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2020年3月1日日曜日

不気味なオメコ


多くの学者が指摘しているが、西洋の究極の性のシンボル、ハートは、ヴァギナを表したものにほかならない。確かに生殖器が興奮し、自分の意志で陰唇が開いた状態にあるとき、ヴァギナの見える部分の輪郭は紛れもなくハートの形をしている。(キャサリン・ブラックリッジ『ヴァギナ 女性器の文化史 』)








蚊居肢子の根源的問いはオメコである。最近は若い頃のようにはたいしてヤリたくもないのだが、それでもいつまでもオメコに惹かれてしまう。つまりは女に弱いのである・・・だがその理由はフロイトの言うように、愛は母胎への郷愁のせいなんだろうと3年ぐらい前からようやく真に悟り始めた。おそらく多くの方々はすでにお若いころからオサトリになっていることかもしれぬが。

オメコ weibliche Genitale という不気味なもの Unheimliche は、誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷 Heimat への入口である。冗談にも「愛は郷愁だ Liebe ist Heimweh」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならずオメコ Genitale、あるいは母胎 Leib der Mutter であるとみなしてよい。したがって不気味なもの Unheimliche とはこの場合においてもまた、かつて親しかったもの Heimische、昔なじみのものなの Altvertraute である。しかしこの言葉(unhemlich)の前綴 un は抑圧の徴 Marke der Verdrängung である。(フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年)

これをラカンなどに依拠して論理的に説明する方法がないではない。だがそんなことをしても何の面白いこともない。やはり谷川俊太郎の「なんでもおまんこ」でも読んで体感的に悟るべきものであろう。あの詩の唯一の欠点は「なんでもおめこ」ではないことである。

蚊居肢子は東京から250キロ、大阪から220キロのオマンコ文化圏とオメコ文化圏の中間に生まれたが、周りのものはオメコと言い、オマンコとは言わなかった。

あなたが男性ならば女性性器を指す語をあなたの方言でそっと呟いてみられよ。周囲に聴く者がいなくても、あなたの体はよじれて身も世もあらぬ思いをされるであろう。ところが、三文字に身をよじる関西人も関東の四文字語ならまあ冷静に口にすることができる。…これは母語が肉体化しているということだ。(中井久夫「訳詩の生理学」1996年初出『アリアドネからの糸』所収)


こういった欠陥はあるにせよ、蚊居肢子はあの詩に導かれて大いなる悟りに至ったのである。



なんでもおまんこ 谷川俊太郎
なんでもおまんこなんだよ
あっちに見えてるうぶ毛の生えた丘だってそうだよ
やれたらやりてえんだよ
おれ空に背がとどくほどでっかくなれねえかな
すっぱだかの巨人だよ
でもそうなったら空とやっちゃうかもしれねえな
空だって色っぽいよお
晴れてたって曇ってたってぞくぞくするぜ
空なんか抱いたらおれすぐいっちゃうよ
どうにかしてくれよ
そこに咲いてるその花とだってやりてえよ
形があれに似てるなんてそんなせこい話じゃねえよ
花ん中へ入っていきたくってしょうがねえよ
あれだけ入れるんじゃねえよお
ちっこくなってからだごとぐりぐり入っていくんだよお
どこ行くと思う?
わかるはずねえだろそんなこと
蜂がうらやましいよお
ああたまんねえ
風が吹いてくるよお
風とはもうやってるも同然だよ
頼みもしないのにさわってくるんだ
そよそよそよそようまいんだよさわりかたが
女なんかめじゃねえよお
ああ毛が立っちゃう
どうしてくれるんだよお
おれのからだ
おれの気持ち
溶けてなくなっちゃいそうだよ
おれ地面掘るよ
土の匂いだよ
水もじゅくじゅく湧いてくるよ
おれに土かけてくれよお
草も葉っぱも虫もいっしょくたによお
でもこれじゃまるで死んだみたいだなあ
笑っちゃうよ
おれ死にてえのかなあ


ーーああ、なんという至高の詩であろうか。いままでこれほど感銘を受けた詩は皆無である・・・もしかりにドイツ語が母語であったならば、たとえばヘルダーリンから同じぐらいの感銘を受けた可能性を否定するものではないが。


