万人はいくらか自分につごうのよい自己像に頼って生きている。Human being cannot endure very much reality (中井久夫超訳エリオット「四つの四重奏」)
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これも文学だけどさ、
どうせならこういう風に書けよ
甘っちょろい文学趣味ふりまいて
自己満足に耽ってないでさ
文学ってのは自分に跳ね返ってこないとな
自分につごうのよい自己像に頼って生きているってのは
ま、みんな妄想してるってことさ
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フロイトはすべては夢だけだと考えた。すなわち人はみな(もしこの表現が許されるなら)、ーー人はみな狂っている。すなわち人はみな妄想する。
Freud[…] Il a considéré que rien n’est que rêve, et que tout le monde (si l’on peut dire une pareille expression), tout le monde est fou, c’est-à-dire délirant (Jacques Lacan, « Journal d’Ornicar ? », 1978)
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で、オレがここで記してる妄想ってなんだろ?
穴に対して防衛してるのさ
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「人はみな妄想する」の臨床の彼岸には、「人はみなトラウマ化されている」がある。au-delà de la clinique, « Tout le monde est fou » tout le monde est traumatisé …この意味はすべての人にとって穴があるということである[ce qu'il y a pour tous ceux-là, c'est un trou. ](Miller、Vie de Lacan, 17/03/2010 )
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穴ってのは言語外の身体的なリアルってことだ、《欲動要求はリアルな何ものかである Triebanspruch etwas Reales ist(exigence pulsionnelle est quelque chose de réel)》(フロイト『制止、症状、不安』11章)
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欲動の現実界 le réel pulsionnel がある。私はそれを穴の機能 la fonction du trou に還元する。(ラカン、Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)
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我々はみな現実界のなかの穴を穴埋めするために何かを発明する。現実界は…穴ウマ(穴=トラウマ)を為す。le Réel[…]ça fait « troumatisme ».(ラカン、S21、19 Février 1974)
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で、人はみな穴に対して防衛する。
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我々の言説はすべて、現実界に対する防衛である tous nos discours sont une défense contre le réel 。(ジャック=アラン・ミレール、 Clinique ironique, 1993)
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ツイッターでなにやら叫んでいるヤツもみな妄想だよ
内的トラウマの外部への投射って言ってもいいさ
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投射 Projektionの特徴…それは、内部にある欲動的危険Triebgefahrを外部にある知覚しうる危険に置き換えるのである。(フロイト『制止、症状、不安』第7章、1926年)
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安倍ってのは投射の対象としてとっても手頃らしいな
それだけでもみんなに貢献してるんだよ、あいつは
感謝しなくちゃな
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というわけで精神分析的妄想家はヘボ文学妄想家よりはずっと質がいいぜ
精神分析が評判悪いのはバカが誤読してきたせいさ
たとえばちょっと前なら岸田秀やら伊丹十三やらとかがさ
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一時期、吾良がフロイドやラカンの専門家たちと知り合って、脇で見ていて不思議なほど素直に影響を受けたことがあったでしょう? その経過のなかで、吾良はやはり子供じみて聞えるほど素直に、いかに自分が母親から自由になったか、を書きました。けれども私は、こんなに容易にお母様から離れられるはずはない、と思っていた。私は無知な人間ですけど、そして幼稚な疑いだともわかっていますけど、心理学が大のオトナにそんなに有効でしょうか? 吾良だってすでに、海千山千のインテリだったじゃないですか?
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私は吾良がいつかは心理学に逆襲される、と思っていました。あのような死に方をしたことの原因のすべてを、心理学の逆襲だというつもりはないんです。しかし、吾良の心理状態のヤヤコシイもつれについてだったら、幾分かでも、あの心理学者たちに責任をとってもらいたいと考えることがあるわ。(大江健三郎『取り替え子』)
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いまだったら斎藤環なんかが典型だな
あいつはラカンどころか中井久夫まで骨抜きしてやがる 若い精神科医はああいったのをはやいとこつぶさないと 評判悪くなるばっかりだぜ それとももう諦めてんだろうか 「ラカンなんか読んだら、あんたたちを脳軟化症にするわ! if you read Lacan…Your brain turns to pudding! 」って言う「真のフェミニスト」カミール・パーリア だって、フロイトをしっかり読んで、母から自由になれないなんてとっくにわかっているよ。 |
どの男も、母に支配された内部の女性的領域に隠れ場をもっている。男はそこから完全には決して自由になれない。(カミール・パーリア 『性のペルソナ』1990年)
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母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への隷属として存続する。Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. (フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)
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ええっとーー、なんの話だったかな
自分に跳ね返ってくる文読んだり書いたらしなくっちゃな、ってことだ
21さいのカフカはすでにこう言っている。
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ぼくは、自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている。もし、ぼくらの読む本が、頭をガツンと一撃してぼくらを目覚めさせてくれないなら、いったい何のためにぼくらは本を読むのか? きみが言うように、ぼくらを幸福にするためか? やれやれ、本なんかなくたってぼくらは同じように幸福でいられるだろうし、ぼくらを幸福にするような本なら、必要とあれば自分で書けるだろう。いいかい、必要な本とは、ぼくらをこのうえなく苦しめ痛めつける不幸のように、自分よりも愛していた人の死のように、すべての人から引き離されて森の中に追放されたときのように、自殺のように、ぼくらに作用する本のことだ。本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。(カフカ 親友オスカー・ポラックへの手紙 1904年1月27日)
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