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2020年4月27日月曜日

ジジェクの四面楚歌

何度も示しているが、現在のジジェクはこういう状況にある。



International Journal of Žižek Studies Vol 13, No 2 (2019)
What Went Wrong With Žižek? +
In the last couple of years, attacks on Slavoj Žižek multiply from different sources. Politically, he was condemned for his position on Donald Trump, for his critique of the humanitarian approach to refugees, for his more nuanced approach to LGBT+ movement, etc. In the space of psychoanalysis, Lacanians around Jacques-Alain Miller started a ferocious campaign against Žižek, denouncing him as a fraud. In the space of philosophy, new forms of realism ("object-oriented-ontology") reject Žižek's thought as still rooted in transcendental subjectivity. Attacks on Žižek are often characterized by an almost unheard-of personal brutality (Chomsky, the campaign to "erase" Žižek from public space), and they are also accompanied by Žižek's growing exclusion from public media - one can no longer read his comments and columns in LRB, Guardian, In These Times, etc.
    Instead of getting caught in petty personal exchanges, the question should be raised: which are the real stakes of this ongoing conflict? What does it imply philosophically and politically? This issue of IJZS attempts to render visible some of the main antagonisms that traverse today's philosophy and Leftist thought.


ーーこれだけではなくスロベニア国内の精神分析関係者からさえも強い批判をされている(バックにミレールがいるが)。


パンドラの箱
パンドラの箱があまりにも長く開けられている。われわれは今、ジジェクをもっている。私のセミネールで彼に教えた基本原則を使って、ラカンを「ジジェク化」する彼だ。われわれはバディウをもっている。ラカンを「バディウ化」する彼だ。全くよくない。われわれは、パンドラの箱をもう一度閉じる時だ。
Mais la boîte de Pandore est ouverte depuis longtemps ! Vous avez Zizek qui zizekise Lacan depuis qu'il a appris les rudiments de la doctrine jadis, à mon séminaire de DEA. Vous avez Badiou qui badiouise Lacan, et ce n'est pas joli joli. Il s'agirait plutôt de la refermer, la Pandora's Box.(ジャック=アラン・ミレール 、Eve Miller-Rose et Daniel Roy, Entretien nocturne avec Jacques-Alain Miller, 2017年,PDF )
ジジェクは、例えば、対象aを彼がパララックス・ヴュー、ーーある観点からの小さな逸脱ーーと呼ぶものの類似物とする。ジジェクは、これによって哲学者の気まぐれの機能fonction de son caprice de philosopheを対象aに適用する。対象aは対象もどきabjetである。幸いにもこのゴマカシはあまりにも瞭然としている。そんなものは機能しない。Heureusement, le truc est trop évident. Ça ne marche pas. (Jacques-Alain Miller, Jacques Rancière, une politique des oasis, 2017年)

少なくも精神分析の領野においてミレール派の言っていることは正しい。すなわちジジェクはペテン師fraud である。特にジジェクの現実界の捉え方はアンコールまでのラカンの現実界であり、アンコール以降、ラカンが転回したのを全く分かっていない。



ジジェクの誤謬


わたくしも2016年ごろからジジェクの現実界に違和感を感じ始めたが、少なくともこのブログの2008年以前のジジェクの現実界は誤謬だからな、そんなものほじくりだして引用されるのははた迷惑だね。ボク自身は政治的にはいまだジジェクを信用しているところがあるし、彼のシニフィアンの論理期のラカン注釈もすべてを捨てているわけでないが、1973年以降の身体の論理期のラカンについては、ジジェクはウンコちゃんだね。


要するにジジェクは事実上、象徴界のなかの穴しか掴んでいない。




二つの穴(現実界)
Trou 


現実界は、見せかけ(象徴秩序)のなかに穴を為す。ce qui est réel c'est ce qui fait trou dans ce semblant.(ラカン、S18, 20 Janvier 1971)
現実界は形式化の行き詰まりに刻印される以外の何ものでもない le réel ne saurait s'inscrire que d'une impasse de la formalisation(LACAN, S20、20 Mars 1973)
真の穴
Vrai Trou
欲動の現実界 le réel pulsionnel がある。私はそれを穴の機能 la fonction du trou に還元する。…原抑圧 Urverdrängt との関係…原起源にかかわる問い…私は信じている、フロイトの夢の臍 Nabel des Traums を文字通り取らなければならない。それは穴 trou である。(ラカン, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)
リビドーは、その名が示しているように、穴に関与せざるをいられない。La libido, comme son nom l'indique, ne peut être que participant du trou……そして私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する。c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)




仏臨床的ラカン派の代表者2人とジジェクの文を並べておこう。

ラカン 
現実界は書かれことを止めない。 le Réel ne cesse pas de s'écrire (S 25, 10 Janvier 1978)
ミレール
書かれことを止めないもの un ne cesse pas de s'écrire。これが現実界の定義 la définition du réel である。…

書かれことを止めないもの un ne cesse pas de ne pas s'écrire。すなわち書くことが不可能なもの impossible à écrire。この不可能としての現実界は、象徴秩序(言語秩序)の観点から見られた現実界である。le réel comme impossible, c'est le réel vu du point de vue de l'ordre symbolique (Jacques-Alain Miller, Choses de finesse en psychanalyse IX  Cours du 11 février 2009)
ソレール
現実界 Le Réel は外立する ex-siste。外部における外立 Ex-sistence。この外立は、象徴的形式化の限界 limite de la formalisationに偶然に出会うこととは大きく異なる。…

