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2019年10月1日火曜日

左派リベラルの「母のペニス」夢想

■少子高齢化社会のボロメオの環

ヨクモマア!」で示したが、柄谷モデルを使って、現在の日本の少子高齢化社会の現状を図示すればこうなる。




このラカンのボロメオの環の基本的読み方は次の通り(アソシエーションについてはここでは触れない)。

青の環(資本)は白の環(国家)を覆っている(支配しようとする)。
白の環(国家)は赤の環(国民)を覆っている(支配しようとする)。
赤の環(国民)は青の環(資本)を覆っている(支配しようとする)。

したがって右図はこう読むことができる。

・財政赤字は国家を支配して、国家機関は負担増福祉減に促される。
・国民はその負担増福祉増政策に反発して負担減福祉増を訴え、財政赤字を蔑ろにしようとする。
・その結果、財政赤字は雪だるま式に増え、国家機関はいっそうの負担増福祉減に促される。

まとめて(そして45度ほど向きを変えて、つまり資本=財政赤字を底部にして)図示すればこうである。




■日本左派リベラルのフェティシズム

現在のリベラル左派あるいは左翼ポピュリズムは、おおむね国民の上に乗っかっているのみである。ようするに大衆迎合主義である。そして連中は少子高齢化社会における財政赤字累積をいまだ否認しているようにさえみえる。

ここでの「否認」とは次の意味である。

倒錯において自我は、現実の重要な部分 bedeutsames Stück der Realität を否認するverleugnet。(フロイト『フェティシズム』1927年、摘要)

この倒錯の機制であるVerleugnung(否認)とは、事態の内容は能動的形式で認められているのだが、その承認は、Isolierung(分離・隔離)という条件の下。つまり日常生活への影響(象徴的影響)は宙吊りになったままで、主体の象徴的宇宙のなかへは本当には統合されていないということである。

これが、ラカンの弟子オクターヴ・マノーニ Octave Mannoni の名高い「よく知っているが、それでも…( je sais bien, mais quand-même)」という論理である。フロイトの『フェティシズム』論の叙述に依拠して言い換えれば、「母さんにペニスがないことは知っている、しかしそれでも…[母さんにはペニスがあると信じている]」となる。

母のペニスについてのフロイトとラカンの記述をいくらか抜き出しておこう。

フェティッシュは、女のファルス(母のファルス)の代理物である。der Fetisch ist der Ersatz für den Phallus des Weibes (der Mutter) (フロイト『フェティシズム』1927年)
母のペニスの欠如は、ファルスの性質が現われる場所である。sur ce manque du pénis de la mère où se révèle la nature du phallus(ラカン、E877、1965)
(象徴的ファルスとは異なった)他のファルスは、母の想像的ファルスである。un autre phallus c'est le phallus imaginaire de la mère. (ラカン、S4、22 Mai 1957)


ここでの話に言い換えれば、財政危機はきわめて深刻であり、日本国民(現在を生きるのみの庶民以外の人たち)は自分たちの生存そのものがかかっているのだということを、「よく知っているが、それでも je sais bien, mais quand-même……」、心からそれを信じているわけではない。それは彼らの象徴的宇宙に組み込む心構えはできていない。だから彼らは、危機が日常生活に影響を及ぼさないかのように振舞い続け、「母さんのペニス=既存の福祉システムの存続」をひそかに夢見ている。

世界的にみてもジジェクは既にこう言っている。ましてや世界一の少子高齢化社会で20世紀後半に一時的にありえた日本の既存システムが維持できるわけはない。

現在の政治は、福祉国家が現行のシステム内部でまだ維持可能だという思いこみで成り立っている。…だが次の事態は瞭然としている。それは、福祉国家が可能であった数十年を経た現在、…われわれはある種の経済非常事態が恒常的になった時代に突入していることである。この時代は、以前にもましてはるかに冷酷な財政引き締め策、給付の削減、医療教育サービスの減少、そしてこれまで以上に不安定な雇用の脅威をもたらしている。

… 現下の危機は早晩解消され、ヨーロッパ資本主義がより多くの人びとに比較的高い生活水準を保証し続けるだろうといった希望を持ち続けることは馬鹿げている。いまだ現在のシステムが維持可能だと考えている者たちはユートピアン(夢見る人)にすぎない。(ジジェク、A PERMANENT ECONOMIC EMERGENCY、2010年ーー「で、「経済成長」をまだ続けたいのかい?」)

