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2020年4月6日月曜日

「大衆に根ざした、庶民のための」共産党のスバラシイ提案

日本共産党は次のように言っている。

現金給付は一律で
自粛の損失補償も収束まで継続的に 志位・小池氏が主張
 日本共産党の志位和夫委員長は4日、インターネット短文投稿サイト「ツイッター」で、焦点となっている現金給付について「現金給付は、一刻も早く届けることを考えたら、条件付きの限定給付でなく、一律給付を行い、高額所得者は後で税をかけるという方式が合理的だ」と指摘。「一回きりの現金給付で終わりにせず、『自粛に伴う損失の補償』をコロナ収束まで継続的に行うことを強く求める」と主張しました。

 政府・自民党は、新型コロナウイルス感染症対策に伴う自粛要請で収入が減少した世帯に、申告制で30万円を1回だけ給付するという案を示しています。

 日本共産党の小池晃書記局長も3日夜、動画サイト「ユーチューブ」の生中継番組で、「自粛」による収入減で生活が困窮する視聴者の切実な声に答えるなかで、政府の「収入が減少した世帯に30万円」給付案への質問に対し、「いま切実にお金が必要なのだから、一刻も早くお金を届けるべきだ。そのために一番いいのは、全国民を対象に現金を送ることだ」と主張。「1世帯といっても何人いるかの違いはあるから、1人10万円という形でぱっと送るべきだ」と提起しました。さらに、一度きりの現金給付にとどめず、休業にともなう損失への継続的補償が必要だと述べました。

 高額所得者にも給付されるとの懸念に対し、小池氏は「お金持ちの最高税率などを引き上げ、ちゃんと税金で負担を求めればいい」と指摘。「いま必要なのはスピードだ。まず、みんなにお金を届けることが大事だ」と述べ、生活保護世帯や在日外国人にも等しく給付すべきだと主張しました。



「大衆に根ざした、庶民のための」政党としてじつにスバラシイ提案である。ただしわたくしにはひとつだけ不満がある。こういう提案は具体的な数字を示すべきではないだろうか、だがそれがないのである。

わたくしはすこし前、3月18日に発表された「経済学者によるコロナ対策」に依拠しつつ、ーーそこでの提案は「給付」ではなく毎月15万円を限度とする「融資」だが、ーーそうではなく一律給付ひと月当たり10万円、仮定として対象は労働人口の8割程度の5000万人として、ひと月「10万円×5000万人=5兆円必要である。3ヶ月なら15兆円となる」とした。そしてどんなに奮発してもこれが限界だろう、と。

だが上の共産党の提案を額面通りとれば、全人口1億2000万人に一律給付すべきだと言っているようにみえる。もしこの想定が正しければ、ひと月あたり、10万円×1億2000万人=12兆円必要である。3ヶ月なら36兆円となる。

ところで上の提案には「一回きりの現金給付で終わりにせず、『自粛に伴う損失の補償』をコロナ収束まで継続的に行うことを強く求める」とある。おそらく誰もが3ヶ月でコロナウイルス蔓延が収束するとは思っていないだろう。

とすれば、6ヶ月なら72兆円、1年であれば144兆円である。

わたくしが知りたいのはどういった予測で冒頭の提案がなされているかである。もういくらか具体的に言えば、資金の手当ては国債発行しかない。36兆円の国債発行をしたいのか、72兆円の国債を発行したいのか、それとも144兆円なのか。それとも一律給付の対象は実際は1億2000万人ではないのか。それがわからない。


なお地方債を除いた日本の公債残高は次の推移を示している(財務省、平成財務の総括、2019年より、PDF)。




地方債を含めた債務残高の数字は次のものである。




なお現在、経済学の世界での売れっ子トム・ピケティは2011年の段階で既にこう言っている。

われわれは日本の政府債務をGDP比や絶対額で毎日のように目にして驚いているのだが、これらは日本人にとって何の意味も持たないのか、それとも数字が発表されるたびに、みな大急ぎで目を逸らしてしまうのだろうか。(トム・ピケティ『新・資本論』2011年)



これは日本において国債のデフォルト、あるいはハイパーインフレ・国家破産が間近に迫っているのではないかという懸念を暗に示している。

ジャック・アタリも引用しておこう。

公的債務とは、親が子供に、相続放棄できない借金を負わせることである。…
国家債務がソブリンリスク(政府債務の信認危機)になるのは物理的現象である。…過剰な公的債務に対する解決策は今も昔も8つしかない。…増税、歳出削減、経済成長、低金利、インフレ、戦争、外資導入、そしてデフォルトである。…これら8つの戦略は、時と場合に応じてすべて利用されてきたし、これからも利用されるだろう。(ジャック・アタリ『国家債務危機』)


国家破産が起これば、まっさきに困窮するのは、弱者であり庶民である。破産により、仮に公共サービスも年金給付も生活保護も止まってしまえば、餓死する人も出かねない。もちろん将来の餓死よりこの今の餓死のほうを先に心配せねばならないことを知らないわけではない。

さてこの今大量の国債発行をして、既に実質的に「法律で禁止されている財政ファイナンス」をし続けている日本のほとんど100%に近いだろう国家破産の可能性をさらに促進させるべきなのか。危機の際はこの今だけのことを「庶民のために」提示するというポピュリズム的立場だけでよいのだろうか。

なお日本はコロナ戦争突入以前に、既に太平洋戦争末期の債務残高率となっており、主要国のあいだでは「世界に冠たる」国家である。




仮にスタートを明治維新とすれば、1868年から1945年、77年で天井に達した。1945年は新たなスタートで、ハイパーインフレや預金封鎖等が起こった。1945年の77年後とは奇しくも(?)2022年である・・・