象徴的形式化の限界との遭遇あるいは《書かれことを止めぬもの ce qui ne cesse pas de ne pas s'écrire 》との偶然の出会いとは、ラカンの表現によれは、象徴界のなかの「現実界の機能 fonction du réel」である。そしてこれは象徴界外の現実界と区別されなければならない。(コレット・ソレール Colette Soler, L'inconscient Réinventé、2009)
ジジェク
現実界 The Real は、象徴秩序と現実 reality とのあいだの対立が象徴界自体に内在的なものであるという点、内部から象徴界を掘り崩すという点にある。(…)現実界 the Real は形式化の行き詰り以外の何ものでもないのだ。濃密な現実 dense reality が「向こうに out there」にあるのは、象徴秩序のなかの非一貫性と裂け目のためである。 現実界は、外部の例外ではなく、形式化の非全体 pas-tout 以外の何ものでもない。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、2012)


いわゆる哲学的ラカン派はわたくしの知るかぎりすべてジジェクサイドの現実界でありーーいわば超越論的現実界--、後期ラカン観点からは、あるいはフロイト観点からもすべて誤謬。

2012年のミレール派(フロイト大義)派会議の主要テーマは原抑圧=固着だった。


原抑圧の時代
後期ラカンにとって、症状は「身体の出来事」として定義される(…)。症状は現実界に直面する。シニフィアンと欲望に汚染されていないリアルな症状である。…症状を読むことは、症状を原形式に還元することである。この原形式は、これは身体とシニフィアンとのあいだの物質的遭遇にある(…)。これはまさに主体の起源であり、書かれることを止めない。我々は「フロイトの原抑圧の時代[the era of the ‘Ur' – Freud's Urverdrängung])にいるのである。ジャック=アラン・ミレール はこの「原初の身体の出来事」とフロイトの「固着」を結びつけている。フロイトにとって固着は抑圧の根である。固着はトラウマの審級にある。それはトラウマの刻印ーー心的装置における過剰なエネルギーの瞬間の刻印--である。ここにおいて欲動要求の反復が生じる。(Report on the Preparatory Seminar Towards the 10th NLS Congress "Reading a Symptom", 2012)





固着が穴を為す
ラカンが導入した身体は…フロイトが固着と呼んだものによって徴付けられる。リビドーの固着、あるいは欲動の固着である。結局、固着が身体の物質性としての享楽の実体のなかに穴を為す。固着が無意識のリアルな穴を身体に掘る。[Une fixation qui finalement fait trou dans la substance jouissance qu'est le corps matériel, qui y creuse le trou réel de l'inconscient]。このリアルな穴は閉じられることはない。ラカンは結び目のトポロジーにてそれを示すことになる。要するに、無意識は治療されない。かつまた性関係を存在させる見込みはない。(ピエール=ジル・ゲガーン Pierre-Gilles Guéguen, ON NE GUÉRIT PAS DE L'INCONSCIENT, 2015)

穴、それは非関係・性を構成する非関係によって構成されている。un trou, celui constitué par le non-rapport, le non-rapport constitutif du sexue(S22, 17 Décembre 1974)










われわれには原抑圧 Urverdrängung、つまり心的(表象的-)欲動代理psychischen(Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes が意識的なものへの受け入れを拒まれるという、抑圧の第一相を仮定する根拠がある。これと同時に固着 Fixerung が行われる。(……)

欲動代理 Triebrepräsentanz は(原)抑圧により意識の影響をまぬがれると、それはもっと自由に豊かに発展する。それはいわば暗闇に蔓延り wuchert dann sozusagen im Dunkeln 、極端な表現形式を見つけ、もしそれを翻訳して神経症者に指摘してやると、患者にとって異者のようなもの fremd に思われるばかりか、異常で危険な欲動強度Triebstärkeという装い Vorspiegelung によって患者をおびやかすのである。(フロイト『抑圧』Die Verdrangung、1915年)
エスの内容の一部分は、自我に取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳 Übersetzung に影響されず、リアルな無意識 eigentliche Unbewußteとしてエスのなかに置き残されたままzurückである。(フロイト『モーセと一神教』1938年)


異者のようなもの fremd(異物Fremdkörper)については前回記したばかりなのでここでは触れない。

ジジェクの現実界が誤謬だということは、ジジェクの享楽も誤謬だということである。

症状は身体の出来事である。le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps(ラカン、JOYCE LE SYMPTOME,AE.569、16 juin 1975)
症状は、現実界について書かれることを止めない。le symptôme… ne cesse pas de s’écrire du réel (ラカン『三人目の女 La Troisième』1974)
症状は刻印である。現実界の水準における刻印(身体の上への刻印)である。Le symptôme est l'inscription, au niveau du réel (Lacan, LE PHÉNOMÈNE LACANIEN, 1974.11.30)
症状は固着である。Le symptôme, c'est la fixation (J.-A. MILLER, - Orientation lacanienne III, 10 - 26/03/2008)
享楽は身体の出来事である la jouissance est un événement de corps…身体の出来事はトラウマの審級 にある。…身体の出来事は固着の対象 l'objet d'une fixationである。(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)
享楽はまさに固着にかかわる。…人は常にその固着に回帰する。La jouissance, c'est vraiment à la fixation […] on y revient toujours. (Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009)
享楽は現実界にある。la jouissance c'est du Réel.(ラカン、S23, 10 Février 1976)