オピニオンリーダーとして振る舞いたいらしいインテリ左派諸君はなによりもまず、「母さんのペニス」の夢を捨て、社会保障給付費削減・税負担増等はまったく避けられないという事態を直視すべきであると私は考えるが、彼らの脳髄のなかのフェティシズムは容易に修正できないのもよく知っているつもりである。


■直視すべき現実

まず直視すべき現実は次の厳然たる数字である。




ーー2040年なんてヤボなことは言わない。この現在である。どうして20年前、30年前と同じやり方で高齢者を賄いきれるというのだろう?

人口1人当たり社会保障費額をみたらよい、2018年は1990年の2.5倍になっている。



ーーこのせいで公債残高は雪だるまである。よく知られているように、今後さらに後期高齢者人口の急増等による社会保障費の激増が待っている。






さてこの事態を見つめた後には、たとえば国民負担率に目を向けるべきである。




なぜ、世界一の少子高齢化社会でこの国民負担率の低さがありうるのか、という問いを自ら提出すべきである。左派リベラル諸君にはあるかね、この問いが? それとも日本を米国のように「低福祉低負担国」にしたいんだろうか? 自分の福祉は勝手に自分でやってくれってのに居直るのだったらよいがね、「オバマケア」ってどうなったっけな。

消費税ばかりで「賃金税」の負担増に注目しない連中はバカ


ようするに消費税ゼロ派諸君に対して、人はみなこう問わなければならない、「あなたは5年後、10年後、20年後の国民負担率をどうしたいのか」と。20年後のビジョンなんてのを求めるのは彼らにはコクだから、10年後でもいいさ。ま、さらに妥協して5年後だっていいよ。消費税をゼロにしたらほかの項にいっそうのしわ寄せがくるのはわかるだろ?

ま、ようするに20兆円をほかのどこからとるんだい?ってことだ。





ーーMMTのたぐいの札束刷ればなんとかなるってのだけはやめてくれよな。そこにのみすがりたい気持ちはわからないではないがね。

MMT理論は基軸通貨ドル国であれば、僥倖として可能でありうる場合もあるが、基軸通貨国ではない日本で適用したら、インフレになるだけだという観点を私はとるね。

非基軸通貨国は、自国の生産に見合った額の自国通貨しか流通させることはできないのである。それ以上流通させても、インフレーションになるだけである。(岩井克人『二十一世紀の資本主義論』2000年)
ここで言う基軸国とは一体どういう意味なのでしょうか?ドルは世界の基軸貨幣です。だが、それは世界中の国々がアメリカと取引するためにドルを大量に保有しているという意味ではありません。ドルが基軸貨幣であるとは、日本と韓国との貿易がドルで決済され、ドイツとチリとの貸借がドルで行われるということなのです。アメリカの貨幣でしかないドルが、アメリカ以外の国々の取引においても貨幣として使われているということなのです。(岩井克人「アメリカに対するテロリストの誤った認識」朝日新聞2001年11月5日)



MMT 理論の第一人者と言っていいだろうランダル・レイはこんなことさえ言っている。

経済学者にとって、年率40パーセント未満のインフレ率から経済への重大な悪影響を見出すことは困難である。economists are hard pressed to find significant negative economic effects from inflation at rates under 40 percent per year. (ランダル・レイRandall Wray「現代貨幣理論 Modern Money Theory」2012年)

ーーほとんどハイパーインフレ容認である(ハイパーインフレは通常、年率50%以上とされることが多い)。


さて話を戻そう。

資産課税はいくらか増やせるかもしれない。だが法人税増などとは寝言である。他国の法人税率と日本の法人税率を見比べればよい。




現在、世界的な租税競争がある。法人税をあげたら黒字の企業は海外に逃げる。赤字の企業だけが日本に居残ることに帰結する。

それ以外にも法人税を上げれば、論理的に給料削減要因となる。

法人税の労働への帰着に関する実証分析では,「法人税増税⇒賃金率の低下」「法人税増税 ⇒労働者一人当たり資本の減少」「労働者一人当 たり資本の減少⇒賃金率の低下」という因果関係が検証されている。(法人税の帰着 ―労働は法人税を負担しているのか?― 布袋正樹、2016年、pdf)

