宮台真司も情報隠蔽という語を口にしているな。
イタリアはミラノ周辺の町で都市封鎖が始まったそうだ。
イタリアでは、ミラノの南東約50キロにあるコドーニョ周辺で21日、感染発覚が相次いだ。伊ANSA通信によると、23日までの感染者は、コドーニョのあるロンバルディア州の88人など、全国で132人に上っている。ミラノのほかトリノでも感染が確認された。
ロンバルディア州は23日、州内の博物館や劇場、映画館の閉鎖を決め、ミラノ・スカラ座も公演が中止となった。同州とベネト、ピエモンテの北部3州では、24日からすべての学校を休校とすることを決めた。(ローマ=河原田慎一、2020年2月23日、朝日新聞)
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日本のコロナウイルス対応は、原発事故後と変わらないな、とはかなりの人がそう感じているのではないか。
中井久夫の神戸新聞コラム(2011.9.18)「清陰星雨」から
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「ただちには」
「情報とは権力である」と、あらためて感じた。課長でも教授でも、それなりの権力者は然るべき情報をバイパスされると「私は聞いていない」と怒るではないか。そして東電は、国民の代表である菅直人前首相にいちばん重要な情報を知らせていなかった。
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あの時、国家の権力と世界の命運とは日本政府ではなく東電あるいは原子力ムラという国家寄生体に移っていた。菅氏は権力を奪われて孤独であった。海外はすでに恐怖していた。米国は早々に高度の警戒体制に入った。あっというまに放射性物質を含んだ雲が地球を一まわりするのはチェルノブイリで経験済みだった。菅前首相が東電本社に乗り込んだのはよくよくのこととみるべきである。
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「ただちには人体に有害でない」と聞いた。「ただちには」に、いや「には」にすべてがかかっていたのだ。「ただちに」危険があれば、チェルノブイリを超えて原子爆弾である。なお、爆発直後にどの範囲まで汚染された灰がばらまかれたか、初期に試算がなされていたのに、その図が新聞に掲載されたのは何と9月に入ってからである。
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不信の重なり
人民がパニックを起さないための配慮か。たしかに権力者に人民への恐怖はある。連合艦隊司令長官山本五十六は、東京が空襲されれば「近衛や自分などは3度ぐらい八つ裂きにされる」と言ったという。だが、それどころか、実際に起こったのは敗戦をお詫びする人民の群れであった。当時の首相は一億が総懺悔せよと言った。
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今、原発の真実を知らなかったと自分を責める普通の人たちがいる。その気持ちはどこか私にもある。しかし、一億総懺悔に陥ってはなるまい。どこに、当日、秩序を以て行列をつくる国民があるか。こんな治めやすい国があろうかと多くの国の為政者は羨ましく思ったにちがいない。しかし、不信や「なめるな」の思いが積もっていった。風評被害はその延長上にある。 (……)
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世界は今後、脱核体制に入ってゆくだろう(原発に電力を依存しているフランスも、である。フランスでも爆発が起こった)。フィンランドはいち早く地底深くに放射性廃棄物の処分場を造っているが、ほぼ無害化するまでに10万年かかるという。(原発の)活用年数数十年のために、その数千倍の年数をかける。その時人類がいて、現代の言葉を解するかどうか怪しい。何語で「危険」と書けば伝わるのかわからない、となった。これはジョークではない。(中井久夫「清陰星雨」2011. 9. 18)
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「日本政府ではなく東電あるいは原子力ムラ」とあるが、今回はそれだけでなく、日本社会あるいは日本人ののムラ性が現れていると言いうるのかもしれない。加藤周一の定義を掲げておこう。
日本社会には、そのあらゆる水準において、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係において定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。(……)
労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は共通の地方心信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。この前提、またはムラ人の行動様式の枠組は、容易に揺らがない。それを揺さぶる個人または少数集団がムラの内部からあらわれれば、ムラの多数派は強制的説得で対応し、それでも意見の統一が得られなければ、「村八分」で対応する。いずれにしても結果は意見と行動の全会一致であり、ムラ全体の安定である。(加藤周一『日本文化における時間と空間』2007年)
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