死の欲動…それは超自我の欲動である。la pulsion de mort [...], c'est la pulsion du surmoi (J.-A. Miller, Biologie lacanienne, 2000)
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超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する。Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend. (フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)
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我々が、欲動において自己破壊 Selbstdestruktion を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動 Todestriebes の顕れと見なしうる。(フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)
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で、《すべての欲動は実質的に、死の欲動である。 toute pulsion est virtuellement pulsion de mort》(ラカン、E848、1966年)を受け入れるなら、つまりエロスもタナトスも死の欲動ということになり、もちろん享楽も死の欲動だ。
大他者の享楽[la Jouissance de l'Autre]……それはフロイトの融合としてのエロス、一つになるものとしてのエロスである[la notion que Freud a de l'Éros comme d'une fusion, comme d'une union]。(Lacan, S22, 11 Février 1975)
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死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない。le chemin vers la mort n’est rien d’autre que ce qu’on appelle la jouissance (ラカン、S17、26 Novembre 1969)
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ボクはもう何度も記したので飽きてきたよ、質問されてもな。たしかに巷間の通念とは違うけどさ。あれらはまちがってるんだ。いまさらそこから説明する気にはならないね。
若者全般へのメッセージですが、世間で言われていることの大半は嘘だと思った方が良い。それが嘘だと自分は示し得るという自信を持ってほしい。たとえ今は評価されなくとも、世界には自分を分かってくれる人が絶対にいると信じて、世界に働き掛けていくことが重要だと思います。(蓮實重彦インタビュー、東大新聞2017年1月1日号)
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そのへんのチョロチョロした研究者の短い文を引用して質問されてもな。ボクにも間違いはあるよ、テキトウに記してるときも多いしな。でも死の欲動については上に引用した通り。
ここにもいくらかあるよ➡︎「エロス欲動という死の欲動」。で、若い人はこれと闘ったらいいさ。要するに「嘘だと自分は示し得るという自信」を持ってから質問してきてほしいね。