そしてあとの二項目を眺めたらよろしい。




社会保障負担率(主に社会保険料率)、個人所得課税しかない。このふたつの課税とは現役世代により多く負担がかかる税である。全世代への税とは消費税しかない。

日本では国民負担率は、このまま放って置いたらーー社会保障費の削減をしなければーー70パーセント(消費税 30%相当)にしなくてはならないという議論がかねてからある。

国民の中では、「中福祉・中負担」でまかなえないかという意見があるが、私どもの分析では、中福祉を維持するためには高負担になり、中負担で収めるには、低福祉になってしまう。40%に及ぶ高齢化率では、中福祉・中負担は幻想であると考えている。

仮に、40%の超高齢化社会で、借金をせずに現在の水準を保とうとすると、国民負担率は70%にならざるを得ない。これは、福祉国家といわれるスウェーデンを上回る数字であり、資本主義国家ではありえない数字である。そのため、社会保障のサービスを削減・合理化することが不可避である。(武藤敏郎「日本の社会保障制度を考える」2013年)

この主張を全面的に受け入れろ、と言うつもりは毛頭ない。これと闘ったらよいのである。ちなみにこの線が「まともな済学者たち」のほぼコンセンサスであるとは言っておこう(もちろん微調整は各経済学者のあいだにある)。

もちろん経済学者にはまともでない者たちもおり、たとえば大衆にむけて夢のみを語り続けて小遣い稼ぎをしている連中もそれなりにいることを知らないわけではない。

ちなみに10年に1度の財務次官と言われた武藤敏郎の超改革シナリオはこうである。



武藤敏郎はこのシナリオにはまだいくらか甘さがあることを認めている。

ここで消費税率 25%とは、かなり控えめにみた税率である。①医療や介護の物価は一般物価よりも上昇率が高いこと、②医療の高度化によって医療需要は実質的に拡大するトレンドを持つこと、③介護サービスの供給不足を解消するために介護報酬の引上げが求められる可能性が高いこと、④高い消費税率になれば軽減税率が導入される可能性があること、⑤社会保険料の増嵩を少しでも避けるために財源を保険料から税にシフトさせる公算が大きいこと――などの諸点を考慮すると、消費税率は早い段階でゆうに 30%を超えることになるだろう。 (…)

この試算に対しては、名目 2%の成長が楽観的という批判があるかもしれない。生産年齢人口が減少している中で GDP を伸ばしていくためには、生産性上昇率の向上が必要であり、名目成長率 2%で物価上昇率 1%とすれば(すなわち、実質成長率を約 1%とすれば)、2020 年代までは年平均 1%台後半の、2030 年代以降は 2%超の生産性(生産年齢人口 1 人当たりの生産量)の上昇が必要となる。その実現のためには不断の技術革新とそのための投資、そして資源配分の効率化が必要であり、それを目指す成長戦略が必要である。(超高齢日本の 30 年展望 持続可能な社会保障システムを目指し挑戦する日本―未来への責任 大和総研理事長 武藤敏郎 監修 調査本部 、2013 年 5 月 14 日)


■残された四つの道筋

はっきり言って、現在の日本には次の四つの道筋しかない。




以下、何人かの経済学者や行政サイドの論客の文をいくらか列挙しておくが、こういったのを引用すると、あれら財政的フェティシスト諸君は「刷り込みされてる!」とかなんやら言うのだよな。

よく知っているよ、オッカサマのペニス愛好家にはいくらいってもムダだということは。わかってるよわかってるよ、ママのオチンチンがとってもタイセツなことくらい。古代からそうだったんだから。ヤムエナイコトダ・・・





シロウトの方々だったらしょうがないにしろ、経済評論家や経済学者のなかにさえいるんだよな、とくに立命やら関学やらあたりにはどうやら「母のペニス」経済学文化があるらしい。

彼らの相貌を思い浮かべてみることだね。で、まず人は連中がママのオチンチン好きそうな顔してないかどうかに思いを馳せたらいいのさ(いやいやシツレイ! これはあくまで隠喩だからな)。


