知的退行の新世代
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私は歴史の終焉ではなく、歴史の退行を、二一世紀に見る。そして二一世紀は二〇〇一年でなく、一九九〇年にすでに始まっていた。科学の進歩は思ったほどの比重ではない。科学の果実は大衆化したが、その内容はブラック・ボックスになった。ただ使うだけなら石器時代と変わらない。(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」初出2000年『時のしずく』所収)
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そもそもきみは「無知のパッション者」であることを自ら認めたんだろ。だったらエラそうなことを言わないことだな。100年ぐらいははやいよ。
何度も暗示してるんだが、今はっきり言っとくよ。ボクのブログを読むな、とは言わない。だがボクのブログの名を出さないでほしい。フロイトやラカンなどの引用のみでさえ最後にこのブログの名を出すってのは、あれはなんだい? やめてほしいね。ホンネを言わせてもらえば、無知のウイルスに汚染されるような気がしてならないよ。
そもそもゼノフォビアなんたら言っているけど、きみはジジェクファンなんだろ。ジジェクの何読んでるんだい? 阿呆でもわかる最も基本的二文を掲げておくよ。ま、これでさえ無知のパッション者にはわからないことをおそれるが。
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「他者」に関して、われわれの神経を逆撫でし、苛々させるのは、他者がその享楽を作り上げるその(こちらからみると)奇怪なやり方である(食べ物の臭い、「騒がしい」歌や踊り、風変わりな身振り、仕事に対するおかしな姿勢、等々。(ジジェク『斜めから見る』1991年)
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平凡なアメリカ人が、人気のない田舎をドライブしている。車が故障し、彼は助けを求めに、いちばん近くの小さな町へ行く。じきに彼は、その町では何か奇妙なことが進行していることに気づく。その町の人たちの振る舞いは奇妙で、どこか自分自身ではないような感じなのだ。やがて彼は、エイリアンがこの町を占領し、人間の身体に侵入し、植民地化して、内部からコントロールしていることを知る。エイリアンたちはまったく人間そっくりに見えるし、人間そっくりの行動をするのだが、ちょっとした細部(眼がおかしなふうに光るとか、指の間や耳と頭部の間に皮膚が余分についているとか)から彼らの正体がばれる。そのような細部がラカンの対象aである。些細な特徴がその持ち主を魔法のようにエイリアンに変身させてしまう。( ……)ここでは人間とエイリアンとの違いは最小限で、ほとんど気づかないほどだ。日常的な人種差別においても、これと同じことが起きているのではなかろうか。われわれいわゆる西洋人は、ユダヤ人、アラブ人、その他の東洋人を受け入れる心構えができているにもかかわらず、われわれには彼らのちょっとした細部が気になる。ある言葉のアクセントとか、金の数え方、笑い方など。彼らがどんなに苦労してわれわれと同じように行動しても、そうした些細な特徴が彼らをたちまちエイリアンにしてしまう。(ジジェク『ラカンはこう読め!』2006年)
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対象a=エイリアンの身体
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異物 Fremdkörper のラテン語:エイリアンの身体 corpus alienum
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たえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状 das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年)
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対象a とは外密的である。l'objet(a) est extime(ラカン、S16、26 Mars 1969)
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私の最も内にある親密な外部、モノとしての外密 extériorité intime, cette extimité qui est la Chose(ラカン、S7、03 Février 1960)
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モノとしての外密 extimitéは、異物(異者としての身体corps étranger )のモデルである。(J.-A. MILLER, Extimité, 13/11/1985)
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2020年2月22日土曜日
無知のパッション者へ
前回引用した柄谷や浅田が旧世代っていうわけかい? で新世代ってのはなんだい?