オメコとはおとし物である。それを谷川俊太郎は十代のときから知っていた。


あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった

ーーかなしみ   谷川俊太郎


ここでニブイ方々のためにラカンを貼り付けておきませう。




ああ、まさにあそこがおとし物である。

「あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい」

なぜ波の音がきこえてくるか。
そんなことはいうまでもない。
人はみな羊水のおとし物をして生まれてきた。
あそこしかない、帰るところは、


空の青さをみつめていると
私に帰るところがあるような気がする

ーー六十二のソネット「41」 谷川俊太郎










…………


以下は不感症者向けの蛇足である。いままで何度か繰り返してきた内容である。

ようするにここからは、上の記述で十全にオサトリになっただろう感度の高い方は読む必要はまったくない。



享楽の空胞=外密=対象a
享楽の空胞 vacuole de la jouissance…私は、それを中心にある禁止 interdit au centre として示す。…私たちにとって最も近くにあるもの le plus prochain が、私たちのまったくの外部 extérieur にあるだ。
ここで問題となっていることを示すために「外密 extime」という語を作り出す必要がある。Il faudrait faire le mot « extime » pour désigner ce dont il s'agit (⋯⋯)(ラカン、S16、12 Mars 1969)
対象a とは外密である。l'objet(a) est extime(ラカン、S16、26 Mars 1969)

外密=不気味なもの=モノ
私の最も内にある親密な外部、モノとしての外密 extériorité intime, cette extimité qui est la Chose(ラカン、S7、03 Février 1960)
ラカンは外密 extimitéという語を…フロイトとハイデガー が使ったモノdas Ding (la Chose)から導き出した。…外密 extimitéという語は、親密 intimité を基礎として作られている。外密 Extimité は親密 intimité の反対ではない。それは最も親密なもの le plus intimeでさえある。外密は、最も親密でありながら、外部 l'extérieur にある。外密は、異物(異者としての身体corps étranger)のモデルである。…外密はフロイトの 「不気味なものUnheimlich 」同じように、否定が互いに取り消し合うnégations s'annulent 語である。(Miller, Extimité, 13 novembre 1985)
「不気味なもの」は、仏語ではそれに相応しい言葉がない。フロイトの『不気味なもの (Das Unheimliche)』は、L'inquiétante étrangeté と訳されている。すなわち「不穏をもたらす奇妙なもの」。ラカンはそのかわりに、外密という語を発明した。(ムラデン・ドラ―、Mladen Dolar,I Shall Be with You on Your Wedding-Night": Lacan and the Uncanny,1991)
われわれにとって最も興味深いのは、heimlichという語が、その意味の幾様ものニュアンスのうちに、その反対語 unheimlich と一致する一つのニュアンスを示していることである。すなわち親しいもの・気持のいいもの des Heimliche が、不気味なもの・秘密のもの des Unheimliche となることがそれである。(フロイト『不気味なもの』1919)

モノ=享楽の空胞=享楽の対象=喪われた対象(おとし物)
モノ=享楽の空胞  [La Chose=vacuole de la jouissance] (Lacan, S16, 12 Mars 1969、摘要)
反復は享楽回帰に基づいている la répétition est fondée sur un retour de la jouissance 。…フロイトによって詳述されたものだ…享楽の喪失があるのだ il y a déperdition de jouissance。.…これがフロイトだ。…マゾヒズムmasochismeについての明示。フロイトの全テキストは、この「廃墟となった享楽 jouissance ruineuse」への探求の相がある。…

享楽の対象は何か? [Objet de jouissance de qui ? ]…

大他者の享楽? 確かに!  [« jouissance de l'Autre » ? Certes !   ]

…フロイトのモノ La Chose(das Ding)…モノは漠然としたものではない La chose n'est pas ambiguë。それは、快原理の彼岸の水準 au niveau de l'Au-delà du principe du plaisirにあり、…喪われた対象 objet perdu である。(ラカン、S17、14 Janvier 1970)