さて引用しよう。

①:財政再建(中福祉高負担)
社会保障は原因が非常に簡単で、人口減少で働く人が減って、高齢者が増えていく中で、今の賦課方式では行き詰まります。そうすると給付を削るか、負担を増やすかしかないのですが、そのどちらも難しいというのが社会保障問題の根本にあります。(小峰隆夫「いま一度、社会保障の未来を問う」2017年)
日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」大和総研、武藤敏郎監修、2013年)
日本の場合、低福祉・低負担や高福祉・高負担という選択肢はなく、中福祉・高負担しかありえないことです。それに異論があるなら、 公的保険を小さくして自己負担を増やしていくか、産業化するといった全く違う発想が必要になるでしょう。(財政と社会保障 ~私たちはどのような国家像を目指すのか~ 大和総研理事長武藤敏郎、 2017年1月18日)


②ー1:経済成長の困難性
アメリカの潜在成長率は 2.5%弱であると言われているが、アメリカは移民が入っていることと出生率が高いことがあり、生産年齢人口は年率1%伸びている。日本では、今後、年率1%弱で生産年齢人口が減っていくので、女性や高齢者の雇用を促進するとしても、潜在成長率は実質1 %程度に引き上げるのがやっとであろう。

丸めた数字で説明すれば,、アメリカの人口成長率が+1%、日本は-1%、生産性の伸びを日米で同じ 1.5%と置いても日本の潜在成長率は 0.5%であり、これをさらに引き上げることは難しい。なお過去 20年間の1人当たり実質GDP 成長率は、アメリカで 1.55%、日本は 0.78%でアメリカより低いが、これは日本においては失われた 10 年といった不況期があったからである。

潜在成長率の引上げには人口減少に対する強力な政策が必要だが、出生率を今すぐ引き上げることが出来たとしても、成人して労働力になるのは20年先であり、即効性はない。今すべき政策のポイントは、人口政策として移民政策を位置づけることである。現在は一時的に労働力を導入しようという攻策に止まっているが、むしろ移民として日本に定住してもらえる人材を積極的に受け入れる必要がある。(『財政赤字・社会保障制度の維持可能性と金融政策の財政コスト』深尾光洋、2015年)


②ー2:経済成長による利払い増
日本経済がデフレから完全に脱却し、2%程度の緩やかなインフレを定着させる意義は大きい。ただ、同時に財政健全化を十分に進めなければ、利払い費が増加して歳出に占める割合が上昇し、社会保障や公共インフラ、教育、行政サービスなどの歳出削減や増税を余儀なくされる恐れがある。将来の金利負担増を見据え、2025 年度のPB 黒字化目標を着実に達成する取り組みが求められる。 (「将来の金利負担増で政府債務はどうなるか ーー内閣府中長期試算のベースラインケースでは「財政破たん」の可能性」大和総研経済調査部シニアエコノミスト 神田慶司 2018 年11 月1 日)
■税収が歳出の半分しかない日本では、デフレ脱却が実現してもプライマリー・バランスすら改善しない。

→物価が上がれば、当然歳出も増える。実質成長は財政にとってもプラスだが、労働人口が毎年1%減る国で実質2%成長を続けるのはかなり苦しい(持続的に労働生産性を3%上げている先進国はない)。3~4%といった非現実的な税収弾性値を仮定し、「経済成長により財政赤字は解決できる」などと主張するのはあまりにも無責任。(「アベノミクス2年目の課題」富士通総研 早川英男 2014.3.11)
■最大のリスクは財政赤字

さらに危慣すべきは、デフレ脱却が近づいた際の長期金利上昇。公債残高が名目GDPの2倍に達するわが国では、利払い費増加のインパクトは極めて大きい。

→財務省の試算では、長期金利2.5%でも2022年度の利払い費は現状の10兆円から24兆円まで増える見通し。(「アベノミクス2年目の課題」富士通総研 早川英男 2014.3.11)
経済成長すれば増税しなくても財政再建は可能という説がありますが、どのように考えていますか?

