロラン・バルト『明るい部屋』第30章)

この温室の写真(少女時代の母の写真)は、バルトにとってプンクトゥムであり、プンクトゥムとはストゥディウムに「染み」を作るものである。

ストゥディウム studiumというのは、気楽な欲望と、種々雑多な興味と、とりとめのない好みを含む、きわめて広い場のことである。それは好き/嫌い(I like/ I don’t)の問題である。ストゥディウムは、好き(to like)の次元に属し、愛する(to love)の次元には属さない。ストゥディウムは、中途半端な欲望、中途半端な意志しか動員しない。それは、人が《すてき》だと思う人間や見世物や衣服や本に対していだく関心と同じたぐいの、漠然とした、あたりさわりのない、無責任な関心である。

プンクトゥム(punctum)――、ストゥディウムを破壊(または分断)しにやって来るものである。(……)プンクトゥムとは、刺し傷 piqûre、小さな穴 petit trou、小さな染み petite tache、小さな裂け目 petite coupureのことであり――しかもまた骰子の一振り coup de dés のことでもあるからだ。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然 hasard なのである。(ロラン・バルト『明るい部屋』第10章、1980年)

この染みこそ、ラカンの対象aであり、《絵のなかの染み tache dans le tableau》である。

確かに絵は、私の目のなかにある。だが私自身、この私もまた、絵のなかにある。le tableau, certes est dans mon oeil, mais moi je suis dans le tableau.…そして私が絵の中の何ものか quelque chose dans le tableau なら、…それは染み tâche としてある。(ラカン、S11, 04 Mars 1964)

そしてこの染みとは個人固有のものである。

たいていの場合、プンクトゥムは《細部》である。つまり、部分対象 objet partiel である。それゆえ、プンクトゥムの実例をあげてゆくと、ある意味で私自身を引き渡すme livrerことになる。(ロラン・バルト『明るい部屋』第19章)

この個人固有の「なにものか」とは、たとえば身体の記憶である。

私の身体は、歴史がかたちづくった私の幼児期である mon corps, c'est mon enfance, telle que l'histoire l'a faite。…匂いや疲れ、人声の響き、競争、光線など des odeurs, des fatigues, des sons de voix, des courses, des lumières、…失われた時の記憶 le souvenir du temps perdu を作り出すという以外に意味のないもの…(幼児期の国を読むとは)身体と記憶 le corps et la mémoireによって、身体の記憶 la mémoire du corpsによって、知覚することだ。(ロラン・バルト「南西部の光 LA LUMIÈRE DU SUD-OUEST」1977年)

この「身体の記憶 mémoire du corps」ーーラカン派用語では「身体の出来事 événement de corps」(=享楽の固着 fixation de jouissance)[参照]ーーを人が見出せば、どんな作品だって芸術でありうると言えるだろうか? --《芸術でないような作品をつくることができようか》という言葉は、デュシャンの意図がどうであれ、この文脈のなかでも捉えうる。

これについてはもうすこし考えてみなくてはならない。たとえば形式的美をどう扱うか等(形式的美とは、ほんらい染みや穴、裂け目を作ることにある、というのがラカンの壷作りの隠喩で語ったことだが)。

ここではこう引用するだけにしておこう。ジュネ=ジャコメッティによる「美の起源としての傷(心の傷)」である。

美には傷 blessure 以外の起源はない。どんな人もおのれのうちに保持し保存している傷、独異な、人によって異なる、隠れた、あるいは眼に見える傷、その人が世界を離れたくなったとき、短い、だが深い孤独にふけるためそこへと退却するあの傷以外には。(ジャン・ジュネ『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』宮川淳訳)

Il n’est pas à la beauté d’autre origine que la blessure, singulière, différente pour chacun, cachée ou visible, que tout homme garde en soi, qu’il préserve et où il se retire quand il veut quitter le monde pour une solitude temporaire mais profonde. (Jean Genet, L’atelier d’Alberto Giacometti)

これは、バルト用語で言えば、美の起源としてのプンクトゥムである。