享楽=現実界=モノ=欲動蠢動=無意識のエスの反復強迫
享楽は現実界にある。la jouissance c'est du Réel.(ラカン、S23, 10 Février 1976)
フロイトのモノChose freudienne.、…それを私は現実界 le Réelと呼ぶ。(ラカン、S23, 13 Avril 1976)
(心的装置に)同化不能の部分(モノ)einen unassimilierbaren Teil (das Ding)(フロイト『心理学草案 Entwurf einer Psychologie』1895)
現実界は、同化不能 inassimilable の形式、トラウマの形式 la forme du trauma にて現れる。(ラカン、S11、12 Février 1964)
フロイトの反復は、心的装置に同化されえない inassimilable 現実界のトラウマ réel trauma である。まさに同化されないという理由で反復が発生する。(ミレール 、J.-A. MILLER, L'Être et l'Un,- 2/2/2011 )
フロイトのモノ、これが後にラカンにとって享楽となる[das Ding –, qui sera plus tard pour lui la jouissance]。…フロイトのエス、欲動の無意識。事実上、この享楽がモノである。[ça freudien, l'inconscient de la pulsion. En fait, cette jouissance, la Chose](J.A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse X, 4 mars 2009)
欲動蠢動 Triebregungは、…無意識のエスの反復強迫 Wiederholungszwang des unbewußten Es である。(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)

内的反復強迫=不気味なもの=母胎回帰
心的無意識のうちには、欲動蠢動 Triebregungen から生ずる反復強迫Wiederholungszwanges の支配が認められる。これはおそらく欲動の性質にとって生得的な、快原理を超越 über das Lustprinzip するほど強いものであり、心的生活の或る相にデモーニッシュな性格を与える。この内的反復強迫 inneren Wiederholungszwang を想起させるあらゆるものこそ、不気味なもの unheimlich として感知される。(フロイト『不気味なもの』1919年)
以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動 Triebe の普遍的性質である。 Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年)
人には、出生 Geburtとともに、放棄された子宮内生活 aufgegebenen Intrauterinleben へ戻ろうとする欲動 Trieb、⋯⋯母胎回帰 Rückkehr in den Mutterleibがある。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)





欠如の欠如という不気味な穴
女は何も欠けていない La femme ne manque de rien(ラカン, S10, 13 Mars 1963)
不気味なもの Unheimlich とは、…私が(-φ)[去勢]を置いた場に現れる。…それは欠如のイマージュimage du manqueではない。…私は(-φ)を、欠如が欠如している manque vient à manquerと表現しうる。(ラカン, S10, 28 Novembre 1962)
欠如の欠如 が現実界を為す Le manque du manque fait le réel(AE573、1976)
現実界は…穴=トラウマを為す。le Réel […] ça fait « troumatisme ».(ラカン、S21、19 Février 1974)
〈母〉、その基底にあるのは、「原リアルの名 le nom du premier réel」、…「原穴の名 le nom du premier trou 」である。 (コレット・ソレール Colette Soler, Humanisation ? , 2014)






ああ、笑っちゃうよ
おれ死にてえのかなあ


すべてを呑み込むブラックホール
ジイドを苦悶で満たして止まなかったものは、女の形態の光景の顕現、女のヴェールが落ちて、ブラックホールtrou noir のみを見させる光景の顕現である。あるいは彼が触ると指のあいだから砂のように滑り落ちるものである。(Lacan, Jeunesse de Gide ou la lettre et le désir, Écrits 750、1958)
(『夢解釈』の冒頭を飾るフロイト自身の)イルマの注射の夢、…おどろおどろしい不安をもたらすイマージュの亡霊、私はあれを《メデューサの首 la tête de MÉDUSE》と呼ぶ。あるいは名づけようもない深淵の顕現と。あの喉の背後には、錯綜した場なき形態、まさに原初の対象 l'objet primitif そのものがある…すべての生が出現する女陰の奈落 abîme de l'organe féminin、すべてを呑み込む湾門であり裂孔 le gouffre et la béance de la bouche、すべてが終焉する死のイマージュ l'image de la mort, où tout vient se terminer …(ラカン、S2, 16 Mars 1955)