ご質問にお答えいたします。

• 社会保障と税の一体改革等による財政健全化と、成長のための施策は、一体として進めていく必要があります。経済成長については、政府としては、「新成長戦略」等において、2020年度までの平均で名目成長率3%、実質成長率2%程度を政策努力の目標として掲げ、様々な施策に取り組んでいるところです。

• しかし、高い経済成長を実現し、税収が増加したとしても、

(1) ただでさえ高齢者数の増大により毎年1兆円の自然増が見込まれる社会保障費等に、成長に伴う物価上昇などのためさらなる増加圧力がかかること、

(2) 名目成長と同時に国債金利も上昇するが、現在の債務残高は既に巨額に達しているため、国債の利払費が急速に増大すること

など、成長に伴って歳出も増加することに注意が必要です。歳出が約90兆円に対して税収が約42兆円(平成24年度一般会計予算)と、歳出規模が税収を大きく上回る現在の財政構造のままでは、場合によっては歳出の増加が税収増を上回ることも考えられます。そのため、社会保障の効率化や税制改革により、こうした財政構造の是正を同時に図らない限り、経済成長のみによって財政収支を持続的に改善することは困難です。 (財務省
小黒一正@DeficitGamble(……)債務が1000兆円(デュレーション約9年)、税収が70兆円で、物価が1%上昇する場合、金利が1%上昇で利払い費は(約9年で)10兆円増加する一方、成長率が1%上昇で税収は1兆円程度の増加にしかならないという現実も重要かもしれないです。(2019年1月1日)
なお、財政赤字が恒常化し、巨額の債務を抱える日本の財政は極めて厳しい状況であるにもかかわらず、財政の持続可能性に対する国民の危機感は薄い。この理由の一つには、日銀が“異次元”の金融政策で大量に国債を買い取り、長期金利を極めて低い水準に抑制できていることも大きな影響があろう。その結果として、国債の利回りが1%程度(発行済み国債の加重平均金利)で済んでおり、約1000兆円の政府債務の利払い費が約10兆円に抑制できている。しかしながら、金利が5-6%に上昇しただけで、利払い費は50-60兆円と5-6倍に膨らむ。

また、政府と日銀を一体で考える場合、日銀が国債を保有するか否かにかかわらず、統合債務の負債コストは基本的に変わらないという視点も重要である。いまは金利がおおむねゼロのために負債コストが顕在化していないが、デフレ脱却後に金利が正常化すると、財政赤字を無コストでファイナンス可能な状況は完全に終了し、巨額な債務コストが再び顕在化する。東京オリンピックが終了する2020年以降では、日本経済や財政を取り囲む環境や景色は激変するはずで、19年10月に予定する消費税率の引き上げ判断や、中長期の社会保障の姿を示すことを含め、しっかりと財政・社会保障の改革を進めていく必要がある。(小黒 一正「歴史的に特異な状況にある日本財政:中長期の社会保障の姿を示せ」2018.04.02


③:調整インフレ(緩慢なインフレ税)
増税が難しければ、インフレ(による実質的な増税)しか途が残されていない恐れがあります。(池尾和人「このままでは将来、日本は深刻なインフレに直面する」2015年)
2%インフレ目標は財政危機を解決するための現実的な唯一の方法であり、 それと並ぶ説得的な成長戦略の着実な推進による実績の積み重ねが国民の恒常所得の上昇期待 を醸成する道である。……

2%インフレが安定的に継続すれば、国債の実質価値は33年間で半減する。 40年国債を発行すれば償還時の実質価値は44%に減価していることになるし、この借り換えを繰り返せばそれは実質永久国債である。つまり、毎年2%という緩慢で時間を掛けたペースでなら、財政危機は解決するのである。だが、その前提としては今後財政赤字が更に累積しないように、今後とも長期的に均衡財政を維持する必要がある。 

個人とは違って国の寿命は永遠であるから、薄く広い国民全体への負担による時間を掛けた 方法で財政危機は解決可能である。これが長期・継続的目標としての2%インフレの意義であり、この点に関する率直な説明を通じた国民全般の納得と安心感の醸成が必要である。それによって消費増加や貨幣の保蔵需要の減少、投資増加が期待でき、成長力回復の契機が生まれる。インフレ目標は元々過大なインフレ防止のための枠組みであるので、これによってインフレ率が過剰となる懸念はない点に関する国民の理解促進も必要であろう。(……)

長期安定的に2%インフレが実現し、今後均衡財政を保ち続けることが できれば、国民は毎年金融資産の2%の価値を失う反面、財政再建が可能となる。言い換えれ ば、これは現金・預金・金融資産への緩慢なインフレ税に他ならないが、時間を掛けて国民全般から僅かずつ徴税する方法であり、いわゆる超インフレ下のインフレ税とは異質な概念であ る。インフレ目標政策とは過大なインフレを起こさないための枠組みであり、この点を国民全 般に理解して貰う点こそが、財政再建とそれに伴う国民の将来への明るい希望の醸成にとって 不可欠である。そのためには政府の財政規律確立への信頼感や日銀による率直で丁寧な説明が 必要となる。(清水啓典「日本の金融政策と成長戦略」2017年)


④:デフォルト(ハイパーインフレ)
これからの日本の最大の論点は、少子高齢化で借金を返す人が激減する中、膨張する約1000兆円超の巨大な国家債務にどう対処していくのか、という点に尽きます。

私は、このままいけば、日本のギリシャ化は不可避であろうと思います。歳出削減もできない、増税も嫌だということであれば、もうデフォルト以外に道は残されていません。

日本国債がデフォルトとなれば必ずハイパーインフレが起こります。(大前研一「日本が突入するハイパーインフレの世界。企業とあなたは何に投資するべきか」2017年)
ハイパーインフレは、国債という国の株式を無価値にすることで、これまでの財政赤字を一挙に清算する、究極の財政再建策でもある。

 予期しないインフレは、実体経済へのマイナスの影響が小さい、効率的資本課税とされる。ハイパーインフレにもそれが当てはまるかどうかはともかく、大した金融資産を持たない大多数の庶民にとっては、大増税を通じた財政再建よりも望ましい可能性がある。(本当に国は「借金」があるのか、福井義高 2019.02.03)


※付記:ハイパーインフレ

◆岩井克人『貨幣論』1993より

インフレ的熱狂
ここで、なんらかの理由でひとびとが過剰な流動性をきらって、保有している貨幣の量を減らそうとして状況を想定してみよう。もちろん、そのためには、どれかの商品の市場においてその商品の買いを増してみるか、どれかの商品の市場においてその商品の売りを減らしてみなければならない。いずれのばあいも、商品全体にたいする総需要が総供給にくらべて増大してしまう。ここに、全般的な需要過剰によるインフレ的熱狂の可能性がうまれることになる。

そして、じっさいに総需要が総供給を上回ってしまうと、その可能性が現実化する。保蔵から解きはなたれた貨幣が商品を追いかけまわす、いわゆるカネあまりの状態となる。世にある大部分の商品の買い手は、本人たちの意図とは無関係に、まさに構造的に買うことの困難をおぼえることになるのである。この機会をとらえて、今度は、売ることの困難から解放された大部分の商品の売り手たちは、きそって価格を引き上げはじめるだろう。貨幣経済は、物価や貨幣賃金が「連続的にかつ無際限に」上昇していくヴィクセルの「不均衡累積過程」に突入することになるのである。しかも、貨幣賃金の切り下げにはげしく抵抗する労働者も、貨幣賃金の引き上げにたいしてはけっして抵抗しない「論理性」をもっているはずである。戦時下経済のような価格や賃金の直接的統制でもないかぎり、インフレ的熱狂というかたちの不均衡累積過程の上方への展開をさまたげてくれる「外部」は、資本主義社会の内部にそなわっていない。総需要が総供給を上回っているかぎり、インフレ的熱狂はつづいていく。
ハイパー・インフレーション
その後の展開にはふたつのシナリオがある。

たとえひとびとがインフレ的熱狂に浮かされていたとしても、それが一時的なものでしかないという予想が支配しているならば、その予想によってインフレーションはじっさいに安定化する傾向をもつことになる。なぜならば、そのときひとびとは将来になれば相対的に安くなった価格で望みの商品を手にいれることができることから、いま現在は不要不急の支出を手控えて、資金をなるべく貨幣のかたちでもっているようにするはずだからである。とうぜんのことながら、このような流動性選択の増大は、その裏返しとして商品全体にたいする需要を抑制し、進行中のインフレーションを鎮静化する効果をもつことになるだろう。物価や賃金の上昇率がそれほど高いものでないかぎり、ひとびとはこのようなインフレーションの進行を「好況」としておおいに歓迎するはずである。じっさい、すくなくともしばらくのあいだは、消費も投資も活発になり、生産は増大し、雇用は拡大し、利潤率も上昇する。

しかしながら、ひとびとが逆に、進行中のインフレーションがたんに一時的ではなく、将来ますます加速化していくにちがいないと予想しはじめたとき、ひとつの転機(Krise)がおとずれることになる。

貨幣の購買価値がインフレーションの加速化によって急激に低下していってしまうということは、支出の時期を遅らせれば遅らせるほど商品を手に入れるのが難しくなることを意味し、ひとびとは手元の貨幣をなるべき早く使いきってしまおうと努めることになるはずである。とうぜんのことながら、このような流動性選好の縮小は、その裏返しとして今ここでの商品全体への総需要を刺激し、進行中のインフレーションをさらに加速化してしまうことになる。もはやインフレーションはとまらない。

インフレーションの加速化の予想がひとびとの流動性選好を縮小させ、流動性選好の縮小がじっさいにインフレーションをさらに加速化してしまうという悪循環――「貨幣からの遁走(flight from money)とでもいうべきこの悪循環こそ、ハイパー・インフレーションとよばれる事態にほかならない。ここに、恐慌(Krise)とインフレ的熱狂(Manie)とのあいだの対称性、いや売ることの困難と買うことの困難とのあいだの表面的な対称性がうち破られることになる。買うことの困難が、売ることの困難のたんなる裏返しにとどまらない困難、恐慌という意味での危機(Krise)以上の「危機(Krise)」へ変貌をとげてしまうのである。
第一次大戦後のドイツのハイパーインフレ
1923年10月30日のニューヨーク・タイムスにAP発の次のような記事がのっていた。

《通貨に書かれたあまりに法外な数字がひとびとのあいだにひきおこした一種の神経症にたいして、当地ドイツの医師たちが考案した名前は「ゼロ発作」あるいは「数字発作」というものであった。何兆という数字を数え上げるために必要な労力にすっかり打ちひしがれ、多数の男女が階級をとわずこの「発作」におそわれたことが報告されている。これらの人々は、ゼロ数字を何行も何行も書き続けていたいという衝動にとらわれているということ以外には、明らかに正常な人間なのである。》(J.K.Galbraith,money 1975から引用)

ハイパー・インフレーションの代表的な事例として数多くの研究の対象となってきたのが、第一次大戦後のドイツの経験である。第一次大戦の開始直後の1914年から持続した上昇をつづけていたドイツの国内物価は、1922年の6月あたりから急速に加速化しはじめ、7月から1923年11月までの16ヶ月間の上昇率は月平均(年平均ではなく!)322パーセントにたっすることになった。とくに9月、10月、11月の最後の3ヶ月間は月平均(年平均ではなく!)1400パーセントもの上昇率を記録することになり、インフレーションが最終的に終息した1923年11月27日の物価の水準は、1913年の水準にくらべて1,382,000,000,000倍にも膨れ上がってしまったのである。まさに「ゼロ発作」をひきおこしかねない数字である。そして、そのあいだにひとびとの流動性選好は急速な収縮をみせ、一単位の貨幣が一定の期間に平均何回取り引きに使われているかをあらわす貨幣の流通速度は1913年にくらべて18倍もの増大をしめすことになった。

このドイツの経験のほかにも、古くは独立戦争直後のアメリカやフランス革命下のフランスにおけるハイパー・インフレーションの事例が有名であり、今世紀にはいってからは、社会主義革命直後のロシア、第一次世界大戦後のオーストリア、ハンガリー、ポーランド、第二次大戦後のギリシャ、ハンガリー、共産党政権化確立前の中国、1980年代の中南米諸国、さらには社会主義体制崩壊後の東ヨーロッパ諸国や旧ソヴィエト連邦諸国などがはげしいハイパー・インフレーションにみまわれている。(岩井克人『貨幣論 PP.202-206)



◆説明資料 (わが国財政の現状等について)、財務省、平成31年4月17日、PDF